2002年12月前半の日記

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2002年12月1日

本日は日曜日、日記はお休みです。


2002年12月2日

一昨日は待望の雨が降りました。 昔の映画、ジーン・ケリー主演の「Dancing in the rain」 じゃないけれど、嬉しかったです。
これで「茶色」になってしまっていた公園の芝にも少しは緑が戻るかもしれません。

内陸部にも(水源地)しっかり降雨があったのかどうか、たった一日では焼け石に水かもしれませんが。
あまりにも内陸部が乾燥するものだから、中国で発生して日本にも飛んでくる「黄砂」のように、内陸部の土ぼこりが風に乗って飛んできて、外に置いてある車だけでなく、家の中までものすごく汚れていました。

先日もお掃除のオバサン、ファティマが雑巾を持って僕のところに見せに来たのですが、棚の上など普段目に付かないところなど、真っ黒になっている始末。
プールの底にも酷い汚れが何度掃除してもすぐに溜まってしまうほどで、こんな経験はここに17年住んでいますが初めてです。

さて、例のPC屋に行ったらジョンが「今年のクリスマス&ニューイヤーホリデーはどこへ行くの?」と。
オーストラリアはクリスマスと正月と夏休みが一緒なので、長いバカンスを取る人が多く、ジョンもクリスマス直前から来年の一月半ばまで香港に帰るとか。
オーストラリアには学生で来てそのまま永住してしまい、今やPCショップを経営するジョンですが、両親を始め親戚はみな香港にいるので、クリスマス正月に香港に帰るのは毎年の行事になっているようです。

僕にとって今度のバカンスは残念ですがどこにも行けそうにありません。
毎年正月早々始まるテニスの全豪を見にメルボルンに行くのもキャンセルしなければならないようです。
全豪には女房と二人で出掛けるつもりだったのですが、母が日本のマンション売却に伴って、一月中旬には日本に帰らなければならず、留守番をしてくれる人を見つけるのも、今のところあてが無いので結局僕が留守番ということになりそうです。
今のところ女房一人で全豪は行くということになっています。

そんなわけで「クリスマス正月はどこへも行けそうにない」と言ったら、ジョンが彼の愛犬を預かって欲しいとの事。
半年ほど前に愛犬に逝かれてしまった僕は、大喜びでジョンの犬を引き受けることに。
ジョンの犬は「シュナウザー」という種類で、男の子。 名前もそのまんま「BOY」です。
近日中にPC屋のジョンと「BOY」の写真をアップします。 僕の日記に何度も登場するPC屋とジョンの写真は前からこの日記に載せようと思っていて、いつもデジカメ持って行くのを忘れてしまって。

さて、僕はこのHPで色んな事を書いているせいか、たまに僕の日記に書いていることについて、突然メールを頂くことがあります。
犬の事を書いたら「愛犬家」の方から質問のメールを頂いたり、例の彼女改め930についてもお便りいただいたこともあります。
昨晩も全く覚えのない差出人名のメールが舞い込んでいて、読んで見ると「錦鯉」のエキスパートでHPをやっている方からのメールでした。

僕はすっかり忘れてしまっていたのですが、今年の4月に鯉の池について日記を書いていて、それを多分サーチエンジンか何かで見つけられたのでしょう。
全くお会いした事も無い方から、赤道の反対側の国に住んでいる僕に、クリック一つで交信出来てしまうというのも、ITのすごさですな。


2002年12月3日

まず最初に。
昨日の日記がなぜかちゃんとアップされず尻切れトンボでホスティング会社のほうに行ってしまったようです。
失礼しました。
昨日の日記は過去の日記「12月前半の日記」のほうに付けました。

さて、
最近なぜかジャンクメールがよく来るようになって、中にはミエミエでメールアドレスの情報を集めるものがあり、非常に迷惑というか腹立たしいです。
メールのサブジェクトには「未承認広告内容*電子メール広告」とあり、内容は↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<送信者>
電子メール広告社

今後、広告をご希望しない方はここへ
(必ず本文にあなたのメールアドレスのみをお書き下さい)
infoshoppingwave@yahoo.co.jp
メールアドレスをご記入してください。

〒104-0061
東京都中央区銀座8-19-3
第2ウイングビル 3F
メールマガジン発行
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↑もしこれに反応して自分のメールアドレスを書き込んで送ったら思う壺、必ずまた別の会社からジャンクメールが舞い込んでくる事必至です。
実は全く似たようなメールがすでに何通か来ていて、それらのメールに対してはメッセージルールを使って、送られて来たらすぐに削除にしてあるのに、送る側も多少中身を変えてまた送って来るので削除されないでInbox に入ってきてしまう。
勝手にバンバン送って来て、送って欲しくなければ僕のメールアドレスを書いて送れ(返送)といい、じつはそれが罠でまた僕から返ってきたメールアドレスを利用する恐れがあるのです。

この送られてきたメールは僕が6つ持っているメールアドレスのどのアドレスを使ったかが、プロパティーを開いて、パスなどを調べなければ分からない巧妙な仕組みになっていて、知らずに送られてきた時のとは別のメールアドレスを書き込んで返送したら、またまたそのジャンクメール屋の思う壺なのです。

今回のメールもどうやら僕のホームページに出ている僕のメールアドレスを使っているようです。
多分僕が使っているケーブル接続のプロバイダーが用意しているメールアドレスというのはなかなかロボットには引っかかりにくいのでしょう。

どうしたものでしょうかね。 
今のところは自動削除で対応していますが、このようなジャンクメールがバンバン来るようになったら、非常に「ウザイ」!!!
そういうジャンクメールを自動的に削除してくれるソフトというのもあるらしいですが。
「ワン切り」などとほとんど同じ手口だと思います。

さて、本日は母の補聴器が出来てきたので、それについて書きます。
母の聴力が歳とともに大分落ちてきて、前から補聴器を勧めていたのですが、どうも彼女には「良いイメージ」が無いようでかたくなに拒んでいました。

彼女の補聴器のイメージというのは、音が大きくなりすぎて「キンキン」し、雑音も拾って、しまいには頭痛がし出すのではないか。 その上つけてるのが見えると「みっともない」と全く関心を示さなかったのです。
しかし難聴の具合が大分酷くなり、日本に行った時に母の弟たちにまで補聴器をつけるように言われたために重い腰を上げたようです。

しかし僕もその補聴器についてはそれほど知識があるわけではなく、母が日本に行っている時に作ろうかしらと言うので、値段を調べたら思いっきり高額でビックリしました。
オーストラリアで作れば、少なくとも今加入しているプライベートの医療保険から多少の補助が出るだろうし、また万が一壊れたりした場合でも、こちらに住んでいるわけですから都合が良いという事でオーストラリアで作る事にしました。

まずは例によって池亀先生に紹介状を書いてもらい、耳の検査から。
ビックリしたのは母の聴力の検査の結果で、総ての音域で聴力が落ちているのですが、良いところと悪いところがあって、多少ですが(主に低音域)かろうじて普通のところもあるのです。
しかし音域(周波数の高い方)によっては全くほぼゼロに等しいほど聞こえてないところがあるのです。
これじゃあ今まで会話をしていても「ふんふん」とうなづくだけで、全く聞こえていなかった部分もかなり有ったはずだとその検査員。

で、これは絶対に補聴器を作らなければ生活に支障が出ますよといわれ、思い切ってオーストラリアで手に入る最新式のを注文したのです。
下に付けました写真を見ていただくと分かりますが、これはオーストラリアで手に入る最も小さなものではありません。
これより一回り小さいのも見せてもらいましたが、その専門医の言うには母の場合まだ自分で聞く事が出来る音域が残っていて(低周波域)、もし一番小さいので作ると、その部分も補聴器に任せることになるし、また自分の声や食事をする時に聞こえてくる音に違和感を感じるようになるとか。
で、今回注文したのは耳の中にスポッと入るのですが(外からよく見ると耳の穴に入っていると分かる程度)、低周波域を通す穴も開けられている上に、このサイズになるとマイクが二つ組み込めるので、もっとプログラミングの幅が出るというのです。

プログラミングの幅と聞いて、僕は急に興味を持ち、そこで詳しく説明をしてもらって、イヤハヤ現代の補聴器がこれほど進んでいると知ってビックリしました。
何とその小さな補聴器の中に、二つのマイク、スピーカー、水銀電池、それにICが入っていて、なんとPCに接続して、中の設定をその使用者のニーズに合わせるというのです!

で、今日母を連れてフィッティングに行ったのですが、このFONACKというスイス製の補聴器、僕が(勿論母が)考えていた以上に素晴らしいです。
技師が母の耳に入れた補聴器に細いケーブルでPCと接続し(特別なインタフェース用の箱を介して)、ソフトウエアーを呼び出し、母の耳の聴力の検査の結果を(周波数ごとにグラフで)入力していくのです。
そして設定が終わったら保存して、いざスタート。
で、母に「どう良く聞こえますか?」と聞くとは母「いえ聞こえません」なんて答えが返ってきて、僕も一瞬焦りました。

しかしよく考えてみると、耳に補聴器が入っているのに、技師が小さな声で「どうですか、聞こえますか?」と言っているわけで、聞こえなければ「聞こえません」って答えも返って来ないわけです。
じつは、この補聴器あまりにも自然なので、母は逆に戸惑っていたのです。
つまり母は補聴器を入れたらいきなり大きな音で聞こえてくると思っていたのが、自分の耳で聞いてる音にしか聞こえないので、その補聴器のスイッチが入っていないのではないかと思ったようです。

で、技師はそれならとわざと(まだその時点でPCにつながっている)設定を大きく落として、どうですかと聞くと、母はほとんど聞こえない事に気が付いたようです。

それほどこの補聴器自然に聞こえるようです。
確かに結構なお値段ですが、それにしてもテクノロジーの素晴らしさと言うか。
で、その技師と話していたら、このようなテクノロジーは全くPCと同じで、もう数年したら、もっとすごくなるだろうとの事。
今もこの補聴器の中に無線機まで入っているのがあるらしい。
その無線機入りの補聴器、今はまだ今回母が作ったのほどは小さくはないが、映画館などではそれ用の設備を用意しているところがあって、その無線で映画を鑑賞できるとか。 つまり必要とあれば他の雑音を一切殺して、聞きたい音だけを無線で聞く事も出来るようです。

イヤハヤビックリでした。
母の手のひらに乗っているのが補聴器で、色も母の皮膚の色にすごく似せてあって、全く目立ちません。

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2002年12月4日

最近、毎朝女房と近所を約4キロほど歩いています。
愛犬が逝ってしまってからめっきり公園に犬の散歩を兼ねて出掛ける事がなくなってしまい、運動不足を痛感しはじめていたのです。

早足で約45分間の散歩で、今の時季(真夏)ではほんのり汗をかく程度の運動になっています。
で、その散歩道の一箇所、車の通りも少ない住宅街で懐かしい香りが漂っていて、いつも気になっていました。
毎朝、夏の香り(最近は山火事の臭いも混じる)が漂う中の散歩ですが、この一角のは違っていて、その香りが何だかずっと考えていました。

考えていてふと気がつきました。 そうだ、子供の時(小学生の頃)にあった、「紙石鹸」の香りだったんです。 
急に子供の頃が目に浮かんで来ました。 この日記を読んでいる方で紙石鹸ってどれほどの方が知っているのか。 いまだに日本では手に入るのでしょうか? 薄くスライスされた、オブラードよりはもう少し厚めのこの紙石鹸、懐かしいです。 で、その石鹸の匂いに瓜二つ。
僕の記憶の中にある紙石鹸の香りはたった一つ。

しかしこの住宅街のこの一角から匂ってくるのは、勿論紙石鹸ではなく、しかし匂いの元が見つかりません。
多分、そのあたりの家にある植物(花か?)の香りだと思うのですが。

何で紙石鹸というのがあの当時流行ったのでしょう。
女房の話ではやはりオーストラリアにもあったとか。 そしていまだに洗濯用に存在するらしい。

石鹸の話で思い出しました。 
10年以上前に僕が日本に帰った時に驚かされたのは、液状石鹸でした。
当時オーストラリアでは全く液体石鹸は普及していなかったので、石鹸と言えば固形しか知らなくて、日本に行ってホテルに泊まったら石鹸が見つからないのです。
ビジネスホテルだったのですが、ヘアーシャンプーは何種類も置いてあってなぜに石鹸が無いのかとフロントに電話をしたら、何と「液状」だったのです。
思いっきり恥ずかしかった。

しかし今回日本に帰ってオヤジの偲ぶ会のために新宿の京王プラザホテルに泊まったら、ちゃんと固形石鹸がありました。
今や京王プラザにはアジアからの観光客が大挙して泊まっているようで、僕の泊まっていた階では日本人はほとんど見ませんでした。
多分、東南アジアからの客達は10年以上前の僕のように液状石鹸で戸惑う人が多いので、固形が用意されているのかもしれません。

いや、液体からまた固形に流れが戻っているのかもしれませんが。
我が家では相変わらず固形石鹸を使用しています。 それもロンドンに住んでいる時からずっと使いつづけている、「Cussons」というメーカーの 「Imperial Leather」という固形石鹸。 どこのスーパーにも置いてある石鹸なのですが、あまりにも永く使っているために、他の石鹸を使うと香りが変わるために違和感を覚えてしまうと言うか。
この「Imperial Leather」は結構香りが抑えられているので。

しかしオーストラリアでも外出先から帰ってきた時などに手を洗うためのは液状石鹸がかなり普及してきていて、それも殺菌(Anti-bacterial 除菌だったか)をうたったものが増えています。
しかしこの「殺菌」と言うのが曲者で、これが普及しすぎると「O-157」等のような菌の増加を抑える、比較的安全な菌までも殺してしまったりと、いろいろ弊害も出てくるようです。
そう言えばオーストラリアでO-157の問題って聞いた事がありませんが、これはどうしてだか調べてみるのも面白いかもしれません。

この日記をアップロードしようとしたらいきなり停電で、PCが落ちてしまいました。 本日は思いっきり暑い日でブッシュファイアー(山火事)が発生し、送電線に被害があったようです。
詳しくは明日書きます。 何しろまたいきなり停電になったりしたらPCへのダメージも考えられるのです。


2002年12月5日

昨日は熱風が吹き、40度近くまで気温が上がって、こりゃ〜やばいなと思っていたら案の定、ブッシュ・ファイアー(山火事)が発生してしまいました。 
出火場所がかなりの数に上るところを見ると、自然発生だけでなく、相変わらず、放火をする大馬鹿野郎がいるようです。 
山火事で焼け出され全てを失ったり、命を落としたり、また大変な消火活動を必要とするのを見ていると、テロ攻撃にも似ています。 

火をつけるような馬鹿はテロリストと同等、いやそれ以下で、そのような馬鹿は重罪に処するべきだと思います。 
しかし処罰はテロと放火では雲泥の差でしょう。 何かおかしい。
今もこれを書いていたら、18歳の馬鹿が放火で捕まってます。


昨日はテレビのニュースを見ていなかったので、外出から戻って来て、PCを立ち上げて今日の日記を書こうかなと思っていたらいきなりPCが落ち、家の防犯装置も異常を知らせるアラーム(サイレンのではない)も鳴ったりして、いったい何が起きてるのか判らず、パニック状態。
その上、PCがいきなり落ちたので、ハードディスクにダメージが起きたのではないかと心配。

家の中を見て回ったら、オーブンに付いているデジタル時計もすべてゼロ表示になっているので、瞬間的な停電が起きたのだと判断し、どうしたものかと思っていると、今度は起動していない他のPCに接続されているスピーカーから「ガリン」なんてノイズが出たりします。 
これは雷などの時のようなパワーサージが起きているのと同じ症状。

こういう場合にはPCにダメージが出る可能性が充分あるのでデスクトップのほうは立ち上げられず、電池で稼動するノートPCを使ってメールを取りに行ったら、今度はエラーが出てメールを落とせません。
ノートPCのほうにはダメージが出ているはずは無いのに、「???」てなもんで、電力会社に電話を入れたら、今山火事が発生中のため電力の供給が不安定になっていますというテープが流れ続けています。

外に出てみると、雲だと思っていたのが何と山火事の煙だったのです。 久しぶりに見る大量の煙です。
こりゃ〜大変な火事になっているのではないかと容易に想像はついたのですが、しかしなぜホームページのほうに来ているメールが落とせないのかがわかりません。
で、クイーンズランドに電話を入れると、今日はメールサーバーの調子がなんて言っています。

何と、全く同時間帯にクイーンズランドにある僕のHPをホスティングしている会社の(全く山火事とは関係ない)メールサーバーがダウンしていたのです。
なんとも偶然というか、今までメールサーバーが落ちたのは2度くらいしかないのに、てっきり電源が不安定でPCのプログラムが壊れてしまったのかと考えたり。

で、本日になっても山火事は衰えてはいず、昨日ほどではないしても、電灯の明るさが変わったりして、電圧が安定していません。
昼に例のPC屋に用があって行ったら、PC屋の客の一つである旅行代理店のサーバーが(LINUX)昨日今日の停電でおかしくなったと、忙しそうにしております。 

何と、UPS(電源のバックアップ、無停電装置というのか)が古くて、ぜんぜん働かなかったんですな。 
確かにUPSというのは中には電池が入っているので、長期使っていると、役に立たなくなるのかも。 
全く普段の保守点検を怠っているとこういう事になるという見本のようなもんで、何のためにUPSを用意しているのか。 
困った時しかこの旅行代理店頼んでこないとかで、ちゃんとジョンと保守契約を結んでいないようです。

今日はジョンのところに行ったついでに、今度預かることになったジョンの犬、シュナウザーの「Boy」とジョンの写真を撮ったので付けます。 店の中で撮ったので、雰囲気があまり出ていないかな。

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左がBoy君、右が持ち主のジョンと一緒。 なんか店の中って雰囲気には見えないような。


2002年12月6日

山火事は一向に衰えていないようです。
焼け出された人達を見ていると、とても悲惨。 特に何件かは放火との事で、余計腹が立ちます。
目の前で自分の家が焼け落ちていくのを何も出来ずに見ている人、泣きじゃくっている人。
ボランティアで消火活動に行っていて、帰って来たら自分の家が全焼していたとうなだれている老人。

昨日のニュースでは放火以外にも、車から投げ棄てられたタバコの吸殻からも発生しているようで。
このような状況の時にタバコの吸殻を棄て火事に繋がった場合、最高14年の懲役刑になるそうです。
放火と同罪とみなされますから、絶対に吸殻は投げ捨てないようにとニュースは伝えています。

ポイ棄ても酷いが、ワザワザ火をつけに行くような馬鹿ヤロウは14年じゃ足りないのではないかと感じます。
昨年の山火事の時に火をつけた少年は結局少年院にも行っていないようだし。

昨日の日記にもちょっと書きましたが、火事の影響で家庭に供給されている電力が非常に不安定になっていた(まだ続いているかもしれない)ので、僕のPCに続いて女房の方もおかしくなってしまいました。
昨晩夕食後に女房が自分のPCを立ち上げたら、「ピー、ピー、ピー」というビープ音が始まって、画面は真っ黒なまま。
なるべくこういう時にはデスクトップ型PCは使わないほうが良いと僕の日記に書いておきながら、女房は僕の日記は読まないのでそんな事はお構いなくPCのスイッチを入れたら、異変に気が付いた。

僕を呼ぶ声で行って見ると、モニターには何も映っていず、ただピーピーと繰り返すのみ。 このビープ音は電源がおかしくなった時のメッセージかなと思ったのですが、とりあえず全くキーボードにも反応しないので仕方なく、強制的に電気を切って、再起動しました。

再起動で立ち上がって来たのは、BIOS画面。
で、BIOSの画面の中に書かれているメッセージを読むと、CPUの周波数設定を正しくしろ出てます。
女房のはP−IIIの1ギガなのですが、その画面にはちゃんと1000MHzと表示されています。
しかし、一応デフォルトセッティングのキーを押したら、今度はV−コアの電圧をちゃんと設定しろとの表示。
それもデフォルトにして、設定セーブで Exit を押して、立ち上げてみました。
運良くダメージは無かったようで、普通に作動し始めました。

思うところ、女房がちょうどスイッチを入れた時に、電圧がかなり下がっていて、PC電源の方にちゃんと供給されず、ということはPC電源も必要な電圧をCPUなどに供給できなかったために、起動できなかったようです。
V−コアの電圧にしても大分下がってしまったのでしょう。
まあ今のところちゃんと稼動していますのでヤレヤレですが、僕もUPS(無停電電源)を考えた方が良いかなと調べたら、結構お値段なんですな。
で、比較的値段の低いのは25分くらいしか電源が持たないようです。
まあ家にいれば25分は充分ですが、外出などしていたら全く足りないし、庭などに出ていても25分くらいはすぐ経ってしまうし。
もっと長く持つのは軽く1000ドル以上するそうで、どうしたもんやら。

来年に入ったら、そろそろ新しいPCを組んでみようかなと考えているのですが、こういう基本的な製品も必要なのかもしれません。


2002年12月7日

シドニーの山火事の被害は日本でも報道されているようで、何通かメールを頂きました。
ご心配を掛けましたが、幸い我が家の地区は被害はありません。
ほぼ街の中なので燃える木々がそれほど多くなく、山火事の被害が及んでくる事はほとんどありません。

さて、本日の朝刊を読んでいたら元FAI保険会社の2代目社長だったロッドニー・アドラーの事が出ていました。
今日は彼についてちょっと書いてみます。

オーストラリアというのは若い国で、多くの移民が一代で立身出世をして大会社の社長になる事が多い。
つまり、歴史が無い分、全く昔からのエスタブリッシュメントというのが少なく、余地が残されているというか。
元食料品店を経営していたフランク・ロウイもパートナーと二人でショッピングセンターを興し、今やオーストラリアのトップ企業まで成長し、アメリカにまで進出し、確かアメリカ第二位のショッピングセンターを所有するまでに。
ちなみに彼が所有する「ウエストフィールド」という会社は、僕の日記にも何度も登場するボンダイジャンクションの一大開発を今やっている会社で、この開発費は総額460ミリオンに上るそうです。

僕がオーストラリアに来た1980年当時、保険のFAIはすでにオーストラリアでは有数の会社でした。
経営者のラリー・アドラーがハンガリーからのユダヤ人の移民で、タクシーの運転手からたたき上げて、一代でその保険会社をつくりあげたのです。
ショッピングセンターとか、レストランチェーンなどなら、そういうたたき上げの経営者がいてもおかしくないのですが、当時僕は「保険会社」というのに興味を持ちました。

しかし、健康を害した創業社長は10年程前に他界し、一人息子(娘は二人居るが)のロドニーが継いだのです。
どこの世界にも出来の悪い二代目社長というのは居るものですが、このロドニーはもうその典型。
僕はまだラリー・アドラーが生きている時代から、その馬鹿息子に帝王学を必至で仕込み、継がせようとしているのを知っているのですが、当時から非常に危なっかしかった。

ラリーが他界し、完全にその馬鹿息子が引き継いでからが悲劇の始まりで、今彼は倒産した保険会社「HIH」の管財人たちからの訴訟や、自分の所有する同族会社への不正融資については刑事裁判で、時の人になっています。
完全なデタラメ経営で父が創業した「FAI」を結局「HIH」という会社に身売りをし、はたまたそのHIHでもマネージメントに関わり、そのHIHをも倒産に追い込んだ張本人の一人なのです。

今から10年以上前に、キングスクロスにある小さなホテルの件で友人から相談を受けた僕は、そのホテルのあまりの放漫経営とドンブリ勘定を知って唖然として、一体誰が所有しているのか調べたら、ロドニー・アドラーがFAIの金を使ってやっていたのを知り、ロドニーがどういうタイプの人間かを理解したものです。
当時はそれほど彼の事を悪く書くメディアは多くは無かったのですが、僕は実際に関わった身として、今日を予測したものです。

で、今彼は親から引き継いだ100ミリオンドル近くの財産のほとんどを失い、裁判費用に毎週2万ドルずつ費やしているようです。 毎週2万ドルはそれほど多く思えないかもしれませんが、現在までで、すでに一年はやっていて、また来年度も、下手すれば再来年度も裁判は続くでしょうから百万ドル単位の金が出て行くだけでなく、今のメディアの予想では確実に実刑判決を受けて刑務所行きになるようです。

まあ、これがタダのアホの二代目物語なら別にどうでも良いのですが、実はこの二代目のお陰でオーストラリアの保険業界がメチャクチャになってしまい、多くの問題が出ているのです。
一つの例をあげます。
友人の医者が一時、廃業を考えたことがあります。 理由は医者が加入する保険の料率が極端に上がり、僕の友人のように(高齢なので)パートタイムで週3日くらいしか働いていない医者には保険が高すぎてやっていけないという問題が出てきたのです。

FAIの身売りからHIHの倒産に繋がるゴタゴタの中で、保険料の引き上げなどが起こり、なんと僕が趣味でやっていたゴーカートのレースまで、レース時の保険料の高騰で難しくなるという問題まで出てきたほど。

上記のようなレストランチェーンや、ディスカウントショップチェーン等とは違い、会社の大きさにもよりますが保険会社などの場合は社会的影響が大きいのです。(保険会社の場合は競争相手であってもお互いにカバーしあっているので)

若い国オーストラリアならではの問題の一つではないかと思いながら興味深く今朝の特集記事を読みました。


2002年12月8日

本日は日曜日、日記はお休みです。


2002年12月9日

突然にNHKの放送をケーブルテレビ局(Optus)が打ち切ってしまったので、「テレビ命」の我が母はすっかりしらけて、早めに日本に帰ると言い出しました。
茅ヶ崎のマンションの売買成立に合わせて、一月の中旬に帰ると言っていたのに、このままでは「紅白」も見えないと。
マジで今時「紅白」を見たいって言ってるとも思えないのですが、まあそれを口実に帰りたいのかとも思い、切符の手配を。

やはり年末から正月にかけては完全に切符は売り切れていますが、まだ20日出発は有るとの事で、クリスマスもオーストラリアで迎えず日本に帰ることに。
約一ヶ月前に日本から帰ってきたばかりなのに、テレビが見えないから帰ると言うのでは、そのうち日本に住みに帰ってしまうのではないかとも思います。

母くらいの歳になると、今から英語を覚えても限度があり英語のテレビを楽しむレベルには絶対に達しないわけで、やはり馬鹿でかいパラボラアンテナを入れて、馬鹿高いデコーダー(このNHKのは普通のデコーダーの約4倍くらいの価格)を購入して、来年早々NHKが映るようにしなければならないようです。

一番迷っているのは、3400ドル(日本円で軽く20万円以上です)もの金を払ってNHKを見始めたら、いきなりこちらの国内衛星テレビ会社がNHKと契約してなんて事になった場合に、非常にもったいない状態になるという事です。
我が家では一時期(まだNHKがアナログで放送していた頃)大きなパラボラアンテナを設置してNHKを見てる時期があり、その前はテレビジョンオセアニアという会社がこちらの衛星を使ってやはりNHKを放送していたのです。

その時その時で使える機器が違って、その度にかなりの額の機器代を払わされ、配給会社の都合で振り回されていたのです。
また新しいテクノロジーで、完全に通信形態が変わってしまったりの可能性とかも考えます。
「成層圏無線中継」の話を聞いたりすると、これが海外に住む我々にとってどう影響するのかとか。

母にとってはNHKの突然の放送打ち切りは、ロウソクで生活をしていた人間が電灯に変わって大いに喜び、で電灯の生活が当たり前になっていた時にいきなり電気は配給しないからまたロウソクの生活に戻ってくれと言われるようなもの。
それでも運の良い事に我が家ではその直径2.3メートルもある馬鹿でかいパラボラアンテナを設置できる場所が有るからなんとか見ることは可能ですが、住んでいる場所によっては完全に無理なところが多いでしょう。
ちなみに日本の衛星放送用のアンテナはせいぜい60センチ前後と思われます。

そんなわけで暇そうにしている母のために女房が持っていた日本の映画をヴィデオで見せたりしてました。
これらのヴィデオは女房が学校で日本語を勉強している生徒のために使っていたものです。
最初に見せたのが「家族ゲーム」。 久し振りだったので、僕も一緒に見始めたのですが、主役の伊丹十三も松田優作ももういないんですよね。
何か感慨深いというか。

この映画ともう一つ「シャルウイダンス」を教材に使っていたのですが、日本語に興味を抱かせるためにはかなり効果があったようです。
 


2002年12月10日

関東地方は大雪だそうです。 
今年の北半球は(ニューヨークなども)かなり寒い冬になりそうですな。 シドニーは相変わらずの山火事が続いていましたが、今日のシドニーは久しぶりの雨で、これで山火事も一段落してくれるのではないかと期待しています。 

先日の日記にも書いたように我が家は比較的安全な地域に位置するので心配は少ないのですが、友人の中には郊外に住み人も多く電話をかけて安否を気遣ったりの今日このごろ。 
昔の日記にも登場した、作家の友人メグ(メグ・スチュワート)の家も現在山火事が猛威を振るっているシドニー北区郊外にあるので、電話をしたら、火は近いが延焼の危険はまだ何とか無いとの事。 
しかし友人が全焼で焼き出され(我が女房の知人でもある)今は彼女の家に居候を始めたとの事。 本日の雨が続くことを祈っています。 

さて、昨日NHKの放送の事を書きました。 
誤解の無いように書くと、実はNHKの夜7時のニュースだけはSBSというマルチカルチャーテレビ局で毎朝5時半から放送しています。 
そんな朝早くから起きて見るわけには行かないので、ヴィデオに録画して見ています。 
僕にとっては日本のニュースはこれで充分なのですが(今やネットでいくらでも知りたいニュースは取れる時代ですから)母にとっては、他にも見たいもの(つまり今まで見ていたもの)が山のようにあります。 

朝の連ドラだったっり、料理番組だったり、はたまた相撲などのスポーツ番組などです。(サッカーや野球もたまにやっているようですがあまり見ていません) 
母にとって今やたった30分のニュースも貴重なので、録画しているのですが、買ったばかりのデッキの調子がおかしくなってしまいました。 

特に理由は無いのですが我が家はずっとナ○ョナルの製品を使っていたのですが、2台あるのが同時期に壊れてしまい、修理屋さん(日本人の方で家まで修理品を取りに来てくれるだけでなく、非常に良心的な値段で修理してもらってます)と話していたら、ソ○ーやナ○ョナルの製品も悪くないが、今やどこも東南アジアで作っていて高い安いはただブランド名で、それほど人気の無いメーカーのものでも実は中身はほとんど同じだったりするので、安いもので十分ですよと言われてました。 で、近くの量販店でその日のバーゲン品というのを購入したのですが、う〜んたった2ヶ月で調子が悪いのも、気がかりです。

前にヴィデオデッキを買いに行った時の事を書きましたが、今やDVDプレーヤーの方が幅を利かせて、ヴィデオデッキの売り場の方が小さいのです。 
最新式の製品が手に入る日本の店ならいざ知らず、DVDプレーヤーでは録画できないわけで、用途が多少違うと思うのですが、ちょっとこれには不思議です。 
オーストラリア人はヴィデオデッキを買っても予約録画なんかは使わない(使えないという噂もある。 我が女房の姉夫婦は予約機能を使いこなせないで、勝手から一度も使ったことが無いらしい)、ビデオを使うのはレンタルヴィデオを見るだけということが多いというのなら十分理解できます。 
何しろレンタルヴィデオよりもDVDの方がよっぽど画質も良いし、ノイズも乗らないし。 
それにしてもなぜ録画できるDVDプレーヤーが家電製品として出回ってこないのか、非常に不思議に思っていたのですが、僕の見るところ例の「日亜化学」の青色レーザーに関係が有るのではないかと。
今の赤色レーザーだと、DVDディスクに記録できる量は高が知れていて、何時間もの録画には向かない。 

ところが赤色よりも幅の狭い青色レーザーだと、20〜30ギガバイトもの情報が入るようになるそうです。 
で、もう完全に次は青色だと判っているので、どこの会社も本格的に現在の赤色で製品開発しないのではないかという事。 
ところがこの青色をめぐっても昔のヴィデオのときのようなソニーのベータと松下軍団のVHSに似た戦争が始まる可能性が有るそうです。 

今のPC用の書き込み用DVDにしても色んな規格が乱立し始め、僕のようなシロウトにはどれに手を出して良いか判りかね結局は静観する、つまり買わないという結果になってしまっていて、これは消費者にも作る側にも不幸だと思うのですが。 

とにかく音楽のカセットテープがほぼ完全に終わった時代に、いまだにヴィデオの録画はその音楽カセットテープと同じようにテープをヘッドにこすりつけるような前近代的な方式が生き続けているのも不思議です。

他のオーストラリアの家庭はともかく、我が家のようにタイマー録画を頻繁に使う場合は、安いレコーダブルDVDの出現を心待ちにしています。(僕の好きなスポーツ観戦はほとんどがヨーロッパやアメリカからなので、タイマー録画が必死です)
すでに日本ではハードディスクドライブと組み合わせたVCRや、書き込みの出来るDVDデッキも売っているのは知っていますが、値段と将来性を考えたら、あっという間に古くなってしまう物には手を出したくないし。


2002年12月11日

一昨日から降り始めた雨が今朝まで続いたお陰で山火事は一段落ついたようです。 
久し振りに気温も下がって、外出から戻ってきた母は、何と!コタツをつけています。 
こう書いても寒い日本にいる人はピンとこないかもしれませんが、今オーストラリアは真夏、日本で7月に入ってコタツを出すなんて事はまず無いと思いますが、この辺がオーストラリアなんです。 

1980年に僕がロンドンから引っ越してきた年も、確か大晦日の日だったかにストーブをつけた事があります。 
大晦日にストーブというのもまた北半球では当たり前に聞こえるでしょうが、日本で8月にヒーターを入れるようなもの。 
北海道でさえそんな事はめったに無いのではないかと思います。 
つまり空気が非常に乾燥しているシドニーでは太陽が顔を出さなくなると体感温度がかなり下がるのです。 
先週まではクーラーが必要というほど、暑かったのですが。

さて、昨晩夕食を取っていたら日本人の友人から「PCお助け」コールが。この友人、僕よりも10歳ほど年上で、奥さんを病気で亡くした後、オーストラリアに一人で永住に来たのです。 
テニスで知り合い、彼も僕の影響でPCを購入し、日本の情報を得るためにネットをされるようになりました。
その年齢で始めるというだけでも感心なので、できる限り「お助け」をやってあげていたのです。 

昨晩のトラブルは「ハードディスクを認識しない」って言うもので、僕は「え?」って一瞬考えてしまいました。 
今までのお助けコールはインターネットやっていたらフリーズしてとか、タスクバーがいなくなってしまったとか、もう初歩的な問題というか、ミス。 で、何をやってるのかと思ったら何と新しいPCを買ったのだが、古い方からデーターを移そうと思ってとの事。 

いつも問題が出るたびに電話をかけて来ていながら、新しいPCを購入する時に言ってくれないなんてと、僕は少々オカンムリ。 
それも聞いたら同じボンダイジャンクションの中国人経営のPCショップのショップブランドを購入したって言うのです。 
そういえば彼には僕のHPの事は言っていなかったので、僕がボンダイジャンクションにあるPC屋のジョンの事などを何度も僕の日記に書いても全く知らなかったのですな。 

それにしても、そろそろPCを新しくしたいと考えているとか一言あれば昨晩の問題も出なくて済んだのにと、残念です。 
どうやら日本人の学生さんで日本でコンピューター・ソフトウエアーのプログラムの仕事をやっていた人に相談して、購入したらしいのですが、どうもこの人がハードの方はあまりお得意ではないようです。
僕が今度のPCに古いHDDをつけるのなら、ジャンパーピンの設定とかちゃんとやらないと認識しませんよ、とか言っているのに、「ジャンパーピンって?」と言われてしまった。 

で、BIOS画面ではそのドライブ認識されていますかと聞いたら、BIOSは知っているが、その画面の呼び出し方に手こずっていたり。 
まあ日本では分業が進んでいるので、いくらソフトウエアー・プログラミングの仕事をしていたといっても、自分で組み立てたりはなさらないようです。 
で、電話で指示を出すも要領を得ないので、食事を早々と済ませ、幸いその友人は近くに住んでいるので、出掛けて行きました。

とりあえず無事問題は解決し、ウインドウズ2000のインストールも完了。それにしてもこの元プログラマー嬢、(そう女性なんです。)パーティションを4つに切って、CドライブにOS入れて、Dドライブは512MBにして何も入れず、残りをE と F ドライブに切ってそれぞれアプリと、データのためになんて言ってます。 
何かLINUX用パーティションと混同しているような気がするのですが、その方が速くなるとおっしゃるので、ああそうですかと別段議論する気も無いので、そのように任せてインストールは見ていました。 

しかし、このPCを使用する僕の友人はパーティションって何?って言う人だから、使い出したらソフトとかインストールするたびにドライブを指定して、パスを変えてやってとか絶対にできっこないと思うのですが。 
横で僕らの話しているのを聞いていている時でも、「Eドライブには、、、」とか話していても、「ドライブ????」って感じで。 

だいたい40ギガあるHDDでOSのためにドライブ(C)をたった2ギガしか取っていない、というのも、不安です。 まあそのうちまたお助けコールが来ると思うので、その時にバッサリ再インストールをしてCとDくらいに(10ギガと30ギガくらいか)別けてしまおうかなと。

と、今日はPCに興味のない人にはあまり面白くない内容ばかりを書いてしまいました。 海外に住む外国人(つまり日本人の僕も外国人)にとってはインターネットは必需品なので、この友人にもなるべく協力したいと思っています。 


2002年12月12日

昨日は一日中外出の後、夜は友人を夕食に招待したために、日記のアップが遅くなってしまいました。
その上、このオーストラリアに5年ぶりに戻って来た友人と夕食と取っていると、例のPCを新しくした友人のお助けウーマン(元プログラマー)から、またまたお助けコールがあったりして。(FDDがなぜか認識されなくなってしまったというのと、メモリーをもう一枚古い方のPCから取って刺してもメモリー数の合計が合わないというような質問) 

僕がアドヴァイスして組んだPCなら仕様がわかるのですが、メモリー数が会わない原因は、安く作ったPCなので多分ヴィデオがオンボードで、それに喰われているのでしょうが、その辺の事はオーダーした本人がご存知無い様で。

昨晩食事に招待した友人というのは、僕が元住んでいたボンダイジャンクションの家にテナントとして家族で入っていてくれた方。 
シドニー・ハーバー・トンネルを造った日本の建築会社「K組」に勤めていた方です。
昨晩も今の混雑を考えると、トンネルが無かったら今頃はシドニーは完全に麻痺しているという話が。
「K組」が当時のニュー・サウス・ウエールズ州に働きかけなければ、このトンネルは実現していなかったといっても過言ではないのです。
トンネルのアイデアは大分前から有ったのですが、「K組(トンネルを得意としている会社なのです)」が格安のプロジェクトを持って交渉に当たらなければ、当時のオーストラリアの土木会社の手に負えるものではなかったのです。(トンネル工事の経験が少なかった) 
どこの会社も自信が無いから、引き受けるとしたら莫大な工事価格と引き換えにという状況だったのです。

それなのに、「K組」が当時としては破格の安い工事価格で請け負う事に決まった途端に、「なぜオーストラリアの会社ではないところが受注したのか」のような記事が多く出たものです。
その上、環境保護団体は例によって、トンネルを作ると自然が破壊されると文句を言うし、一部は執拗な反対デモなどをやったりしていたものです。

さて、その彼が「勤めていた」と過去形で書くのは、彼が2年前に転職したから。 
日本の不景気の、それも真っ只中の業種でも特に「K組」は危ないと言われていますから、彼の職場の友人の多くも他の会社に移られているようです。 
彼の場合「K組」オーストラリアに10年ほど勤務して、永住ヴィザを取得していたのです。 で、あまり日本に長く帰っていると、そのオーストラリアパーマネントヴィザを失効してしまう事になります。 

で、彼もいろいろ考えたようです。 二人いる息子さんも成長期の多くをオーストラリアで過ごしています。 
日本本社勤務の辞令が出たのが約5年前で、その息子さん二人は中学生だったのですが、すっかりバイリンガルになっていて、今長男はアメリカの大学に留学しているそうです。 

話では、オーストラリアで付いた習慣で、その息子二人日本に帰ってからも兄弟同士で話す時には必ず英語を使っていたようで、全く英語力は衰えていなかったそうです。 
彼らはオーストラリアにアパートも購入していたし、日本の景気もぱっとしないし、下の息子さんも今度大学入学でオーストラリアの大学に入りたいらしいし、はたまた奥さんもオーストラリアに多くの友人がいるので、今度は会社為に赴任ではなく、自分の意志でオーストラリアに永住に来たのだそうです。 

不景気のために多くの日本企業が出張所を閉め、駐在員を引き上げている中、このようにオーストラリアに戻って来てくれるのは嬉しいものです。 
これからオーストラリアで何をやろうか構想を練っているそうですが、うまくいくことを期待しています。

上で、「不景気の中、日本人が減っている」と書きましたが、ほとんどが駐在員として来ていた方達で、彼らは景気に関係なく赴任期間が終われば新しい人と交代で帰ってしまうわけで、そういった方達との付き合いはほぼ皆無の僕には関係ないの事ではあります。 
つまり僕が個人的に付き合う日本人の方は、ほとんどが永住ヴィザで来た方達だということ。 

僕のような永住者と、駐在員でいずれ日本に帰ってしまう日本人達との違いというのを感じることはままあります。 
しかしいくら駐在員が減っているといっても、我が家に近いボンダイジャンクションには相変わらず日本人の学生さんやワーキングホリデーで短期オーストラリアに来ている日本人がウジャウジャいるので、日本人が減っているという実感はしません。 

昔僕がお世話したワーキングホリデーで来て、パーマネントヴィザを取得し今はキングスクロスで理髪店をやっている友人にとっては、駐在員の減少は商売に響いているようですが。

これからは戦後の第一次ベビーブーマーたちがそろそろリタイアーを考え始める年齢に近づいていて、彼のように海外駐在員をしていた経験から、老後は海外でという人も増えていくと思います。

 


2002年12月13日

山火事を収めてくれた雨も昨日には上がって、またシドニーには快晴の夏が戻って来ました。
毎朝の散歩で、心地良い「シドニーの夏の朝の香り」を存分に味わっています。 
この「シドニーの香り」というのは、僕にとってオーストラリアに移住を決断させてくれた、重要な要素だったのではないかと、今朝散歩をしながら考えていました。

僕が1979年に生まれたばかりの娘を連れて、女房の父の住むシドニーを訪れたのがちょうどこの時季でした。
寒く、暗いロンドンからクリスマスホリデーに来ていたのですが、全く季節の逆なシドニーで毎朝経験していた香りでした。
そのホリデー中、世話になっていた義父の家は、ラシュカタスベイに面し、回りの樹木から発生する香りと、湾内の潮の香り(磯の香りとはちょっと違う)とが渾然一体となり、湿度の少ない夏の朝の空気とで織り成すこの香りは、イギリスでも日本でも全く経験した事のない香りでした。

昨日には上がった雨のお陰で、内陸から運ばれて来ていた土埃や、山火事の煙などが空気中から総て洗い落とされ、この香りが戻ってきたのです。 

僕はオーストラリアに住みに来た理由を聞かれると、暗いロンドンから夏のシドニーにクリスマスホリデーに来たその年の話をよくします。
特に印象的だった、エメラルド色の海と砂糖のように白い砂浜、さんさんと輝く太陽の下で迎えるクリスマスや正月が、僕の心を動かせた理由だと考えていました。

7年近くロンドンでの生活を楽しんだ後、さて今度はどこに住もうかと考えていた僕には4つの選択肢が有りました。
そのままロンドンに残るという選択もありました。 特に女房はまだロンドンに未練が有ったので。
当時僕はアメリカにも働けるヴィザを持っていて、一時期真剣にニューヨークで家探しをした事も有りました。
日本では両親が、僕らが帰ってくるのを当然の如く期待して、二世帯住宅まで新築して待っていたのですが、結局僕はシドニーを選んだのです。

経済的安定を考えたら、オーストラリアに来るという選択が一番未知というか、不安定要素が多かったのも事実です。
しかし、以来23年目に入ろうとしている現在、オーストラリアを選択して本当に良かったと感じています。
ロンドンの生活では完全に夜型で、それなりに大いにエンジョウイした後、僕の生活を根本から変えてくれたオーストラリアの「昼型」の生活で、僕は人生を2度楽しんだ気がします。

今朝散歩をしながら、そのシドニーの香りのお陰で、オーストラリアに住む決断をした当時の事が走馬灯のように蘇って来ました。
あの決断をした年から数えて24年目、あまりにも平和で快適なシドニーで、時はあまりにも早く過ぎて行ってしまった気がします。

ラシュカタスベイに住んでいた義父もすでに他界し、また僕を頼ってオーストラリアに住みに来た父も逝ってしまったのを振り返ると、月日の流れの速さを強烈に感じさせてくれます。


2002年12月14日

毎月第二土曜日は、母の所属する日本オーストラリア・セニアクラブの集会の日です。
10時過ぎに母を連れて、車でチャッツウッドの公民館に向かったのですが、ハーバートンネルに入る前から大混雑。
偶然に先日の日記で「今トンネルが無かったら、、、」という話を書いたばかりですが、まさにその話を証明しているような日でした。 
理由は不明なのですが、トンネルが一時的に封鎖されていて、「ブリッジを通るように」というサインが見えます。
大渋滞の中、シティーからハーバーブリッジに向かう車であふれ、日本のお盆休みの高速道路の料金所の如し。

なんとかブリッジを抜けチャッツウッドに向かって走っている時、反対車線(上り車線)を見たら、やはり大渋滞。
年末だからこれほど混むのかも知れませんが、毎年のようにシドニーの交通事情が悪化している気がします。
先日も交通渋滞の中、同乗していた女房と「シドニーの交通事情が東京並になったとしたらどこかに引っ越そうかな」とふと言ったら、じゃあどこがいいかという話になりました。

ブリスベーンやゴールドコーストは夏暑すぎる(湿度も強い)。 ではメルボルンはどうかというと、冬は寒すぎるし、きれいなビーチも近くに無い。
シドニーに似たような気候風土ならオーストラリア大陸の反対側(つまり西側)のパースは近いかもしれないが、全く何も無くて寂し過ぎる。
結局今の我々のチョイスではオーストラリア大陸にいる限りは、シドニーかなという結論。

他の国でどこか良いところがと話していたら、「南フランス」という話になった。 僕は南フランスに詳しくないのですが、女房も夏の時季しかいた事がない。 何かイメージとしては、真冬でも比較的温暖と想像してていたのですが、どうやらシドニーの気候に慣れてしまった人間には南フランスといえどもかなりの寒さのようです。

というのは、昔の僕の日記によく登場したPC屋の隣にあった僕のお気に入りだったカフェレストランの経営者、「Lulu(ルル)」ちゃんから電子メールが来たのです。
彼女とフランス人のボーイフレンドは南フランスでカフェを始めると言って、約一年前にシドニーを出たのです。
しかしそう簡単にビジネスを始められないようで、今はイギリスの大金持ちの南フランスにある別荘に、二人で住み込みこんで管理人をしているようです。

そのオーナーは一年に3ヶ月もその大邸宅を使わないとかで、ほとんどルルちゃんと彼の二人だけ。
その上、お給料などの待遇も申し分ないので、何か店をやる気がなくなりつつあるようです。
で、彼女からの電子メールには、素晴らしい景観のまるで絵葉書の世界ですと書いてあるのですが、最後に「しかし今は、フリーーーーージング」とあり、南フランスと言ってもかなり寒くなる事を知りました。
日本もアメリカもかなりの寒波がきているようなので、今年が特別なのかもしれませんが。

さて、クリスマスも間近、僕の女房は12月19日生まれなので誕生日プレゼントと、クリスマスプレゼントをそれぞれ考えなければなりません。
で、我々くらいの年齢になるともう良いアイデア無いんですよね。
この時季に偶然女房が欲しいものが有ればそれをプレゼントにするのですが、何も無い時には本当に困ってしまいます。

プレゼント考えるのは本当に苦手。 これを贈ったらとても喜ぶだろうなという品物が無い場合には、何にも買わないわけにも行かないし、それかといってくだらないものを買って部屋のゴミになってしまうのも馬鹿馬鹿しい。
服やアクセサリー関係はほとんど自分で気に入ったのしか着ないし、その上ほとんどは自分で作ってしまう。
カバンやベルト、アクセサリーなどは趣味で作り始めたのが今や数店に卸しているほどになってしまっているのです。

困って、年末商戦たけなわのやはり混雑するショッピングセンターに出掛けて行きました。 ある程度目星は付いた(ある家電製品)のですが、気に入るかどうかはかなり怪しいです。
何しろ自分が欲しいと思っていた物なので。 何を贈ったら良いか分からなくなったら自分の欲しいものを買ってしまうなんて、こりゃ〜かなりずるいかも知れませんな。(勿論二人で使えるものですが)

皆さんはどういう基準で考えるのでしょう? 
もし贈る相手が「何でも良い。 それは贈る人のハートの問題だから」と言って、全く欲しい物のヒントも与えられない場合。


2002年12月15日(日曜日)

本日の日記はお休みです

 


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