2003年1月前半の日記

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2003年元旦

皆様明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

と、恒例の挨拶を書きましたが、シドニーは元旦と言えどもいたって普通。 
一応ニューイヤーズデーで休日のため、車の通りが少なくとても静かではあります。 
我が家も例年のごとく、おせち料理も無く、雑煮も有りません。 
朝、散歩から帰って来て日本の母に電話を入れたらまだ寝ておりました。 昨晩は夜遅くまでテレビを見ていたようです。 

「正月のおせち料理は何?」と聞いたら、何にも無いから私が作ったとの事。 そうかやっぱり日本ではもうおせち料理なんて作らないですよね。 僕の「日本の思い出」は30年前のものですから。 
この「おせち料理」をどれほど重要視するかは地域にもよるのでしょうか。 平均的にはどうなのか非常に興味はあります。 
おせち料理と言うほどの物は作らないが、少なくとも雑煮は作るとか。 

さて、昨晩のシドニーはニューイヤーズイヴには「つき物」の花火大会がもう少しで完全キャンセルと言う事態に。 その理由は強風。 
例年では夜9時から花火大会が始まり、一旦休憩の後、また零時を合図に年越しの花火が上がるのですが、9時なっても始まらず、最初は15分ほど遅れるとアナウンスがあり、しかし一向に始まらず結局強風の為に9時からの花火は中止に。 

前の日記に書いたように船を持っていた頃には、友人達を乗せてハーバーブリッジの真下近くまで出かけて行き、イカリを下ろし花火を楽しんだものですが、この季節は常に風が強く船を操縦している僕が一番気が抜けず、リラックスしてパーティーを楽しめないので、船を手放す前にとっくに出かけるのは止めていました。 昨晩はこの時季の典型的な天気でした、陽が落ちるとうすら寒くなるという。

我が娘はニューイヤーズイヴ+花火のパーティーにどこかへ出掛けて行きましたが、12時まで花火も無く結構しらけていたのではないかと。 
またオペラハウス周辺やドメインあたりには日本の花見のように「場所取り」の人がすでに昼過ぎから押し掛けていたようですが、強風の中ずっと待ち続けていたのでしょうか。 
結局ぎりぎりで午前零時からの花火は決行でき、花火を楽しむことは出来ましたが。 
今年からは花火を上げる場所が増えたのか我が家の屋上からも良く見えたので、わざわざ出掛けて行く必要は無かったです。
まさか見えるとは思ってもいなかったので、気が付いた時はすでに半分ほど過ぎてしまっていましたが。 
来年からは楽しみではあります。 

さて、女房へのプレゼントにしたプラズマテレビのお陰で、すっかりテレビ(この場合映像)のデジタルテクノロジーにハマっております。 
新しく知る事ばかり。 当分この日記でたびたび登場することになる予感が。 
多分このHPの中の趣味のページにあるPCのページの中を改造して「PC+デジタルテレビ」のページにでもしようかなと。 
調べてみると、本当にPCとデジタルテレビの距離が近づいているからこれほど興味をそそられるのだと。 

今回プラズマと一緒に購入したデジタルチューナー(オーストラリアではSTBと呼ばれていて、Set Top Box の略。本当はDigital Set Top Box でしょうが)にしても、まるでPCなんですよね。 
中にはCPUがありグラフィックプロセッサーがあり、メモリーがあり、そのメモリーはアップグレードができるようになっている(機種にもよります)。 
デジタルと言えば我が母が予定より早めに日本に帰ってしまった原因の一つ、NHKの海外向け放送。 
これも実はデジタル波で出しているのです。 この放送を受信するパラボラアンテナを日本人の方が設置してる事を思い出し、お願いしました。 下に付けたのがその写真。 
言われていた2.3メートルの大きさではなく1.8メートルのでも十分だとの事でこれが設置されました。 
大きさを見ていただくために横にガーデンチェアーを置きましたが、確かに日本のBS放送のとは随分大きさが違うのがお判りいただけると思います。 

さてアンテナはついたので、すぐにテレビジョン・オセアニアという会社にデジタルチューナーを注文したところ、何と品切れで入荷待ちですのでウエイティングリストに乗せましょうかと言われてしまった。 
母が日本から帰ってくるのはまだ先なので待つことは構わないのですが在庫は全部売れてしまったと言うのにはビックリ。 

で、この売り切れてしまったというやつもデジタル波なので上記のSTB(Set Top Box)のようなものなのですが、NHKが売っているから、もうめちゃくちゃ高額です。 
オーストラリアではこのSTB安いのは300ドルからあるそうですが、何と2200ドルを出さなければならないと言うのもなんとも不思議です。 
完全なモノポリーで、自由競争させないところがおかしいと思うのですが。 

今回プラズマと一緒に購入したSTBにしてもデジタルハイデフィニション(デジタルハイヴィジョン)の機能が付いていて800ドルほど。 
僕は近々自分のPCの中にデジタルチューナーの機能を盛り込んだのを作ってみようと思っています。(楽しみが増えそう)  

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アンテナの後ろは目立たないように濃緑に塗りました。 大きさの比較のために右側にガーデンチェアーを置いてみました。


2003年1月2日

昨日の元旦は、天気が崩れ雨が降っていました。 干ばつの続くニューサウスウエールズ州では待望の雨で、元旦なのに天気が悪いなんて文句は言えません。
ただし我が娘は元旦のドメインでの野外コンサートへ出掛けたのでついていないというか。
日本の元旦は皆さんいかがお過ごしだったでしょうか。

女房は誕生日+クリスマスプレゼントの新しいモニターで、テニスのホップマンカップを楽しんでいます。
ホップマンカップと言うのは国対抗のトーナメントで、男子と女子一人ずつが国を代表してシングルスを二つ(男女それぞれ)とミックスダブルスを戦うものです。
昔は日本も本戦に出場した事もありましたが、最近は女子はともかく男子が有望選手がいないので予選で負けてしまっているようです。

このトーナメント、和気あいあいとして見ていてもとても楽しめます。
その上、デジタル+プラズマの素晴らしさに、これなら今月から始まる全豪オープンのためにわざわざメルボルンまで出掛けて行く必要ないんじゃないのと女房に冗談を言ったほど。

いやしかし、生で見るのは全く別物で、あのメルボルンの会場の雰囲気や、自分の好きなマッチを選んで見る良さは言葉で表し難いもんです。
結局今年は僕のメルボルン行きは諦め、女房と娘が一週間ほど行く事になっています。

さて、またまたデジタル放送の話。
僕はテレビの番組はほとんど生で見ない(ニュース以外)のですが、デジタル放送の画質の良さを知ってしまってから、VCRで録画した(アナログ)番組を見ると格段の質感の差に、どうしてもクオリティーを上げてみようと、四苦八苦(正確には楽しんで)始めました。
本当の理由はF−1の放送。 ヨーロッパで行なわれるレースはほとんどの場合僕の寝ている時間に同時中継が行なわれるわけで、眠いのを我慢して見るのは辛い。
で、普段はVCRに撮って、翌日見るのですがこれをデジタルの画面で見たいと思い始めたのです。
全然迫力違いますから。

で、四苦八苦の原因とは。 
具体的には、各地上波局から送られてくるデジタルシグナルをデジタルのまま取り込んでデジタルで記録(録画)し、デジタルでモニターに出すものがオーストラリアでは手に入らないのです。
ひょっとすると日本にも無いかもしれません。
DVDレコーダー(HDDを内臓のものを含む)も日本のアナログ波から取り込む物のはずですから。(地上波の場合)
勿論日本にはBSデジタルなどの衛星デジタル放送があって、その場合はD-VHSやDVD-RW 、HDDレコーダーといろいろ揃っているようですがいまだこれだと言うのは無いようです。
ちなみにオーストラリアの地上デジタル波と日本の衛星デジタル放送の周波数は違いますから日本から送ってもらっても役に立たないはずです。

では、オーストラリアではどうしたら良いのか。
これを実現するには、方法として基本的に二つ考えられます。
一つはDVDまたはHDD の録画装置(VCRに代わるもの)でデジタルで入力してデジタルで出力するのが売り出されるのを待つ。
日本に存在するかは知りませんが、オーストラリアでは1年以上待たなければと思います。

もう一つの方法はPCにTVキャプチャーカードを入れる方法ですが、これもまだオーストラリアではテレビ局が出すデジタルシグナルを直接取り込んで、録画できるカードがありません。

今考えられる唯一の方法はデジタルチューナーからキャプチャーカードに取り込む方法ですが、フォーマットの問題が出るかどうかといったところです。
その上、この方法だとプラズマテレビのレゾリューションとは違うものになってしまうはず。

と、ここまで書いてふと思いました。
もし、地上波から出たデジタルシグナルをそのまま取り込めたら、コピーライトの問題が出てくるのではないかと言う事。
つまり地上波がデジタルで放送した「映画」などをそのままPCに取り込み、それをDVDに焼いたりしたら、いくらでもオリジナルに近いコピーが出来てしまうと言う事。
音楽などのCDであまりにも多くのコピーが簡単に作れてしまった経験から各メーカーはその辺を非常に慎重になっているから、製品として出てきていないのではないかと考え始めているのですが、識者の方の意見を聞きたいところです。
ちなみに日本の衛星デジタルでは一回だけコピーできるとかの防止策が取られているようです。

興味は尽きないところです。 デジタル化でテレビと音楽(CD)、映画(DVD)、そしてPCが繋がったといったところでしょうか。


2003年1月3日

今週末まで事情により日記はお休み致します。
ではまた来週。
良い週末を過ごしください。



2003年1月6日

先週の事、車で我が家から出てきたら、和服を着て歩いている女性が目に飛び込んできて、ビックリ。 
正月なので日本では和服を着て歩いている女性は珍しくないでしょうが、オーストラリア(イギリス時代も含めて)では初めて見ました。 
もちろん政府関係のパーティーなどに行くと、和服はたまに見かけますが、その場合はほとんどが車で乗り付けて来ているわけで、通りを(多分ボンダイジャンクションの方面へ)悠然と歩いているを見るのは初めて。 
ビックリして思わずマジマジと見てしまいました。 
何か懐かしいものを見たという気もするし。 その翌日近所の店に買い物に行ったら店員さんが「昨日和服の女性を見たが、お宅の娘さん?」なんて聞かれて、う〜んやっぱりこのオーストラリアで「和服」はインパクトあると。 
僕が日本人だから余計印象深かったわけではないような気が。 
というのも他の国の民族衣装、例えばインドのサリーとかだったら、それほどのインパクトは感じなかったのではないかと。(見慣れているから)

この和服を着て歩いていた妙齢の美女は、我が家が日本領事館官邸に近いので、正月のパーティーにでも参加した人なのでしょうが、しかし我が家の前までには結構な距離が。 
この暑い真夏のシドニーで和服を着て結構な距離を歩くのは勇気もいるし体力もいるのでは。 

と、ここまで書いていてふと昔の事を思い出しました。 
僕がまだワーホリの人たちのお世話をしている頃の事です。 
やはり真夏だった。 
オーストラリアにワーホリで来て、その後パーマネントヴィザを取得した、ある男性が事務所に遊びに来てくれたのですが、何と浴衣姿。 
彼はシティーの方に住んでいましたから、ボンダイジャンクションの事務所まで地下鉄に乗って遊びに来たわけですが、随分目立ったろうと。 
彼はそういうことをするのが好きで、その上彼には浴衣が似合っている。

そうそう、その彼、今はシドニーで大繁盛しているレストランチェーンのオーナーをしています。(大出世) 

さて、今度購入したプラズマ・モニターが原因で、ハマってしまっている「デジタル放送」を色々考えていたら、どうも僕の年齢に関係があるのではないかと思い始めました。 
近眼の上に、老眼も進んでメガネをかけないとテレビの字などはほとんど見えない状態。 
ところがプラズマ+デジタルになった途端に(画面の大きさも関係あるのですが)メガネをかける必要がなくなってしまった。 
これの最大の収穫は僕の大好きなテニスの観戦です。 

今オーストラリアはテニスのシーズン、全豪が始まるのも間近で、前哨戦が各地で行われています。 
しかし最近はもう(画質の悪さも手伝って)テニスボールがラインを割っているのか、インだったかなど観戦を楽しむ重要な要素がほとんど良く見えない状態でした。 
メガネをかけていても、コートの色がボールの色と紛らわしいトーナメントだったりしたら見るのが苦痛だったほど。 
テニスコートにはハードコート、クレイ、芝(人工芝を含む)と色々有り、最近ではそのコートの表面を色んな色に塗ってある。 
場合によっては生で見に行っている人にはとても見易い色にしたつもりが、テレビ中継で見ると非常に見難い場合がある。 

で、プラズマ+デジタルのお陰で今行われているトーナメントも大いに楽しめています。 ところが、デジタルで見える地上波は全てのトーナメントを中継しているわけではないので、有線で見らざるをえない場合があるのです。 
ところがこれがいまだアナログなので非常に見辛いんですよね。 
一度デジタルで見てしまったら、特にアナログが酷く感じるようになる。 

このデジタルにハマってしまっているもう一つの理由が、PCとテレビがデジタル化によってぐっと近づいているというのを知ったため。 
ところが、売ってる方の認識が低いのか、テレビは家電販売店、PCはコンピューター屋(またはPC売り場)と別れてしまっているのです。 
デイックスミスなどの一部の店を除くと、例えばモアーパークのスーパーセンターにあるハービーノーマンという量販店にしても、両方とも大きくそれぞれの商品について売り場を割いているのに、階も違うし全く別けてしまっているのです。

で、デジカメなどはPCの方で売っているところを見ると、デジタル技術を使った製品は全てPCの売り場の方、そしてアナログは家電と別けているのでしょうが、これは近い将来変わるでしょうな。 
テレビとPCの距離が近づくとインターネットなどはこの地上デジタル波を使えるようになるのではないかと。 つまりテレビ局のサービスでインターネットもできるし、動画配信等もできるようになるのではないか。 

ブロードバンドや光ケーブルも必要なく、高速インターネット網が簡単に作れてしまうのではないかと。
テレビ画面でテレビ電話にするなんてのもできそうだし。 夢は無限に広がるでしょう。  

で、興味を持ってこの関連の日本のウエブサイトを見ていたら、日本の地上波のデジタル化に反対している政治家がいたりする。 
つまり、デジタル化に伴って膨大な新しい利権が生まれるのを知った政治家が鼻を突っ込んでいるように見えます。 
今の段階では遅れをとってしまった日本の企業の為に、追いつくまでの時間を稼ぐために反対しているようにも見えますし。
(日本の携帯電話のデジタル化のときのように)

と、興味は尽きずです。


2002年1月7日

本日は久し振りにテニス観戦に行って来ました。 (娘も休暇中なので親子三人で)
場所は元オリンピックの会場であるホームブッシュです。 
ニュー・サウス・ウエールズ州で行なわれる最も大きな大会、アディダス・インターナショナル。
昔は単純にニュー・サウス・ウエールズ・オープンだったがいつのまにかスポンサーの名前だけになってしまっています。 
朝10時に出て到着したのが11時前、それから夜7時まで8時間、大いにテニス観戦を満喫しました。

昨日急にテニスを見に行く事にしたので切符は無く、会場に着いてから購入するためにまず長蛇の列に加わって入場券を。
運良くそれほどの混雑も無く、待ち時間は30分チョットでした。
また当日券なのにセンターコートの指定席はかなり良いところが入手でき非常にラッキー。(前から5列目、キャンセルでも出たのかしら)

早速会場に入って席に着くと、独特な雰囲気が蘇って来ました。
そう、もう生のテニスは昨年の全豪以来ですから1年近く振り。
レース場の雰囲気も独特ですが、永年通ったテニス会場の雰囲気はなんか郷愁さえ感じさせてくれます。

それにしても今日は、雲一つない快晴で思いっきり日に焼けてしまい、その上まだ僕は椎間板ヘルニアが完全に治っていないので、本日のように観客席に座って一日中テニスを見ているとかなり腰に来てしまいます。

本日の見た試合では一番印象に残っているのがマルティナ・ナブラティロヴァ。 確か彼女45歳を超えているはずですが、先週にはクイーンズランド州で行なわれていた女子ツアーのダブルスで見事優勝、この年になってまたプロツアーで優勝獲得数を伸ばしているなんてもう驚異的の一言。
今の世界ナンバーワンは21歳、10代の選手がゴロゴロしているテニス界で、45歳を超えているのはいまや常識の外。
それほどすごいことなのです。

今日のダブルスは残念ながら組んだパートナーがどうしようもなかったので、負けてしまいましたが、本日マルティナ組を破った相手が何と我が娘の友人でジュニア時代のテニス仲間。
(この仲間の中には大分歳は離れてしまっているが、昨年のジュニアウインブルドンに優勝した子も含まれています)

マルティナ・ヒンギスという数年前まで世界ナンバーワンを維持していた選手(最近は故障などでぱっとしないが)のマルティナはこのナブラティロヴァから来ているのを知っていますか?
つまりヒンギスの母親が大のナブラティロヴァのファンで、娘にその名前をつけてテニスの英才教育をした。
で、その娘が世界ナンバーワンまで登りつめたのですが、何とそのオリジナルのマルティナが昨年から現役に復帰、プロツアーで娘のような年齢の選手相手に戦っているわけで、特に本日のように知り合いが対戦しているのを見ると非常に感慨深いものがあります。

他にも良い試合が一杯でした。 マラット・サフィン、アルバート・コスタ、カプリアーティ、そして最近僕が贔屓のダニエラ・ハンチコーワ。
一日楽しみましたが、帰宅後には疲れがどっと出てしまい、今日の日記は明日にしようかと感じるほど。
やっぱり歳を感じてしまいます。 毎年行っていた全豪など、今日以上の暑さの中、ほぼ一週間連続で炎天下の中見続けるのですから、かなりの体力が必要で、今日の経験から今年メルボルンに行けないのは正解だったかなと思うほど。

帰りはさっと飯を食って帰って来たいというので、イタリア人街にあるバーイタリアと言う、もう「安い、早い、うまい」の三拍子揃った店で済ませて来ました。
ここの店の速さは異常です。 ひょっとすると日本のラーメン屋よりも早く出てくるかもしれません。 イタリアレストランでなぜこんなに早く出来て来るのか不思議に思って厨房を覗いたら、なんと全員コックはアジア人でした。
イタリア人街にあるイタリアレストランでウエイターウエイトレスも皆イタリア系なのに、厨房の中は総てアジア人(多分中国人)というところが面白いです。
で、いつもメチャクチャ混んでいます。
ここの安さの秘訣は学生食道みたいに先の食券を買うシステムなのですが、夜遅くまでその列が途切れません。
本日のように平日なのに、僕らが食べ終わって出る時にも、まだ長蛇の列が。
雰囲気は必要ない、とにかく早く安くイタメシを食べたいと思ったら、この「バー・イタリア」が最高でしょう。

今日の日記にテニスの事を書くのだったらデジカメ持参で行くべきだったと。 今頃悔やんでも後の祭りですな。


2003年1月8日

毎朝女房と近所を約4キロほど散歩に出掛けているのは前の日記に書きました。
最近は居候の「ボーイ(犬)」と一緒に同じコースを歩いているのですが、まだ新年早々だというのにオーストラリアではとっくに仕事始めで建設工事が始まっていました。
早朝からけたたましい音を出して工事をしている家があるので見ていたら、何とそこは昔僕が買おうとして最後の最後で「うっちゃり」を喰って、買えなかった家であると気が付きました。
大変大掛かりな工事で様子が変わっているのですぐに気が付かなかったのです。

で、急に当時のことが蘇って来ました。 
当時(1987年)オーストラリアでも大変なバブル景気で、不動産は値上がりを続けていました。
完全に売り手市場で、オークションに行っても非現実的な価格を付けない限り購入できないという状態が続いていました。
この今朝の散歩で目に入ってきた家も、オークションまで待っていたら必ず他のバイヤーが取ってしまうのではないかという危機感から、不動産屋を通してオークションの前に売ってくれるように交渉をしていました。

ところがこの不動産屋と売り手がかなりしたたかで、我々が交渉に入った途端に他の買い手にも連絡をして、売り手の弁護士事務所に皆を集め、何とその場で(オークションより1週間も前に)オークションまがいの事を始めたのです。(これを俗称「ダッチ・オークション」と言います」
その時にはかなり気に入っていた物件だったのでどうしても欲しく、我々の購入希望価格を(自信のある価格だった)提示したら、他の買い手より高かったのに、すぐに「OK」を出さず、また他の買い手と交渉を始める始末で、その場でどんどん値が釣り上がっていく始末。
とうとう業を煮やした僕はその場で席を蹴って帰ってきたのです。

その後、紆余曲折は有りましたが、幸運にも今僕らが住んでいる家を購入できたのですが、他の買い手に落ちたその物件は一年ほどして「大変な欠陥」がある家らしいという噂を聞いたのです。
何でも、勝手にプールを建設してしまったらしく、そのプールの下には、近所の家が共同で使っている下水の太いパイプが通っていて、問題が起きた時には、そのプールを解体しなければならないとか。

またそのプールと家の間に生えている大きな松の木の根が家の土台を押していて、遅かれ早かれ大きな工事は必要になるはずだとの事でした。
あれから随分時間が経ったのですが、持ち主はその後何度か変わりここへ来て1985〜7年以来、約15年振りのバブル再登場で、とうとう大工事をする事になったようです。

女房と一緒にその家の前を歩きながら、「いや〜、本当にあの家を買わなくて良かった」と本日話していました。
バブルの時には皆熱くなってしまっているので、どこかしら欠陥のある家を高額で売りぬく、つまりババ抜きの「ババ」を誰かに掴ませるには絶好のチャンスですから。

多分あの当時売り手の弁護士事務所で僕と競ってかなり高額を払って手に入れた人は、欠陥に気づき大分損をして手放し、今の持ち主はバブルでの値上がり分で大工事に掛かる金額を相殺できるとの計算で工事を始めたようです。

当時購入出来なかった時には随分と腹が立ったものですが、今朝は思わず「笑みがこぼれて」しまいました。


2003年1月9日

先日の日記でNHKのテレビ番組を視聴するために、大きなパラボラアンテナを庭に設置したと、写真入で紹介しました。
アンテナの設置を注文すると同時に、日本のNHKに毎月の聴視申し込み書を送り(毎月クレジットカードから3000円分が引かれる)、お客様番号というのを取得し、はたまたテレビジョン・オセアニアという会社に、チューナー(サテライトの電波を変換する機器)を注文という、なんともややこしい手続きが必要でした。
で、総てスムーズには運ばず、テレビジョン・オセアニアではチューナーは総て売り切れで、予約は受け付けますがいつオーストラリアに機器が到着するか分からないという返事でした。

母は2月まで帰って来ないので、別に急ぐ必要は無かったのですが、どうもこのチューナーがオーストラリアにいつ来るか分からない状態だという噂が入って来ました。
最近の日記にデジタルテレビの事を書いていますが、偶然これもデジタルチューナーです。
で、オーストラリアでもそのような機器は売っていますが、なぜかNHKはサイエンティフィック・アトランタというメーカーのかなり旧式なチューナを使わなければ見えない仕組みになっています。
このチューナー一台ずつ商品番号が打ってあり、その番号を日本のNHKに連絡をして、スクランブルを解除してもらわなければ、見えないのです。

そして毎月の支払いが滞るとその人のチューナーだけにスクランブルが掛けられ、聴視不可になります。
じつは、地上波のデジタル化が始まると、将来的(多分近い)には各地上波の局は、無料の番組と同時にこのような有料の番組も流し始め、面白そうなのは、有料に移行していってしまうという可能性が大なのです。

これには僕も非常に危機感を持っています。
その上、上記のNHKのチューナーの場合は、在庫が総て売れてしまったなら、他のメーカーのチューナーでというわけにもいかないのです。

で、本日夕方そのテレビジョンオセアニアから電話が入り、じつはアメリカからいつチューナーが入るか分からない状態なのだが、中古のが何台か入ったからそれを買いますかと言われました。
新品の価格2200ドルは、昨日プラズマのために買った録画まで出来る地上波用のチューナーの軽く2倍以上もする値ですから、中古でも壊れなければ全く気にしないと、すぐにそれを購入する事にしました。

で、この中古価格というのがかなりビックリするほど高額なんです。
欲しい人が沢山いる為か値がつり上がっているのでしょうか。
限りなく新品に近い価格。 いやチョットビックリ。
しかし、高いから他で買うというわけにいかないんですよね。

さて、本日購入してきたそのNHK用チューナーを繋ぎ、日本のNHKに電話で機器入手した事を伝え、スクランブル解除を申請、約1時間ほどで視聴可能になりました。

でプラズマ以来、一連のデジタル騒動も一段落して、ふとテレビの前のテーブルを見たら、何とこんなに一杯のリモコンが。
下に写真をつけました。 全く馬鹿を絵に描いたよう。 
そもそもの問題は、各機器を製作している会社が全く違って、(メーカーを統一しようにもオーストラリアでは絶対に不可能)当然リモコンもバラバラに。
女房などは、いまだそれらのリモコンの半分も分からない状態、どうにかテレビ番組を見ることはできますが、例えば現在見ている番組の裏番組をハードディスクドライブに録画しておいてと頼まれたら、まずパニックでしょうな。
その上じつは、もう一個リモコンが増える危険があるのです。

それはPCとモニターをDVI接続させ、キャプチャーカードを使って、録画及び編集を考えているからです。
今のところ、ATI社のSet Top Wonder Xilleon というチップセットを使ったPCカードの出現を待っているのです。

このチップを使った商品が出たら、最近僕が購入したほとんどの機器が必要なくなってしまう可能性も。
まるでPCのように半年もすると、値が半分、1年で旧式という時代が来たらやっぱりこれは問題ですな。(テレビは「オタク」の物ではないはずですから)
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テレビを見るだけでも最低3個のリモコン操作が必要で、頭の体操になります(?)。
ちなみに9個のうち4個は日本のメーカーのものではありません。


2003年1月10日

昨晩女房と「SBS」(マルチカルチャーを主に流すテレビ局)で「クラシックアルバム」という番組を見ていました。
クラシックといってもクラシック音楽ではなくロックミュージック。 
歴代の有名アルバムについて、アーティスト本人やプロデューサー達が当時の思い出を語り、製作された経過や秘話などを織り交ぜたドキュメンタリー風のなかなか楽しい番組です。
製作はイギリス、多分この番組はシリーズだと思いますが、昨晩はエルトン・ジョンでした。 一応タイトルは「イエローブリックロード」となっていましたが、エルトンのヒット曲が多く登場して興味深い内容でした。

その中で、ずっとエルトン・ジョンのプロデューサーを勤めていた、Gus Dudgen が面白い事を言っていました。
「ヒットソングというのはとにかくメロディーで決まる。 歌詞が素晴らしいからヒットソングになったという確率はほとんど無い、もちろん良いメロディーに素晴らしい歌詞がついていれば最強だが、まずはメロディーである。」
これを聞いて僕はしごく当然だと思ったのです。 つまり世界的に売れた英語の曲があっても、世界中の皆がその曲の歌詞を理解できているわけではないからです。

僕も永年英語圏に住んでいますが、初めて聞く英語の曲の歌詞が即座に分かるわけではありません。
ほとんど最初にメロディーが頭に入ってきて、それから興味を持ち何度か聞いて歌詞がどんな内容かを理解しようとする。
こんな事を書いていると皆さんは「何をいまさら当たり前な事を」とおっしゃるかもしれません。

ところが我が女房は全く逆で、歌詞から入るのです。 女房と一緒になってから30年も経つが、前から不思議でしょうがなかった。
なぜ彼女が「メロディーから入らず、歌詞から興味を持ち始める」と知ったのかは、歌詞の無い(つまりカラオケ)曲を聴いてもほとんど曲名を当てることが出来ないからです。 
彼女が好きな曲で何度も聞いている曲でも、メロディだけだとほとんど思い出せない。
彼女が極端なオンチなのは知っていましたが、やはり極端なオンチの人というのは、好きな曲を見つけるのは歌詞からという事になるのでしょうか。
メロディーを聞いても、あまり心に入らないというか、色盲の人が緑と赤を見分けられないように。

で、もしメロディーがヒットソングの大事な要素だとしたら、「ラップ」なんてのはどうなってしまうのか。
我が娘はラップをかなり聞いていますが、これはほとんど歌詞の魅力以外何も無いといったら言い過ぎかもしれませんが、僕などメロディーだけ聞いていたらほとんど同じに聞こえてしまう。
だからラップはメジャーにならないんだろうか。
日本の演歌もメロディーだけ聞いていたら皆同じに聞こえてしまうと我が女房言います。

もし「大ヒット」する大事な要素がメロディーだとしたら、多分日本製のロック(系)は日本以外で大受けするのはまずもって無理でしょう。
日本のロックってメロディーでオリジナリティーはまずもって皆無ですから。
日本語の歌詞が理解されない環境で、世界的に流行るとしたら、勿論メロディー。
古くは、僕がイギリス時代に日本から誰かが送ってくれた「キャロル」のファーストアルバムをある音楽関係者に聞かせたら、「何?これ、ビートルズのコピーバンドみたいなやつなの?」の一言で終わってしまいました。
「キャロル」というバンドを今の若い人は知らないかもしれませんが矢沢永吉というのがリーダーでやっていたバンドです。
僕がオーストラリアに来てからも日本で流行っているという事で借りた日本からのアルバム(例えば思い出すところ、サザンオールスターズのとかも)を同じようにオーストラリア人に聞かせるも、ほとんど反応が無い。

それはメロディーにオリジナリティが無いというか、かなりが「パクリ」だからです。
僕の知っている限り、日本製の歌で世界的にヒットしたのは「上をむいて歩こう」くらいでしょうか。
欧米では「スキヤキ」または「スキヤキソング」なんて妙な名前を付けられてしまっていますが、何度も(リバイバルも含む)流行っています。

勿論歌詞は英語に変えられているのですが、このメロディーのどこに世界的に流行る理由があったのかが分かれば、日本製の曲で世界的ヒットな望めるものが出来ると思います。


2003年1月11日

今朝は女房と娘がメルボルンに行ったので空港へ送りに。 
家を7時には出発するつもりで、その前に犬の散歩を済ませようと出かけたらすでに7時、すぐに出かけようとするが車キーがすぐに見つからず、家を出たのは7時10分過ぎ。 
ちょっと焦って、空港にはぎりぎり間に合うかなと心配してしまったら、空港へ到着したのは何と7時28分。 
そう家から空港のターミナルまで、たった「18分」しかかかっていないのです。 今までの最短時間かもしれません。 
週末土曜日の早朝だから混雑が無かったわけですが、この分なら15分以下で空港へ行ける可能性も。 

空港が都心から近いっていうのは本当に良いですな。 特にオーストラリアのように国内を移動するのはほとんどが飛行機という国ではものすごく助かります。 
メルボルンも最近は高速が(有料道路)できたので、結構時間的には短縮したようです。(それでも30分以上はかかり、シドニーほどではないが) 
僕は日本に帰る度に成田から箱崎、そして地下鉄でというのにウンザリしているだけでなく、金額的にも結構な物になってしまいます。 
箱崎へのシャトルバスや、そこからの地下鉄の料金だけでもかなりな物になるのに、まさか地下鉄の中まで大きなトランクを何個も持っていけないので、宅急便を使うわけですが、その料金もなぜか空港の場合は割高だし。 

さて本日利用したのは「ヴァージン航空」。 
このヴァージンのお陰で、相変わらずオーストラリア国内の航空料金は安めに抑えられているようです。(一時の過激な安売り合戦時ほどではないが) 
ところが、このイギリスの航空会社のオーストラリア参入をめぐっては、オーストラリア側のかなり「怪しい」動きが随分見られました。 
オーストラリア政府だけでなく、新しくシドニー空港のオーナーとなったマコリーバンク(バンクといっても銀行では有りません)の対応もかなり不当に見えたものです。 

マコリーバンクというのは民間会社で「何でも民営化」のオーストラリアでは空港まで売り払ってしまっているのです。 
で、入札において異常なまでの高額でシドニー空港を取得したこの会社、ターミナル使用料をヴァージンからタンマリぶん取ってやろうと考えていたようです。 
アンセット航空が潰れてしまった為に、国内便のターミナルの方は半分が完全に空いてしまった。 (残りの半分はカンタス空港が使用) 

で、当然その空いた部分にヴァージンが入るのだろうと思っていたら、その使用料でもめ続け、ヴァージンはずっと空港敷地内の空き地に建設工事などの時に事務所として使うような小屋(コンテナーのように四角いプレハブ製?)を何個か置いて営業していました。 
友人がこのヴァージンでクイーンズランドから到着した時に迎えに行って最初に見たときにはギョッとしました。 
ヴァージンはこの扱いに対して、新聞に「不当な扱い」の全面広告を出して訴えていました。 
しかしやっとこの問題が解決ついたみたいで、本日はそのアンセット航空が使っていたターミナルに無事収まっていました。

さて空港からの帰り道、昨日の日記に書いた事を考えていました。 
もう少し時間をかけて言いたい事をまとめてから書くべきだったかと、少々後悔しています。 
もう少し時間をかけてから書き直そうかと思っています。
エルトン・ジョンの番組を見たのがきっかけだったので、もう少しエルトンの相棒であるバーニー・ターペン(ほとんどの詩は彼が手がけています)の事や、ヒットソングが作られるまでの過程などにも書く予定だったのですが。 

特にダイアナ妃が亡くなられた時に、歌詞を変えてエルトンが歌ってリバイバルヒットした「キャンドル・イン・ザ。ウインド」が最初に作られた当時のエピソードなどなど。 
作詞家のバーニーはこの曲を書いた時にキャンドル・イン・ザ・ウインドというフレーズをどうしても使い為にこの曲を作ったとの事です。 
このフレーズ(風に吹き消されそうになっているロウソクの火)が気に入って頭から離れなかった、最初にこのフレーズを聞いたのはジャニス・ジョップリンの死だったとか。

一般にはマリリンモンロー(曲の始まりでグッドバイ・ノーマ・ジーンと歌っている)のために書かれたと一般に理解されているが、実はそれは誰でも良かった、つまり「その人のキャリアの絶頂期に突然この世を去ってしまった」というシチュエーションについて掘り下げた歌にしたかったから、それはジェームス・ディーンでもジム・モリソンでも良かったそうです。 

そういう意図があったからこそダイアナ妃の葬儀の時に歌われたのですが、その番組ではこのようなエピソードが次から次へと紹介されておりました。

このテレビシリーズ次の番組が楽しみです。 
最近の日記に登場した例の「HDD使用のデジタル番組録画装置」が大活躍しております。 
もうVCRは馬鹿馬鹿しくて使えないかも。 特にこのような音楽に関係する番組なんて、5.1チャンネルで音も記録できてしまうわけですから。  

SBSのテレビ番組はかなり面白いのが多く、昨晩見た「タバコ」についての番組についてもそのうち書いてみたいと思います。 
へヴィースモーカー天国の日本でこの番組流したら、どんな反響があるのか。 ひょっとするとこの番組の意図が理解されず誰も見ないかもしれませんが。


2003年1月13日

先週の土曜日の日記をアップしながら、先日見に行ったテニスのアディダス・インターナショナル(ニューサウスウエールズオープン)の男子決勝を見ていました。 
何と何と!、男子プロテニスツアー史上初めて韓国の選手が優勝してしまいました。 
彼の名前はリー・ヒュン・タイ。 

決勝の試合を見ようとテレビのスイッチを入れたら、ちょうど男子の試合が始まるところで、選手を見てビックリ。 
今大会シード第二位のスペインのカルロス・フェレロが決勝に残っていたのは知っていたのですが、韓国のリー選手が決勝に勝ち残ったのは知らなかったからです。 
決勝進出だけでも「えーっ!!!」て感じでした。 

で、期待して見始めたら、いきなりファーストセットの第一ゲームをサーブキープできずに落としてしまい、そのまま簡単に6−4でセットを落としてしまったのです。 
やっぱり決勝進出はフルークだったのではと思って、土曜日の日記を書き終え、アップをしたりしていたら、横にあるテレビの画面で第2セットは6−6のタイブレークになったので、またテレビの前に戻って真剣に見始めました。
マッチポイントも何とか切り抜け、ふんばって第3セットに持ち込んだあたりから僕も久し振りに熱くなって観戦を始めました。

「熱くなって」韓国の選手を応援している自分にふと気が付きました。 
アンダードッグを応援するのは大好きで、その上同じ東洋人と言うのもやっぱり僕の心のどこかにあるんですかね。 
サッカーのW杯で、準決勝を戦った韓国を応援した日本人の心境か。 その上、解説者が言うにはこのりー選手、貧しい農家の出身(英語でポテト・ファーマーと書いてあった)で、ジュニア時代には金のかかるテニスの英才教育は受けられなかったとか。 

今の彼のワールドランキングは85位、対するフェレロは4位、今年の全豪の優勝候補の一人。 完全にアンダードッグでしょ。 

で、第二セットをタイブレークで物にしたリー選手、最終セットでもはらはらさせてくれるほどのシーソ−ゲームの末、優勝してしまった。 
このニューサ・ウスウエールズ・オープン(アデイダス・インターナショナル)では初めての予選から勝ち上がった選手の優勝です。 

シード選手と違って、予選を通過しなければならなかったリー選手は本大会の前に、すでに3試合を勝ち抜いて上がって来ているのです、この真夏の暑さの中を。 
いや〜、感激しました。 オーストラリアのレイトン・ヒューイットが世界ナンバーワンになった試合以来です。 
韓国でもきっと大きく報道されるのではないかと期待しています。 

何しろテニス史上初めての韓国選手の優勝ですから。 
朝メルボルンに発った女房からも電話があって、彼女も見ていたようで大いに喜んでおりました。 
その上、男子シングルス決勝の前に行われた男子ダブルス決勝でも娘の知り合いのオーストラリアの選手が(やはりプロツアー初めて)優勝で、勝って欲しい選手が(勝ち目の無い選手ばかりだったのに) 全て勝って大いに機嫌良くしておりました。 

ただ一つだけ非常に残念なのは、先日試合を見に行った時に、試合の勝者を賭ける窓口があって、ギャンブルの大嫌いな僕なのに、なぜかわからないが非常に珍しい事に誰か大穴の選手に賭けてみようかなと思ったのです。 
で、ちょうど直前に見ていたリー選手に賭けてみようかなと思ったのですが、賭けの窓口は人が並んでいて、ちょうど見たい試合が始まってしまい、そのまま忘れて帰宅してしまった。 

多分2〜500倍はいっていたでしょうから、10ドル賭けても2000ドルから5000ドルにはなっていたでしょうな。

さて、優勝したリー選手、韓国のキム大統領から、祝福の電話があったそうです。
やはり韓国でも皆喜んでいるようです。
今回の経験を元に一段の飛躍を期待しています。


2003年1月14日

昨日からテニスの全豪(オーストラリア・オープン)が始まりました。
例年なら僕もメルボルンで毎日観戦しているはずなのですが、今年は残念ながら家でお留守番。
(昨年の日記にはこの大会について写真入で紹介しています)
女房と娘からは、猛暑の中で観戦していると連絡がありました。
大いに楽しんでいるが、昨日は猛烈に暑かったとの事。
昨日の大会初日は37度の予想で、下手をすると試合が途中で中止になる可能性もあったのですが、無事予定通りの試合は消化されたようです。

オーストラリアの真夏の炎天下というのはかなり厳しいものがあり、我が娘がジュニア・テニスの選手としてこの時季試合をしていた頃は、親としてコートサイドで観戦していても暑さで倒れるのではないかとハラハラすることがありました。
クイーンズランドで行なわれた、12歳の全国大会に出場した時には、コート上の温度(路面温度というのか)が47度あって、対戦相手共々真赤になって試合をしていたのを覚えています。
で、脳に回る血液の温度が高く上がりすぎると危険だというので、首にアイスパックのようなものを巻いて試合をしていました。
(この首に巻くのは正式な名前があるはずですが記憶に無い、テニスショップで売っていた)
その後プロのトーナメントでもこの高温で試合をさせるのは厳しすぎるという批判が出て、ある一定温度及び湿度を超えると、自動的に試合開始が延期されるようになりました。

特に、ほとんどの選手が真冬の北半球からオーストラリアに来て全豪を戦うわけで、その温度差は大変なものがあるわけです。
国によっては、気温が零下のようなところから、40度を超える日があるメルボルンに来て戦うわけですから。
この「グランドスラム」といわれる4大大会では(オーストラリア、フランス、イギリス(ウインブルドン)、米国)男子は5セットマッチで戦うので、長い場合は4時間前後になります。
炎天下に2週間にわたり7試合、つまり一日おきに試合があるのですが、選手によってはその本戦の前にすでに3試合を戦って勝ち抜いてこなければならないわけで、もし決勝まで進んだとしたら合計10試合。
イヤハヤなんとも過酷なスポーツで、プロというのはなかなか大変な商売ですな。

と、なにやら昨日からテニスの話ばかりになってしまっています。
テニスに興味ない方にはご勘弁願います。
何しろ、これから2週間テニス漬けですから。 
今年は特に同じアジア人の選手が頑張っているので、とても期待しています。
先日の韓国のリー選手や、アジア人では初めて(?)の今大会シード選手タイ国の「パラドン・シュリシャパン」選手。 
本当は日本の選手が頑張ってくれたら一番なのですが、残念ながら松岡修造選手以来、男子選手は不調が続いています。

今晩は、トッド・リード対クライチェックの試合が。
リチャード・クライチェックはウインブルドン優勝の経験があるが、下り坂。
方やオーストラリアの若手トッド・リードは昨年のジュニア・ウインブルドンの勝者。
このトッド・リードは友人の息子さんで、彼の叔母さんは日本(北海道)で宣教師をやっていました。
観戦もかなり力が入りそうです。


2003年1月15日

昨日の日記にも書きましたように、時間の許す限り、テニスの全豪見ています。(残念ながらテレビでですが)
で、日記を書こうと思うが、見た試合のことしか頭に浮かばないので、またまたテニスの事を書いてしまいそうです。
しかしテニスなんて(特に日本では)マイナーなスポーツに成り下がっているので、テニスの事ばかりが書いてある日記など面白くないと思います。
で、全豪が終わるまで、日記を書くのは不定期にしようかと思います。
お許しください。

本日もオーストラリアの選手(女子)試合を見ていたら、昔の事が色々思い出されて感慨深かったです。
その選手の名前はイービー・ドミニコビッチ、親が東欧からの移民で2世です。 我が娘がジュニアの選手をしていた頃、彼女とは同じ地域だったために何度も対戦をしたものです。
勿論、イービーはプロになったくらいですから娘よりは強かったのは確かですが、当時のイービーの悪い癖がプロになってもそのまま残っていて、つくづく三つ子の魂百までじゃないが、ジュニアの時に付いた悪い癖というのは取れないものだと思って観戦していました。

悪い癖というのはあまりにも「テクニカル」な事になるので、ここでは書きませんが、当時この癖を直さなければプロになっても苦労するだろうと思って見ていたものです。
幸い本日はイービー勝ったので、3回戦まで行く事になったわけですが、これも驚きです。 グランドスラムで3回戦まで行ければかなりなものですから。

ちなみにこのような大きな大会では初戦(一回戦)で敗退しても、確か1万ドルくらいもらえます。(日本円では70万円そこそこですが)
3回戦で敗退した場合でも2万ドルはもらえたような。
勿論優勝すると百万ドル(7000万円)くらいだったと思います。
しかし、今度ヤンキースに入団する松井選手が年棒いくらもらうのか定かではありませんが、テニスと比べたら野球の方が思いっきり多いでしょうな。
ちなみにスポーツ選手の年収で一番上はずっとヘヴィーウエイトのボクシングのチャンピオンと相場が決まっていましたが、確か今はF−1のマイケル・シュマッハーがナンバーワンだったと思います。(確か彼の場合年収5〜60億円だったのではないかと)

それにしてもこのようなスポーツ選手の年棒が近年異常な上昇を続け、数年契約で何百億なんてのを聞くと、なんかあっけに取られるというか、あまりにも非現実的な数字にピンと来ません。
このような値上がりが自分たちの首を絞める結果になければ良いがと願っています。

 


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