by tom tanabe マグパイへ戻る
2011年12月31日
日本を出たのが1974年、自分の人生64年間で海外暮らしが37年。
最初の6年間がロンドン、そして1980年にオーストラリアに移って来てからも31年目が終わろうとしています。
31年もシドニーに住んでいるのに、いまだ暑い夏(いや正確には今年は冷夏なので暖かい夏)の大晦日ってのには違和感というか、慣れないですね〜。
つまり寒さの中で迎えるあの「師走」というムードが全く無いというか、「明日は元旦だ」なんて感慨が全く湧いてこない。
正月になっても、こういう気候の中ではおせち料理が全く似合わないんですね。
随分前にシドニーにある日本料理店でおせち料理を注文したことが有ったが、暑い気候の中で食べてもちっとも美味しくなかった。
だから毎年正月を迎えても「雑煮」なども食べた記憶が無い。
現在の日本では僕らの年齢はともかく今の若い夫婦は正月におせち料理をちゃんと用意するのかしら。
日本の食べ物のサイト等を見ているとネットで注文するおせち料理の宣伝を見かけるので、やはり日本の家庭のマジョリティーは食べているのかもしれない。
今この日記を書いているのは31日の午後4時なのだが、恒例のシドニー湾で行われる年越し花火大会にむけて我が家の前の公園にも、仮設のスタンドやトイレ等が運び込まれ、普段はほとんど人通りの無い我が家の前を人々が行き交い、近所の家々ではすでにパーティーが始まっていて、ダンスミュージックが聞こえていたりします。
クリスマスの日に一時帰国してきた我が娘は年越しパーティーに呼ばれて先程出かけて行ったが、今晩ばかりはタクシーも簡単にはつかまえられないはずなのでどこかに泊まってくると。
1978年生まれの娘は(もう娘って書くのも変な感じがする年齢ですが)相変わらず独身生活を謳歌しているのだが、さすがに年齢と共に多くの友人達が結婚して子供を作ったりして、夜中まで騒ぐようなパーティーも減っているのか、今回帰国して以来外出しても午前様にならずに帰宅してくることが多い。
逆に我が家に娘の友人達が訪ねて来たりするのだが、子供を連れて来るのもいて、彼らを見ていると何だか僕が老けていくのを実感させられて少々落ち込みます。
僕くらいの年齢になるとほとんどの同年代の友人達が孫の一人や二人はいてもおかしくないという環境なのだが、僕らの場合一人娘はロンドンで暮らし、いまだ独身なので、孫を扱う経験が皆無。
じつは昨日娘の友人が一歳半の子供連れで遊びに来ているところへ、メルボルンに住む姪も息子二人を連れてシドニーに車で来た。
この姪は昨年離婚をしたのだがもうすでに新しいボーイフレンドが出来たらしい。
その新しいボーイフレンドというのもバツイチで、彼が大晦日は親戚のいるシドニーで過ごすというので一緒にシドニーに来たとのこと。
で、何とその新しいボーイフレンドにも二人の息子がいて、姪とボーイフレンドそしてそれぞれの子供合計4人が遊びに来た。
5歳から8歳までの子供4人それに一歳半の幼児が一度に来てしまうのでどうしていいかわからず僕は焦ってしまった。
我が家に子供が遊びに来たこと等考えてみるとほぼ皆無で、子供が触って倒したら簡単に割れてしまうような花瓶や置物等を慌てて別の部屋に隠して鍵を掛けたり右往左往してしまった。
幸い子供達は庭のプールで遊びたかったようで家の中を走り回ったりもほとんどせず、その上想像していた以上にみな「行儀」が良くて、取り越し苦労だった。
ただ男の子たち4人はどうしてもGT-Rを見たいといってガレージに入っていったのだが、アイスクリームとか食べていたベタベタの手でやたら触りまくってくれた。
今度の車はブラックメタリックで、手の跡とか想像していた以上に目立つ。
考えてみると僕が所有した車で「黒色」というのは初めてなんですよね。
黒い色は汚れが目立ちやすいとは聞いていたが、ここまでだとは正直驚いた。
先日弓の練習の帰りに夕立に遭って土砂降り雨の中を帰宅し、翌日見たら全体に薄い土ぼこりのようなのが車全体を覆っていて、まるで四駆でオフロードに出かけた車みたいになっていて驚いた。
前の色が「ガンメタリック」で、これが埃とかの色が全然目立たなかった(つまり同色系の色なので)のでここまで違うかと。
やはり黒色は不精な僕には失敗だったかもしれない。
ただし真夏に黒い色はかなり室内の温度も上昇するのではと思っていたのだが、上でも書いたように今年は冷夏のためか室内の暑さはそれ程でも有りません。
元々GT-Rの場合はエンジンが発する熱量がすごいためか真冬でもヒーターいらないんじゃないのかと思えるほど室内がエンジンルームからの熱の影響で暖かいので、当然夏場はかなり温度が上昇しますが夏の暑さの影響はそれ程でもないです。
と、なにやらGT-Rの話になってしまったので、そのままちょうど最初の500キロまでの慣らし運転が終わったので、ついでにもう少し書きます。
オーナズマニュアルを読むと最初の500キロまでは最高回転を3500回転、そしてそこから2000キロまでは5500回転に抑えるように書いてある。
で、最初の500キロまで3500回転に抑えて走ったインプレッションは前の485馬力から今度の530馬力に45馬力もアップしたという感じは全く有りません。
それどころか馬力アップに伴って前と比較して少々ピーキー度が増したのか、ほんのわずかだが前よりも低回転でのトルクが少なく感じられるほど。
で、やっと500キロを越えたのでマニュアル通り5500回転まで回してみると4000回転ぐらいから一気にパワー増加が顕著になってかなり気持ちの良い加速を味あわせてくれる。
このあたりの回転域では確実に先代よりもパワー増加を感じさせてくれます。
早く2000キロも終えてフル加速を味わってみたいものです。
さてもう一つ、シートについて。
先代を下取りに出した理由の一つがシートが僕に合わないということだった。
これは単に腰痛持ちの僕の体系とシートの形状が合わなかっただけで女房はすごくカンフォタブルだと常々言っていた。
で、今の車にする前にディーラーで試乗してとりあえず僕の体型にも合っていると思ったのだが、500キロを後にしたインプレッションは、今のシートの方が楽だがこの手の性格の車には柔らか過ぎるというものです。
前のシートは形状が運悪く僕に合わなかった(特にランバーサポートの部分が)だけで、硬さもしっかり硬くてスポーティーだったのに、なぜか今回は妙に柔らかいのです。
柔らかいから一応僕の体型でもフィットする(様な感じを受けるだけで)のだが柔らかすぎてやはり長時間のドライブにはきついだろうと想像できます。
シートに関しては、レカロ製のシートだといわれたが、味付けは絶対に注文主の日産の意向が入っているためにこのような中途半端なのになってしまっているのだと思います。
じつは前に乗っていたポルシェ・ターボ(911S)もレカロのシートだったのだが妙に柔らかくて(このGT-Rのよりもっと酷くて)困ったものです。
自分でクッションを作って調節していた。
この車は1985年製だったので、今のポルシェのシートとは全然違うと思いますが。
その点、SLK55AMGのシートは本当に(あくまでも僕の体型での意見ではあるが)素晴らしいです。
横から見てもかなり薄っぺらでほとんどクッション材が使われていないように見える。
形状が素晴らしいので腰にも楽だし疲れないし、どうしてあのようなシートが作れないのかと。
シドニーからメルボルンまで片道約1000キロを往復してもちっとも腰痛が出なかった。
だから弓の練習に出かける時にたまにSLKを引っ張り出すと座席に着いただけで吸い込まれるようにフィットして「ああいいな〜」と感じさせてくれる。
ただし加速等の性能はGT-Rが来て以来、何だかえらく遅く感じられて、特に図太いV8エンジン独特の排気音、メルセデスにしてはかなりな音量で吼えているのに、速度計を見るとちっともスピードが上がっていないって感じがしてしまう。
つまりGT-Rだったら(特に街中で)ここまで踏んでいったらかなりヤバイ速度が出てしまうのにSLKはまだこんな速度かなんて感じなんですね。
このSLK最近ではめったに出番が無いけど、しかし当分手放す気は無いほど気に入っています。(特に最近発表された新型がSLを小型にしたような若さを感じさせないデザインなので)
話が車の事に大いに脱線してしまいました。
では皆様良い年をお迎えください。
2011年12月24日
気がついたら今日はもうクリスマスイブ。
この歳になると、クリスマスなんて特別どうのこうのということも無く、昨年はクリスマスツリーを倉庫から出してきて飾るのさえパスしてしまったほど。
しかし今年は何年かぶりに娘がロンドンから一時帰国するというので、女房は張り切ってクリスマスツリーは当然、クリスマス・ディナーの献立まで色々考えて、この日記を書いている今もレッグ・ハム(骨付きのハム)に飾りを施したりしております。
数日前からやっとシドニーも夏らしくなり、昨日は初めて外出の際にT−シャツ一枚だけで、予備の長袖を持たずに出かけた。
考えてみるとクリスマス直前までほとんど毎日長袖着ていたなんて、オーストラリアに僕が移って来てから31年になるが初めての事だと思う。
これも異常気象なのでしょうが、このような異常現象が全てどこかで繋がっているように思えてならない。
日本の大震災はもちろん、オーストラリアのお隣の国ニュージーランドまでが地震が頻発しているというのも、地球の地殻変動や異常気象など関係あるように感じるのは僕だけなのか。
その日本の大震災を挟んで母親の看病で今年の前半はオーストラリアよりも日本にいるほうが長かったのも僕がイギリスに住みに行った1974年以来初めてでしたね。
海外に住み始めて37年、その間日本への一時帰国は何度も有ったが滞在はせいぜい一ヶ月程度。
それが今年は10月の三度目の日本行きで、とうとう100日を越えてしまった。
長いホリデーで日本に遊びに行くのと違い、毎日看病のために病院に通い、ほぼ丸一日病室にいるというのは精神的にも非常にきついものがありますね。
だいたい総合病院なのでいろんな患者がウロウロしているのだが、母の病室へはどうしても正面玄関にある外来患者待合所などを通らなければならない。
ということはインフルエンザ等が流行っている時だったので、患者がゴロゴロ、病原菌の巣のようなところを毎日何度も通らなければならない。
当然のごとく僕は風邪をもらい、それを体力の落ちている母の病室に持ち込んでしまう事になる。
せっかく看病のために日本に帰っているのだから、何日も休んで看病に行かないわけにも行かず、風邪をもらった母がまた体調を悪くする。
長い闘病生活をしている患者のいる病棟は絶対に一般外来患者等の集まるところとは離すべきで、母が入院していた総合病院が特殊なのか、はたまた日本では一緒なのが当たり前なのか知らないが、僕や家族がお世話になるシドニーのセント・ヴィンセント病院では完全に入り口は別になっている。 これが当たり前だと思うのですが。
毎日毎日憂鬱な病棟に看病に通うというのはトラウマになりそうでしたね。 子供の頃夏休みの度に出かけた母の郷里、楽しい思い出が一杯詰まった場所だったはずなのに今度の経験でいっぺんに「思い」が変わってしまった。
良い思い出のまま持ち続けたかったのに本当に残念です。
じつは今から10年近く前になぜか僕は軽度のホームシックにかかっていた時期があった。
理由はよく思い出せないのだが、仕事を辞めて隠居をしたら日本にもアパートか何か住むところを購入して日本に帰るというよりも、長期に渡って気が済むまで住んでみて、もし「今いるシドニーよりも良い」と感じたら将来はずっと日本に住むようになるのかもしれないなんて思っていた時期があった。
そのような感情はしだいに薄れて行きつつあったが、日本の大震災や今回の母の問題で完全に無くなったというか吹っ飛んでしまいましたね。
やっと夏らしくなったシドニーの我が家のテラスで、遠くにオペラハウスやシドニーハーバーブリッジ、そして行き交うヨットを眺めながら、お昼のサンドイッチを食べていると、日本の夏とは違い湿度の高くない心地良いそよ風がふいてきて、「シドニー最高!!!」と感じ、骨を埋めるのはここだと確信させられますね。
では皆様
Merry Christmas
良い年をお迎えください。
2011年12月6日
シドニーに戻ってちょうど10日経ちますが、またまた母が入院との知らせが。 いったいどうしたら良いか判りません。
僕が日本を発った日以来母は食事もろくに取らず、かなり体力的にもまた精神的にも落ち込んでいるようで、昨日の検診で点滴で体力を快復させるべく再入院を勧められたとか。
今週中にはまた入院の予定との知らせを聞いて、僕はむしろ腹が立ってしまった。
入居した施設の食事が口に合わないとか、僕がオーストラリアに戻ってしまい寂しいとかとワガママが過ぎて、自分で「生きていこう」という気が無い限り、周りはどうする事もできない。
また僕が日本に駆けつけても僕がいる間はどうにか食事を取ったりはするだろうが、ずっと僕がそこに住みつけるわけも無く、無理難題を吹っかけられているようで、参っています。
じつは本日の朝からワイフは白内障の手術のために僕は病院に送っていったのだが、(僕は勘違いをしていたのだが)白内障の手術というのは両目をいっぺんに手術をするのではなく、片目ずつ間を空けての手術とかで、また今月中旬にはもう片方の手術と言う事らしい。
そんなわけで僕がまた日本に行くのは無理。
ワイフは最近視力がかなり落ちてきて、同じテニスチームの友人からレーシック手術で物凄く視力が改善されたと聞いて、自分もその手術を受けようと専門医に相談に出かけたら、「白内障」である事が発覚、レーシック手術ではなく白内障の手術と言う事になった。
しかしその時はカナダ旅行を控えていた上に、その旅行から帰国早々僕が母の看病で日本に行かなければならなかったので、手術の予定を延ばしに延ばしていたわけだが、やっと本日受ける事に。
僕も最近視力の低下を実感していて、特に夜のドライブなどは本当に辛いものがあり、特に雨等降っている夜道は自分でも大丈夫かと心配になるくらい見えない時が有る。
ひょっとしたら僕も似たような問題を抱えている可能性が有るので、ワイフの手術がうまく行ったら僕も検査をしてもらう予定です。
検査と言えば僕は内視鏡検査も予定していたのだが、日本行きのために延びていたのを再予約して1月早々受ける事に。
今回は日本滞在中にかなり酷い胃炎を感じていたので何か見つかるのではと危惧しています。
もともと胃腸はあまり強くなく(と言うよりも暴食するからいけないのだが)6年ほど前に内視鏡検査で胃の一部から(3ヵ所)前癌細胞が見つかって以来、専門医から定期的な内視鏡検査を勧められ、毎年のように検査を受けていた。
幸い現在までその前癌細胞は悪性に変化する事も無かったのだが、僕くらいの年齢になると定期検査は必要です。
さてこの日記を書いている本日12月6日というのはシドニーではもう真夏、いつもならT-シャツ一枚で、ズボンもショーツなんか着てモニターに向っているのが普通なのに、何とあまりの寒さにフリースのジャケットまで着込んでおります。
昼近いのに気温は何と摂氏15度(小雨模様で太陽が出ていないのも理由の一つだが)は記録的な寒さとか。
ニュースでは40年とか50年ぶりの寒い12月とか報じておりますが、いったいどうなっているのか。
僕が今回日本滞在中、冬を迎える11月終わりの日の方がよっぽど暖かいくらいで、ひょっとしたら本日の東京(冬)の気温の方がシドニー(夏)の気温より高いなんて現象が起きているかもしれません。
いやはや本当に異常気象ですね。
まして今年のシドニーは冷夏の上に雨も多いとか、夏大好きな僕にはトホホ状態ですね。
この気候や母の状態への気がかりが重なって、せっかくの新車もドライブに出かける気にもなれず車庫で眠っている状態。
少なくとも500キロまでの慣らし第一段階は早く終えたいのですが、いつになることやら。
気分転換にどこか長距離ドライブにでも出かけようかと考えたのだが、
今度の(2011モデルの)R-35はタイヤがブリジストンからダンロップに変更されていて、もし旅行中にパンクに見舞われたらどこで修理、もしくは交換が出来るのか不安なのでオーストラリアのダンロップにメールで問い合わせた。
じつはオーストラリアのダンロップのウエブサイトには285/35
ZRF20
SP Sport Maxx GT600 Run Flat なんてサイズのタイヤは出ていない。
もしパンクをした時には修理が可能か、またどこで修理を受けられるのか、もしランフラットとはいえかなりの距離を走行しなければならない場合タイヤ交換になると思われるので、新しいタイヤはどこで入手可能かなどを問い合わせた。
すると「ダンロップスーパーディラーに電話をするかまたはわが社のウエブサイトからディラーの所在地を見つけてください」という短くそっけない返事が。
じつはこの問い合わせメールを送る前に当然オーストラリアダンロップのウエブサイトでそれらの情報は得ようとスーパーディラーにも電話をかけたりしていたのだが、もう全くこのタイヤについて知識を持ち合わせていない状態。(だからこそウエブサイトの問い合わせのページからメールを送ったのに)
じつは今回下取りに出した2009年型R-35にはブリジストンが着いていてパンク修理でタイや屋にリムを数箇所傷を付けられてしまった苦い経験があるからこそ問い合わせた。
察するにこの20インチのラン・フラット・タイヤは非常に再度ウォールが硬いためかパンク修理でリムから外す時に(その20インチという大きさにも原因があるのか)かなりてこずった模様。
だからダンロップのスーパーディラーに電話をした時にも「絶対にリムに傷をつけずにタイヤを外す事ができるのか」と聞いたら、応対に出た男は何だか口ごもって「できるなら来年になったら当社でも新しい機器を入れるからそれから持ち込まれたほうが安全でしょう」なんて言われてしまったのです。(って事は今の手持ちの機器では自信が無いって事ではないか)
オーストラリア・ダンロップが勧めるスーパー・ディラーでもそんな調子だから、長距離ドライブなどで都心部を離れたりしてパンクに遭ったら目も当てられないのではないかと。
いったいオーストラリアの他のオーナーたちはどうしているのか。
パンクの経験は僕しかした事が無いとは思えないのですけどね。
と、ここまで書いていたら病院から電話で「奥様の手術は成功しました、午後には退院できますのでお知らせします」と。
ということで今からワイフを引き取りに。
2011年12月1日
先週の土曜日(11月26日)日本から戻りました。
今年三度目の日本滞在でしたが、今回が一番疲れましたね。
長いカナダ、アラスカ、アメリカ旅行の直後だったのも理由の一つでしょうが、老い行く親の先の見えない看護というのは精神的に疲れます。
その上、超のつくほどの田舎では受けられる医療のレベル、介護のレベル全てに不満が残る。
長期滞在では息抜きも必要なのだがド田舎では面白い所は無く、食のレベルも東京と比べるとここは同じ日本なのかと思うほどの格差。
本当にフラストレーションが溜まる毎日で、長く感じた一ヶ月でした。
一月早々母の看病で日本に出かけて一旦シドニーに戻るも大震災が起き、その同じ月の終わりには再び日本行きとなり、長いカナダ、アラスカ、アメリカ旅行の後にまた日本行きと、この「2011年」は決して忘れられないでしょうね。
夜中にトイレに立つ時に「今自分はどこにいるのか?」と迷う事もしばしば。 昨晩もまだ自分が日本にいる錯覚で一瞬トイレの方向(起きてベッドの右方向か左方向か)を間違えてしまいそうでした。
シドニーに戻って来ても何だか頭がボケているような、人の話も頭に入らないような状態でボーっとしております。
何事もやる気が起きないというか。
日記の更新も全くやる気が起きず今日までダラダラと過ごしていて、弓の練習でさえ出かけていません。
自分でもやばい精神状態だと感じてます。
月曜日(28日)には車を取りに出かけたのですが、せっかく車を新しくしたのに運転を楽しむ気にもなれず、ディーラーから帰って来てそのまま車庫に入れっぱなし。
同じモデルの車だからと言うのも理由でしょうが、何に対しても同じようにまるで「鬱」状態のようですね。
車といえば、僕はカナダ旅行に出かける前にGT-Rを下取りに出して、旅行から帰ったくらいに日本から届くはずの新車を受け取る算段をしていたのが、日本行きが有ったので納車を遅らせてもらっていた。
で、3ヶ月も前に下取りに出した車はすぐに業者に出されて買い手が付きニュー・オーナーの手に渡ったらしいのだが、なんとたった2週間もしないうちにギアボックスがいかれて修理のために戻ってきたとセールスマン氏が話してくれた。
R35のギアボックスのトラブルは結構発生していると噂では知っていたが、まさか自分の乗っていたのが、それもたった5000キロほどの走行距離の車がおかしくなるとはビックリ。
僕が乗っていた時には全く問題は無くまた使用状態もやっと慣らしを終えたばかりで酷使などは一切せず(レブリミット一杯まで回した事は何度かあるが)、壊れる状況がわからなかった。
メカの話では金属の部品が二つほどギアボックスの中で遊んでいた(転がっていた)とかですが、詳細は不明です。
ひょっとするとその新しいオーナーがメチャクチャをしたのかもしれないが、とりあえずまだ保障期間だったので無償でギアボックス交換が行われたらしいのだが、これが有償なら35000ドルになるそうです。
いくら無償と言っても、もし僕が下取りに出さずそのまま乗っていたら僕の家から遠いディーラー(シドニーにはたった一軒しかないハイパフォーマンスセンター)に運んで修理に出し、ギアボックス交換等で待たされてまた引き取りに行くとか面倒な事だったと思います。
そういう意味では運が良いのかも知れませんが。
新しい2011GT-Rのインプレッションはいずれ近いうちに書こうと思っていますが、ディーラーから我が家までの約40キロの道のりで感じた事は、物凄く乗り心地が良くなったという事です。
乗り心地の良い車が欲しいからこの車を選んだわけではないが、しかし同じ走行性能いやそれ以上に改善されているはずのパフォーマンスでこれほど乗り心地が向上すると言うのは、主に新しくデザインされたシートや2011年からはブリジストンからダンロップに変更のあったタイヤ(同じランフラットのタイヤですが)などサスペンション以外の要素がかなり大きいと思います。
また最初の500キロは慣らし運転も兼ねてサスペンションセッティングをコンフォーとにして下さいとセールスマンに言われたのですが、先代とはこの味付けが変わってセンターコンソールに三つ有るうちの真ん中のレバーをコンフォーと側に振ると、前よりも明確にサスがおとなしくなるようですし、またスロットルのレスポンス、クラッチミートのタイミング等にもこのレバーで変えているのではないかと思います。
最初の500キロまでは回転数を3500rpm、(ちなみに2000キロまでは5500rpm)に抑えてと言われているので、485馬力から530馬力になった違い等わかるはずも無いのですが近いうちに色々書いてみたいと思っています。
少なくとも今度のシートは楽です。 前のシートの方が味付けはよっぽどGT-Rぽかったのですが、何せランバーサポート部分が僕に合わず2時間以上運転をしたら耐えられない状態になっていたのです。
サイドサポートは良かったんですけどね。
今度のシートは少々柔らか過ぎるかもしれませんが少なくとも長時間の運転にも耐えられると思います。
あ、そうそう今度の車のカラーはブラックです。
同じガンメタにしようかと思っていたのですが、色まで同じだと車を換えたと言う感じが余計に薄いのではと。
だたしこの温暖な気候のシドニーに黒い色が合うかどうかは乗ってみないと判りません。 かなり室内も暑さの影響が有るのだろうかとちょっと心配。
ということでまた近いうちにインプレッションは書きます。
0−100k/mの発進が3秒を切ると言うローンチコントロールも早く使ってみたいし。 (オーストラリアで販売されるGT-Rはこの2011年モデルから正式にローンチコントロール使用も保障に含まれるようになったのです)
2011年10月22日
一昨日無事シドニーに戻って来ました。
お陰さまで母の病状も悪化することなく、旅行の途中で日本に駆けつける事態にもならず最後まで旅行を完遂する事が出来ました。
まあ予測してはいましたが、やはり45日間ずっと旅行というのは疲れますね。
そしてそんなに長い間夫婦でシドニーを空けていると、もうどれから手を付けたらよいかと迷うほど物事が溜まっております。
それなのに明後日は予定通りまた日本に向けて発たなければなりません。
せっかく届いている新型のGT-Rも受け取る時間が有りません。
昨日電話をディーラーに入れたら、一週間前に日本から届きましたよと言われたのですが、納車は日本から帰ってからにと。
帰国後、すぐに済まさなければならない支払いや銀行関係、税務関係、は当然のこと、伸びてしまった髪を切りに行かなければならないは、行きつけの担当医(GP)に高血圧の治療薬がもう切れかかっているので処方箋を出してもらわなければならないは、やる事が山積み。
何しろ旅行中に溜まった洗濯物を旅行カバンから出して選択をし、乾いたらまた旅行カバンに詰め始めるといった状況です。
その上、強烈な時差ボケにやられております。
シドニーに到着した晩は長時間フライトの疲れと睡眠不足で朝までぐっすり眠る事ができたのですが、二日目つまり昨晩は全然眠れず午前3時前からずっと目が覚めたまま、結局書斎に下りてこの日記を書くことに。
このたびの旅行については色々iPadに書き留めていたのですがここにアップする時間が有りません。
旅行中に撮影した写真もそのままの状態で日本に向う事になってしまいそうです。
書きたいことは山ほど有るのですがそれは日本から戻ってからになってしまいますが、少々書いておきます。
まずは旅行の後半での事。
偶然だったのですが僕らが旅行に出てから「ウォール街を占拠しよう」という運動が始まって(始まった当初は僕らはカナダを周っていたわけですが)、僕らがニューヨークに到着した時には運動が盛り上がり始めた時でした。
ニューヨークに到着した日に僕は昔(35年も前の事です)初めてニューヨークに行って借りたアパートとその後に移った大きなロフトを改造したアパートがどう変貌しているのか、すぐにでも見たくてダウンタウンに出かけた。
するとワシントンスクエアーに多くの人が集まっていて、それがウォール街を追い出された人達だった。(追い出されたというのはそのときには知らなかったのだが)
ウォール街には翌日出かけた。 周辺は警察官とその車でビッシリという感じで、プロテストをしている人間を全て排除した後だった。
ウォール街を出てちょっと歩いたところの広場(スクエアー)の名前は忘れてしまったが、そこには昨日のワシントンスクエアー以上の数の人が集まり、それを取材するメディアが世界各国から来て、騒然としていた。
日本からのメディア撮影クルーもいました。
しかしプロテストはいたって平和で、僕の見た限り警察との衝突やいざこざも全く無く、まるで学園祭のような雰囲気で皆思い思いの格好をしたりプラカードを下げたり、スピーチをしたり、1960年代の学園闘争を経験した身からすると、「運動」といっても全く異質のものにさえ感じた。
本当に皆大人しく紳士的に行動しているし、それを取り囲むように警戒をしている警察も全く殺気立っていない。
特に拡声器が禁止されているために非常に物静かというか、騒然とした雰囲気ではないんですね。
日本では草食系男子という表現があるようだが、まさに草食系のデモという表現がピッタリかもしれない。
その後僕らはボストンに移ったのだがそこでは運動が始まったばかりで最初の日には見かけなかった集会や、そこに寝泊りする小さなテント群等が、6日後「紅葉を見て歩くドライブ」からまたボストンに戻ってみるとアトランティック・アベニューには大きな集会ができあがっていた。
この運動は世界に飛び火しているようだが、僕らは偶然この運動の動きに合わせるようにアメリカを訪れていたわけで、何か歴史的な動きに立ち会ったのかもしれない。
じつは僕はこのような運動が起きた事に関しては大いに書きたいことが一杯なのだが、今は時間が無い。
起きるべくして起きた動きなのだが、僕にしてみればむしろ遅いくらいだと感じている。
僕の昔の日記にも書いたように、今の経済状況を作ったアメリカ的資本主義、キャピタリズムの矛盾やそれに対する不満は起きて当然だと思っている。
この運動には世界的な広がりを大いに期待しています。
1930年代に起きた世界恐慌の原因にも共通点が一杯あるのが今の世界経済状況です。 富が一部の人間に集中しすぎているという。
旅行に関しては最後の12日間を除きずっとグループ・ツアー参加という形で周ったわけだが、グループ・ツアーというのはスケジュールが決まっていてフレキシブルではないのが辛いですね。
ここは良いところだからもう少しいて楽しみたいとか、もうちょっと写真を撮ったりしていたいと思っても移動の時間が来てしまう。
だから最後のニューヨークとボストン合計11泊12日間は全くの自由行動、特に最後の地ボストンではレンタカーを借りて4泊5日の紅葉を観にマサチューセッツ州、ヴァーモント州、ニューハンプシャー州をまたいで、山の中を走り回っていました。
ニューヨークからボストンに到着後すぐにレンタカー屋に直行、そのままカーナビに行きたい地域を適当に選んで入力、その日から4泊は宿泊場所も全く予約無しで行き当たりばったり。
アメリカはドライブインモーテルなどが沢山有るので安心して出かけたのだが、ちょうど紅葉のシーズンでどこに行ってもアメリカ人を乗せた紅葉を見て周る観光バスが結構多かったので場所によっては簡単に宿泊場所を確保というわけには行かないところもありました。
しかし現代はインターネットの時代。 見つからなければインターネット接続可能なカフェで休憩を取りながらネット検索して次の宿泊場所を探したり非常に効率良く周れました。
万が一その晩の宿泊先が見つからない場合は車の中で寝る事もできるしとか考えていたのですが、その必要は無かったです。
気に入ったところを見つけて、自由に停車し綺麗な景色を楽しんだり写真を取ったり、またお腹のすいた時に土地の人にお勧めの店を聞いて食事をしたり。
アメリカの田舎で美味しいものなど全く期待していなかったのだが、素晴らしい食事に出会ったり、また逆に「とんでもなく不味い寿司」を食べる羽目になってしまったり。
良い思い出になっています。
詳細は日本から戻った時に。
ではまた出かけてまいります。
2011年9月2日
先週の日記にも書きましたが、来週の月曜日出発のアラスカ、カナダ、アメリカ旅行直前になって母が再入院ということになり、旅行キャンセルも覚悟したのだが術後の経過も良く、これならば僕らが旅行から戻るまでは何とかなるかと思い、旅行に出る事に決めた。
手術後のICU室(集中治療室)から病室に戻ったのだが、昨日になりまたまた容態の変化が有ってICUに入ったとの連絡が日本から。
即病院に電話をして経過を確かめると、どうやら昨年の暮に最初の入院の原因になった潰瘍性大腸炎が再発して血便が出るようになっているとか。
とりあえず輸血が始まったらしいのだが、これではもう旅行に出てもおちおち楽しめるわけも無く、キャンセルしようと思いとりあえず病室にいる叔父の携帯にかけると、途中で母が僕に話したいと言っているという。
どうやら輸血が終わって集中治療室は出たようで、想像していたほど弱っているわけではなく、母はかなりしっかりした声で「私は大丈夫だから旅行に行け」としつこい。
叔父ともどうしたものやらと相談したのだが、叔父もすぐにどうのこうのという状態ではないからとりあえず旅行に出て、万が一の事態になったらそこから駆けつければ良いということになった。
いやはやほんとにタイミングが悪いというか、こんな調子では旅行中も常に日本からの緊急連絡を気にしていなければならないわけで、後3日後に旅行に出るんだという気が全くしません。
いや参った。
このような状態の高齢の親を持つと、今後長期旅行等を申し込むのは無理ですね。
せいぜい数日の旅行に出て、いざとなったらすぐキャンセルして駆けつけるなら金銭的な損失も少ないし。
今回のように延べ45日にも及ぶ旅行の場合(二つのクルーズも含む)半端な額ではなく、このような直前のキャンセルは1セントも戻らないので、ドブに捨てるのと同じになってしまうわけで。
ただし僕はもし母が危篤の状態になった場合には最期を看取りたいというか生きているうちに看病したいという気持ちは非常に強くあるが、もしころっと死んでしまった場合は何も慌てて駆けつける必要が無いという考え方を持っています。
と言ってもけっきょくは旅行を切り上げて即駆けつけるということになってしまうのでしょうけれど。
もう亡くなってしまった人間なのだから、何も慌てて駆けつけなくとも後で充分供養が出来ると思うんですけどね。
葬式に出席しないというのは世間的には色々批判を受けるだろうが(特に田舎では)しかし立派な葬式を挙げるよりもむしろ僕は亡くなった後、いかに供養するかの方が大事だと思っている。
じっさい父が亡くなった後でも、日本なら命日や盆にしか墓参りに行かない人が多いと思うが、僕の場合墓地が比較的近いというのもあって、墓参りには友人が驚くほどよく出かけて、生前の父を偲んでいるというか。
生前の父との関係は良くなかったくらいなのだが、亡くなってからは色々考えるというか。
だから豪華な葬式を挙げたり立派な戒名をつけたりよりも、いかに長く供養するかの方が意味があると僕は思っています。
幸い僕が建てた父の眠る墓は、海の見える素晴らしい眺望の、騒音も無い潮風が気持ちの良い場所にあり、花を供え手を合わせると、妙に心が和むというか安らぐんですよね。
さて話は戻って、とりあえず次に日記のアップはひょっとすると11月後半になってしまうかもしれません。
というのも、旅行から帰ってすぐに日本に行く事にしたので、それからまた滞在が一ヶ月前後はかかるでしょうから、シドニーに戻るのは11月末頃ではないかと。
じつは日産GT-Rを新型に換えるべく注文を出していて、納車は旅行から帰った10月後半にするようにディーラーに頼んでいたのですが、このぶんでは日本から戻るまでは納車受けられません。
すでに今まで乗っていたのは先月下取りに出してしまい、今はSLKを使う毎日ですが、何だか毎日乗ってもらえてSLK嬉しそうです。
車といえば数日前にロンドンに住む娘から電話が有り、会社が車(カンパニーカーというのか)を与えてくれる事になったので、いくつかチョイスが有って選んだのがBMWのコンバーティブル(屋根が上がるやつです)を選んだら、マニュアルだったと言うのです。
それを聞いて僕は相変わらずの娘の無謀さに驚いてしまった。
だいたいお堅い製薬会社が社員に与える車がオープンカーってのも驚きですが。
というのも、娘は生まれてこの方一度もオートマしか運転した事が無くマニュアルシフトのクラッチワーク等一切経験が無い。
それをいきなり毎日の通勤等の足に使うというので呆れてしまい、どうしてマニュアル車などを選んだのかと聞くと、会社が用意する車はBMWかアウディの中から選ぶらしいのだが、オートマが用意されている車種は平凡なセダンしかなく、欲しい型の車でオートマを注文すると、手続き等で3ヶ月くらい待たされるので、すでに会社が購入してある車から選んだらこれが一番カッコ良かったからなんて言う。
カッコ良いとか、オープンカーに乗りたいとかミーハーな思いが優先して運転できない車を選んでしまう馬鹿娘と言うか。
で、友人に頼んでマニュアルシフトを練習中とか言っていたが、自宅の車庫に入れるのにも苦労しているらしい。
街中でもしょっちゅうエンストを繰り返しているらしくて、他の交通に随分迷惑をかけているのではないかと。
全く開いた口がふさがらないと言うか。
それにしても娘の話では相変わらずイギリス(と言うか欧州では)マニュアルシフト車の方が多いらしく(ガソリンが高価と言うのも理由の一つなのでしょうが)会社が用意する車もほとんどがマニュアル車で、オートマのチョイスが極端に少ないとか。
だからプリウスは燃費が良いのでオートマでも売れているのでしょう。
娘がどんな運転をしているのか知らないが、まあ会社の車だからクラッチを擦り減らしてもあまり気にしなくとも良いのでしょうが。
電話では「ねえ、エンジンブレーキって何のこと?」なんて聞いてくるので説明をしたのだがどうもその説明も良く判っていないようです。
エンジンブレーキの事を聞かれたので、ついでに(まあ半分冗談ですけど)「ヒール・アンド・トー」について教えようと説明始めたら「何それ!そんな難しい事出来るわけないじゃない」と怒られてしまった。
事故を起こさないうちに早くオートマ車に換えてもらいなさいと言ったのだが、娘は今マニュアル車をおぼえたら、スペイン等でレンタカー等を借りる時に便利だからこのまま乗り続けると。
どうも欧州では(特にスペインやイタリアでは)安いクラスのレンタカーはほとんどがマニュアル車らしいです。
やれやれ心配の種は尽きません。
では旅行に行って参ります。
来週の月曜日までに母の容態が変わらずドタキャンにならなければの話ですが。
2011年8月24日
先週の土曜日のこと、日本から連絡が入り、また母の具合が悪くなったので救急車で病院に行ったとの事。
突然体調が悪化し、下痢がまた始まったので医者に往診を頼んだところ、急を要するというので病院に搬送、検査をしたところ腸のどこかが破れて漏れているので、即切開手術ということになった。
検査ではその場所が特定できなかったので、みぞおちの下あたりからメスを入れ、探っていったところかなり肛門に近いS字結腸というところのカーブしているところに穴(穿孔というらしい)が見つかりその部分を縫い合わせたとの事。
みぞおちから切り始めたので下腹部に有るS字結腸まで大きく切り開かれたようで、かなり大きな手術になったとの事。
穴が開いていたということは便もそこから漏れていたわけで、当然腹膜炎を起こしているらしいのだが、偶然その部位が腹壁と癒着を起こしていたので漏れも少なく、幸い発見も早くそれ程重症ではないとの事。
親戚は僕にできたら来るようにとの事。
再来週のアラスカ、カナダ、アメリカ旅行を控えてどうしたものやらと、とりあえず神奈川に住む妹に行ってもらい様子を聞いた。
手術は成功に終わり、母は大きな手術の後でもかなりしっかりしており、発見も早かったのでわりとしっかりしているとの事。
即僕が出かけていくほどの様子でもないがやはり行かなければと、旅行会社にキャンセルの件で電話を入れたらもう出発が近いので、全額失う事になりますとの事。
それではいくらかのペナルティー料金を払って来年の同じ旅行に振り替えることは出来ないのかと聞くも、これもやはり出発に間近すぎて無理との事。
船によるクルーズも二つを含む、37日にも及ぶツアーなので料金もかなりの額で、全額失ってしまうのも何とももったいない。
では僕だけがツアーに参加せず、家内と家内の友人と二人で行く事はできないのかと聞くとこれも船会社の規定で(?)乗船予定者の変更は無理との事。
一般的に僕のような事情ではなくとも、自分が病気になったとか事故に巻き込まれたとか、色々キャンセルになる要素はあるはずで、その場合はツアーを申し込んだ時点で旅行保険に加入しておくべきで、僕らも当然入っていた。
ところがその保険支払いの規定の中に親の病気という項目も有ったのだが何と同じ国にいる親で無ければ支払いを受けられないと出ている。
つまり僕(日本人でオーストラリアに住む者)の場合、もし母がオーストラリアに住んでいて危篤とかになって旅行をキャンセルする場合には適用を申請できるが、母はオーストラリアには住んでいないので無効との事。
まさに「トホホ」状態なので母の看護をしている妹に頼んで、僕らが旅行から帰るまで何とか頑張って面倒を見てもらう事に。
入院が長引くようなら、前回もお願いしたお手伝いさんにまた頼むように、そしてもし様態が急変して危篤状態にでもなったら、電子メールで連絡をしてもらって、旅行の途中で切り上げて日本に駆けつけるからということにした。
まあ考えてみると、オーストラリアにいて駆けつけるのも、カナダやアメリカから駆けつけるのも、かかる時間などはそれ程差が有るわけではないので。
そんなわけで一応旅行には出る事になったのですが、何だかびくびくしながらホリデーってのもあんまり楽しめないでしょうね。
まあ、ホリデーが終わるまでは何とか母にも頑張ってもらわなければと。
さて、話は変わって先日映画「セナ」を観ました。
日本では封切になっているのかわかりませんが、オーストラリアではかなり話題になっているようで、家内の友人の同年代のオバサンでF-1レースなんて一度も観た事がない人が、この映画を観てきたとか話しているのを聞いてちょっとビックリもしました。
どうやらこの映画はF-1やカーレースが好きな人向けに製作された映画ではないらしいのですが、しかし僕にとってアイルトン・セナはヒーローだったのでこの映画の見方はかなり違うと思います。
ヒーローと書いたが、僕はヒーローという言葉があまり好きではなく、その上自分よりはるかに年齢の下の人間(セナは1960生まれ)にはどうもヒーローという言葉が適切ではないような気がする。
僕にとってセナは最も尊敬する偉大なレーシングドライバーであり「大ファン」であった。
F-1大好きな僕は彼がイモラで亡くなった時も当然実況を見ていたし、その時録画したビデオはまだ持っている。
大変なショックを受けた思い出は永遠に消えないし、彼の死後も彼に関する本(The
Life of Senna
という本はお勧めです。 日本で翻訳が出ているかは判りませんが)やビデオは可能な限り見た。
だからこの映画を観ても僕にとっては目新しさというか、新たな発見などはほぼ無く(見たことのなかった映像は一部あったが)むしろ当時の悲しい記憶が蘇ってきてしまい、観賞後はけっこう暗い気持ちになってしまった。
家内の友人や我が娘などのように、セナという名前はどうにか聞いたことはあるという人達にとっては、この映画が素晴らしいドキュメンタリー映画に映るらしい。
この映画は全て当時撮影された映像だけで製作されていて、ナレーションも一切は言っていません。
このナレーションを使わなかった手法は大正解だと思います。
観客に判断を委ねる幅が広がるわけだから。
僕にとっては絶対に見に行かなければならなかった映画だがしかし楽しい映画ではなかったです。
あまりにもセナのことを知り過ぎているから。
若い人達にはモータースポーツ興味有る無いにかかわらずお勧めですね。
2011年8月11日
先日のツール・ド・フランスでオーストラリアのカデル・エヴァンスが優勝した時の事を日記に書くのを忘れていました。
本日(11日)彼はやっと帰国し、明日メルボルンで優勝凱旋パレードが行われる。
彼の優勝はまさに悲願の優勝で実力がありながら、アクシデント等の不運で優勝を逃し続けていた。
常にトップ争いに絡んでも優勝を逃し、ミスター2位というニックネームも頂戴していたらしい。
そんなわけで約100年にも及ぶツール・ド・フランスの歴史で、初めてオーストラリアの選手が優勝したというので、その日は大騒ぎ、まさにアメリカズカップをオーストラリアが奪った時の再来に近い喜び方だった。
長年優勝できなかったオーストラリアのF-1ドライバー、マーク・ウエバーが優勝した時とは比較にならないほどの盛り上がりだった。
エヴァンスはすぐにも帰国するのかと思ったら、そこはティームに所属するプロ選手のこと、やっと月が変わって帰国の運びになったらしいが、しかしそれでも世界中を転戦している彼は優勝ということで珍しくこの時期の帰国とかで、普段ならほとんどオーストラリアには戻れないらしい。
日本の女子サッカーティームがワールドカップを取った時にも大いに盛り上がっていたようですが、優勝パレードをしてあげれば良かったのにと思います。
優勝パレードが行われなかった経緯については色々意見が有るらしいが、(今までも同様な偉業が成し遂げられた時にパレードをやらなかったのだからとか)しかし現在の震災後の日本の現状を考えると数少ない国民を巻き込むような明るいニュースにもなるのだから政府も考えてやるべきだったと思います。
さて話は変わって昨日早朝電話が鳴った。 出てみるとロンドンに住んでいる我が娘から。
平日の早朝にロンドンから電話をしてくることは非常に珍しいので、すわロンドンの暴動で何か被害が有ったのかと。
と言うのも娘の住む「ノッティング・ヒル」という地域は、映画で有名になって以来とてもファッショナブルな地域という事で街の様相が大きく変化をしてきたがしかしそこは元々はかなり危ない地域であったところからはまさに隣りあわせという歴史が今も残っていて、ポートベロー・カーニバル等では何度も暴動が起きていたりする。
娘の家はまさにそんな場所のど真ん中で、昨年夏のポートベロー・カーニバルを初めて迎える時にはかなりナーバスになっていた。
というのも周りの家々はカーニバルが始まる数週間前から非常用のフェンスを家の回りに設置したり始めたので、こりゃ〜毎年何らかの被害があるのではないかと心配させられた。
パレードで多くの人たちが集まり、酔っ払いは飲んだビール瓶を投げ込んだり、塀をよじ登ったり、火のついたタバコを投げ込んだりなど等。
しかし結局娘の住む通りはパレードのとおりからは数ブロック以上離れているので、全くの平穏無事だったらしい。
さて娘からの電話はやはり暴動の事で、近くでもかなりの被害が出ていて危険なので夜外出できない日が続いているので電話をかけてきたようで、考えてみるとロンドンの夜はこちらの朝なので早朝の電話と相成ったしだい。
そういつもなら外出好きな娘は夜は家にほとんどいませんから、他にやる事がなかったからとも言えますが、電話の内容を聞いてビックリ。
僕らが想像していたよりもはるかに事態は深刻なんですよね。
娘家から目と鼻の先のパブやレストランは壊されキャッシュレジスターは持ち去られたり、またブティック等も壊され中の商品を盗まれていたりするらしい。
今の政治や経済情勢に不満を持つ若者の行動とか言う人もいるが、店を壊して商品を盗むためにやっている人間も多いようで、娘の話では若者に人気のある靴の店が破壊されて商品が盗まれている隣に有る、かなり高級な中年女性向けのブティックは全く何の損傷も無い。
つまり暴動を起こしている若者達が欲しがる商品を販売している店は破壊され、全く見向きもされない店もある。
英国ソニーの倉庫が壊され製品が持ち出されその上火をつけられたり。
娘が驚くのは本当に若い10代前半のようなガキが非常に多く参加しているらしい。
僕らのような70年代の学園闘争の嵐が吹き荒れた日本を経験した人間にはオーストラリアのテレビニュースで見る限り、それ程驚く様相には映らないのだが、1980年代後半生まれの娘のような年代にとっては普段生活する街が破壊されていくのを見るのはやはり「恐怖」と感じるようです。
娘の家の近くにある有名レストランでは、娘の友人が食事していると外で暴動が始まった様子に店が慌てて中から鍵を掛けた。
すると暴徒は店の外に置いてあるテーブルや椅子を窓に向かって投げ、そこから侵入して来て、食事をしていた客を脅し、財布や高級腕時計を奪ったらしい。
客の一人(女性)は高価な指輪をしていてとっさに隠そうとしたが見つかってしまい、暴徒は無理やり彼女の指を引っ張って指輪を剥がそうとしたらしい。
さすがに店の従業員もこれには見かねてフライパンや包丁を持って反撃に出たとか、あまりの酷さに開いた口がふさがりませんでした。
このままの状態が続いたら上記のポートベロー・カーニバルはかなり危険な状態になるでしょうね。
あるいは中止に追い込まれるかもしれません。
心配な事ではあります。
とこの日記を書いていたら暴徒から店を必死に守ろうとしていた店のオーナーの息子達が暴徒が運転する車に轢かれて二人も亡くなってしまった。
そしてその父親が店の前でメディアのインタビューに答えて暴動を止めるように呼びかけていたらそれを取り囲む暴徒がその父親に向かって「バカヤローとか引っ込め」とか言っているんですよね。
自分の息子二人も殺された父親に向かって。
酷すぎますね。
2011年8月7日
気がつけばアラスカ、カナダ、アメリカ旅行へ出かける日まで一ヶ月を切ってしまってます。 本当に時の流れるのが早い。
前回の日記には今年のシドニーは雨が多いと書きましたが、ここ一週間は真冬とは思えないほど暖かく、ここ三日ほどは朝夕でも暖房を入れる必要が無いほど。
真夏の日本からうだるような暑さのニュースを見る度に、罪悪感を感じてしまうほど心地良い日が続いております。
罪悪感を感じるといえば、日本人に生まれながら偶然にオーストラリアはシドニーに居を構え、ここを生涯の地と定めている僕にとって今の日本の現状を見るにつけ、同じ日本人としてここでぬくぬくと過ごして良いのかと感じてしまいます。
何しろ日本は地震や津波が有り、特に真夏の日本は地獄のような暑さが続く時に台風もやって来る。
全く収束の兆しも見えない原発問題で節電を強いられ、まさに踏んだり蹴ったりのような状況。
原発による被爆被害の問題は、野菜や食肉などに広がりをみせ、その上何の因果か米国の経済問題で日本円も急騰で輸出産業に打撃が加わる。
日本円だけが米ドルに対して急騰しているわけではないが、しかし「311」後の日本の現状を見ればこれほど日本円が強く評価されるのはおかしい。
しかし国際的な見方は、日本の政府も大企業も大量に抱える米国債をある程度処分して日本の経済的危機を乗り切ろうとすると読み、米国債処分イコール米ドルを売って日本円に換えるということに繋がるだろうということで円買いをしているとかどこかで読んだ。
日本産の農産物を始め海産物や食肉等がいったいどこまで放射能の影響を受けるのかわからないが、しかし必ず輸入に頼らなければならない可能性が増えてくるわけで(すでに牛の飼料の牧草等も輸入に頼っているらしい)まさにマネーゲーム(国際的マネー投機)による円高なのではないかと。
そんな日本の現状を知りながら、オリンピックパークの広いアーチェリー場で真冬だというのに半袖でもちょっぴり汗ばむほどの青空の下で練習をしていると、日本にいる親戚友人達の事を色々考えてしまいますね。
さてそんな事を延々と書いていても日本が変わるわけではないので話題を変えて。
マーマレードのお話を。
今から3年ほど前だったか、ワイフと一緒にメルボルンに住む義姉を訪ねた時に、庭にある金柑(キンカン)の木にたわわに実がついているので捥いでシドニーに持ち帰りマーマレードを作った。
そのマーマレードの出来が素晴らしく僕の好みにピッタリの味だったのだでやみつきになった。
金柑のマーマレードがこれほど美味しいのかと驚いて僕らはシドニーで金柑の苗木を買い育てる事にした。
そして今年やっとマーマレードを作る事ができるほどの実をつけた。
もちろんこんな事をしなくとも八百屋に行けば季節にはいくらでも金柑は手に入るのだがしかしどんな農薬が使われているか、またワックス等もかかっているだろうから、自分で育てれば無農薬のまさにオーガニックの金柑で安心してマーマレードが出来ると。
そういえば日本の地域によっては原発の問題でそういうこともし難くなりそうですが。(静岡のお茶でも影響が出ているとすればかなりの広範囲で影響は有るのでしょう)
さて自分で育てた金柑で作ったマーマレード、メルボルンから来た金柑で作った時と全く同じレシピでワイフが作ったのですが、全く違う味になってしまった。
美味しくないのです。 どう美味しくないかと言うと僕がマーマレードを好きな理由の一つである「苦味」がほとんど無いのです。
そして使った砂糖の量は同じなのに甘過ぎるマーマレードが出来てしまった。
風味はそこそこ有るのですがしかし苦味だけでなく味の深みも少ない。
理由は我が家の金柑自体が「美味し過ぎた」のですね。
つまりフルーツとしての金柑の評価ならとても甘く苦味もクセも無い素晴らしいものなのですが、しかしマーマレードには向かないんですね。
例えば日本のイチゴはオーストラリアの物と比べるとこれが同じイチゴかと思うほど甘いでしょ。
しかしその日本のイチゴで作ったイチゴジャムはオーストラリアのイチゴで作ったのより美味しいかと言えば(僕は日本のあの甘い高級イチゴでジャムを作った経験は無いが)多分オーストラリアの方がジャムとしては上だと思うのです。
せっかく3年もかけて育てた金柑なのに残念至極と思った僕は作り直す事にした。
下の写真のようにまだまだ実は生っているので材料はある。
↓の写真は作り直した後で撮影したのですがそれでもまだ実は残ってますね。
ベランダの鉢栽培ですがそれでも充分実をつけてます。

で、今回は苦味をつけるために他の柑橘類を色々混ぜようと、レモン、
(これも我が家に生ってます。 写真右手前の葉がレモンの木のです)
オレンジ、マンダリンオレンジ、ライムなどなど色々皮を食べてみて混ぜてみました。
また砂糖の量を半減させ、出来上がったマーマレードが固まりやすくするために水の量もかなり控えました。
ウエブ等でマーマレードの作り方を調べると、砂糖の量とか水の量などが使用するミカン(日本の場合は「甘夏柑」が多いようですが)の量に対して何グラムとか何ccとか有るのだが、ほとんどが丸のままの量で出ている。
しかしこれは金柑には当てはまらないのですね。 というのも金柑の場合中身はほとんど無いので皮だけにして刻んだ量と、甘夏柑では違いが出る。
また金柑は種類にも寄るが皮自体の甘さが有ってこれは使う砂糖の量に大きく影響する。
僕はあまり甘さの強いジャムやマーマレードは好きではないのでなるべく控えたい。
そこで作る前に生で食べて判断するしかない。
試行錯誤の結果まさに僕の好みにドンぴしゃりのマーマレードが出来上がりました。
一応レシピを書いておきます。
金柑、オレンジ、レモン、マンダリン、ライム。(それぞれ量は5、3、1、2、1、程度)
皮を剥いて刻んだ状態にしてからはかりで計測。
約400グラム
水600cc
オレンジの実のジュース、レモンの絞り汁大匙 3
砂糖300g
全ての実から出た種はガーゼ生地に袋状に包んで口を縛っておく。
刻んだ材料とガーゼに入った種は水とジュースにつけて一晩寝かす。
一晩寝かす場合ステンレスのボールよりもプラスティックのボールに入れた方が良いかもしれない。
翌日ボールから出して深めの鍋で30分煮始めるのだがその前にボールに入った状態で多少固まっているのが良い。
煮始めたら、火力や鍋の形状等で水分が足りないようなら水を多少増やしても良い。
一旦火を止めて種の入ったガーゼの袋を出してから、砂糖を入れて煮る。
出したガーゼの袋は取っておいて手で絞れるほど冷えて来たらよく絞って中のジュースを鍋に戻す。
砂糖300gのうち200gを鍋に入れて焦げ付かないように注意しながら煮始める。 途中で砂糖を徐々に足して行く。 甘さを確かめながら。
30分ほど煮てからスプーンに一口量取って冷凍庫で冷やしておいた皿の上に垂らす。
流れないようなら固さは良い。 冷えた状態でもう一度味を見て甘さを確かめる。 熱々の時と冷えた状態(パンに塗ったりするときの状態)では人間の甘味に対す判断が多少変わるので。
出来上がったら30分は最低煮沸したビンに熱いうちに入れる。
火傷に注意。
ビンの口すれすれ2〜3ミリ程度まで入れて蓋をして逆さに置く。
長持ちさせたければ蓋をビンの上に置いてあまりきつく蓋をしない状態で蒸し器でビンごと蒸す。
15分以上しっかり蒸して蒸し終わったらすぐにきつく蓋をしてやはり逆さに置いて冷ます。
とにかく自分が最も美味しいと思うマーマレード、つまり自分好みの苦味や甘さや風味(使う柑橘類の皮の風味によって変わる)を追求すべく色々試行錯誤して作るのをお勧めします。
何しろ材料は安いので失敗しても何度でもチェレンジで来ますから。
2011年7月21日
今年のシドニーの冬は雨が多いようで、本日木曜日も弓の練習は雨のためキャンセル、どうやら今週いっぱいずっとこんな天候のようです。
プールの水も溢れてきているので「バック・ウォッシュ(排水)」をしたばかりなのに今日もまた必要にになるほど雨量も増えています。
それにしてもプールって面倒くさいですね〜。
僕らのような年齢になると、孫がいるわけでもないのでプールに入るのは年にせいぜい2〜3度がよいところで、たったそれだけの使用のために、一年中枯葉やごミを掃除したり水の量に気を配ったり(雨が多ければ排水、夏に日照りが続けば水を足してやったり)また水質を保つために塩素のレベルや他のケミカルで水の「硬度」調節をしないとすぐに水は濁ったりアルギー(藻の一種)で緑色になってしまう。
毎日毎日フィルターポンプは回り続けているし使用電量も半端ではない。
この家を買う時に(新築物件だったので)プールは付いてない方が良かったのにと言ったら、将来手放す時にプール無しと有りとでは価格が違ってきますよと言われた。
最近の僕らは旅行ばかりしていて、長い時には2ヶ月近くシドニーを空けるので、その度にプール屋さんに管理をお願いするのだが、かなり高額になるだけでなく、彼らのアクセスのために門扉の鍵も預けなければならずセキュリティーの面からもあまり好ましくない。
プールに蓋をするなり、思い切って埋め立てちゃおうかなとさえ思うほどです。
さて話は変わって、
購入してまだ2年半を少々超えたばかりのプラズマテレビがおかしくなった。
2週間ほど前の事、スイッチを入れたら画面の色がもうメチャクチャ、まるでサイケデリックアートを見ているがごとく。
でこの異様な画面が3〜5分くらい経つとケロッと直ってしまい、何時間見ていても問題が再発しない。
しかし一旦テレビを消して数時間後にまたスイッチを入れるとまた問題が。
ところが厄介な事に何かのタイミングで全く問題が出なかったり出たりと大体50%くらいの確率で起きる。
で、一旦直ったらずっとそのまま問題無しで見続けられる。
で、さっそくパナソニックに電話を入れた。
運良くこのプラズマを購入した時に、2年間の延長保障(有償)に入っていたお陰で今年の暮れ近くまでは保障期間中。
ところが何と修理はパナソニックではもうやっていないんですね。
下請けの会社に任せているので「AWA」という会社に電話をかけろとメッセージが流れている。
そこでAWAに電話をかけて修理を要請。
ところが電話に出た受付の女性にどういう問題が起きているかを説明するのに「色がおかしい」とか説明しにくいので「まるでサイケデリック・アートのように色が、、、」と言うと、「サイケデリックとは?」と意味が判らないのですね。
そうか今の若い人は「サイケデリック」という言葉自体を知らないのだと知る。
さて、とにかく色の問題を説明しにくいのででは電子メールに添付で問題の画面を写真に撮って送るという事になった。
僕は上の写真のようなのを何枚か送信、その時にメールに受信レシート要求もつけた。
つまりせっかく送ってもそのまま放置されたり、また受信したしないでもめるのも嫌なので。
その受付の女性は48時間以内にテクニシャンが連絡をして修理に来る日を決めますと約束したのだが、さすがというかオーストラリアなので当然のごとく4日待っても何の連絡も無い。
その上、送ったメールのレシートも届かない。
多分メールは見たはずなのにレシートの発行を拒否しているのでしょう。
再びAWAに電話を入れて今度はきつい調子「48時間以内に連絡すると言ったのに何も無い、その上写真添付のメールに対する返事も無い」と文句を言うと、すぐに調べて連絡しますと。
その時にその女性は「もし修理部品が必要になった時に、中古部品を再生した部品を使用しても良いでしょうか」と言うのです。
2年間の延長保障のために$600ドルも払っているのに、いきなり再生部品を使うかもしれないと言うのにも驚き。
日本でもそうなんですかね。
とにかく修理の人を早く送るようにと言って数日待っていたらやっとテクニシャンから電話が。
翌週の火曜日に修理に来ると言う事になった。
そこで心配なのはもしテクニシャンがが来た時にそのサイケな画面が起きる確立は50%なので、せっかく来ても問題無く画面が立ち上がったら問題の箇所を突き止められないのでと帰ってしまうことの可能性が大。
車の調子がおかしくなってディーラーに持って行ってもその時に再発していないと修理できないと言われてしまうのと同じ。
問題が出なかったら撮っておいた写真を見せて説明しよう可などと考えていたのだが、当日修理のオニーサンが来てスイッチを入れたら見事に(?)サイケな画面が。
何だか妙に嬉しくなってしまいました。(壊れているのが問題なのに)
で、そのオニーさん何と!!! そのサイケな画面を見ながらテレビの横を「バンっ」と叩いた。
すると何と何と画面が直ってしまったのですよ。
これには僕もワイフも大笑いしてしまった。
20年も前ならブラウン管テレビの調子がおかしいからとテレビの横を叩いて直したなんて思い出があるが、まさか最近の薄型プラズマテレビでも「叩くと直る」って事が起きるなんて!
オニーサンいわく「これはどこかの接触が悪いから、叩く事によって直った。 だから問題が出ても3〜5分で直っていたのは、電源が入って中が暖かくなって部品が膨張する事によって接触が戻るので直ることが起きていた」と非常に判りやすい説明。
で、さっそくそのオニーサン裏のパネルを外して中を調べ始めたのだがどこも悪さをしている部品つまり緩んでいる部品がないというのです。
そこで一応可能性のある部品を全て増し締めして「もし同じ問題が出たらすぐに連絡して下さい」と言って帰ってしまった。
それにしても不思議なのは58インチもの大型のテレビでしょっちゅう移動させたりしているわけでなく、購入以来同じ場所に置きっ放しにしていてなぜ中の部品が緩んでしまうのか。
まして今は全てソリッドステートと言うのか中のボードは途中から緩むような箇所は無いはず。
今や薄型テレビは韓国や中国製が多数を占めている時代に、わざわざ故障の心配の少ない「純日本製」のこのモデルを購入したのに、たった2年半で問題が出るとは。
そのテクニシャンのオニーサンいわく「我社はいくつかのメーカーの保障修理をやっているがパナソニックはかなり問題の少ない方ですよ」と。
なんでも現在の薄型テレビは価格の下落に伴い、かなり問題発生も多く、だいたい目途として購入後5年で約50%の確率で何らかの問題出る
のが普通と考えた方が良いと。
だから5年過ぎても問題が出なかった場合は「あたり」だったと考えるべきらしいです。
まあ確かに最近の薄型テレビの価格の安さと言ったらまさに驚きで、昨日も折り込み広告に出ていた50インチのプラズマが999ドルってのを見ながら、我が家のテレビには延長保障費に600ドルも払ったのに、今や数百ドルの差で新品が買えてしまうのはどうにも理解できないなと。
特に10年ほど前に42インチのプラズマに1万ドル以上払った身としては、あまりに価格の差に愕然としちゃいます。
ただしさすがと言うかその10年古のプラズマは全く音大無く動いております、 当時はやはり丁寧に造るっていたんでしょうね。
2011年7月3日
いよいよ、本年も後半へ突入です。
ここ数日はカラッと晴れたた好天が続いているので、昼間は暖房も要らず快適です。
日本のニュースを見ると酷暑が続いているとか。
昨年の夏、誕生日を東京で過ごした時には、暑いの大好き人間の僕でもさすがに、「こんな時季を選んで大失敗だった」と後悔するほどの酷暑でした。
そんな暑さを思い出し、その上の「節電」のために皆様さぞ辛いだろうなと心配しております。
さて話題は変わって、昨日ネットのニュースを読んでいたら、IMFの理事が女性暴行未遂で逮捕された事件で、被害者の女性の過去が暴かれ、アフリカから米国へ移民として来た経過等について「嘘」が有ったとか。
つまりIMF理事側の反撃が始まったようにも取れるのですが、しかし記事では暴行未遂の信憑性にまでは触れていない。
こういう事件では信憑性が非常に問題なのだが、IMFの理事の場合は他にも似たような被害を受けていたという女性が何人か名乗り出てきたりして、僕は確かに理事は暴行未遂を起こしたのだと見ていた。
しかし10日ほど前のオーストラリアの新聞の記事を読んでいたら、報道内容を鵜呑みに出来ないと感じる内容だった。
その記事とは、昔の僕に日記に書いたことのあるボンダイビーチの「ケイブ・マン(穴居人)」の事なのです。
このケイブ・マンはボンダイビーチ南側の海に面した岩壁に住み始めた男の事で、勝手に持ち込んだ板切れや布を使って岩を背に小屋を作り、そこをマイホームとしてしまったのです。
勿論そこは国有地で勝手に住む事はできないのですが、地元の役所も州政府も強制的に排除せず放置状態だったので、何年にも渡って住み続けその結果ちょっとした有名人になっていた。
我が家からボンダイビーチは近いので、夏の海水浴シーズンは言うに及ばず、冬でも天気の良い日は散歩に行ったりするたびに、ボンダイビーチからタマラマビーチへ抜ける散歩道に有るその男のウォーター・フロントのビーチハウスをのぞいたりしていた。
ビーチハウスと書いたが、持ち込んだ板切れなキャンバスの布で大きな岩を利用して雨風を凌ぐようなもので、夏はともかく冬にはかなり辛い生活を強いられるだろうなと思ってみていた。
何しろ当然電気もガスも水道も無いのですから。
トイレなどは岩壁の端から尻を突き出し、海に向かって排便等をしていたはずで、風の強い夜中なんかかなり危険な行為だったと思います。
さて、昨年(一昨年だったか)のある日、その男が「婦女暴行」で逮捕の記事を読んで驚いた。
何でもそのケイブマンは散歩に来ていた若い女性をそのケイブに招き入れ話していたのだが、強姦をしてしまったとの事。
その女性から被害届を受けた警察は即男を逮捕し拘留、また同時に地元区役所は男のビーチハウスを解体し男の持ち物等など全てをトラックで撤去したのです。
勝手に国有地に、それも観光客も押し寄せる有名なボンダイビーチの一部に掘っ立て小屋を作ったりしていたので警察も区役所も忌々しく思っていたのは確かで、女性の被害届で良いチャンスとばかり男を「一掃」してしまったのです。
その記事を読んで、あのジジイそんな悪いやつだったのか、それにしてもあんな岩壁に有る掘っ立て小屋になぜその若い女性は入って行ったのだろうとも思っていた。
何しろその小屋に行くにはフェンスというか手すりを越え、岩を登って越えなければ入れないし、小屋の前は絶壁で下に広がる海まで何十メートルもの高さがある。
もしその男が狂人でいきなり突き落としたりしたら命を落とす可能性も充分有る。
だいたいホームレスが住むような掘っ立て小屋を不法に建てて住んでるその男の容姿はまさに浮浪者。
普通若い女性がそんなところに自分から行くというのも変だなとは思っていた。 よっぽど好奇心旺盛なのかと。
その男が逮捕され小屋が撤去されて1年以上が経ち、その男の事さえ忘れかけていた10日ほど前に何と男は「無罪」で釈放されたという記事が新聞に。
読んでみると、じつはこの警察に駆け込んだ女性というのがじつは精神障害を持った女で、それまでにも何度も警察に強姦被害を届けていた常習者だった。
それも全くつじつまの合わない被害状況とか、はたまた宇宙人のようなものにレイプされたなんて被害も出した事も有ったらしい。
で、警察も男を逮捕してからすぐにこの女の過去を知り、これは起訴しても有罪に持ち込めないと判断したしたのだが、何と1年近くも保留にしていたのです。
まあ確かにこのケイブマン、有名になったとはいえまさにホームレスだし勝手に美しいボンダイビーチ近くの公共の土地ねぐらに住み始めてしまったので、警察もボンダイビーチ管轄の地元役所もいずれ処分をと考えていたはずで、この被害者の信憑性が無くなった時点で、即に釈放しなければならなかったのに1年以上も放置していたのですね。
その記事を読んで以来、無実の罪に問われ、まさに社会から抹消されてしまう人もいる可能性も考えると、最近世界で大きく騒がれた、IMFの理事の起こした事件も100%報道を信じて良いものかと考えはじめていた。
というのもこのIMF理事は次期フランス大統領候補として、サルコジ現フランス大統領の強敵になる可能性が有ったので「嵌められた」のではという話も聞いていたから。
そんな時にIMF理事の被害者の女性が、麻薬密売人との交友関係が有って一年に10万ドル(800万円)近くの金銭的援助を受けていたとか、事件の前後の女性と麻薬密売人とのメールのやり取りの内容には、「このフランス人(つまりIMFの理事です)は相当な金持ちらしいぞ」というようなことが書かれているとかというのを読むと、これまたどれを信じたら良いか判らなくなってしまいます。
皆さんもご存知のウィキ・リークスのアサンジ氏にしても、リークされた多くの国の政府が彼を潰そうと躍起になっている時に、レイプ事件の問題が浮かび上がって来たり。 妙にタイミングが良すぎると僕は考えていた。
まあIMF理事にしても他の被害者が名乗りを上げたり、またイタリアの首相で未成年女子との買春疑惑とかにしても随分クロっぽいとは思えますがね。
先日Youtubeで日本のテレビ番組を観ていたら、麻生首相時代の政府補佐官がヨーロッパでの各国首脳会議に麻生首相のサポートとして昼食会に同席した時の話をしていたのだが、イタリアのベルルスコーニ首相の横に座って食事をしていたら、そのイタリア首相が携帯電話を懐から出して、麻生首相に、「ねえ、ちょっと見て見て」という風に、携帯電話に納められた画像を「これが最近見つけたガールフレンドだ」と、若いオネーさんの写真を何枚か見せたと。
いくら昼食会の席とはいえ、国の首脳同士のようなシチュエーションで旧知の間柄でもない相手国の首相に、若いネーちゃんの写真を見せびらかすという神経に驚いたと。
そんな話を聞くとイタリア首相の疑惑も限りに無くクロに近いわけで、日本だったら「即失脚」しているだろうと思うのだが、これもお国柄の違いなのか。
しかし相手を失脚させようという場合には「ハニー・トラップ(甘い罠)」等も含み「セックス」に係わる人間の悲しい性(さが)を利用するものが多いですね。
2011年6月25日
前回の日記に書いたように、バヌアツで起きた「食あたり」は全く何事も無かったように収まったと思っていたのですが、どうも体質が少々変わってしまったのか、妙に脇の下とかが痒いという妙な症状が出ています。
片方の脇の下だけなら他の原因も考えられるのですが、両腕の付け根脇の下の毛が生えているところやまた尻のというか肛門の後ろとかが痒い。
何だかアトピー性のアレルギー反応とかに似ている症状なんですよね。
じつは帰国してから撮影した写真を整理していたら、ワイフが撮影したスナップの中に、現地人が用意した「ワイワイ」という名前の料理の写真が有って、「あっ!ひょっとしたら食あたりの原因はこれだったのかも!」と思い出したんですね。
そうです、ちょうど嘔吐が始まった日のディナータイムにロビーに行くと、バヌアツ現地人の食文化を紹介する催し物が行われていて、宿泊客(と言ってもその時点では20人足らず)がそこでワインを飲みながら笑談をしてた。
立食のパーティーみたいな感じで、テーブルに並べられた数種類の見たこともないおつまみのようなものに混じって、このワイワイというのが置いてあった。
こんなんです↓。

↑
黒っぽいのはキャベツの一種で中の白い餅のようなものを包んである。そしてかなり薄い味付けのスープで煮てある感じなのですが、結構気に入って(特に食感がモチモチして)他の宿泊客は食べてもせいぜい一個だったのですが僕は4つもいただいてしまった。
ひょっとしたらこれだったかもと思います。
つまり腐ったりしたものではないが、しかし調理時の水等が原因かもと。
本当に今回は迂闊だったというか、油断していたというか、こういう物には手を出す場合は必ず服用する薬とかすっかり忘れていたんですね。
カンボジアのアンコールワットを周った時など、水道も電気も無いような道端の小屋のようなレストランで昼食を取ったり、はたまたボルネオではちょうど近くでお祭りが行われていたので見学に行った際に、屋台の焼き鳥とか平気で食べていたのですが、全く問題無かった。
だから妙な自信がついていたのかもしれないし、また加齢と共に抵抗力が落ちて着ているのかもしれません。
さてそのアトピー的な症状には関係ないとは思うが、最近夢を良く見ます。
夢を良く見たり、また全然見ない期間と言うか、僕の場合周期のようなものが有って、ここ1年ほどは夢を見ていなかった。
いや正確には見ているのかもしれないが朝起きた時にほとんど覚えていないというか、引きずる事は無かったのが、バヌアツから帰って来てからは、ほぼ毎晩見ている。
別にうなされるような「悪夢」でもないのですがしかし嬉しくなるような良い夢を見ているわけでもない。
今朝久しぶりに目が覚めてからベッドでゴロゴロしていたら、ワイフが僕の寝室に来て、横に並んで寝そべりながらいきなり「なんでペネ(というパスタ)にあんなに沢山塩を入れちゃったのよ。 塩辛くて料理が台無しだし、ほらこんなに手足もむくんじゃったじゃないの!」と。
じつはこれは彼女が僕の寝室に入ってくる直前まで見ていた夢の中での事を引きずっていて僕に文句を言っているのですが、まあこれは一つのジョークなんですよね。
「またいつもの事」だと判るので僕は「チーズを入れようと思ったが足りなかったので味付けに塩を入れたのが多すぎちゃって」と即座に返した。
ワイフはゲラゲラ笑い出したのだが、僕もよく冗談で見ていた夢の中でワイフがヘマをやったりすると、翌朝どうしてあんな馬鹿なことをしたのだと唐突に言い出したりって、お互い様なんですけどね。
で、僕が「そういえばバヌアツから帰ってから毎晩のように夢を見る」という話からいつも夢に出てくる「アパート」の話になった。
もう何年、いや何十年も前から僕の夢に出てくる「僕が夢の中で住んでいるアパート」というのが有って、朝目が覚めてからもはっきり覚えているのだがしかしそれがどこに有るのか判らない。
ワイフが「そのアパートって今まで実際に住んだ家やアパートに類似点はあるの?」と聞くが、これが全く似ても似つかないんですよね。
そんな話をしていたらワイフは自分が生まれてから現在のこの家まで「住んだ」ところを数え始めた。
彼女はシドニーで生まれてから22歳で日本に来るまでに、すでに3箇所家を引っ越しているので、東京、ロンドン、そしてシドニーに戻って来てからトータル15箇所に移り住んだ事になるのだが、僕の場合は親が全く引越しというのをしなかったので、親元を出てから11回の引越しをした計算になる。
で、じつはここまでの話が「前振り」で、今日書きたかったのは今まで住んだ家を数える時にした、この「指を曲げて数を数える」という動作です。
皆さんは数を数える時に、ひらいた手の指を親指から曲げ始めて「1、2、3、、、」と数えるとおもいます。
ところがワイフは「グー」に握った手の指の親指から次に人差し指というふうに一本ずつ伸ばし(ひらき)ながら「1、2、3、」と数えていくのです。
そう全く逆でしょ。
まさに育った環境の違いですよね。
「Inglorious bastards」という映画(ひょっとすると日本では上映されなかったのかもしれないのですが)の中で、第二次大戦中、主人公である連合軍(というかイギリス軍かな)のスパイがドイツに潜入する。
イギリスで徹底的にドイツ軍の将校に化けるために特訓を受け、もうこれ以上ないというほど完璧な「ドイツ軍将校」になりドイツに侵入する。
全く完璧なドイツ語(それもドイツのある地域の特有な訛まで完璧に模倣し)で誰も疑わない。
そしてある激戦区のレストランで他のナチ将校達と遭遇し一緒にディナーを取ることになる。
全く疑われず酒を飲み交わしながら笑談をし情報を探っている。
そのナチの将校の中に同じ訛を喋る人間がいて、話しているうちにちょっと疑い始めるのだがしかしうまい嘘で切り抜けながら話が進んでいくのだが、ほぼその晩のディナーもお開きになる頃にそのナチの将校は突然立ち上がり、ピストルを抜いてそのスパイに突きつけて「お前は誰だ、どこのスパイか?」と言い出す。
で、完璧に騙していたと思っていたそのスパイはなぜ「バレ」てしまったのかを聞くと何と「さっき話の途中でお前は数を数える時に指を握ってから数え始めた。 お前が育ったあの地域では必ず数は指を伸ばすのではなく、ひらいた手の指を曲げて数えるのだ」と。
そう、生まれ育った習慣というのは思わず動作で出てしまうんですよね。
ということは僕の想像だがほとんどの日本人は指を伸ばして数えるが、しかし必ずしも西欧人は指を伸ばして数えるのではないかも知れない。
多分西欧ではワイフのように指を伸ばすほうがマジョリティーではないかと思うが、しかし地域によっては指を曲げて数えるところもあるようです。
こないだの日記に書いた小学生の時に鉛筆を使うとかインクのペンが主だったなんて話のように、育った文化や環境が違う人間と一緒になるというのはなかなか「面白い」ものです。
2011年6月15日
何だかシドニーは猛烈に天気が悪いですね〜。
バヌアツ共和国から帰国以来、毎日雨が降っているし気温も低いままで、トロピカルなところに行っていたせいか、余計に肌寒く感じますね。
こういう時季に夏を取り戻そうと一週間ほど出かけたりすると、かえって逆効果というか、出かける前より寒さを感じてしまいます。
「食あたり」の方は、シドニーに戻った途端に何事も無かったように引っ込み、しかし体重の3キロ近い減少はすぐには元に戻るわけではないので体力も落ちているはずで、数日は弓の練習も控えようと思っています。
昨日は主治医の池亀先生のところで一応診断を受けましたが、下痢は全く起こらずただ吐き続けていたという僕の話に、彼女も首を傾げていました。
僕としては、もし食べ物が原因なら、それだけ激しい嘔吐が出たので、収まったとしても体に影響が残って、「肝炎」なんて可能性が有るのではと危惧していたのだが、それは無いとの事で安心しました。
さて、今回宿泊した「ERATAP
ビーチ・リゾート」ですが、近くに地元民の住む村がある。 で、その村へ見学ツアーが有ったので参加した。
このリゾートはたった12組の客しか取らないので、朝食の時に黒板に書いてある「本日の催し物」というのに参加しても、多くてもせいぜい6人前後なのですが、その日もたった3組だった。
ちなみにその前の日の催し物は「ジャングル・ウォーク」だったのだが僕は嘔吐で寝込んでいたので、ワイフ一人で参加したら何と他の客もいなくて、結局現地人のガイド一人とワイフのたった二人でジャングルに出かけたらしい。
ワイフは真っ黒な現地人のオジサン・ガイドとたった二人だけでジャングル奥深く数時間も歩く事になったのだが、オジサンは腰に思いっきり大きなナタのようなナイフをぶら下げていたので、ちょっとビビったそうです。
ところがこのオジサンすごく親切でジャングルウォークの途中そのナタを使って野生の果物を次々と取っては食べさせてくれたとの事。
野生の「カスタード・アップル」や「マカデミアンナッツ」、パパイヤやミカンなどなど食べた事の無いジャングルの果物を色々試食させてもらったりとても興味深く楽しいジャングルウォークだったとの事。
それを聞いて参加できなかったのを悔やんだので、その翌日の「村見学ツアー」は無理をして参加した。
村は海岸から1キロ以上内陸に入った丘の上の方にある。
その理由が何と1959年に起きた「大津波」で村が全壊して、それ以降海岸付近に住むことを諦め、丘の方に村全体で移ったからだと聞いて、日本の津波の被害についてあらためて考えさせられました。
そういう意味では大地震後の日本の復興計画にも大いに参考にしてもらいたい話ではあります。
村と言っても一応教会もあるしまた小学校も有る。
しかし村民数は7百人程だと言われたのだが、とても子供が多い。
逆に全く老人を見なかった。 これはひょっとすると1959年の大津波で亡くなった住民が多く、ほとんどの村民がその後生まれた人だからかもしれない。
村をガイドに連れられて一周したわけだが、前回の日記にも書いたように「生活水準」は僕が出かける前に想像していた以上に低くかった。
しかしそこで出会う村人の表情が何とも温和で幸せそうだった事か。
他のリゾート地で経験するようなくコマーシャリズムに全く毒されていない、素朴な良さが有りました。
10年も前に出かけたボルネオはサンダカンとかでも経験した、「観光客ズレ」していない良さというか。
それはこの村だけではなく、バヌアツ共和国の首都「ポート・ビラ」にショッピングに出かけた時にも、うるさく付きまとう物売りとかが皆無の事からも言えましたね。
じつは今回のホリデー、「夏」を求めて最初はオーストラリア国内の暖かいところ、ケアンズ方面にでもと考えていた。
そうしていれば確かに今回のように食あたりで苦しむ事もなかったかもしれないがしかし目新しさも無く、ただただシドニーから出ていただけというホリデーだったかもしれない。
その意味ではまさに「異国情緒」を大いに満喫した旅行で満足しています。
それでは今回の旅の思いで写真を。
↑一番左は僕らが宿泊したヴィラ。3つの小屋の左と右が寝室、真ん中がリビングルーム。 このようなヴィラが12軒あります。 真ん中の写真は庭から。 そして(右の写真)僕の寝室からは庭の向こうに海が。
↑庭の向こうは海で、砂浜は珊瑚の砂で白く、海の色が映えます。
右の写真は村へのツアーで典型的な民家の一つ。
↑村の子供は笑顔が可愛いです。 右の写真は首都のポート・ビラに出かけた時、土地の女性達が着飾っているので聞いたら「これから結婚式の披露宴へ出席する」とバスを待っておりました。
左の4人はユニフォームのように同じ色の服を着ていますが、祝いの席ではそういうのを着るのが習慣なのかも。
2011年6月12日
昨晩「南の島」より生還いたしました。
「失われた夏」はしっかり取り戻せたのですが、しかし到着二日後の夕食で食べたシーフードの何かが悪かったのか、夜中に不快感で目が覚めて嘔吐が始まり、その後約2時間毎にトイレに駆け込む状態に。
結局朝まで続き何度嘔吐を繰り返したかという状態だったのですが、なんとも不思議なのは、普通なら下痢も始まらなければならないと思うのだが、これが一向に無い。
ただただ「嘔吐」を繰り返すばかり。
食あたりの場合は嘔吐が有れば、腹も下るのが普通だと思ていたのだが、いったい何が悪かったのか。
で、この「食あたり」がしつこく、夜が明けて一日経っても一向に収まらない。 嘔吐の回数はかなり減ってきても、水を飲んだだけでも吐き気が戻って来る始末。
結局約3日間ほとんど何も食べず、寝てばかりいました。
しかし仕事で出かけたのと違い、元々暖かいビーチで日光浴をしながら読書、そして体が熱くなったら泳ぐなんてことを期待して出かけたわけで、その意味ではまさにピッタリなところに宿泊していたので、体調を崩しても充分楽しめたのは事実です。
ワイフが出かける前のホテル選びで、「Eratap」というエクスクルーシブなところを見つけた。
町からもちょっと離れているので観光客等が沢山いるわけでもなく、その広大な敷地にたった12組のお客しか取らないリゾートで、各部屋はヴィラ形式で独立している。
そのヴィラが12戸あって、それぞれ全てがビーチに面している。
で、僕らは(常に予約の時に可能ならば)ツインベッド・ルームを頼んだら、何とその12戸ある中で最大のヴィラが僕らのために用意されていた。
僕らはもう一緒のベッドで寝る歳でもないし、また神経質な僕は同じベッドで寝返りを打たれただけでも目が覚めてしまうので、何年も寝室は別の生活を続けている。
だから旅行でもホテルを予約する時には必ずツイン・ベッド・ルーム、できれば寝室が別を望むわけなのだが、何と今回もらったのは3ベッドルーム(3寝室)だった。
大きなマスターベッドルームだけでなく、他の寝室も全てキングサイズのダブルベッドが入っていて、またリビングルームも広く延べ床面積は200平米近くも有ったのではないかと思います。
そしてそれぞれの部屋から綺麗な庭の芝生の向こうにビーチが見える。
何もせず、庭のデッキチェアーでボケ〜っとしながら、トロピカル特有な青い空と流れていく雲を見ていると、なぜか子供の頃風邪を引いて学校を休み、縁側に寝転びながら青空を見上げていたシーンが蘇ってきた。
そんな頃を思い出しながら、横のデッキチェアーで本を読んでいるワイフに、「ねえ、小学校の頃っていつも鉛筆を使っていたでしょ? シャープ・ペンシルを使ったのはいつ頃?」と聞いた。
と、ここで意外な返事が返って来たのです。
まず最初に驚いたのは「何? そのシャープ・ペンシルって?」というものだった。
そうか、昔僕がボールペンと言ってもすぐに通じなくて、「あ、バイロね」なんて言われたのは覚えているが、英語圏でで暮らしてもう40年近くにもなるのに、シャープ・ペンシルが英語でない事を知る機会が無かった事実にビックリしてしまった。
今のオーストラリア人のワイフと一緒になってもう40年を超えるのに、今まで一回も日本語で言うところの「シャープ・ペンシル」の話が出なかったんですね。
僕が小学生の確か3年だったか4年生の時だったか、同級生の渡辺君がある日学校に見た事のないシャープペンシルを持って来た。
それはそれまで見た事のある「軸を回して芯を出す」タイプではなく、いわゆるノック式というのかペンの頭の部分をカチカチと押して芯を出すタイプで、子供の頃から「メカ」には何でも大変興味の有った僕は思わず欲しくなった。
さっそく父に欲しいとせがんだら、僕の欲しいそのノック式のではなく超安物の平凡な回転式の、それも何とも酷い色(緑色)のを買い与えられた。
僕はそのノック式の構造に非常に興味が有るからどうしても欲しくなったので父にお願いしたのに、父は全く理解せずただ単にシャープペンシルが欲しいのだろうとばかり、会社帰りにどこかの文房具屋で超安物のペンを買って来てしまったのだが、それは欲しいのとは違うと言っても、面倒くさいのか「それで我慢しなさい」の一言で結局僕の欲しかったペンは当分の間手にする事はなかった。
そんな子供の頃の思い出をワイフに話したら、何とオーストラリア人のワイフもそのノック式のシャープペンの英語名称が判らなかったのです。
軸を回して芯を出すのは英語では、Propelling pencil
(プロペリング・ペンシル)と言うのはすぐわかったのだが、それは軸をプロぺリング(回転)させて芯を出すのから来ているようで、それならノック式はそのプロぺリング(プロペラ)は当てはまらない。
英語名はあるのだろうがすぐにわからないんですよね。
「確かに子供の頃にそのタイプのペンも見た事は有ったけど、しかし持っていなかったし、大体小学校では誰も使わなかった。 鉛筆でさえほとんど使わなかったから」という、またまた驚くべき答えが返ってきた。
「え? 小学校で鉛筆を使わなかったの?」と聞くと、「そうね、まあ算数の時間は使ったかしら。 でもそれ以外は全てインクを使って書いていたから」と。
「小学校ではそれぞれの生徒の机に陶器で出来たインク壺があり、毎朝当番の生徒が各机を回って大きなボトルからインクをその壷に注いで回るのが日課になっていたのよ」なんて、日本育ちの僕には全く見た事も聞いた事も無い話を始めたのです。
だからわざわざプロぺリング・ペンを購入したりする必要も無かったのだとか。
まあ、昭和22年生まれの僕にとって小学校の頃は日本もまだ大変貧乏ではあったが鉛筆は当たり前のように使っていた。
しかしワイフの言うような、「ほとんどの授業はインクのペン」ってのは無かったですね。
これはただ習慣の違いかもしれない。
つまり日本には「お習字」というのがあったように、オーストラリアではそういう訓練も兼ねてわざわざインクを使って書かせていたのかも知れません。
それにしても朝インク壷に注いで回る当番なんて話、やっぱり育った国が違うと随分と違うもんですね。
ちなみにワイフと僕は同年なので年代の差ではないです。
それにしてもなぜ日本ではシャープペンシルというようになったのだろうと、今この日記を書く前にググってみたら、名前の由来は早川金属工業(現在のシャープ)が開発した商品名が名前の由来になっていて、そのシャープペンシルで通用するのは世界で日本と韓国だけであると出ていますね。
同年代のワイフでも生まれ育った国が違うと全く聞いた事の無い話が時々出てきて面食らったり、また非常に興味深かったりって事がありますが、それより40年も一緒に生活していてシャープペンシルの話ってのは一度も出た事がなかったってのも面白いですね。
さて話は大いに飛んでしまいました。
今回のバカンスですが、どうも「バヌアツ共和国」ってのを甘く見ていたようです。
今まで僕は「水あたり」や「食あたり」で言えばボルネオ、カンボジア、インドネシア、ベトナム、タイ、トルコとほぼ問題無く「制覇」してきていたので、大いに油断していたというか。
たった7日間の旅行というのもあったので、ろくに薬も用意せずまた現地に着いてからも、当然水はペットボトルのしか飲まなかったのですが、しかしジュースには氷は沢山入っていたし、また危険地域に出かけるときには歯を磨いても口をゆすぐのはペットボトル入りの水というほど注意深かったのだが、今回は忘れていた。
また必ず旅行に出る時には、抗生物質や下痢止めなどの薬も持参して出かけていたのだが今回は何も持たずに出てしまった。
で、現地バヌアツの空港に到着し、迎えに来たホテルの車を見てまず驚いた。 何とキャブオーバーというトラックなのです。
かなり高級なホテルなのでまさかトラックが来るとはと思って乗り込んだのだがその理由がすぐにわかった。
そう、道路が穴だらけなのです。
舗装されているところでも、大きな穴が開いていたり、また我々のリゾート地へ行くには途中から未舗装になるのだがこれがもう驚くほどのガタガタな道で、場所によってはそのトラックでも速度を時速10キロ以下、まさに人間が歩く速度で通過しないと揺れが激しくて座っていられないところ等が有ったりして、まともな乗用車ではすぐにサスペンションがいかれてしまうんですね。
それにしてもこのバヌアツという国、インフラ等も含め国民の生活レベルとかは10年も前に出かけたボルネオよりも劣っているほど、少なくとも10年前の「サバ」よりも低く、「サンダカン」並みで、それくらいのところだから「水道水も飲めるはずですよ」なんて言葉をうっかり信じてしまった僕が愚かだったようです。
その昔インドネシアはバリなんかにも二度にわたって出かけ、用意周到で行ったので全く腹の問題は無く大いに楽しむ事が出来た。
今回も自分の不注意でもっと楽しめるところを半分くらい台無しにしてしまいましたが、しかしリゾート地としての「バヌアツ共和国」は日本の友人にお勧めしたいですね。
何しろトロピカルな暖かさがちょうど一番良い季節だったのか、暑過ぎず非常に快適でした。
7月、8月ならちょうど南半球側のバヌアツは一番涼しい季節で、日本の酷暑を避けて過ごすには最高のところだと思います。
絶対にバリよりは過ごしやすいです。
続く
2011年6月4日
明日(6月5日)から一週間ほど、「失われた夏」を求めて南の島に出かけます。
シドニーは暦の上では6月1日から冬なんですけど、ここ数日は天気が良くて本格的に寒いわけではない。
だから「夏を取り戻し」に出かけるのならもう少し寒さが厳しくなってからの方が有難味が多いのでしょうが、しかしワイフのテニスコンペのスケジュールでたまたま来週が空いたのです。
どこか暖かいところに出かけようかと色々調べていて、最初はオーストラリア国内を考えていた。
しかし国内旅行と言ってもそれ程安いわけではないし、考えられるところ(ケアンズやダーウィン等)はすでに行った事がある。
どうせ出かけるならまだ行った事がないところがよろしいと、南太平洋の島々を見ていて結局「バヌアツ共和国」にした。
この国は人口が約25万人ほどだそうで、小さな島々が集まった小国なんですね。 フランス領だったり、独立運動が有ったり、イギリス政府に所属したりと紆余曲折の結果、現在はなかなか安全な国になっているとか。
今回はカメラ機材しっかり抱えて出かけ、うんと楽しんで来ようと思います。
さて、話題は変わって先週母にSKYPEで電話をかけようとしたら、繋がらない。
繋がらないと言うよりも、スカイプを立ち上げようとしてもエラーが出て強制終了してしまう。
PCを再起動かけたり、また一旦スカイプをアンインストールした後またインストールしなおしても結果は同じ。
いったいどうしたのだろうと色々調べるとiPadでは何の問題も無くスカイプが使える。
こりゃ〜ひょっとすると、最近僕のPCにインストールした無料の動画ダウンロード系ソフトウエアーの出来が悪くて悪さをしているのではないかと考えた。
そのソフトは「Craving Explore」という名前のソフトで、Youtube上のお気に入りの動画をダウンロードして、iPadに入れるために使い始めた。
で、そのソフトを削除したり、また日にちをさかのぼって、修復をかけたりしたが全く問題が改善されない。
で、グーグルで同じような問題が発生していないかを検索しても出てこない。
そこでふと「ツイッター」でスカイプを探せば何か手がかりがあるのではないかと思いついた。
さっそくツイッターの検索で「SKYPE」と入力するとスカイプのオフィシャルツイッターがあるのを発見。
読んでみると、たった1時間程前のツイッターで「ごく少数のユーザーの間で不具合が発生しているが、現在回復に向けて作業中」とある。
(ツイッター上ではごく少数のと有ったが、しかし日本語スカイプ・ユーザーはかなりの数が不具合を受けていたらしい)
さすが「ツイッター」ですね〜。
新聞等のメディアよりも早いのが特徴のネットのニュースの良さですが、ツイッターの情報はそれよりまだ早いだけでなく、変に編集されていない生の情報ですから。
ちなみに僕はF-1のレースでもコースサイドからのツイッターで情報を得る時があって、特に雨が降り始めたなんて時にはコンディションの変化等非常に良く判ります。
さてそのツイッターのお陰で、とりあえずは僕のPCの問題でない事が確認できたので一安心はしたが、これが数時間待っても回復しないんですよね。
先日の日記にスカイプがマイクロソフト社の買収される事になって何だか嫌〜な感じと書いたけどさっそくこれですもんね。
で、待っても埒が明かないのでツイッターの記事からリンクをたどってこの問題の直し方を見つけ、結局プログラムファイルの中に入っているある特定のファイルを削除する事で解決に至ったのだが、僕はかなりしらけてました。
ところがもっとしらける事が発生したのです。
スカイプはツイッター上で問題の解決を含むアップデートが出来たと書いているので、さっそくスカイプをアップデートしたら、何と「勝手」に欲しくもない「Easy
Bits Go」というインターネット上でゲームができるというソフトがインストールされてしまったのです。
僕はインターネット上でゲーム等をやる気はさらさら無いから、もしスカイプアップデート時に「このゲームソフトもお勧めです、インストールしますか?」と聞いてくれば「No」をクリックしてインストールされないようにするのですが、何と層のような選択は一切無く、アップデートが終わってみたら勝手にこのゲームソフトがインストールされていてデスクトップにはショートカットまで出来いているしまつ。
その上勝手に立ち上がって来て、このソフトがインターネットアクセスを要求していますなんて表示が。
こんなソフトが常に立ち上がっていたら余計重たくなってPCが鈍くなるので、アクセス拒否をしたのは当然だが、なんとも腹立たしい。
そこでアプリケーションの削除をしようとしたら、何と削除の項目に出て来ないんですね。
こりゃ〜まるでたちの悪いスパイウエアーのようなものではないかと、さっそくググって削除の方法を見つけた。
で、削除してみると何とこのゲームソフトが他のアプリまで悪さしていたのが判った。
じつは僕はPC
のデスクトップ画面にグーグルサイドバーというのを表示させて、僕のPC内に有る大量の写真からアットランダムに選んでスライドショーを楽しんでいる。
何かPC
で作業をしている時にも常に昔出かけたベトナムはホイアンの景色だとかが15秒毎に更新されて行くのです。
今この行を書いている時には、ダーウィンからカカドゥーに抜ける途中のモーテルの部屋の写真だったり。
で、何を言いたいかというと、たまにその右側に小さく出ている写真をもう少し見たくなり、それをクリックするとPC画面の中央に大きくなって表示される。
ところがこの挙動が先週からおかしくなっていた。
どうおかしくなったかというと、クリックすると一応写真は大きくなるのだが、作業中の他のウインドウの後ろにしか表示されないのです。
つまり、インターネットエクスプローラでネットサーフィンしていたり、またワードやエクセル等他の作業をしている時にクリックすると、大きくなった写真はIEやワードやエクセルの画面の後ろにしか表示されず隠れてしまっている。
まさかこれがスカイプとは関係あるとは思えなかったのだが、しかし上記のゲームソフトを削除して再起動したら何とこの問題が嘘のように消えていてまたちゃんと写真が表示されるようになっていたのです。
今回のスカイプの通話トラブルの時にも、マイクロソフトがオーナになったらこんなことばっかりだというような書き込みがありましたが、僕はこのゲームソフトの方がもっとたちが悪いと思います。
がっかりですね〜。
なにしろ僕のように外国に住んでいる人間で日本への連絡だけでなく、我が娘もイギリス在住で、ヘビー・スカイプ・ユーザーなので、マイクロソフト社が今後スカイプをどうして行くのか心配でしょうがない。
では
バヌアツから帰ったら写真をアップします。
2011年5月31日
一昨日の日曜日、ボンダイジャンクションで地元の区役所がコンピュータ関係のゴミを引き取ると地元の新聞に出ていたので、10日ほど前から積もりに積もった古いPCのケースから始まり部品を整理始めたら、何と奥の方からミノルタ製のスライド映写機が出てきた。
自分がスライド映写機を持っていたことさえ忘れていて、開けてみると僕がまだ日本に住んでいた頃に購入したと思われる、100ボルト用の古い映写機。 という事は40年は経っているはずで、はたして中の電球が切れてしまっているのじゃないかと恐る恐る変圧器を使ってスイッチを入れると見事働く。
さすがブランド品、40年も前なのに新品のごとく!
ということで前から整理しなければとは思いつつも、映写機が無いために手付かずになっていた古いフィルムを引っ張り出してきた。
昔僕はあるカメラマンの事務所でアルバイトをしていた事があったので、写真を撮る時にはネガフィルムを使わず、ポジティブのフィルムを使っていたのです。
ところが40年前後も経過したフィルム達はカビが発生してしまっていた。このままではもっとカビが酷くなって見る事さえできなくなってしまうのではないかと、映写機で確認の上、どうしても残したい大事なものはスキャナで取り込んでデジタルで残す事に。
ワイフと二人でオンボロBMW(2002Tii)を駆ってイギリスからフェリーでドーバー海峡を渡り、フランスをパリからリオンと南下してスペインに入り、バルセロナからマドリッドと旅した時の写真などは当時焼いて(プリント)いなかったので、一枚一枚スキャナをかけながら当時の事が蘇ってきていや〜懐かしさ一杯でした。
1974年に最初に住み始めたノッティングヒル近くの家は、職業カメラマンと元モデルのワイフが住む一軒家だった。
その家は元々二世帯が住めるようにデザインされているので、一軒家をシェアーしているという感じではなく、階下に住むその大家であるカメラマンとは顔を合わせることも無かった。
僕の想像では、まだ30歳をちょっと過ぎたあたりのカメラマンは、その一軒家を購入したがローン返済が大変なので、上階(3階建ての一軒家で2回3階を僕らが借りていた)を貸し出したらしい。
僕らも若かったので、真夜中まで大きなスピーカーで音楽をかけていたりしたが、さすがカメラマンという職業柄か彼もけっこう夜更かしで、文句を言われた記憶が無い。
たまに階下にある庭を見ると、元ヌードモデル(と本人から聞いた)の奥さんがビキニの上をつけずに日光浴をしていた。
さすがにヌードモデルをしていただけあって、かなり立派な胸を焼いていたりなんて事も思い出しながら、その家で撮影した写真を見ていたら、もうすっかり記憶から消えてしまっていた事が多いのに自分も年を取ったと実感させられますね。 (1974年頃の事です)
その家の前で撮影したイギリス生活で最初に購入した車(紅いオースティン1300)の写真等も出てきた。
この車の写真はプリントしたもの等一切無かったので、スライドで残っていたのも知らなかった。
最初はミニを買おうと思っていたのだが、しかしあまりに小さくて、仕入れた服等を運ぶにも少々難が有ると思い、同じメーカーのミニを胴長にしたようなオースティンを手に入れたのだが、これがからきし雨に弱くって閉口した。
今考えると、これらのイギリスの伝統あるメーカーが消えていったのは当たり前だと思うほど、とにかく信頼性に乏しく雨の多いイギリスのメーカーがよくもまあ雨に弱い車を設計したものだと驚かされた。
当時の車は点火装置がデストリビューターという装置によって各シリンダーに配置されたスパークプラグに電気を配分していたのだが、そのデストリビューターが、エンジンの前、ラジエーターのすぐ後ろに配置されていたので、走行中に強い雨が降るとそのデストリビューターの中まで湿気てしまい、スパークプラグに充分な電気が送られない。
だからエンストということになるのだが、雨の中ボンネットを開けて、デストリビューターの蓋を外し一生懸命拭いて乾かそうにも簡単に乾いてくれずなかなかエンジンがかからない。
ある日ロンドンに訪ねて来ていた義理の母親がオーストラリアに戻る日にヒースロー空港までこのオースティンで送っている途中、高速道路(M4と言ったっけ?)で前を走るバスの水しぶきを浴びてストンとエンジンが止まってしまった。
慌てて路肩に止まり、一生懸命デストリビューターを乾かすもなかなかエンジンがかからない、このままでは飛行機に乗り遅れてしまうというので僕のワイフは高速道路を走ってくる車を必死で止めて、事情を話しまるでヒッチハイクのようにして義理の母と一緒に空港に駆けつけた。
そしてワイフは見送りを済ませた後、空港からロードサービスに電話をかけ高速道路の途中で止まっている僕の救助をお願いした。
デストリビューターが乾けばまたあっけなくエンジンはかかるのですが、これに懲りた僕はその車は半年もしないで次の車に替えた。
その次の車というのが上記のスペインに行ったBMWなのですがこれがまた故障の多い車でしたね〜。
BMWの問題を書くと長くなるので省略しますが、信頼性という意味では決してドイツ車といえども高くないです。
特に電装関係が弱いと思います。
それは今僕が乗っているメルセデスにしても、またワイフが乗っていたBMWの5シリーズにしても、こんなにも早く交換しなければならないのかと驚くような部品が結構簡単に駄目になったり。
オーストラリアに移り住んでからも「Sクラス」にも乗ったけれど、やはり電装関係には本当に苦労させられました。
新車のSクラスで購入一ヶ月後にもうエンジンがかからなくなり、これもスパークに電気が行かないというトラブルで、夏の炎天下に駐車していると起きた。 ほぼ30%くらいの確率で起きたが、メルセデスがレッカー車で引取りに来る頃には(すぐに来ないので)日が翳っていたりで、また何事も無かったかのようにエンジンがかかる。
何度も何度も問題は起きたが、しかしメルセデスは原因解明が出来ず、結局理由が判明したのは約1年後でした。
炎天下でダッシュボードが熱くなると、中の回転計(タコメーター)に繋がっている配線の接触不良が起こり、回転計が動かないと車載コンピュータは何かの異変が起きていると判断して、燃料ポンプを止めてしまうという流れでエンジンがかからない。
正確には一旦エンジンが1〜2秒かかるがすぐにエンスト状態になる(つまり燃料が送られないから)。
と、話が車の事に飛んでしまいました。
このスライドをスキャンした話は別の機会に書くとして、この日記の冒頭で書いたPC関係のゴミ処理の日ですが、行ってみるとPC関係だけでなく電化製品も引き取ってくれる事が判り、すぐに帰宅して古いテレビやヴィデオレコーダーなども持って行った。
空いている部屋にぽつんと置いてあった、ロンドンに住みに行った娘が使っていたソニー製テレビなのだが、ブラウン管方式のもので、とうとう我が家からブラウン管方式のテレビとヴィデオ(テープ)デッキが姿を消しました。
ブラウン管方式のテレビもまたヴィデオももう随分長い事使っていなったのだがなぜかそのまま捨てずにあったわけだが、それらがすっかり消えた後の部屋を見ながら時代を感じてましたね〜、アナログの時代の製品がどんどんと消えていくという感慨。
いま日本ではデジタルの薄型テレビが異常なまでに安くなっているという。
どうやら日本ではエコポイント制が終わったり、また大震災の影響で買い控えが多く、在庫を抱えたメーカーの意向で、激安ともいえる値で販売されているらしいですね。
2011年5月15日
すっかり冬らしくなったシドニーです。
今年は例年に無く寒いと先日の日記に書いたけれど、やはりというか先週はシドニーで最も寒い5月を20何年ぶりかで更新したとかラジオで言ってました。
本当に地球温暖化なのだろうか。
さて、
F-1のウエブサイト、http://www.planet-f1.com/ を読んでいたら、オーバーテイク(追い抜き)名人と評判の我が日本の「小林可夢偉」選手のインタビュー記事が出ていて、「オーバーテイクの秘訣は?」と聞かれ、
「僕は日本人なので目が小さい。 だから他のドライバーが良く見えないので簡単にオーバーテイクが出来ます」なんてユーモアタップリに答えている。
勿論彼は英語でインタビューに答えているわけで、彼の英語力はもとより、ユーモアのセンスに僕は嬉しくなってしまった。
近年日本人のスポーツ選手の中にも、堂々とインタビューに答える事ができる選手が増えていますが、英語を駆使してユーモアある答えをするというのはそれだけ余裕があるわけで、モータスポーツの頂点であるF-1という桧舞台で萎縮せず、他のドライバーと対等にバトルを繰り広げているのも「なるほど」と感じさせられます。
いつだったか日本のラジオ番組を聴いていたら、片山右京選手の番組に小林選手が出ていた。
その中で「レースでのアプローチの仕方」という話になった時に、片山選手が「え〜っ!!!」と驚くような答えが小林選手の口から出た。
僕はかねがね、日本人のF-1
選手というのはどうも海外に出た時に萎縮するというか、いわゆる「外国」に呑まれてしまっている心理状態というのが多かれ少なかれ有って、結果に影響が出ていると思っていた。
何しろ日本人の選手がシートをもらえるのは日本の自動車メーカー等の強力な後押し等もあり、どうしてもチームのナンバー2ドライバーという立場だったりも関係するのでしょう。
しかし人を押しのけてでも前に出るというのがそもそも「レースの基本」ですから、相手を呑みこんでしまう様な図太い性格は大いにプラス。
F-1現役だった頃の片山選手は日本人の選手の中では珍しいかなりアグレッシブな走りを見せる選手だと思っていた僕ですが、ラジオ番組の中でその片山選手でさえ「へ〜っ!!!」と思わずもらしてしまうほどのアプローチに対する考え方に僕は、もし小林選手が良いマシーンとチャンスを与えられたら、お立ち台の真ん中に立てる(つまり優勝するということです)最初の日本人に成れるのではないかと。
で、ここからが本題です。
今年のフェラーリはマシーンの開発がうまく行かず、アロンソでさえ優勝へは道遠しといった状態ですが、特にナンバー2ドライバーのマッサはそのアロンソに大きく離されている。
あの痛ましい事故の後遺症がやはりどこかに残っているのか、どうも前よりも輝きが無いというかピリッとした走りが無い。
ということは弱肉強食のF-1の世界ではすでに2012年度のストーブリーグは始まっていて、どうもオーストラリアのマーク・ウエバーがマッサの後釜に、なんて話も有るようです。
じつは僕はもしマッサがシートを失うのなら是非ともフェラーリに小林選手をと考えています。
今やF-1でもトップレベルのアグレッシブな走りは、イタリアンの心情にこれほどピッタリな選手は無いと思っている。
「2012年のフェラーリドライバーに可夢偉を」ってキャンペーンを誰かやってくれないですかね。
絶対にマーク・ウエバーよりもフェラーリにピッタリな走りをするのは、小林選手でしょ。
小林選手のポテンシャルの高さは今のチームのボスであるペーター・ザウバー氏も充分判っていて、他のチームに持って行かれてしまうのではないかという危惧を抱いていて、まだ2011年度が始まったばかりなのに来年の契約を推し進めようとしているらしい。
サインをしてしまうと、他のチームへの移籍はなかなか困難になるので、是非ともフェラーリなどの優勝のポテンシャルの有るマシーンを持ったチームへの移籍を願っている僕としては、気が気では有りません。
良いマシーンに乗ったら必ず勝てる可能性を持った初めての日本人のドライバーなのですから。
ソフトバンクの孫さん、地震復興に100億円だそうですが、小林選手のスポンサーとして、彼に優勝させるチャンスを作ってくれたら、「超明るいニュース」として、喜ぶ人も多いと思いますよ。
可能性無いかな〜。
2011年5月11日
少しずつ、平常な生活に戻りつつあります。
と、書くとまるで災害にでも遭っていたようですが、一ヶ月にも及ぶ山口県の母のところでの生活は、とても「非日常的」というか僕のオーストラリアでの生活のペースからかけ離れていて、衣食住何をするにも非常にフラストレーションが溜まったものです。
「衣」については、旅行カバンに入るだけしか持って行かなかったので、限られていた。
それも冬から春とシーズンをまたいでいたので、とうとう山口県は「萩」に有るユニクロに行って足りないものを購入もした。
「食」は前にも書いたように、欲しい食材や調味料が無かったり限られていたり、そしていざクッキング始めると、調理器具が使い慣れていなかったり、欲しいサイズの鍋等が無かったり。
その上、流し台や調理台がオーストラリアと比べて極端に低い。
確か神奈川の妹の家の方がオーストラリアほどではないが、はるかに高さがあった記憶があるので、田舎の高齢者向け住宅として規格内で最も低く設計されているのしれませんが、あまりに低いのですぐ腰に来てしまう。
腰痛持ちの僕には辛いですね〜。
ただし、肉や野菜などの食材に関しては日本の方が断然素晴らしいという物が多いのも事実ですね。 日本の果物に関してはちょっと考え方が変わってしまったと昨日の日記に書いたけれど、しかし野菜はもう比較にならないほど日本の方が美味しいものが多い。
挙げていったらきりが無いのだが、特に女房が絶賛するのが「きゅうり」で、あの風味、パリパリとした食感、形はオーストラリアのレバニーズ・キューカンバーに似て入るが、もう段違いに美味しい。
日本人にとっては、もう当たり前になってしまっているのかもしれないですが、世界一ですね。
玉ねぎにしても、オーストラリアのはいくら選んでも外側の方が硬くて、かなり剥いて捨てないとどうしようもないものが多いのだが、日本のは本当に歯ごたえもあるのに硬くなく、甘みも多い。
その上、調理しても火を通し過ぎたかなと思うような場面でもまだ「サクサク感」が残っていて、いわゆる「タレない(ダラっとしない)」のです。
他にもキャベツや、もう本当に挙げていったらきりが無い。
特に今回は田舎という生産地に近い場所だったために取れたてを賞味できたので、よけい美味しさが際立ったのでしょうね。
さて、「住」に関して言えば、狭いところに3人で寝起きしていたので、夜中に誰かがトイレに立つと起こされてしまう事も多いし、トイレや風呂場が一つという暮らしも、考えてみるとオーストラリアの一般的な「家」では逆に珍しいわけで、そんな生活に慣れてしまった僕にはやはり「我慢」を強いられる。
何しろ僕は朝食後ゆっくりトイレに入るのが習慣になってしまっている。
特に最近はiPadを持参で行くのが増えて、メールチェック等をしたいのに、他の人がいるとそうも行かない。
だから衣食住全てが違う環境での生活というのは、特に被災地の避難所生活なんてどれほど地獄か思い知らされますね。
本当に同情いたしますね。
さて、オーストラリアに帰って来てトイレに入るたびに「あ、オーストラリアに戻ってきたんだ」と感じるのは、便座がヒヤっとするから。
そう、日本ではもう当たり前になってしまっている、ウォッシュレットと暖かい便座、我が家にはというか、オーストラリアではいまだほとんどありません。
オーストラリアはもう秋から冬という気候で、便座の冷たさが身に染みます。
そして今年のシドニーの秋は例年以上に寒く感じます。
4月中は非常に雨が多かったらしいが、太陽が出ない日が多かったので大地が例年以上に早く冷めてしまったのか。
さて話は変わって、僕がオーストラリアに戻って来た日に「ビンラーデン」殺害のニュースが。
そのニュースに接して最初に感じたのは、ビンラーデン支持派による報復テロが起きるのではないかという危惧。
もしテロリスト達が日本の原発問題を把握していたら、攻撃目標を世界貿易ビルのような大きな建物よりも、もっと手の付けられない状態になる可能性の有る原子力発電所を狙うのではないかと。
今の福島原発の状態を見ていると、原子力発電所がテロの目標物として狙われた場合の恐ろしさは計り知れないのではと。
こちらのニュースを見ていると、ビンラーデンの影響力は今やそれ程でもなくなっていたとか書いてあるが、しかし僕は彼の写真を見るたびにある種の「カリスマ」を感じさせる容姿だといつも感じます。
チェ・ゲバラ等と共通するある種の雰囲気が有るように感じますね。
またまた話題を変えて、昨日のIT関連のニュースを見ていたら、マイクロソフト社がスカイプを買収と。
そのニュースを見て僕はなんとなくいや〜な感じ。
なぜなら、まずスカイプがマイクロソフト社の手中に入ったら、iPadやiPhone向けのスカイプの開発が止まってしまうのではないかという事。
ニュースを読んでみると、案の定今後スカイプはOUTLOOKやXBOX等との融合を考えているとの事。
僕はその両方とも使わないのでちっとも恩恵を受けないし、またMS社の商業的姿勢がどうも気になる。
これがもしグーグルによる買収だった方が、僕にはなんとなく「安心」というか、この「いや〜な感じ」てのが無いのではと。
何かグーグルの方がアップルにもMS社にも同等な距離をおいて物事を進めそうに感じるのは僕だけでしょうか。
スカイプから電話(ランドライン)への通話料とかも、何か上がりそうな危惧も。
今回の旅行で僕は東芝ノートブック型PC とiPadを使って比較したのですが、完全に「旅行にはiPad」と決まりました。
そして将来的にはメインのデスクトップコンピュータもアップルの導入も考え始めているのですが、僕にとってスカイプはインターネットをするうえで、大事な要素の一つになっているので、スカイプがMSの手に落ちたというのは、あまり嬉しくないです。
何しろイギリスに住む娘や日本の母にスカイプを使う頻度は物凄く多いですからね。
最後にiPad2を購入後、日本の書籍を読みたいと、日本製のAPPを入れようとしたが、出来ないという問題について前の日記に書きましたが、結局日本に到着後にネットにアクセスしても同じ問題が継続していた。
結局日本にいる友人から「アカウントがオーストラリアになっているから駄目なのでは。 アカウント情報、つまり支払いの情報なども含めて、日本の住所を使えば出来るのでは」と言われ、日本の銀行発行のクレジットカードに変更、また請求先も妹の住所に変更したら、今まで絶対に入れなかった日本のAPPストアーで簡単にインストールに成功しました。
G君ありがとう。
雑誌オンラインのソフト以外にも、i文庫HDも入手、楽しみが倍増です。
それにしても、いまだ解せないのはオーストラリアで使っている「英語版のウインドウズ」でオーストラリアから日本にアクセスしてダウンロードした無料のソフト(雑誌オンラインのです)がなぜアップルの場合ダウンロードさせてくれないのか。
著作権とか問題が有るのならウインドウズでもダウンロードできないはずなのに。
で、一旦iPadで出来てしまったら、オーストラリアに戻った後もいくらでも日本専用のAPPとか問題無くインストールできてしまう。
この辺は試していませんが、もしオーストラリアに帰国後にまたオーストラリアの住所やクレジットカードに変更したらすでにインストールしてあるソフトを使って書籍等を読むのが出来なくなってしまうのだろうか。
失いたくないので僕は怖くて試せませんが。
2011年5月7日
月曜日に帰国してからはや一週間。
納税手続きや車の車検等、溜まっていた事を片付けていました。
一ヶ月の不在でも、随分といろいろな事が溜まるものです。
ようやくそれらも一段落したので本日は庭の手入れを。
伸びてしまった芝や、庭に生えているバナナの木が随分延びてしまっているので伐採していたら、黄色く色づいたバナナが数本残っているのを発見。
半分ほどは鳥か、またはポッサム(有袋類の動物です)がつついたのでしょう。
この家を購入した時から、バナナの木が数本生えていたのだが、べつに珍しいものでもないし、しょっちゅう延びてうっとうしいくらいのなので、バナナの実が付いてもいつもそのままなのですが、随分美味しそうに黄色く色づいているので思わず一本剥いて食べたらビックリするほど美味しかった。
じつは今オーストラリアではバナナは異常なまでに貴重品なのです。
僕は今年日本で過ごす事が大半だったので、すっかりクイーンズランドの洪水の事や、またサイクロン(台風のようなものです)の被害を忘れていて、スーパーでバナナを買おうと思ってその価格に目を剥いてしまった。
一本数百円にもなるほどの値段に、慌てて手に取ったバナナを戻したほど。
どうしても必要でもなかったので。
そんな状況なので、普段は見向きもしない庭のバナナを食べたのですが、メチャクチャ美味い。
これは、自然の中で育っているからなのか、店で売っている大量生産のバナナとかなり違う味がする。
どっちかというと、カンボジアの田舎の道端で販売されている小さなサイズのバナナに似ているかもしれない。
そのバナナを食べながら今回日本に行って食べたフルーツについて書いてみたくなった。
僕は長い間、日本のフルーツは世界最高に美味しいという確信を持っていた。
ところが今年は長い間日本に滞在して種々のフルーツを口にして、少々考え方が変わってきたのです。
日本のフルーツが美味しいのは生産者が品種改良に切磋琢磨し、外国では味わえないほど甘いフルーツが生産されるようになったと僕は思うのですが、しかし今回日本で「ちょっと待てよ」と思いはじめた。
イチゴを例に挙げると、オーストラリアのイチゴと比べると、「色」「形」「甘さ」どれ一つとっても、もう比較にならないほどに素晴らしいのは確か。
しかし今回は田舎に滞在していたために、親戚等から多くのイチゴをいただいて毎日のように食べる機会が有ったのだが、すぐに飽きてしまった。
僕はイチゴは大好物だと思っていたのだが、なぜ飽きてしまったのか考えたのだが、日本のイチゴは確かに「甘い」のだが、味に深みが無いというか。
長年品種改良で甘いイチゴを追求するあまり、ただ甘いだけのイチゴになってしまっているように感じるのです。
甘いだけで、イチゴ本来の風味というか香りも少ない。
この薄っぺらな甘さは多分甘さを前面に出すために、イチゴの持つ酸味がどんどん減ってしまっていると思う。
酸味を残したままその酸味に負けない甘さを増やしたイチゴならもっと深みの有る味わいを感じると思うのですが。
この僕の意見は間違っていますか?
勿論フルーツの種類のよってはそれで良いのだろうが、やはり今回食べたミカンにしても、やはり甘いのばかりが前面に押し出されていて、食べていてすぐ飽きちゃう。
特にミカンなんてやはりある程度の酸っぱさが残っていないと印象薄いと思うのです。
日本で「フルーツ」というものの「位置」というかポジションが、西欧と違うのも関係あるのでしょうね。
日本ではプレゼントやお見舞いなど贈答用にフルーツが良く使われるけど、西欧ではやはり花の方が圧倒的に多い。
西欧でもプレゼント用に果物の詰め合わせは無いわけではないのだろうが、一般的には花でしょうね。 もしくはスイーツ系(ケーキ等)かな。
日本ではそういう使い方をするので、贈る果物はデザートに食べるケーキにも劣らない甘いものが必要なのかもしれない。
我が家の庭で取れた野性味タップリのバナナを食べながら、日本の果物は改良を受ける過程で本来の味の中に含まれる何かを失ってしまったのではないかと。
ということで↓にその我が家で取れたバナナの写真を。
とても短くて、ふっくらしているバナナですが、傷に見えるような黒い色が付いていたら日本では絶対に商品にならないでしょうね。
一見熟れ切ってしまったように見えますが、身はしっかりしております。
2011年5月4日
一昨日(5月1日)無事、シドニーに戻って来ました。
帰りの飛行機は妙に揺れてちょっと気味悪かったです。
何しろ離陸に向けてタクシング途中でも段差を乗り越えるたびにかなりガタンゴトンという音とショックが有って、いざ滑走路で一旦停止してエンジン出力を上げ動き始めた途端、強烈なシェイクというか、横揺れを伴う振動。
速度が上がっていくにしたがい、そのシェイクは少し収まったものの、しかし何度も経験している揺れ方ではなかった。
フロントタイヤの付いているフロントサスペンション(というのか足というか)のアライメントが大幅に狂っているのじゃないかとか、素人ながら色々考えてしまいました。
この機種には昨年、今年と随分と何度も乗っているので、その違いは確実に感じました。
さて、シドニーに着いてみたら、ほぼ気温は日本と同じか少々寒くらいで、すっかり秋になっていました。
今がちょうどシドニーと東京では季節が入れ替わる時季なんですよね。
ということはやっと寒い冬が終わってこれから暖かくなっていく日本を後にして、これから寒くなるシドニーに戻ってきたわけで、寒いのが大の苦手、暑いの大好き人間の僕には嬉しくないですね。
何しろ今年の正月そうそうからほとんどを日本で過ごす破目になった僕なので、2010年から2011年にかけてのシドニーの大好きな「夏」をほとんど過ごせなかったわけです。
冬が終わったら今度は再び秋から冬の生活が始まると考えると、かなりしらけますね。
こりゃ〜もう少し寒くなったらケアンズあたりの暖かいところに行って、失った夏を取り戻さなければ。
さて、今回の日本行きの目的であった、母を神奈川の施設に移すという計画は土壇場になって母が「やっぱり行きたくない」と言い出し、強烈な「ドタキャン」を喰らってしまいました。
入居予定をしていた施設からわざわざ3人も、辺鄙な山口県は長門市の母の入院している病室にまで面接を行うために来ていただいて、全て順調に物事が進み、母の退院に合わせて引越し準備を始め、いざ数日後に神奈川へ体験入居のために出かけようという時に、「色々考えたんだけど、やっぱり私は行きたくない。 私にはここが似合っている」と。
僕らは慌ててしまい、母の弟や主治医等皆が集まって説得するも一旦こうと決めたら全くテコでも動かない状態。
友人達と別れて、見ず知らずの人達ばかりの施設に行くのは不安なのか、はたまた震災後の関東の現在の状況がはっきりしないというか、先が見えない不安な状態というのも大いに関係はしているとは思いますが。
彼女の友人の中には「北陸、関東方面からこちらの方に来る人がいるような時に、なにをわざわざ今行かなければならないのか。 もう少し様子を見てからだって充分間に合う」、というような助言も有ったようで、結局お世話になるはずだった施設の方には本当に申し訳ないのですが、当面様子を見るということでお断りをした。
母が行きたくないと言うのに首根っこを抑えても連れて行くわけにも行かないし、またあの暑い夏に停電等が起きてエアコンの使用もままならないなんて状態も関東方面では可能性としては残っているわけで、僕もそれ程強く言えなかった。
母は退院以来驚くべきスピードで回復を見せていて、だからこそ現在のところで自分一人で生きていけると頑固に主張するほど自信が出てきたんでしょうね。
今母がいるところはヘルパーさん達のアレンジをしたりするケアマネージャーさんが施設内に常駐していますが、しかし24時間介護付きという施設ではなく、高齢者用の自立型住居ということなので、いくら元気に回復した母とはいえ、毎日ヘルパーさんに来てもらわなければならない状態です。
いったいいつまでこの自立型の施設でやっていけるのか。
まあ元気なうちはそれでも良いのですが、また今回のように倒れたら、神奈川にいる妹も、また僕にとっても駆けつけるだけでも非常に面倒な地域なのが問題なんですけどね。
それだからこそ、、妹が歩いていけるような距離の施設を見つけてそこへ入れる計画だったわけです。
龍馬ブームではないが、吉田松陰等で有名な「萩」とか、また最近盛んにテレビやラジオで流れている金子みすずの童謡詩(馬鹿って言うと馬鹿って答える、、、。 とか聞いたことが有ると思います)に魅せられて長門市方面に訪ねて来る観光客が結構多いみたいですが、あの辺鄙なところへ皆さんどうやって来るのだろうと不思議でなりません。
何しろ東京、大阪方面から来る場合、とりあえず新幹線の最寄の駅は「新山口駅」なのですが、そこから萩方面(つまり新山口駅の瀬戸内海側から、山陰側へ)に行くには昔は美祢線という鉄道が有ったのだが、数年前の洪水で線路が流され、以来復旧のめどが立っていない。
ということは、バス以外に公共の交通手段は無いわけで、そのバスも直行便ではないので、あまりにも時間がかかるし、また便数も限られている。
地元の人に聞くと、家族や友人に車で送ってもらう方法しか考えられないらしく、地元の人にそのバスについて尋ねても、どこを経由して行くのかすら、ほとんどの人が知らないのです。
僕の場合、あまりにも頻繁に行かなければならなかったので、その度に高齢の叔父にわざわざ車で迎えに来てもらうのも限度があると、新山口駅でレンタカーを調達する事に決めて、前回も今回も長期に渡って借りっ放しにしていたので、レンタカー営業所の皆様にはしっかり覚えられてしまった。
誰かを迎えに行ったり、また今回のように息抜きに旅行(沖縄のちゅら海水族館)に出る度に車を営業所に預けていたから、レンタルではなくリース状態でした。
あまりにも長く海外に住むと、今回も含めいくら頻繁に日本に通っても、行く度に色々ビックリさせられる事があります。
日本と西欧の違い等ですが、それ以外に今回は日本の都市部と、田舎の違いというか格差を強烈に感じました。
例えば。
山口県は萩にあるマクドナルドで、無線LAN使用について聞いても「ハア???」状態。
カウンターには20代と思しき店員さんが数名いて、店内での「Wifi」使用について聞くも判らないので、再度「無線LAN
」と聞いても誰一人知らない。
都会の若い人達とのITに関する知識というか、使用状態というのか本当に格差が大きいのではないかと感じました。
だたし「無料の無線LANスポット」ということで言えば、日本はまだまだ本当の意味での「無料スポット」って海外と比べるとかなり遅れていると思います。
マクドナルドだってYAHOOやNTTに登録し、ある程度の金額を支払わなければ使えない。
このサービスはマクドナルドだけでなく、新幹線のN-700内で使えるらしいが、しかしオーストラリアではそんな登録しなくとも無料で使える。
ロンドンのヒースロー空港からロンドンを結ぶ列車の中でも完全に無料で無線LANが使えます。
まだまだ書きたいことは一杯有りますが、少々腰が音を上げ始めたので次の日記に。
2011年3月31日
これから日本へ向けて出発する日です。
朝5時前に目が覚めてしまい、そのまま起きることに。
日本との時差「2時間」を解消するには、飛行機の中で寝るのが良いので、寝不足気味でもかまいません。
時差2時間と書きましたが、今週の日曜日からオーストラリアは冬時間に戻るので、日本との時差は1時間になります。
さて先週金曜日に手に入れたiPad2ですが、慣れるために使い倒しております。
女房のも結構使わせてもらってたので、かなり慣れているつもりだったが、いざ自分の物になると色々使い方も違うので。
さて、色々やっていてまずは不都合から書いてみます。
設定で、言語は「日本語」で、地域は「オーストラリア」にしたのですが、欲しい日本製の「APP」の中には、海外からはダウンロードさせないのが有るようです。
僕が一番欲しいのは「雑誌オンライン」という電子書籍を読むためのアプリなのですが、オーストラリアではダウンロードできないようです。
「雑誌オンライン」のiPad用の「APP」ストアーへのリンクをクリックしても「あなたのリクエストは出来ません」の文字が。
これは本当に不思議な事です。 というのもウインドウズではその「読むための」アプリはオーストラリアですでにダウンロードして使っているからです。
つまりこのアプリを発行しているところは「日本国内に限る」なんて規制をかけていないのに、なぜアップルはこのような処置をしているのか。
ちなみに日本国内に到着したら改めて「APP」ストアーに入ってダウンロードを試してみます。
iPhoneなんかだと画面が小さ過ぎて、電子書籍を読む気にはならないのだがiPad2を購入した理由の一つが「旅行中電子書籍を読む」なので、これにはかなりがっかりしています。
「アップル」さん、この問題を早急に解決して下さい。
この問題に関しては、色々裏技も使おうとしたのですが今のところ成功していません。
その裏技の一つは、僕がオーストラリアからアクセスしているのを隠すアプリを使ってみた事。
例えば僕が日本のインターネットラジオ「Radiko(ラジコ)」を聞こうとすると「地域制限」がかかっているために聴く事ができません。
だいたい日本でも地域によってはこの「ラジコ」、地域制限をかけて聴かせないらしい。(酷い話というか、本当に日本ぽい規制ですよね)
で、今回の大震災で特別処置として日本全国で聴けるようになったというので、試しにアクセスしたら「お使いの地域では、、、、」とメッセージが出る。
つまり一応日本国内では全ての地域で許可する事にしたが、海外は駄目ですと言う事らしい。
つまり僕のグローバルIPアドレスで、判断しているわけ。
そこで、僕のIPアドレスがあたかも日本国内からアクセスしているように「見せかける」アプリを使用してみるとちゃんとアクセスできるんですね。
そこでそのアプリを使ってまずはPC(ウインドウズ)でiTune
を起動、そこからAPPにアクセスしてとやったのだがやはり駄目でした。
さて次に、先日の日記にも書いたスピーカーの音がiPadよりも劣っているように感じる事。
ワイフが古い方のiPadを使って、娘とスカイプで話しているのを聞いていると、すごく音が良い。
音量もそれ程上げずに非常にクリアーに聞こえる。
僕の推測ですが、iPad2は初期型よりも薄くなって、アコースティック効果が減っている事、また音の出口の穴の形状がかなり違うために、音の抜けも良くないようです。
初期型は大きく開いているのに、iPad2では薄さも有って、下向き角度がついているし、また出口がメッシュになっているのだがその穴が凄く小さくなっている。
僕が現在も使っている東芝のウインドウズノートPC
の音がもう致命的と言うほど酷いものなので、初めてワイフのiPadの音を聞いた時には本当に驚いた。
東芝のはまるで僕が子供の頃「鉱石ラジオ(これを知っている若い人は少ないだろうな〜)」を使ってラジオを聴いていた頃とほぼ同等と思えるほど酷いんですよね。 最初からイヤーフォンで聞くことを想定して、スピーカをケチったのか。
もちろんiPad2のはそれとは比較にならないほど良いのですが、しかし初期型よりも良くはなくともそれ同等を新型では期待してしまうのにと。
スカイプと言えばついにiPad2にはカメラが付いたので、お互いを見る事ができるようになったのですが、カメラの解像度が良くないですね〜。
新型と言う事もありもう少し良い画像を期待していたのですが、これにはちょっとがっかりと言うか。
何かアップル系はiPhoneにしてもSKYPEでお互いの画像を見ると良くないのは伝統なのか。
またはまだ使っていない「Face Time」ならもう少し良く見えるのか。
ちなみに僕は東芝には超安物のカメラを接続して使っていますが、「あっと驚く」ほど画像が良いらいしいです。
いつも娘とスカイプしているワイフが、日本滞在中の僕からのスカイプで驚いていた。
文句ばかり書いてしまいましたが、さすがに今度のプロセッサーは速いです。 iTuneに繋いで色々画像等の処理をしても初期型の数倍の早さを感じますね。(ちょっとオーバーかもしれないが確実に速くなっているのは確か)
それよりなりより軽さの違いは大きいですね。
今回iPad2を購入した時には、今回からデザインされたマグネット付きのカバーの厚さや重量も加わってそれ程の差が有るようには感じなかったのだが毎日膝の上等に乗せて長時間使ってみるとその差は歴然としてきます。
薄くなり、軽くなり、プロセッサーは強力になったのに、バッテリーの「持ち時間」はほとんど同じと言うのはやはり凄い事ですね。
今回の日本行きでは上記の東芝ノートも持参しますが、使い比べてみて不具合(主にマック系の銀行へのアクセス問題等が含まれる)が無ければ、将来は「旅行にはiPad」に決まりでしょうね。
iPadの場合ネット接続は「Wifi」だけですが、すでに携帯用の「ポータブルWifi
ルータ」も持っているのでその問題は無いはずです。
さて、そろそろ出発の時間が迫って来ました。
日本から帰国するのは5月の初旬を予定しております。
いったいその時日本はどうなっているんでしょうか。
普段はめったに見ないNHKを連日見ながら、原発問題が早く解決して欲しいとハラハラしながら見守っております。
あまりにも多くの意見が出ているので僕自身もこの原発問題がどれほど深刻な事態か判らなくなってきてしまった。
早く問題が解決されるように願ってやみません。
ではまた
そうそう、僕へのメールは旅行中はなるべく「gmail」の方へお願いします。
今までのメールも受け取れるようにiPad2の方も設定しましたが、いただいたメールに返信をつける場合にはウエブメールの方しか出来ないので。
2011年3月27日
3月31日出発に向けて、またまた買い物など準備中。
なにしろ日本は、特に「田舎」へ行くには「土産」というのが欠かせない日本の習慣には参っちゃいますね。
先日日本行きを取り消した時に、購入した土産物を処分したばかりなのに、また最初から購入ってなんとも馬鹿らしい。
僕は日本を離れて40年近くになるので、どうにもこの「贈り物文化」が理解困難になっていて、今回も日本にいる妹に相談したのだが、「やっぱり、何か持っていかないわけには行かないのでは」と。
で、金曜日にボンダイジャンクションに出かけたら、アップルストアーの前に行列が出来ている。
「そうか、今日はiPad2 の販売日だったのだ」と気がつく。
で、今週の金曜日に発つ僕は、今購入すれば免税手続きを取れるので、ここは今すぐ購入するしかないと思ったのだが、その行列を見るとやる気が失せてしまった。
中には自分で椅子とかマットとか持ち込んで、昨日から並んでいるような人達もいて、もし今から僕も列に並んでも(その時点で販売の夕方5時まで3時間あまり)買えるかどうか判らないしと。
ネットの記事によれば、日本の大地震の影響で日本での販売日も延期になっただけでなく、このiPad2 に使われている部品のいくつかは日本製であるので、品薄状態が当分続くとか出ていたので、今回のオーストラリアでの販売総数も相当減っているのではないかと。
しかし僕には奥の手が有った。
じつはボンダイジャンクションにアップルストアーが出来たのは、たった2〜3年前でそれまでは「マイ・マック」という店がアップル製品を扱っていた。 そこは製品の販売から修理、またマックが初めての人のために「教室」も開いたりしていた。
看板もあの「りんご」の大きなオブジェが出ていて、アップル製品及びその関連パーツ品しか販売していなかったので、僕はそこがアップルストアーだとばかり思っていた。
ところがある日ボンダイジャンクションのメイン通り(オックスフォードストリート)にでっかい「アップルストアー」が開店したのを見て驚いた。
僕が行っていた店がアップルストアーでハイ事に驚いたというよりも、その店からたった50メートルも離れていないところによくもまあアップルが店を出したものだと。
もし僕が経営者だったら思いっきり「しらけ」ちゃいますよね。
だから僕はアップルストアーが出来た後も、前からある方に出かけていた。
アップル製品というのは特殊な事情が無い限り、ネットで購入しようが、直営店に係わらず、どんな店で購入しようが値段は同じでしょ。
で、保証に関しても差がないので僕は今までどおり昔から有る馴染みの店に行っていた。
で、当然僕はそのアップルストアーの前の長い行列を横目に「マイ・マック」の方に行ったら誰もいないのですよ。
あれ?こりゃ〜ひょっとするとiPad2は直営店しか最初は入荷しないのかと思うほど閑散としている。
で、店員に「今日iPad2
はここで売らないの?」と聞くと、売りますと言うではないですか。
え〜???だって誰もここにいないという事は、入荷の種類が限られているとか数も少ないとか何か理由があるの?と聞くと彼は「本当に申し訳ないのだが本日販売されるiPad2に関しては一切の情報を5時前にお客さんに話してはいけないことになっていて、もしその規則を破ると今後アップルから取引中止になるので、僕自身としては教えたいのですが、どうにもならないと言う。
で僕は、もしこの店で買いたい場合はどこに並べば良いのと聞くと、8個ほど並べられた椅子を指さしてそこへどうぞと言うのね。
そう、まだ誰も並んでいないし、他の商品を買いに来た客さえ一人しかいない状態で、ひょっとしたらせっかく並んでも本日は商品が入りませんでしたなんて事になる危険性があるから(直営店ではないから)誰も並んでいないのかと、不安になったのだが一緒にいた女房が、「じゃあ私は今買い物を済ませてくるからそれまであなたそこに座っていて、その後私が交代で座るから、あなたがやらなければならないことを済ませたら」と言う。
で、まず僕が座って(その時点で販売開始時刻の5時まで3時間を切っていた)15分位したら30代の男性が入って来て何やら店員に聞いている。
するとその店員が僕の方を指差してから彼は僕の横に座った。
彼は僕に、信じられないね〜今僕はシティー(シドニーの街の中心街)から来たのだが、シティーのアップル店は行列が半端じゃなく、あの大きなビルのある通りから次のブロックの終わりで済まないでぐるっと回り込んでいるのを見てこりゃ〜たまらんと急いでここに駆けつけてきた。 僕はこの店が有ることは前から知っていたが、まさかあなた以外待っている人がいないなんてビックリと。
そんな話をしていたら買い物を済ませた家内が戻って来たので交代して僕は買い物を済ませ一旦帰宅してから4時過ぎにまた店に戻った。
すると10人ほどの列が出来ていた。
皆数の少なさに驚いている様子で、皆の話を総合すると「アップル」の名前で検索してもこの店はなぜか出てこないので、昔からこの店を知っている人以外は、見つけようがないのではないかと。
いよいよ5時ちょっと前になって並んでいる人に整理券を配り始めた頃には列は30人程になっていた。
女房はその「1番」と書かれた整理券を僕に見せながら「ポールポジションよ」と、げらげら笑っている。
よくテレビのニュースで新製品を購入するために徹夜したりする人を見てよくもまあご苦労なことだと半分批判的に見ていた僕らが、たった3時間を切る時間に並んで「列の先頭」でiPad2を購入って、いや〜本当に申し訳ないなんて感じるほどでした。
ポールポジションの僕は64ギガのSIM無しの黒と、ライトグレーのカバー及びアップルケアーも購入して、ニコニコしながら店を出て振り返ったら、何とその店が入っているビルの上の方に「リース(賃貸テナント募集)」の看板が出ていました。
そう、その店は閉めるかどこかへ移るんでしょうね。
そりゃ〜そうでしょう、たった50メートルも離れていないところでアップルストアーが営業していたら商売にならない。(この見せはメイン通りからは横に入っている)
だいたい誰もこの店の「アップル」の看板が目に入らないから、驚くほど並ぶ人が少なかったわけで、ビジネスにならないでしょうね。
じつは僕はこの店の店員で日本に短期留学した事の有るジェイソンと言うのと友達だったのですが、彼は店を辞め今は南アメリカを旅行しているらしい。
このジェイソンは初めて会った僕に、日本語で話しかけてきただけでなく、僕に「漢字の読み」で挑戦してきたのには驚いてしまった。
語学に関してかなり才能が有るみたいで、日本にいたのは1年にも満たないはずなのに、僕にiPadを使ってねえこの字は読める?なんて言ってくる。
見ると「魑魅魍魎」なんて出ていて、まあ僕はには馴染みの有る漢字だから簡単に答えたのだが、彼は字画数の多さで日本人でも読めない人が多いと思っていたようだ。
もちろん、一緒にいた女房は読めなかったのだが、女房の前で日本人である僕が読めなかったらけっこう恥ずかしかったかも。
何しろ聞いてきているのは、まだ20歳代前半の若いオーストラリア人なんですから。
彼は英語、日本語だけでなく、ドイツ語とか他にもフルーエンとらしい。
オーストラリアにはけっこうこういう語学に才能がある人は多いですね。
さてさっそく購入したiPad2使ってみました。
女房のiPadと比べると確かに軽いですね。 薄さよりも軽さが強く感じます。 まあ他のはほとんど同じかもしれませんが、iPad2には付いてきたカメラの解像度がイマイチなのがちょっとかなと思います。
2011年3月24日
延長したばかりの日本行き出発日ですが、またまた事情が変わって3月31日に行くこ
と になりました。
今回はシドニーから成田に入り、国内便に乗り継いで福岡に入るルートにしました。
少なくとも一ヶ月は滞在する予定です。
母がそろそろ退院ということになり、母を連れて神奈川の介護施設に入れるために来月の初旬には行かなければならない。
現在の関東の状況を考えると、はたして神奈川方面に母を連れて行くのが正解かなんて迷ってしまいます。
野菜等だけでなく、飲み水まで汚染されているのが判ってくると、いったいどうなってしまうのかと。
それにしてもNHKの原発関連の報道というのはネットの情報とか、オーストラリアでの報道とかけ離れていることが多いのですが、それは必要なことなのでしょうか。
確かに国民に不安を与えたくないというのは判らないでもないが。
と、書き始めると止まらないのでこの続きはまた後で書きます。
今日のこの日記はまた後ほど付け加えます。
2011年3月19日
まず最初に。
先週の日記に書きました僕の日本行きですが、紆余曲折がありましたが当面見合わせることになりました。
先週の金曜日に大地震が起きた後も日本行きを中止する気は無かったのですが、昨日になって神奈川に住む妹と話した結果、妹夫婦が山口へいわば「疎開」したい気が有るので、それなら母が入院前に暮らしていた老人専用のホームに泊まり込めば、僕が行かなくとも母の看病が出来るわけで、僕が行く必要がなくなった。
母の住むその施設は1LDKで比較的広く(55平方メートルくらい)夫婦二人でも充分な広さ。
妹は震災の後、度重なる余震や現在の原発への恐怖等で非常に「ナーバス」な状態になっていて、できればもっと安全なところにという気は有ったので、それならわざわざ僕がオーストラリアから行かなくとも、彼らが行くというのは、まさにロジカルな決断だと言うことに。
しかし、まだ僕は航空券のキャンセルをしていません。 妹が支度をして山口県に到着するまでどんな事態が起きる河から意からと言うのも理由の一つだが、だいたいJALにキャンセルの電話が繋がらないのです。
日本航空が経営の合理化で、シドニー事務所のほとんどの業務を日本に移してしまい、僕のようにJALマイレッジバンクを通して航空券を購入しアップグレードした人間は、予定変更やキャンセルなどは「1800」で始まる電話をかけると、そのまま日本に繋がる仕掛けなのですが、地震以来完全にパンク状態で全く繋がらないんですよね。
話では今や日本から脱出する外国人などが成田空港にも押しかけているという話を聞いていたので、電話をかけても相当混雑しているだろうなとは思っていたのですが、朝かけて延々順番待ち状態で、そのうち使っていたコードレスフォンの電池が切れかけてきたので、一旦切り午後にまたかけたが繋がらない。
日本での営業時間は朝9時から夜7時だと出ているので、オーストラリア時間(2時間オーストラリアが先です)で夜9時近くにまたかけてみたがやはり繋がらない。
JALのホームページには今回の大震災を受けて震災前に予約した成田行きの便に関しては、キャンセル手数料等を取らず全額返済する処置を取っているとか出ていますが、しかし規定で出発の2時間前までにキャンセルの通知をしなければならないと。
これでこちらから連絡が取れずに、出発日が来てしまったら、キャンセルを通知してこなかったという扱いになって払い戻しを受けられないのか?
まあ来週になればもうちょっと事態は落ち着くと期待してまたかけてみようと思っています。
ちなみに地元(僕の場合シドニー)の旅行代理店で航空券を予約した人はその代理店への通知でキャンセルできます。
日本からの出発便は大混雑で、昨日もオーストラリアのテレビニュースで成田から戻ってきたオーストラリア人親子3人(子供はまだ幼児)が「カンタス航空が片道航空券に8000ドルも取った」と憤慨していて、テレビ局も問題視していました。
まさにこんな状況の時に、人の足元を見るようなと。
ちなみにオーストラリア政府は自国民に日本からの退避勧告を出しています。
逆にオーストラリアから日本(成田)に向かう便は本当にガラガラのようです。 じつは3月27日にオーストラリアF-1グランプリが行われるので、レース後の月曜日からの日本行きは大分前から満杯状態だったのが、ガラガラとか聞いています。
さて、この一週間オーストラリアの報道も日本の「大地震」一色でした。
今朝(土曜日)になって女房が配達された朝刊を広げて「あらやっと一面トップの扱いが減ったわね」と。
先週から昨日まではとにかく馬鹿でかい文字(字体)で日本の惨状を報道し、テレビをつけても普段のニュース時間帯でなくとも、日本ほどではありませんがかなりの時間を割いて、ニュースを流していました。
で、最初は地震と津波だったのですが、今や完全に原発についてがメインになって報道されています。
そして内容は日本の報道よりももっと深刻に捉えています。 と同時に、日本政府や日本の報道の仕方にも疑問を呈していますね。
昨日の遅くになってやっと日本政府は「レベル5」に引き上げましたがオーストラリアや欧米の学者や報道関係ではとっくに「5」以上は間違いないと報じていました。
人々をパニック状態に追い込まないための処置なんでしょうか。
もう一つ僕が良く判らないのが、放射能の値の発表ですね。
当然周辺地区以外にも、東京、神奈川方面にも値の変化は起きているようですが、当然風の強さや向きとかによっても刻々変化するだろうし、またその値を表す「シーベルト(人名)」ですがNHKのニュース見てると「毎時XXXマイクロシーベルト」とか出てる。
で、解説者が胸のレントゲンレベルより低いとか、何分の一とかって話していますが、レントゲン検査ってのはまさに数秒の被爆で、大気中の値だと四六時中浴びているって事なら、一日あたりなら24倍しなければいけない値なのではないかとか、ほんと良く判らないですね。
それ程心配する必要な無いという言葉を信じたいんですけどね。
とりあえずそんな事情で僕の日本行きは当面延期となりました。
僕としてはシドニー→成田で、そこから福岡行きの飛行機に乗り継いで九州に入り、新幹線で山口行きというルートに変更して行けば日本行きをキャンセルする必要は無いと思っていたんですけどね。
2011年3月12日
2月下旬日本から帰国した時に書いた日記以来すっかりそのままになっていました。
じつは帰国そうそうまた日本へ行かなければならない事態になってしまい、結局今月の23日からまた行ってきます。
理由は勿論母の病状で、それ程悪化しているわけではないのですが、一時退院はしたものの、結局自宅療養は無理という事で再入院をすることになり、妹が神奈川に戻った後は他に付き添う人間がいないので。
今回は確実に状態が回復するのを待って妹の住む神奈川に母を連れて出かけ、介護施設の見学をし本人が気に入ったらそこへ移すことになると思うので、僕の日本滞在も長引きそうです。
何しろオーストラリアから引き上げた母はそのまま生まれ故郷の山口県に住み着いてしまったので、彼女の家財道具など全てを整理しなければならない。
とにかく山口県の山陰方面はあまりにも不便で僕にとってだけでなく、日本に住む妹でさえ介護に行くのは大変な思いをさせられる。
例えば新幹線で最寄の駅である「新山口駅」に着いても、そこから山陰に抜ける鉄道は無く(一昨年だったかにその路線は大雨で決壊し全く復旧されないまま)、僕のようにレンタカーを借りるか親戚に迎えに来てもらわなければならない。
その親戚、つまり母の兄弟などは高齢で80歳を過ぎた老人に4〜50キロも離れた駅に送り迎えをお願いするのにももう限界に近い。
母がオーストラリアから日本に帰りたいと言い出した時に、妹のところかまたはその近くに住み始めていたら、今回のような問題が起きてももっと楽だっただけでなく、医療レベルももっと高いはずなので、ここまで病気をこじらせることにはなっていなかったはず。
いまさらそんなことを言っても手遅れなので、現在は妹と一緒に、母の状況(病状)に適切な介護施設を選んでいるところです。
さて、昨日久々にこの日記を更新しようとPCに向い、日本のラジオ番組を聴きながら始めた途端、その番組のパーソナリティー(小島慶子)がゲストと楽しく話している途中で急に様子が変わって、何か雑音等も入りながら「落ち着いて安全なところに非難して下さい。 一回の揺れは数分しか続きませんから、火の始末等をして、、、、」というようなかなり緊迫した声の調子で、最初誰か他に人が喋っているのかと思ったほど。
というか僕は最初に「?????」状態で、「あれ? これって冗談の一部? 何喋っているのかな」とすぐにピンと来なかった。
というのも僕は外国に住んで聴いているので、関東に住んでいるリスナーと違って、全く揺れていないから。
で、彼女のそのメッセージが何度も繰り返されるので、「あれ! 東京で大地震が発生して大変なことになっているのでは」とすぐにテレビをつけた。 NHKテレビ(我が家はサテライトで日本の放送が見える)。
すると高波警報が繰り返されている。 しかし映像ではどこの港も波が押し寄せている風には見えない。
何だたいしたことではないのかと一旦テレビを消してPCに戻ったら相変わらず臨時ニュースをやっている。
で再びNHKの方に戻ると、映像のおびただしい数の家や車がどんどん流されていくのを見てまさに「驚愕」してしまった。
今まで(インドネシア等の)津波の被害の映像と言うのは何度か見ているが、実際に(ライブで)津波の被害が起きはじめから見るのは本当に恐ろしいものです。
まさかこんなところまでは津波は到達しないだろうと高をくくっていたような車のドライバー達が、ハイウエイで停まって見ていたりしているのが、どんどん迫ってくるので慌てて車を急発進させ高台(と思われる)方へ逃げ出していく前に、すでに津波はハイウエイを飲み込み、逃げ切れなかった車を飲み込んでいく映像等は僕にとってもまさに「手に汗握る」状態。
今(3月12日昼)この日記を書いている時点で本当の被害の状況はまだ把握されていないようですが、いったいどれ程のものか考えただけでも恐ろしいです。
被害に遭われた方へは何と言ったら良いか適切な言葉さえ思いつきません。
たとえ助かったとしても凄いトラウマが残るでしょうね。
自然災害の怖さって、人間の力がいかにちっぽけなものかを思い知らされます。
亡くなられた方にはご冥福をお祈り申し上げます。
2011年2月21日
一昨日(19日)シドニーに戻って来ました。
母の看病のため、山口県に6週間の滞在でした。
お陰さまで、母はどうにか回復に向かい、今月中にも退院の予定です。
最初はウイルス性腸炎と聞いていたのですが、潰瘍性大腸炎という厄介な病気に罹っていました。
「潰瘍性」と聞くと、僕は「胃潰瘍」とかをイメージして、入院しなくとも治療できるようなのではと想像していましたが、ネットで検索して「難病」と出ているのを見て驚きました。
この病気の原因は細菌性、ウイルス性、神経性、など色々考えられるそうですが、母の場合はどうやら長年使用していた便秘の漢方薬の副作用で「薬物性潰瘍性大腸炎」だろうとの事でした。
母は暮れの12月25日に入院してからちょうど一ヶ月の間一切食事は取ることができず、点滴だけで生きていました。
大腸の潰瘍はかなり悪化していて、大腸検査のカメラを奥まで入れると腸を突き破ってしまう恐れが有ったそうです。
治療は「ステロイド」ともうひとつ「ペンタサ」という腸炎の治療薬を併用しているのですが、ステロイドのためか顔だけでなく手足のむくみが相当に酷く、毎週必要な採血でも看護士さんが血管を捜すのに苦労しています。
この病気はかなり厄介で、安倍元首相も(神経性)潰瘍性大腸炎で首相辞任に追い込まれたらしい。
母も今回退院にこぎつけても、一生治療薬は続けなければならないとの事。
一昨日から神奈川に住む妹が看病を交代することになり、僕はシドニーに戻って来たのだが、今回の経験は高齢の母の今後の事を真剣に考えるきっかけになりました。
昨年の僕の日記を読んだ方は知っていると思いますが、母は今回の問題が起きるまでは非常に元気で、一緒に地中海クルーズに出かけた時にも全てのバス・エクスカーションに出かけ、イタリアはポンペイの遺跡等長時間歩く観光などでも全く問題無く、大いに楽しんでいた。
一緒のツアーに参加した人達からも、87歳とは思えないと驚かれていたほど。 そんな元気な母だったので「介護が必要な状況」が来るなんて考えてもいなかった。
しかし今回急遽駆けつけた僕も、また神奈川に住む妹にとっても山口県の山陰側はあまりにも不便で、僕らが長期滞在して介護するには限度がある。
そこで妹の住む近くに介護付きの施設を検討をはじめ、今回東京を発つ日にも見学に出かけました。
介護を受けられる施設というのは想像していた以上に多く(日本の高齢化が進んでいるので)また入居費もピンからキリまで有るんですね。
「友達のいない所に移るのは嫌だ」と言う母を説得して、是非都会に移ってもらいたいと。
と言うのも、今回長期の滞在で「田舎」はあまりにも「不便」の連続で非常にストレスが溜まりっぱなしでした。
まずはインターネット環境が最悪、「Wifi」を使えるところなど皆無。
インターネットカフェーも一軒も無い。
だいたいネットカフェどころか、気のきいたカフェ、カプチーノやラテを出す店さえ見つからない。
日本海に面して、新鮮な魚が獲れるのに寿司屋は味は最悪その上値段は高い、都会の回転寿司よりもレベルが低い。
短期観光で通り過ぎる時には気がつかないのだが、長期滞在してみると田舎と都会の格差がここまで酷いのかと思い知らされた。
毎日病院に行って母の看病にはそれ程「苦痛」を感じたわけではないが、それ以外の要素があまりにも不便不都合の連続だったのでストレスが溜まりました。
その上、寒さで風邪は引くし膀胱炎まで出てしまい散々でした。
やっぱり僕は田舎には住めませんね。
さて、真冬の山口から真夏のシドニーに戻ったらいや〜何と蒸し暑いことか。 こんなにシドニーは湿気が強かったかと。
もちろん日本の夏ほどではないですが。
しかし僕は寒いのが苦手なので、この暑さにもすぐに慣れてしまい、本日(月曜日)はちょっと気温が下がったので、少々寒く感じるほど。
帰国そうそう溜まっている税務申告手続き等に追われています。
日記の続きはもう少し落ち着いてからに。