2002年6月前半の日記

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2002年6月1日

本日もまた朝4時過ぎに起きてしまう。 
昨日は忙しい一日でした。 朝、空港に妹を送り、帰宅したらすでに下水工事の人が来ていました。 

一昨日葬式の日になぜか突然下水が詰まり、これから皆で式に向かうというところだったのだが、トイレも使えない状態に大騒ぎ。  
よりによってこんな時にと、この家に引っ越して以来15年間一度も下水が詰まった事などなかったのだが、不思議な事もあるものです。

来た工事人はあまり経験が無いのか、見ていてもトンチンカンな事をやっていてなかなか下水の詰まりを直せない。 
結局僕が指示を出してなんとか修理できました。 
彼らが通常使うエレクトリック・イール(鉄製の蛇のようにクネクネとしたやつです)と言うのは的確なところから入れないと、なかなか効果が無いのに、全く経験が無いのか。  
結局30分で修理できるはずのただの下水の詰まりなのに、2時間ほどかけて修理が終わり、下水屋が帰ったのですぐに銀行や郵便局などに出かける。 
片付けなければならない事務処理が山積していたのです。 

そのまま昼飯を食いにノースにある蕎麦屋「藪(やぶ)蕎麦」に行く。 
この店は東京上野の藪蕎麦の系列との事。 
この店「藪蕎麦」の前は、オーストラリアで本格的な蕎麦を食わせる最初の専門店「新橋」というのがここにあったのだが、藪蕎麦に居抜きで売って、今は「ウールムール」に引っ越してしまった。
「新橋」の後が「藪(やぶ)蕎麦」になったとは聞いていたのですが今日が初めてでした。 

「新橋」がここで始めた当時はすでにタスマニアで「そば粉」の栽培が始まっており、なるほど上質のオーストラリア産のそば粉が使えるのなら、値段も抑えられて美味い蕎麦屋が出来ると感心して聞いたら、何とタスマニアで収穫するそば粉は皆日本に行ってしまい、そのタスマニア産をわざわざ日本から逆輸入しているという。 

つまり流通機構の問題でオーストラリア産をオーストラリアにいながら直接買えないなんてと、僕は大いに憤慨したものだがそのうち流通機構に属さないところも栽培するようになり、直接タスマニアからそば粉がシドニーに送られてくるようになったのです。 
今やシドニーにある自然食品屋などでもそのタスマニア産のそば粉を格安で売っています。 
そのうちそのそば粉を使って、自分で蕎麦を打ってみようと思っていますが、なかなかチャンスが無い。 

藪蕎麦で昼を済ますとすぐに同じノースにある「本願寺シドニー支部」を訪ねる。 今回大変お世話になった渡邉(住職)先生にお礼をし、お経を上げてもらう。 
午後3時半にオヤジの骨を火葬場に取りに行く事になっていたので、あまり話も伺えなかったが、焼香の仕方について前から疑問に思っていたことを聞いてみた。
葬儀にて焼香をする場合、他の人のやり方を見ていると結構色々有るものだと気がつく。 香をつまむ人は1度の人もいるし2度、3度の人もいる。 
またつまんだのをそのまま香壷に入れる人、自分の顔の方に向けて祈ってから入れる人。 で、どれが正式なやり方なのか僕自身よく分からず「見よう見まね」でやっていたのだが、どうやら宗派によって違いは有るようだが、オヤジの宗派であった、本願寺系では1度だけの焼香、それもつまんだ「香」を顔などに向けて祈る事はしないとの話。 

ほとんどの人が子供の時から周りがやるしぐさをただ真似てやってきているので、焼香の意味を理解していないから人それぞれになっているが、それはそれで問題にする必要は無いとの事。 
つまんだ香を自分の顔の方に一旦向けて祈る必要が無い理由も聞かせてもらいました。 
信心とは程遠い僕には焼香をする人の真心が伝わればどうでもいい様に思えたのですが。 

本願寺の後はノーザン・クレメトリアムへ遺骨をもらいに。 昔の日記に火葬のやり方、家族が骨を拾う習慣がオーストラリアでは無いことを書きました。 ですから遺骨は次の日以降に家族が取りに行くか、葬儀社に取りに行ってもらうことになります。 
僕らは自分達で取りに行ったわけですが、このノーザンクレメトリアムがとてもきれいな公園のようなところで、心が落ち着くところでもあります。 義父の墓もこの中に有るので、お参りをして来ました。 
遺骨を引き取った後、母はかなりメソメソしていて、帰りの車の中では落ち込んでいました。 
母はひとつのことを考え始めると、そっちの方向にすっかり入り込んでしまう性質なので、少し僕らが気をつけないと母は精神的に落ち込んで寝込んでしまいそうです。 

僕もこうやって日記を書くとまた色々蘇って来て気分が滅入るので、いい加減日記にこの話題を止めなければと思っています。 

で、今日が土曜日、明日は日記のお休みの日なので、来週からは気分一新、一切オヤジの事は当分書くのを止めようかと思います。 
例の新しく見つけた彼女の事などでも書きますかな。 
オヤジの容態が急変して以来すっかり忘れてしまっていて、昨日娘に「あの車はどうした」と聞かれて思い出した次第。 
実はすでに購入は決めていたのに、いまだに元の持ち主のところに置きっぱなしで、すっかり忘れていました。 
来週に入って総てが一段落したら、引き取りに行ってこようかと思っています。 

では皆様良い週末を。 今回皆さんからのメール沢山頂きました。 
本当に感謝いたしております。 ありがとうございました。


2002年6月3日

本日は久しぶりの雲ひとつ無いシドニーの真冬の快晴。 日中は20度を超えそうな素晴らしい天気です。
朝、叔母を連れてノースヘッドに記念撮影に行ったら、あまりの素晴らしい天気に見晴らしも最高で叔母は大いに感激しておりました。

早いもので今日はオヤジの初七日だそうです。 「そうです」というのは、明日日本に帰る叔母が初七日は死んだ日も数えるからとの事。
先週の火曜日にオヤジは逝ったのですが、この一週間はあっという間でした。

明日叔母を空港に送った後、葬儀社に支払いに行けば何とか一応区切りがついた感じがするかもしれません。
本日は叔母のために観光を兼ねて、日本に持って行く土産を買いに街に出てました。
まだまだオヤジが死んだためにやらなければならないペーパーワークは沢山有るとは思います。 オヤジ名義の銀行口座を閉めたり、日本領事館に死亡届を出したり、はたまた国民健康保険の給付を止めたり、日本に残してきたアパートの件など等。
と、ここまで書いたら日本のダイナースクラブからオヤジ宛てに明細が来て、そうだクレジットカードもすべて閉めなければと気が付きました。

まだまだ思わぬことが沢山残っていると思います。
オーストラリアでは医者の書いた死亡診断書を元に、政府からの正式なDeath Certificate が出るまでには2週間はかかります。
手続きはそれからと言う事になるようです。

相変わらず朝4時には目が覚めてしまい、ろくな事が書けないので、本日はノースヘッドから見た快晴のシドニーの街の写真をつけます。
しかし何となくも霞がかかっています。 スモッグかな?
しかし雲ひとつ無いシドニーの青空はご覧いただけると思います。

n_head_edit_01.jpg (34934 bytes)

上の写真をクリックしていただければ遠くにシドニーの街が霞んで見えます。 右の半島のように見えるところにほんのちょっぴりハーバーブリッジが見えます。


2002年6月4日

相変わらずバカみたいに早朝目が覚めてしまうので、録画しておいたレースなどのヴィデオを見ることにしました。
葬式のゴタゴタで全く見ることができなかったので、テープが山積みになっています。
今朝見ていたのはバイクのGPで、イタリアGPの分です。
今年はロッシの独走で、このままいくと彼の年齢からいってもそのうちオーストラリアの元チャンプ、マイケル・ドーハンの記録抜くのではないかと思うほど。
特に今日見たイタリアグランプリはそのロッシやビアッジ達の地元だったので、大フィーバーしてました。
残り8周くらいから抜け出したロッシはブっちぎりで優勝していました。
ロッシがチェッカーフラッグを受けた後に、例によってイタリアの観客はコースになだれ込んできているのを見ていると、何とウイニングラン中のロッシが、コース上でイタリアの警察官に停車を命じられています。

すぐに何をやっているのか判らなかったのですが、レース中ロッシがあまりにも速く、独走してしまったので警官に扮した役者がロッシをスピードの出し過ぎだと捕まえて、交通違反切符を切っている「ジョーク」だったのです。 これには笑ってしまいました。 最初から誰が勝つか判らないレースで、こんな事までお膳立てしているなんて。
交通違反(この場合はスピード違反か)の切符をもらったロッシはその切符を右手に掲げながらウイニングラン続けていましたが、さすがイタリアこの手のジョークも大いに「決まって」おりました。

今やバイクのGPはF−1よりも盛り上がっているかもしれません。
本日のレースはロッシの独走でしたが、いつもは抜きつ抜かれつのレース展開で、本当に面白いです。
抜いたり抜かれたりとはほぼ無縁の最近のF−1よりはレースとしてはよっぽどエキサイティングなので、本日のイタリアGPの観客数見ていてもビックリするほどの盛り上がりを見せていました。

バイクのレースを見終わる頃に叔母を空港に送りに行く時間になり、いつもより早めに出ました。
実は先週の金曜日にわが妹を空港に送っていった時に、最近では考えられないほど日航のカウンターが混み合っていたのです。
そうです、これはW杯のために、日本に行く乗客が満杯なので、非常に混み合っているわけです。

しかしオーストラリアではサッカーはそれほど人気のあるスポーツではなく、プロリーグも有るのか無いのかよく判らないほどテレビでもほとんど取り上げられていません。
ほとんどサッカーをやっても食っていけないので、日本の社会人リーグのようなもの以下なのかもしれません。
とにかくそんなオーストラリアなので、日本にW杯で行く人はほとんどヨーロッパからの移民でサッカーキチガイが多く、そういう人たちが日本に向かっているようです。
そう、先日までオヤジを面倒見てくれていた看護婦のトリッシュもアイルランド出身だし。

そんなわけで叔母を連れて出発時間の2時間以上前に空港に到着、無事送り出してほっとしてしております。
その後は葬儀社に支払いに行ったり、弔辞を詠んでいただいた日本人セニア会の会長さんのお宅にお礼に伺ったり、一日があっという間に経ってしまいました。


2002年6月5日

今日も朝から医者へ支払いに行ったり、保険の請求を出したりと一日事務処理に追われていました。

その上母が足が痛いというので「Podiatrist」へ連れて行きました。
日本ではこの「Podiatry」なんと言うのか知りませんが、我が母にとってはこれのお陰でオーストラリアの生活が快適なのです。

我が母は足に「魚の目」というのか「イボ」というのができやすく、それが硬化して小石のように皮膚に食い込み、酷い時には歩けなくなるほど苦しむのです。
しかしこの「Podiatrist」による治療で、オーストラリアに来てからはほとんど問題は起きていません。 

そうそう例の「街で再会した彼女」は結局僕のところに来ることになったのですが、その彼女のために新しいナンバーを申請していたのが本日通知が来て、用意出来たとの事で陸運局に取りに行って来ました。
古いナンバーは前の持ち主「Warwick Brown」のイニシャルで「WB222」だったのですが、彼はそのナンバープレートをキープしたいとの事、僕にとってもWBなんて全く関係ないので、僕の新しいナンバーは「TomTanabe」で、「TT」そして番号は930で、「TT 930」にしました。

実は毎日の足に使っているスバルのナンバーは「Tom831」なので、今度は「Tom911」か「Tom930」にしたかったのですが、すでに誰かが取得していて空きが無かったのです。
そろそろ一段落したら「ウォーリック」のところに彼女を引き取りに行かなければなりません。

オヤジの葬儀などでゴタゴタしていて、なかなか彼女の事を考える時間も無く、そのままではいつまでたっても前の持ち主のところに置きっぱなしになってしまうので、気分転換にもなるし今週末か来週早々にでも引き取りに行くという電話を入れました。
彼女が来たら是非報告いたします。 


2002年6月6日

今日は朝からオヤジの身の回り品整理を始めました。
服の整理さえまだ半分も終わっていないのに、ふと目に入った昔の写真などを見ているうちに、昔を懐かしんでいたら、全く仕事がはかどりません。

我がオヤジはどんな些細な買い物のレシートでも総て保存すると言う特殊な性格だったので、オーストラリアに移って来てたった15年間だったのに、のけぞるほど大量の物が残っています。
オーストラリアでは法律上、法人関係の書類は6年、個人のは確か3年はキープしておかなければならないので、整理するといっても、片っ端から捨ててしまうわけには行かず、総てチェックしながらなので、一体いつになったら終わるのだろうと言うほどの物が有ります。

イヤハヤ、めまいしそうなほどの量です。 それをいちいち見ていたら、確かに「ああ、あの頃はこんなものを購入していたっけ」などと、昔の事がどんどんと蘇ってきて、余計時間が掛かってしまいます。

このような作業は、肉親を失われた方にはすでに経験済みの事なのでしょうが、自分自身がこの「方付け作業」をやっているというのも、何か不思議な感情が沸いてくるものです。
とうとう自分もやる歳になったのかと言うような感慨。

中には母も見たことの無かったような大昔の写真(主に軍隊時代)が出てきたり、またオヤジ宛てにきた手紙(これも大変な量です、何しろ15年間総て保存していたようで)もチェックしなければ、オヤジの死亡を通知しなければならない人だったりするので、リストと照らし合わせながら、必要ないものは廃棄しています。

冬の日差しがポカポカと気持ちの良い庭に書類を持ち出して、丹念に捨てて良いものと、まだ保存しなければならないものを選り分ける作業をしていると、当然のように母は落ち込んでくるようです。
僕はもう感情的になるまいと決めたのですが、どうも母はすぐにはリカバリーなかなか大変なようです。

服にしてもオヤジはかなり体型が小さかったので、僕にはとても着れない物ばかりで、誰かに着ていただくといってもここはオーストラリア、サイズ的に無理なものばかりなようで、救世軍にほとんど持って行く事になると思います。

そんなわけで今日は一日その作業に潰れ、夕食は我が家に長年来てくれているお掃除のオバサン、ポルトガル人の「ファティマ」と一緒に、オヤジを偲んで、彼女のお勧めのポルトガルレストランに行くことになっています。 


2002年6月7日

本日の日記は都合によりお休みいたします。


2002年6月8日

昨日の日記はサボってしまったので、昨日書こうと思ったことから。
毎週木曜日に来てくれている掃除のオバサン、ポルトガル人の「ファティマ」は我が両親がオーストラリアに来てからですから、もう15年も働いてくれています。
まさに家族の一員で、オヤジが死んだ時にも大いに悲しんでくれていたのです。
考えてみると、気むずかしかった我がオヤジが気に入っていた数少ない「使用人」の一人だったわけです。

そこでオヤジを偲んで、長年世話になった彼女をディナーに招待しようと言う事になったのです。
しかしかなり保守的な彼女は、もし日本食に招待しても(特に寿司、刺身系は絶対に食べないと思う)それほど喜ばないと考え、彼女に「シドニーで一番気に入っている」ポルトガルレストラン行こうと伝えました。

つまり彼女の推薦の店を彼女に予約入れてもらい、支払いは我々が持つと言う事にしました。
金額は一切心配しないで「一番」と思っている店を予約しておいてくれと言っておいたのに、長年苦労した人間である彼女は、本当に庶民的な(値段はビックリするほど安い)店を予約していました。
当日彼女の車の後を Petersham (ピーターシャム)にあるそのポルトガルレストランまでついて行きました。 名前もただ [Petersham charcoal chicken] という何の変哲も無いバーベキューチキンの専門店でした。

テイクアェイの店の奥にテーブルが少々あって、そこで食べる事ができるのですが、いや〜!この店本当に美味しい店でした。
今はW杯の真っ只中で店はガラガラ、その上ポルトガルティームは優勝も可能と言われたほどの実力のあるティームなのにアメリカとの第一戦を落としてしまい、シドニーにいるポルトガル人はかなり落ち込んでいるようです。 つまり落ち込んで外食に出てこないのか?。

店で何を食べるかも彼女に一切お任せです。
彼女のポルトガル語での注文を、我々は全く何を言っているのかは判らないも、彼女が母国語を喋っているのはめったに聞くチャンスが無いので、興味深く聞いていました。
皆さんご存知のように日本にはポルトガルから入ってきた外来語が沢山あります。 そう「パン」や「カステラ」もポルトガル語。

彼女が僕たちのためにオーダーしてくれた何品かの内の一つ、魚料理のバカラウ(バカリャウの方が正確か)。 これはポルトガル料理の(魚介類の部の)定番です。
干し鱈というよりもむしろ塩鱈と思うほど塩辛いものを時間をかけて塩を抜いて使う料理です。
バリエーションは沢山有るようですが、その晩は素朴なバカリャウのグリルにタマネギの良く炒めたのがのっているだけ、付け合せにはポテトというもの。
これを食べるとなぜファティマが我が家に掃除に来ている時に、両親の食べている魚の干物などを食べさせられても、美味い美味いといって喜ぶかが分かります。
食べると口の中に独特な魚の干物の香りが。 何か懐かしささえ感じます。
日本にいて毎日日本食を食べている方には、このバカリャウにそういう感情を抱かないと思います。
また我が娘のように、魚の干物などは絶対に口にしない人間には(ほとんどのオーストラリア人はこの部類)、臭くて口に会わないと思います。
もちろん我が娘も一口食べただけで、他の皿をつついていました。

逆に我が母は他の肉料理類には見向きもせずに、美味い美味いとその干し鱈堪能していました。
そうそう、もう一つの共通点は塩辛さでしょう。 ポルトガルソーセージも前菜で出てきたのですが、これもやたら塩辛く、パン(そうまさにパンです)に挟んで食べるとちょうど良い美味さです。

ひょっとすると、日本で有名なポルトガルを源とする食べ物はパンやカステラだけでなく、実は日本独特だと思っていた魚の調理法も影響を受けているのかもしれないと、彼女が我々のためにオーダーしてくれた数々の料理を食べながら考えていました。

さて、本日の日記です。
今日第二土曜日は両親が所属しているシニア会の例会の日で、父の葬儀の時にはお世話になった方も沢山いるので、お礼を兼ねて出席しました。 僕にとっては初めてで、皆さんの前でお礼のスピーチをしなければならないと、多少緊張して臨んだのですが、皆さん和気あいあい非常にリラックスした雰囲気でした。

ただ僕自身は将来そこに入会させてもらうかと考えたら、多分「No」でしょう。 オーストラリアに来てまで、日本人同士で集まってという意味をあまり感じないので。 

しかし、このシニア会には戦争花嫁の女性もかなり多く、彼女たちにとっては普段全く日本語を喋るチャンスが無い生活の中で、極たまの息抜きに「日本語」を使いに来られるのかもしれません。
ですから彼女たちにとっては今僕が書いた、オーストラリアに来てまで「日本人同士でつるんで」というのには当てはまらないと思います。
彼女達この例会には、旦那さん(当然オーストラリア人)同伴の方もいて、彼らはほとんど何を喋っているのか分からない(ほとんどすべて日本語で進行するので)のに、ニコニコと例会を楽しんでおられます。
仲の良いご夫婦を見ていると、ほほえましいものです。


2002年6月10日

本日はオーストラリアは祭日。 クイーンズ・バースデイです。
日本なら天皇誕生日というところか。
さて、
まずは日本の勝利おめでとうございます!

昨日は一日スポーツのビッグイベントが重なった日でした。
昼にはマイク・タイソン対レノックス・ルイスのへヴィーウエイトボクシングマッチ。
モータースポーツ好きの僕には午後はオーストラリアのV8レース。
夜はW杯が有って、その後スーパーバイクがあり、同時にテニスの全仏男子決勝で、その後F-1のカナダグランプリ。
これほど重なるというのも何年に一度でしょう。
しかし、昨日は「例の彼女」を引き取りに行って、ボクシングとV8のレースは見えず、W杯日本対ロシアだけを堪能しました。

こちらオーストラリアでは当然NHKでは見えないので、現地の放送局SBSの中継で観戦ですが、母は英語が分からないので解説は理解できないも、大いにエンジョウイしておりました。(特にコマーシャル無しだし)

僕はイギリス時代からそれほどサッカーは見ていなかったのですが、さすが昨日は真剣に見ていました。
オヤジの件で、好きなスポーツを見ていても、他の事を考えていたりして、なかなか没頭できなかったのですが、昨晩の試合はかなり興奮して見ていました。
たった一点のリードを守りきれるかどうかで、最後の20分の長かった事。

僕の大好きなテニスの全仏なんか、(まあ日本人が出ていれば別でしょうが)ここ2週間毎日テレビでやっていたのに、見ていても葬儀の前後なんてただ目がテレビの方に向いているだけという状態だったのですが、もう2週間経つので、少しは気持ちの整理ができてきたということか。

もっとも家の整理はまだまだで、その上お客さんがお線香を上げにいらっしゃる事も多々あり、本日もいまだ昨晩録画した、カナダGPは見ていない忙しさ。

昨日「彼女」を引き取りに行った事を少々書きます。 
元の持ち主である、ウォリックの家を(豪華マンションのペントハウスです)我が娘も母も見たことがないというので、見学も兼ねて行きました。
実は彼、「車」だけでなく、このマンションも売りに出しているのです。
前の日記に書いたように、911事件以来彼の仕事も無くなってしまい、奥さんの故郷であるクイーンズランドでパブでも経営したいと考えているようです。

彼のこのウォーターフロントのマンションはバルメインという場所にあり、目の前に湾が一望、まさに絶景です。 寝室も4つありマスターベッドルームとセカンドベッドルームにはそれぞれ専用のトイレ風呂が付いていて、更衣室ほどもある大きなウォークインワードローブがついています。
居間の前の広いテラスからはそのバルメインの湾が一望、特に彼のアパートは最上階のペントハウスなので、まるで景色を遮るものがありません。
広さは300平米近くあるのではないかと思います。 これはオーストラリアのアパートとしてもかなり大きい方でしょう。
ところが、値段的(彼が望んでいる値段ということ)にはバルメインという土地柄か結構安いんですよね。
多分イースタン・サバーブだったら軽く倍はすると思うのですが。

部屋を見せてもらっていたら、彼の数々のトロフィーが当然目に入って、しばし昔のレース談義。
1977年のオーストラリアGPに優勝し、アメリカのカンナム・シリーズ(年間2位)やタスマンシリーズ(年間チャンピオン2度)などなど、かなりの戦績を残している彼です。
部屋には数々のトロフィーに混じって、事故の時のステアリング・ホィール(つまりハンドルです)も二つあり、両方ともその曲がり具合から事故の大きさがわかります。
それらが飾ってあるケースの中にひときわ大事そうに飾られている写真を良く見ると、セナと一緒に写っているものでした。
彼とセナは全く時代は違いますが(ウォリックは1970年代の後半まで。 セナは1984年から1994年まで)自分でもF−1さえドライブした(ウイリアムス)ウォリックにとっても「アイルトン・セナ」は特別なんですね。

さて肝心の「彼女」ですが、ウォリックのところで話が長くなってしまい、家に連れて帰る頃には暗くなってしまっていました。
久しぶりの「マニュアル車」、しかしそこは昔取った杵柄(きねづか)全く問題ないのですが、すっかり忘れていた方向指示器は左(ハンドルは日本といっしょの右です)だったり、開いていたサンルーフを閉めようと思っても、スイッチ見当たらないし(暗くて、走りながら捜しても見つからない)その上夕方のラッシュ時に巻き込まれ、ほうほうの体で家に帰ってきました。

当たり前ですがこの車は街の中に乗って行く車ではないので、交通渋滞は苦痛だけです。
近日中に写真をとって少しずつアップする予定です。
それにしても、まだ「彼女」が自分のところに来た実感が湧きません。
これはショウルームに飾ってある車とは趣が随分違うというか。
大量生産で作られた車というのは注文すれば同じのは手に入るのですが、このように17年も前の車で当時でさえ約200台ちょっとしか作られなかったわけで、(今世界で何台現存しているのだろう)この車のチューニングの内容から言ったら、オーストラリアで一台どころか、世界で一台だと思うので、車自体のキャラクターが強くて、僕の彼女になったという実感が沸くまでには少々時間が掛かるかもしれません。


2002年6月11日

本日から女房が学校の先生をお休みして、陪審員として裁判所へ。
先日の日記に書いたように、女房の教えている学校では彼女がたった一人の日本語の先生なのに、学校が正式に申請しても陪審員免除とはならず、本日朝裁判所へ出掛けて行ったのです。
しかし呼ばれた者全員が陪審員になるわけではなく、呼ばれて行った者から、被告側の弁護士が選択して陪審員12人を選ぶわけで、女房は最後の12番目として選ばれたようです。

もし本日選ばれなかったら、また明日から学校に戻る事ができるという(つまり本日一日だけ先生を休むだけで済む)期待もあったのですが、選ばれてしまったのです。
「選ばれてしまった」なんて書くと、しぶしぶ陪審員に行ったように取られるかもしれませんが、彼女はもうすでに覚悟を決めていて、休んでいる間に生徒たちの勉強が遅れないようにと、特別に教材を作り(テープに録音したりして)なおかつ裁判の無い土曜日に生徒を集めて補習をする(オーストラリアの学校では基本的に土曜日の授業はありません)計画も立てているのです。

女房に言わせると、今回選ばれた事によって、少なくとも今後3年間はお勤め(陪審員)の呼び出しは来ないだろうから、それはそれで今後楽になるとも思っていたようです。
例えば海外旅行の計画を立てて、いざ航空券などを購入なんて時に、呼び出し来たら目も当てられません。

で、どうせなら「思いっきりドラマティックな」事件の内容を期待して行ったのに、何と「ただの詐欺事件」との事。
結構がっかりしておりました。 どうやら事件の内容は、札付きのコンピューター(PCの販売)会社を経営している男が起こした詐欺事件との事。
実はこのようなつまらない事件の場合はいくらでも傍聴席は空いているので、暇だったら僕も行って女房が陪審員をやっているのを見る事もできるのですが、そこまで僕も暇ではない。
(冗談で)明日僕も行って傍聴席から女房のいる陪審員席の方に「手を振ったり」しちゃおうかな〜、なんて言ったら女房冗談とは知らず一瞬あせっていました。
結構真剣にお勤めをするつもりのようです。
逆に彼女ちょっぴり「橋本病」なので、裁判中に寝なきゃいいと僕は心配しています。 裁判中に陪審員がイビキかいてたりしたら、笑っちゃいますね。

さて、一昨日来た「彼女」昨日と本日少々乗って見ましたが、イヤハヤものすごい「キャラ」です。
乗り心地といい、挙動といい、なんか「彼女」って表現が当てはまらないほど「硬派」で、ものすごく「男っぽい」んです。
サスペンションはガチガチだし、ハンドルは(動き出せば問題ないが)駐車場での切り替えしなど、多分女房だったら無理ではないかと思うほど重いし、(もちろんパワーアシスト無し)、クラッチペダルもかなりの重さだし(あまりにもオートマ永く乗っていたので、なまってしまったのかもしれませんが)、ブレーキも普通車の感覚で足を乗せても全く減速しない、全くパワーアシスト無しなので、かなり強く踏まなければならないところなど、ほとんどレーシングカーみたいで、この総ての「ハード」さには、「彼女」という表現はどうなんだろうと。

しかし僕は大喜びです。 キャラの強い車だからこそ魅力があるわけで、毎日の足に使う車ではないので、ある程度「準備」というか「覚悟」して乗るというのは、例えば1000ccクラスの150馬力くらいあるスーパーバイクをノンビリ乗れないというのに通じるところがあるかもしれません。

母が見て、私にも乗せてくれというので横に乗せたら、その硬い足回りの乗り心地の悪さに、「ポルシェといっても、これほどボロ車とは」と言い出して、娘の乗ってるホンダシビックの方がよっぽど良い車だ、何でこんなに酷いのだ、これは17年も経っているからボロなのでは、おまえは騙されたのではと本気で思っているようです。
それを聞いて僕は笑いが止まりませんでした。
明日はなぜこの「彼女」がオーストラリアで一台いや世界で一台かを証明できる(?)写真をつけます。(本日写真撮ろうと思ったら暗くなってしまった。 そうオーストラリアは真冬で日暮れが早いんです)


2002年6月12日

昨日裁判所へ出掛けて行った女房が、裁判第一日目は陪審員選びだったので、思いのほか早く終わって早く帰れたので、彼女に運転してもらって日本領事館へ父の死亡届を出しに行きました。
シドニーの日本領事館周辺は我がワゴン車(つまり商用車パーキングも使える)でも駐車できるところが少なく苦労するのです。

用意して行ったものはオヤジのパスポート、僕のパスポート、政府発行の死亡証明書、それに一応医者の死亡診断書も持っていきました。
この政府発行の「死亡証明書」はオリジナルが一通来ているだけなのですが案の定日本領事館ではこのオリジナルを提出しろといわれました。

しかしこのオリジナル渡してしまうと、これから次々と始まる遺産整理手続きに(僕は日本の事情は良く知りませんが、オーストラリアは非常に複雑です)必ず必要な場面が出てくると思うので、渡すわけにはいかず、届出を保留のまま帰ってきました。
海外在住の者は届け出の期限が3ヶ月と比較的余裕があるので、とりあえず政府にもう一通発行を申請して、それが届くまでは待つことにしました。(もう一通申請に29ドルもかかってしまった。 これはオーストラリアのスタンダードではかなり高いと思ういます)

遺産整理といえば、日本領事館と同じビルに「コモンウエルズ銀行」が入っているので、ついでに出掛けて行ってオヤジと共同名義になっている口座をどうするか相談しました。
この銀行は我が家のメインバンクではなく、たまたまここの貸し金庫を昔から使っている関係で、口座を持っておく必要があったのですが、この「共同名義」の口座の場合、僕はまだ生きているので、使う必要があるのに、親父は死亡で口座がフリーズされてしまうのか心配で聞きに行ったのです。

窓口の若いオニーちゃんは全くそのような質問を今まで受けた事無いようで、上司に聞きに行くためにカウンターを離れたのですが、いつまでたっても帰ってこない。
要領を得ないので、とりあえず死亡証明書のコピーだけ渡して帰ってきたら、本日僕が元働いていた事務所に銀行から電話があったそうです。

そうか、昔口座を開設した当時の仕事先の電話番号のままになっていたのを思い出して、すぐに折り返しこちらから電話を入れました。
ところが何といくらかけても電話出ないんです。 かけてるのは本店で、まさか昼近くだからといっても誰か出るはずなのに何度やっても出ない。
電話番号が違っているのではないかと心配になって、電話帳で調べるも間違っていない。 何しろ代表番号にもかけてるのに、全く誰も出ないのです。
しょうがないので全国共通の大代表の番号をかけたら出たので、事情を説明してそこから電話を回してもらうも、やはり誰も出ない。
僕は考えました。 
最近のオーストラリアの銀行は合併や統合を繰り返し、どんどん合理化をやっているのですが、それが極端に進んで電話に出る人間(レセプションなど)さえまともにおらず、この本店でも昼時は電話に出るものがいないのだろうかと。
僕らのようにインターネットで実際の窓口などに行かなくてもほとんど必要な事は済ますことが出来る人間なら良いが、我が親の年代などは随分サービスが低下して不便だろうとつくづく考えながら、一向に誰も応答しない電話を掛け続けていました。

さて、昨日の日記でちょっと触れた「彼女」についてです。
以下に付けた写真が、彼女が「超レア」な車であると確信している証拠です。
しかしかなりマニアックな部分なので、これを見て分かる人は少ないと思います。 僕も知らない事が多くある。

少し説明します。 僕が彼女を引き取ろうと考えた時に一体「いくら」が妥当かを知りたくて、インターネットを駆使して世界中の中古値段を調べました。 
で、ある日本のポルシェ930ターボのオーナーがやっているHPにお邪魔して「スラントノーズまたはフラットノーズ」の930ターボの中古値段などをお聞きしているうちに、どうやら「彼女」が只者ではない事を知ったのです。
つまり「フラットノーズ」というのはボディーワークなのですが、エンジンスペックはほとんど当時のノーマルターボ(本国仕様)の320馬力ほどのはずなのに、彼女は420馬力なのです。

しかし、この日本のHPの方は、それは買った後でチューニングショップがモディファイしたのでしょう、そんな馬力は聞いた事無いし、ターボ圧コントロールノブ(後述)なんて純正ではないはずだとかなり確信を持っておっしゃったのです。
で、下に付けた写真なのですが、一番右側には(手元の930ターボのオーナーズマニュアルにも)本来なら時計が入るところに、ポルシェのレーシングカーなどに使われた俗称「クリスマスツリー」と呼ばれるターボ・メーターが入っています。
ポルシェ純正の証にメーターの中にはporscheの文字があり、このクリスマスツリーはポルシェのレーシングカーに装備されているのを見た記憶が。
なぜクリスマスツリーかと言うと、この小さな粒々のガラスの球がターボ圧の上昇とともにピカピカと一つずつ点灯して、クリスマスツリーのデコレーションのようになるからです。

で、このターボメーターはターボ圧が1.3バールまで出ています。
実は回転計の中には本来のターボ圧メーターがある(下の写真二番目)のですが、これコネクトされていないのか、動きません。 
で、この本来のというかスタンダードのターボ圧メーターは1.0バールまでしか刻まれていません。
つまりスタンダードのターボ圧で320馬力だがターボチャージャーなどを大きなものに取り替えなどモディファイを受けて、本来のターボ圧メーターでは間に合わなくなっている=エンジン馬力も上昇しているということなのです。
三番目の写真はセンターコンソールに無骨に取り付けられた、そのターボ圧調整ダイアル(ノブ)。 運転しながらぐるぐる回して調整するのですが、いまだに100%把握してません。 ウォリック曰くあまりターボ圧かけ過ぎると、オーストラリアのガソリンはオクタン価が低いので、デトネーション起こすとの事。(ウォリックは1.3バールまでかけた事が有るらしい)
このデトネーションやると、かなりエンジンにダメージを与えてしまうので、今は(ウォリックお勧めの)オクタン価を上げるための「添加剤」をガソリンと混ぜて使っています。
とりあえず僕自身の運転では、1.1バールをちょっと超える程度までは確認しています。
(この程度のターボ圧になるとまさに暴力的な加速をします。 ちなみにポルシェ959でさえ1バールです。)

このようなマニアックの写真ばかりでは面白くないので全体の写真も良いのが撮れたらそのうちアップしますが、今日のところは以下のリンクで写真(偽物のスラントノーズの見分け方まで出ているHP)をご覧下さい。
ここのもあまり良く撮れていませんが。
http://vista.pca.org/stl/911slant.htm

写真
t_meter_w.jpg (22546 bytes)     tacho_w.jpg (36739 bytes)    

 

 

nob_w.jpg (50872 bytes) 

 


2002年6月13日

日本の友人から陪審員について質問が来ました。 陪審員になるのは(選ばれるのは)特別な資格など全く必要なく、政府がアットランダムに選んで、「召還」するのです。
で、あまりにも多くの人達が種種の理由をつけて陪審員になるのを免れようとするので、最近になって政府はかなり免除規定を厳しくしたようです。

結局我が家では(偶然ですが)同じ時に娘と女房が召還され、二人とも免除願いを出したのですが、娘は免除され女房は却下されたわけです。
この理由を色々考えてみるに、女房は過去に2度も免除を受けているから今回は駄目だったのか、はたまた娘のやっている仕事が(医科学研究所で、癌の研究が)女房のよりも重要だと(?)判断したのか、全く我々にはわかりません。
確かに娘は初めての呼び出しだったので、最初は免除受けやすいのかとも思いますし。

で、多くの人が免除を申請する理由の一つは、あまりにも多くの時間を取られるということだと思います。
本日女房が裁判から帰って来て言うに、裁判所の係員と話していたら、今までの最長は何と!「9ヶ月」というのが有ったそうです。
もし自営業で9ヶ月休まされたら、倒産や廃業に追い込まれる人もいると思うのですが、その辺はどうなっているのでしょう。
その上、原則的に陪審員がフルタイムの仕事を持っている場合は、雇用主が休み扱いにせず給与の全額を払う義務がある代わりに、裁判所からは(つまり政府からは)一セントも支払いはありません。

女房の場合はフルタイムではなく休んだ分給料から引かれる可能性があるだけでなく、土曜日なども特別に(生徒のために出掛けて行って補習を行なう)出るのですが、学校側からはそのような自発的行為には給与は支払われない事を裁判所に説明したら、日当が出る事になりました。

で、皆さんこの「日当」いくらぐらいだと思いますか?
裁判が(その日の進行の都合で)半日で終わり翌日まで休廷に入ったりした場合は半日として計算され、4時間分の支払いが36ドル、一日フルにいたら72ドル、つまり時間給でいうとたった9ドルです!!!
今オーストラリアドルは1ドル70円くらいですから、時間給630円ほどになります。
その上交通費も出ません!
こんなんじゃ皆嫌がるわけですが、これは兵役と同じように「国民の務め」なのだと政府は考えているのでしょう。

その時間給9ドルでも喜んで陪審員になるというのは、無職の人や学生、家庭の主婦などが多くなってしまう事も有るでしょう。
ですから陪審員が偏ってしまうのを防ぐために政府が最近になって厳しくなってきているのかもしれません。

さて女房が陪審員をやっているこの裁判、本日は夕方の4時までびっしり有って、内容がコンピューター会社を経営しているオヤジがやった「詐欺と脱税」なので、延々と経理内容の話や帳簿の内容などが展開され、あまりにも面白くないので参ったと言っております。
女房はこのままでは絶対に居眠りしてしまうと心配になって、わざわざ起きているために裁判の内容をノートにメモしているそうですが、それでも一瞬グラっと来たそうです。

確かに殺人事件などなら眠気も覚める内容が展開されるかもしれませんが、裁判と言うのはそんなのばかりではありません。
日本でも陪審員制度へ移行するのでしょうか?
今回の件では色々考えさせられる事が多いです。

さて、もう一つやはり日本にいる友人から、「イギリスのサッカー・スーパースターであるベッカムの履いているいる試合用のシューズがカンガルーの革製だというので、動物愛護団体が噛みついている」という記事が送られてきました。
僕は動物愛護団体というのをあまり信用していないのですが、今回噛みついているのはアメリカの(?)団体だったかですが、しかしオーストラリアにも「バリバリの」動物愛護団体はあります。
でも、オーストラリアの愛護団体は何にも言っていないのはオーストラリアの事情を良く知っているからでしょう。

オーストラリアではカンガルーはネズミかイナゴのようなもので、もうメチャクチャ沢山いて困っているようなもの。
そんな事情を知らないアメリカあたりの愛護団体が言っているのでしょう。
オーストラリアの愛護団体もかなりの「ガリガリ」というか「ヲタ」で、中華街にあった鉄板焼き屋で活ロブスターを焼いて出していたら、鉄板の上で飛び跳ねるロブスターを見た愛護団体が噛みついて止めさせたのを思い出します。
そうそうそれに関連して。
日本でもオーストラリアでも、浄水所では飲み水の水質管理に小魚を使っているのを知っていますか?
つまり生活水の安全を確保するために(毒物混入などを防ぐために)水質試験をやるのは当然としても、小魚を飼う事で浄水用の水質の変化をリニアにモニターする事が出来るのです。
炭鉱のカナリアと同じと言うか。 つまりいちいち水質検査をしていたら間に合わないのを魚はすぐに浮き上がるからというわけです。

ところが!
オーストラリアの愛護団体はこの小魚(淡水魚です当然)が「可哀想だ」と噛みついたのです。
毒物などが混入したら死んでしまうから「可哀想」だということで、水の中に住む「蚤(ノミ)」を使って水質をモニターすべしと圧力をかけて、小魚使うの止めさせてしまいました。
いや〜僕は最近これを知って、笑いが止まらなかったです。
小魚が可哀想で、蚤が可哀想でない根拠をじっくり聞きたいと。
それほどの愛護団体がいるオーストラリアで「カンガルー問題」は聞いた事は無いのですから、ベッカムのシューズ問題は何か裏があるのではないかと、かんぐってしまいます。


2002年6月14日

本日はオヤジの死亡届提出に日本領事館に出向いたり、はたまた銀行の口座の事や遺産処理を任せている弁護士事務所に行ったりして、一日中でかけていたので、日本対チュニジアの試合開始ちょいと前、ぎりぎりに帰ってきました。
オーストラリアでの中継は午後四時半からです。
またその後にロシア対ベルギーがあり、夜9時半から韓国対ポルトガルになっています。 (多分現地ではもっと早く試合は行なわれているのではないかと思います)

皆さん! 日本のベスト16進出おめでとうございます。
まさかここまで日本がやれるとは!
いやすごいです。 今日の試合はSBSというテレビ局の中継で見たのですが、解説者はチュニジアと比べて日本は実力がはるかに上だと言っておりました。
素人の僕が見ていても、ほとんど日本がボールを握っていて、差が分かりました。
この後の、韓国対ポルトガルの試合も非常に興味が有ります。

我が家に来てくれている、お掃除のオバサン「ファティマ」はポルトガル出身で、昨日来た時から今日の対韓国戦、もう気になって気になって仕方ないと言っておりました。
僕としてはせっかくのホスト国韓国にも勝ってもらいたいし、またファティマの悲しむ顔も見たくないしと、複雑なところです。

先日の対アメリカの試合でポルトガルがまさかの敗戦だった日には、家中誰も口を利かなかったそうで、まるで通夜のようだったそうです。
さすが本場ヨーロッパ出身の移民ですな。

というわけで、本日はオヤジの死亡届提出などに関して日記を書くつもりだったのですが、これで終わりにして、残りの試合を見なければ。

とにかく日本の勝利「メデタシメデタシ」でした。


2002年6月15日

日本は決勝リーグ進出に大いに沸いている事でしょう。 
韓国も進出決まりましたね。 
普段サッカーはほとんど見ないシロウトの僕ですが、外国に住むと余計母国の応援がしたくなる。 (特にここオーストラリアは出てないし)
これまた普段はスポーツ番組などめったに見ない母と一緒に、日本の勝利を大喜びで見ていました。

で、普段サッカーを見ない僕には、不思議に感じる事があります。
それはボールの奪い合いの時に、ちょっとでも相手の選手が押されたりしたら、いや押すどころか触った程度でも、思いっきり大げさに倒れて、痛さに顔をしかめてグランド上でのた打ち回ったりしますよね。
もちろんいくらシロウトの僕でもほとんどが演技で、相手のファールを取るためにやっているのは分かります。
それにしてもオーバー過ぎないかと思うのです。

特に昨晩は金曜日の夜だったのでオーストラリアでは他のチャンネルでラグビーを中継していました。
ふと女房の見ているラグビーを見ていると、思いっきり大きな男がぶつかり合っています。 もちろん違うスポーツというのは承知の上で言うのですが、ラグビーほどのぶつかり合いをいつも見ている我々には、サッカー選手の演技にはもう少し何とかならないのかと感じてしまいます。

それともう一つ、シロウトの戯言ついでに。
昨晩の日本対チュニジア戦だけ出なく、韓国対ポルトガル戦、両方ともレフリーは今回のW杯ホスト国に甘く、対戦国に厳しかったと感じたのですが。
チュニジアの選手はどんどんファールを取られるし、また韓国の方ではポルトガルにレッドカード出て(最初のは絶対に厳しすぎると思います。 こちらの解説も同じように言っていました)その後イエローカード二枚で二人目の退場。
ポルトガルはW杯の歴史の中でレッドカードは一枚も今まではもらった事無いらしい。
来週「ファティマ」が掃除にきた時の様子が今から想像できて、少々怖いです。
そうそうもう一つ。
日本では皆さんとっくに見慣れてしまっているので、気が付かないかもしれませんが、僕のように「浦島太郎人間」には日本の選手の金髪度が、面白いというか可笑しいというか。
何しろベルギーやロシアなどと対戦していても、日本の選手のほうが金髪多いんですから。
これも流行でしょうから、何年かすると「おまえまだ金髪にしてるのかよ、ダっせーよ」なんて時代も来るのでしょうが。

今日は久しぶりに午後から女房と二人で遅い昼食に。
最初に行こうと思った店(フランス系)は、娘が友人と行っているという情報が入ったので、同じキングスクロスにある、スペイン人のオーナーが経営する僕の大好きなカフェー「HERNANDEZ」へ。
今日は土曜日なので、色々な昼食が用意されているのです。
女房はここのところ体重がちょっと増加気味なので、コーヒーだけと言っていたのに、僕の注文した「パエリア」あまりにも美味しいので、かなり取られてしまった。 
サフランの香りがもう少し強くても良いかなという以外、お値段(たった11ドル50セント)の割に、大きなえびは3尾も入っているし、他にもチキンやイカなど盛り沢山に入っていて、お昼には充分すぎるほど。

女房が注文したスペイン風ホットチョコレートとチュロスの組み合わせも最高で、つくづく「シドニーを満喫」していました。
「シドニーを満喫」というのは昔の日記にも書いたように、手軽に(パスポートを持たずに、飛行機にも乗る事無く)半日の外国旅行が楽しめる街だという意味です。
「ヘルナンデズ」カフェーでスペイン人に囲まれてお昼を取っていると、まさにそこはマドリッドの下町か、バルセロナといった趣。
決して豪華ではない店の内装も、味も本場そのままで、先日「ファティマ」と行ったポルトガルのレストランといい、このような素敵な店が沢山有ります。

だから僕はシドニーが大好き!!!。


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