2008年3月の日記
by tom tanabe マグパイへ戻る
2008年3月30日
昨日土曜日に我が家で「ガレージ・セール」をしました。
この家に引っ越して来て約2年半、ここでは初めてのガレージセールでした。
昨年に女房共々60歳になった僕らは、今年から経理士の助言で「アロケイテッド・ペンション・モード」というのに入った。
つまり国税局に60歳で年金生活に入った旨を申請し、今後就業(短時間のアルバイトを除く)して収入を得ない代わりに、所得税の免除を受けるという手続きをした。
前の日記にも書いたように、前政権(ハワード首相)の人気取り税制改革で、60歳前後の団塊の世代にはとても「おいしい」年金税制度の変化があって、積み立ててある年金が生み出す利益や、またその中から受け取る収入に対して一切の税金がかからない。
たとえそれが何億いや何百億円(そんな人はいないと思うが)有ろうとも一切所得税がかからないんですね。
そんなおいしい税制度なので、僕と同い年で顧問経理士の「アルフ」でさえ、リタイヤしてペンションモードに入ってしまったほど。
僕らはこのアルフのおかげで随分と良い助言を得た。
つまり若い経理士や勉強不足の計理士だと、政府(税制改革)の動きを予測したり、実際にどう動いたら一番「お徳」かってのをよく調べない。
無税だというのさえ知らないのさえいるほど。
しかしアルフは僕らと同い年だったために、自分自身のために非常に綿密に計算をして、それを僕らにも助言してくれた。
話は飛んでしまいましたが、そんなわけで倉庫に保管してあった大量の書類(自分のやっている法人および僕ら個人の経理、税務、銀行関係)の多くを処分する時が来たので、先日貸し倉庫に出かけた。
そこで中を整理していたら今の家に引っ越して2年が過ぎたのに、まったく必要無いというか、眠ったままになっている物が結構あることに気がついた。
中には箱を開けてみて初めて「こんな物まだ持っていたんだ」なんてすっかり忘れてしまっていたような物も有った。
そこで定番の「ガレージセール」とあいなった次第。
ガレージセールをやること自体僕自身は「大変苦手」なんですが、逆にわが女房は「大好き」って人なので全て彼女にお任せなんですけどね。
勿論倉庫から物を運んだり、ガレージの前に大きなテーブルなどを出して品物を飾ったりは僕のお仕事ですけど、お客として入って来る見ず知らずの人にフレンドリーに話しかけて、中にはしつこく値切ってくる人にもニコニコと対応するなんて僕にはとてもできない。
ロンドンに住んでいた頃に女房はキングスロードの(ヴィヴィアン・ウエストウッドの店の近くで)小さな店(服やアクセサリー)をやっていたのですが、ホント水を得た魚のように生き生きとやっていたものです。
「対人販売」と言うか接客業って絶対に向き不向きがありますね〜。
さて今回のガレージセール、ヴィクトリアロードに住んでいた時には何度かやっていたのですが、違う地区で果たしてどのくらい売れるものやらと思っていたのですが、同じように良く売れました。
というのもガレージ・セールで商品を仕入れる「プロ」がいるのもその理由のひとつかもしれません。
彼らにとってはどこへでも出かけて行くようで、前の家でやった時に印象に残っていた人も今回もいた。(女性で小さな犬を連れているので印象に残っていた)
彼らプロはどうやってガレージセールが行われているという情報を仕入れるのか大変不思議。
というのも彼らは近所に住んでいるわけではないし、また今回の我が家のガレージセールの場合、電信柱に貼ったA4の紙にコピーした宣伝はたったの16枚、それも我が家の周りだけなんですよね。
彼らはそれをどうやって嗅ぎつけて来るのか、本当に不思議。
また今回もれいによって大量のロシア人(まあ彼らもガレージセールのプロなんですけど)が来ました。
我が家のビラには朝9時からと書いてあるのに、ロシア人たちはまだ準備中にもかかわらずどんどんと入ってきて漁る。
人の言うことなんかぜんぜん聞かない。 馬鹿みたいに安く売っているものでもしつこく値切り倒す。
油断してると、ポケットに入れて持っていってしまう。
僕は人種的な偏見を持ってはいないが(持ちたくは無いが)、ガレージセールを周っているロシア人ってどうしてあんなに性質が悪いのが多いのか。
今回もガレージセールの中では比較的高価な「オペラ・グラス(小型望遠鏡)」をやられてしまった。
ロシア人の一人が手に持ってみていたのは記憶にあるのだが、気がついたら革のケースに入っていたそれが無い。
ケースごと盗まなかったのですぐに気がつかなかったんですね。
ガレージセールではまさかこんな物は売れないだろうと思うような物を、まさかこんな人がってのが買って行ったりする。
例えば今回「ポータブル・ウォーター・ポンプ」を売り出した。
これは前に住んでいた家に池があって、錦鯉を飼っていた時に池の掃除をするために購入した小型のポンプ。
池の水を入れ替えるためにバケツで水を汲み出すのが面倒なので、小型のポンプを使っていたわけだが、もうだいぶ古いし、まだ動くかどうかさえ分からない。
当然今の家には必要ないし、粗大ゴミの時に捨てようと思っていた。
ところがこれを購入したのが50歳くらいのロシア人のオバサンなんですよね。
じつはこのオバサン最初に入って来てまず品定めを始めたのが古〜い「マージャンのパイ」。
僕はこのパイをいつ手に入れたかは全く記憶に無いのだが、あまり高級でもなく裏の竹の部分(本当の竹なので年代が分かると思うが)は傷がついてて何だか分かってしまうような代物。
彼女はそれを手にとって女房と値段の交渉を始めてた。
で、僕は半分冗談のつもりで女房とそのオバサンの間に割って入るように、「これは象牙かも」と言おうとしたらそのオバサン、僕がほかのバイヤーで(東洋人に見えるから余計にマージャンパイを買いそうに見えた?)僕が買いたいと割って入ったと勘違いして、女房にグチグチとしつこく値切り交渉をしていたのに、「キッ」という感じで僕のほうを睨んで、「これは私が買った物よっ!!」と抱え込んだんですよね。
一瞬僕は「???」となって、いや僕も売っている側の一人なんだけど(そのオバサンが入って来た時には確かに僕は家の中で他の物の整理をしていた)言おうとしたのだが、僕が英語で「アイボリー」と言ったのを余り英語のできないロシア人のオバサンは僕が欲しい「アイ・ウォント・イット」とかでも言ったと勘違いしたのだと気がついた。
そこで僕は「オーケー」と言って引き下がったわけだが、オバサンは値切ったら僕に取られると思ったのか、それまでしつこく続けていた値切り交渉もせずに買ってしまった。
で、このオバサンそのマージャンパイを買った後、何とそのボロのウォーター・ポンプも買って行ったんですね。
あんなオバサン絶対に見てもそれがウォータポンプって分からないようなタイプなんですけどね。
いや〜笑っちゃいました。
今回のガレージ・セール当然近所の方も来た訳ですが、前の家もユダヤ人結構いたけど今回も多かった。
まあ同じイースタン・サバーブに住んでいれば多いのは当たり前なんだけどしかし今回上記のロシアのオバサン・バイヤーよりも笑ってしまったのがオーソドックッス・ジューというか信心深いユダヤ人の女性客の一人でした。
その中年のユダヤ人のオバサン、色々品定めをして夏用掛け布団やセーターなど数点選んだ。
そしてそれらを女房のところに持って来て、「これが欲しいがしかし今日は土曜日だから買えない、近くに住んでいるので暗くなってから届けてくれないか」と言うのです。
これはユダヤ教では土曜日は安息の日で、一切の商業行為はしてはいけない。 物を売るだけでなく買うのもいけないって事なんですね。
だが彼女はどうしてもガレージセールに来たくて、そして欲しいものを見つけてしまった。
しかし非常に罪の意識を感じていて、何と女房に「この家のお隣とかにユダヤ教の牧師(ラバイと言います)は住んでいませんよね?}と聞くので女房は最初あっけに取られた。
つまり彼女は我が家に入って来てガレージセールで物を漁っているのを牧師に見られるだけでも「えらいこっちゃ」とビクビクしているわけ。
そして我が家の近くにはラバイがいないことを確認してから、「日が暮れたら我が家にそれらの欲しいものを持って来て欲しい」と言うのですよね。
それを聞いて僕は笑いをこらえるのに必死でした。
いや〜信心深い人というのか何というのか。
無宗教の僕には到底考えられないですね。
確かにこの辺は前の家よりも同じユダヤ人でももっと信心深いのが多いかもしれません。
久しぶりのガレージセール、売り上げは予想以上に多く、すっかり整理もできたしメデタシでした。
2008年3月27日
なんだか日本から「気印」の若いのが引き起こす事件が連続で入ってきますね。
茨城連続殺傷事件では包丁やナイフで誰彼かまわず襲い掛かり、「人を殺したかったから」ってのが動機とか。
また岡山では突然入ってくる電車に人を突き落とし殺してしまった。
これも「ただ人を殺したかった誰でも良かった」って話で、いったいどうなっているのやら。
この手の「気印」の犯罪は日本だけではないが、せめてもの救いは日本では銃の入手が諸外国に比べて比較的難しい。
のんびりした国オーストラリアでも、勿論「気印」はいるわけで、タスマニアはポート・アーサーで起きた無差別殺戮ではなんと35人もの死者が出た。
今回このポート・アーサーの悲劇についてググッてみたら、犯人のマーティン・ブライアントは「気印」じゃない、つまり精神鑑定で責任能力ありとされ、(死刑の無いオーストラリアでは最高刑の)仮釈放無しの終身刑に服しているんですね。
タスマニアは19世紀に有名な刑務所だったポート・アーサーという今は有名な観光地で1996年に起きた事件です。
その事件当日、犯人のマーティン・ブライアントは観光客が集まるレストランで平然と食事を取り、「今日はジャップ(*)は少ない、ワスプ(*)ばかりだ」と言いながらスポーツバッグの中からライフル銃を取り出しレストラン内で無差別に乱射し始め、たった一分半の間に20人を射殺した(その他負傷者は12人)。
(*上記のジャップは日本人、ワスプは白人(WASP)
の意味。 犯人はその日、日本人観光客が少ないと言っていた。 ですから別の日だったら多くの日本人観光客が犠牲になっていた可能性が高いです。 ちなみに娘の友人のお姉さんも犠牲者の一人。 シドニーから観光で訪れていた)
その後レストランから出てきた犯人は駐車場の観光バスを襲い、運転手や乗客を殺し、次に自分の車を運転しながら手当たり次第通行人を射殺、行き先のガソリンスタンドやその後押し入ったモーテルなどで殺人を続けたわけですが、この35人もの犠牲者を出した事件は一人が行った殺人事件としてはいまだ最大の悲劇とされている。
で、本日ググッてみるまで彼が精神鑑定で責任能力有りとされたというのは知らなかった。
このような事件を起こした人間を精神異常ということで刑事責任を追及できないじゃ世間が収まらなかったんでしょうが、確実に先日の茨城連続殺傷事件と共通するものが有るでしょ。
日本でも同じように今回の犯人を「責任能力有り」とできるのだろうか。
この犯人がもしライフルのような凶器を所有していたらと考えるとぞっとしますね。
ただし今回の茨城の事件で駅にいた私服の警察官まで襲われていますよね。
駅には8人もの私服の警官が張り込んでいたらしいが、彼らはお互い連絡するための機器(トランシーバー?)も持たず、結局犯人が自分で最寄の交番に出かけなければ捕らえる事もできなかったらしい。
だいたい張り込んでいた警官は武器らしいものさえ所持していなかったのか。 犯人が包丁で襲って来た時には何をしていたのか。
張り込みなのだから、平常時のようにボーっと立っていたはずはないし、襲って来たら(警戒中の警官なのだから)少なくとも抵抗するとか何か行動を取ったのだろうか。
私服でも銃を持たせていたら、たとえ不意に刺されたとしても発砲するなり出来たはず。
結局殺されてしまった男性は、犯人が警官を襲った後にやられてしまったようですが、警官がその場で射殺でもしていれば少なくとも彼は殺されなくともよかったわけですからね。
ホント、この手の犯罪を起こすような人間は生かしておいても意味無い訳でその場で射殺ってのが一番良いですな。
捕らえて事件を起こした動機など聞いても(正当な理由などあるわけでもなく)意味無いでしょ。
マーティン・ブライアントの事件があまりにも有名になってしまったが、オーストラリアではそれほどこの手の通り魔的というか無差別な犯行ってのは、かなり少ないのではないかと思います。
駅のホームで電車を待っている人間をいきなり後ろから突き飛ばして殺してしまうなんてのは、その人間への恨みとか、スパイ映画ではないが「口封じ」とか何か理由があるはずなのに、「誰でも良かった、ただ人を殺したかった」とかってのはオーストラリアじゃ聞いた事無いですね。
女房にその事件のことを話したら「日本、怖〜」と絶句していたが、日本にいる友人は駅のホームで電車の到着を待っている時には、なるべくすぐ後ろに壁のある場所で立つようにしているとの事。
この話は今回の岡山の事件が起きる前に聞いたので、ひょっとしたら日本では珍しい事件ではないんですかね?
2008年3月24日
オーストラリアは今イースターホリデー、本来なら僕はヴィクトリア州で弓の全豪選手権に出場しているはずなんですが、先日の日記に書いたようにメルボルンGPでの暑さにやられて、結局取りやめてしまったので家でおとなしくしています。
ということで、今日はグダグダ日記を書き始めたしだい。
メルボルンGPから全豪選手権までもう一週間猶予があったら出てたんですけど、何しろあまりの暑さに女房も足のむくみがいまだに引かずといった状態。
日本からメルボルンGPを取材に来た車雑誌の記者のブログを読んでいたら、あの凄い日差しを「暑いと言うより痛い」と表現していた。
僕もまったく同感で確かにもう「痛い」んですね。
強力なヘヤードライヤーを同じ部分に当て過ぎると皮膚が焦げると言うか焼ける時があるでしょ、あれに近い。
メルボルンの空気はかなり乾燥しているから、30度を超えていてもそれほどきつくは無いはずなのですがしかしそれも40度近くになるとまるで乾燥機の中に放り込まれたみたいになって、高温と物凄い乾燥で鼻の中が切れてました。(鼻をかんだらうっすら血が)
今この日記を書いているのは月曜日の朝で先ほど録画しておいたマレーシアGPを見終わったばかりですが、マレーシアも暑くまた湿気も強いらしいがしかし「過酷さ」はメルボルンほどではなく、レース後のドライバーズ・インタビューでもたいしたこと無かったと言っていた。
それにしてもF-1ってのは過酷な商売ですな。
あの灼熱地獄のメルボルンが終わったと思ったらもう7日後にはこれもまた熱帯のマレーシアで決勝が行われているのですから。
昔僕はF-1のティームで働いてみたいなんて「子供のような夢」を持ったことが有ったが、まあせいぜい40歳まででしょうな、こんな過酷なお仕事は。
暑さ関係無くとも一年を通して世界中を周るんですから、疲れるわけで。
さてそんなわけでメルボルンの疲れを癒しながら、おとなしくこのイースターはどこにも出かけず自宅でテレビを見たりPCの再インストール(後述)をしております。
それにしてもイースターって、まるで日本の正月の三が日のように商店もほぼ全て閉まってしまうんですね。
そんな習慣をオーストラリアに約30年も住んでいるのにすっかり忘れて(全豪に行く予定だったためか)食事のための買い物などをしておくのを忘れていた。
昨日(日曜日)など女房が冷凍庫に豚肉(ポークネック)が有るのを見つけて、これで中華風豚の肉の煮込みを作ると言うのだが、それに使う「ブラックビーン・ソース」や「八角、コリヤンダーや生姜」など無い。
いくらイースターでもガソリンスタンドと一緒になったコンビニなら開いているだろうと出かけたのだが、全て閉まっている。
結局走り回ってボンダイジャンクションの「うさぎ屋」という今は韓国人が経営するアジアン食料品店が開いているのを発見、運良く必要な材料を入手できた。
さすがアジア人、「イースター」なんて「関係ネー」ってわけでしっかり開けててくれました。
本日月曜日もイースター休みのはずなのですが、早朝ゴミ収集のトラックが来たくらいだから店は開いているのかもしれません。
ちょっとシドニーの(というか我が家の)「ごみ収集」について書いてみます。
ごみ収集日は我が家の場合毎週「月曜日」の早朝で午前6時前後には来る。(前の家のときは毎週水曜日だった)
今の家の地区の区役所は前の家とは違うので分別ゴミの出し方もちょっと違う。
大きな(車輪のついた)ゴミ容器が3つ有って、それぞれに生ゴミ、ガラスや缶などのリサイクルゴミ、そしてペーパー(新聞などの紙類)に分かれている。
そして生ゴミは毎週出せるのだが、残りのガラス類や紙類のゴミ容器は隔週交互に出す。
そしてこのガラス類ゴミの出す週はバリバリというガラスの割れる音で必ず目が覚めてしまいます。
ゴミを収集車に入れる時にビン類が割れるんですね、凄い騒音で。
早い時には朝5時とかに収集に来て、ガラスのビンがたくさん詰まった大きなゴミ容器から一瞬で放り込むので、その音でたたき起こされてしまう状態になる。(泣
何であんなにオーストラリアのゴミ収集は早く来るんでしょうね〜。
日本も朝早かったか僕には記憶がありません。
さて上述のPCの再インストールについて書いてみます。
コンピュータを長年使っていると徐々にゴミが溜まって動きが遅くなったり、また不具合が出始める。
ゴミというのは種々のソフトウエアーをインストールして、中にはプログラミングがいい加減だったり、またすでにインストールしてあるプログラミングとかち合って(競合かな)予期しない不具合が出たりする。
すぐに不具合が発生するならその時にインストールしたプログラミングが原因だと特定しやすいし、それを削除すれば解決できる場合が有る。
しかし使っていてすぐには気がつかず、そのうちなんとなくおかしいと気がつくようになって色々原因を調べても分からない場合ウインドウズXPの標準機能「システムの復元」を使うことが有る。
それで直る場合もあるのだがしかし僕の経験から言うとこの機能もあまり当てにならないというか解決できないことがよくある。
僕の場合は「Acronis True Image 10 Home」というソフトウエアーを使用してイメージごとバックアップすることにしているのだが、そのバックアップは自動的に行われないので定期的に(任意に)する必要がある。
ところがここ当分サボっていただけでなく、最初(このPCを購入したばかりの頃)にこのソフトは持っていなかったので、初期段階に戻せない。
さてそんな事情がある時にあまり経験したことの無い不具合が出始めた。
その不具合とはタスクバーの「クイック起動がなくなってしまう」ってのだけど、それが起こるタイミングが摩訶不思議。
PCを起動してまったく問題ない日が続くと思うと、今度は起動する度に「スタート」ボタンを右クリックしてプロパティーの中にある「Show
Quick Launch」にチェックを入れてやらなければならない。
もちろん最初からチェックを入れて使っているのだが、どういうタイミングの不具合なのか勝手にこのチェックが無くなって「クイック起動アイコン」が見えなくなってしまうのです。
色々手を尽くしたが解決策は見当たらずそれでも「再インストール」は大変時間を要する作業なので不満ながら使用を続けていたのだが、他にも昔からずっと問題だった「ウインドウズ・アップデートで同じバッチを何度もインストール要求される」という不具合も解決されないのでついに再インストールすることにしたのです。
僕の場合使用しているソフトウエアーの多さやまたバックアップしてある音楽や写真など膨大な量なのでかなり時間はかかるとは予想していたのですが、結局計8時間もかかってしまった。
全豪出場取り止めで時間ができたからやったのですが、毎日忙しくしている人は一日棒に振ってしまうほど時間を食う作業でなかなかできないでしょうね。
もちろん今回は上記の「Acronis」を使用して、基本的なセットアップ+必要最低限のソフトのインストールが終わった時点でまず「最初のイメージ」をバックアップし、その後種々のソフトをインストールした後のイメージを別にバックアップした。
つまり二つのイメージをバックアップしたのだがその理由は、今回使用した「ノートン・インターネットセキュリティ」のようなソフトは1年後には延長しない可能性が多いのでしょ。(もっと良いソフトが出ている可能性が大だから)
この手のソフトはレジストリーの中深くまで入り込むから、万が一の問題が出て将来別のソフトに変えようと削除しても完全に「ゴミ」を取り除けない場合が多い。
だから将来バックアップが必要になった時にノートンがインストールされている(というかノートンのゴミが残っている)イメージをバックアップに使用するのは気持ちが良くないので、必要最低限のソフトを入れた状態の最初のイメージと二つ作るわけで最初のは絶対に更新しないようにしてます。
最初のイメージには「アクティベーション」後のウインドウズは勿論、必ず使用するウインドウズ・オフィス、DVD関係のソフトやCD&DVD用焼きソフト、またグーグル・アースなど大好きなソフトは入れて有ります。
そして将来新しいソフトを入れておかしくなった時には第2のイメージを使って元に戻り、それでも解決されなくなったら最初のイメージでバックアップすると。
丸一日かけてすっかりきれいになったXPは、勿論前よりもサクサクと快適に稼動しております。
時間を掛けた甲斐があったって感じです。
大変気分がよろしい。 まるで長らく便秘で苦しんでいたのが全てすっかり排泄できたって感じに似ているかな。
2008年3月18日
昨日18日、無事メルボルンより「バサースト」経由でシドニーに戻ってきました。(このバサーストについては後述)
確か日記に書いたと思いますが、メルボルンでおこなわれたF-1の開幕戦オーストラリア・グランプリ観戦が目的だったのですが、信じられないほどの「猛暑」で疲れ果てました。
メルボルンはこの時季なんでこんなに暑くなるんですかね。
内陸の砂漠からアデレイド経由で熱風が吹き込んでくるようですが、半端ではない暑さに僕も女房も参ってしまった。
グランプリ週末の木曜日から35度は越えていたのですが、金曜日に入ると39度、土曜日は多少落ちて36度、そして決勝の日曜日はまたしても39度(サーキットでは40度という話も有った)という凄さで、F-1マシーンもリタイヤ続出で結局完走したのは22台中7台という有様でした。
今回のF-1観戦は5月のモナコ・グランプリ観戦に繋がるパッケージ・ツアーの始まりだったのですが、この観戦パッケージに参加したグループの中には、あまりの暑さにサーキットから引き上げて、ホテルのテレビで見ていたなんて人もいた。
幸いメルセデスが気を利かせてホスピタリティ・テント(というか大きな仮設のレストラン)を用意してくれたので、暑さに耐えられなくなるとそのエアコンの効いたレストランに逃げ込んで食事をしたり水分の補給をしていました。
このホスピタリティ・テントの用意が無かったら、多分我々も途中で帰宅していたかもしれない。
中にはテントがすっかり気に入ってしまいレース中もそのテント(200〜300人が入れる)の中で酒を飲みながらモニターで観戦なんて人も結構いたようです。
前座のレースが終わって飲み物を取りに行ったら、ビールかワインですっかり「できあがって」しまっている人もいた。
あれならおとなしく家でテレビで観戦していた方が良いのにと思ってみてました。
僕らの場合はマクラーレン・メルセデスの厚意でピットの中を案内してもらったりが有ったので、やはり行った甲斐が有ったかな。
また僕らのシートはメインストレートのスタート・フィニッシュラインのすぐ近くで(正確にはグリッドポジション5位の位置)スタート時や表彰式などもほぼ目の前だったので、割と楽しめました。
また真ん前には大型モニターが有ったのでレースの流れなどは全て楽しめました。
僕がもう何年もF-1観戦に行かなくなったのは、テレビで見ているほうがよっぽど全体の流れがわかって楽しめるからですが、今回はやはり席が良かったので大いに楽しめるはずだった。
ところがカンカン照りの砂漠の中で観戦しているがごとくの猛暑で、もう来年は来ないだろうなと。
というか、噂によるとメルボルン・グランプリはヨーロッパ向けに夜のレースをやらない限り来年以降の開催は無いとのことで、今の(メルボルン)ヴィクトリア州政府なら夜まで騒音を撒き散らすモーター・レースは認めないでしょうから、多分来年が最後でしょうね。
だいたい昼間のレースでも、もともと多くの住民の反対などが有ったのに地元へもたらす経済効果のために開催が続けられていたのですが、毎年開催のために4〜50ミリオン(約40〜50億円)の赤字を州政府が出しているとかで、かなり反対議論が出ているらしいです。
確かに夜のレースになったら観戦する僕らももっと楽になるのですけどね。
オーストラリアGPがなくなってしまうのか、はたまた場所を変えて続行されるのかはまだ全くわからない状態らしい。
「クイーンズランド(ゴールドコースト)に移るのでは」なんて噂も今回耳にしたがしかしクイーンズランドの事情に詳しい人に聞いたら、開催には州政府支出が100ミリオン(100億円)以上かかるはずだから、財政的にとても無理とのことでした。
オーストラリアからGPがなくなってしまうのは何とも寂しいですが、しかし昨今の経済事情を見ると、たっぷり金を持っていて、スポンサーになろうなんて企業はまずオーストラリアには無いでしょうから、ひょっとするとGPはオーストラリアから消えてしまうかも知れませんね。
特に昨今の「サブプライム問題」から端を発した世界的な経済不安は、いったいどこまで行くのか、多くの企業が投資に慎重になっていますから。
もっともマレーシアやシンガポールは有るだろうから、僕にとってはシドニーからメルボルンへ観戦に行くのもマレーシアやシンガポールへ行くのもそれほどの差があるわけではないけれど。
さて今回の旅行のハイライトはGPの翌日の「バサースト」にあるマウントパノラマ・レース・コースでのAMG走行会でした。
前の晩、つまりルイス・ハミルトンが優勝した後のメルセデス(マクラーレン)主催の晩餐会に出て夜遅く帰宅し、荷造りをして翌朝6時にタクシーを手配しチャーターフライト用の「エッセンドン空港」に到着したのが月曜日の朝7時前。
そこからチャーター機でバサーストに入った。
少々このバサーストにある「マウント・パノラマ・サーキット」にていて説明をすると、このサーキットじつは公道なのです。
で、有名なバサースト1000キロレースなどの時だけ封鎖されてレースがおこなわれる。
普段は公道であるこのバサーストのマウントパノラマ・サーキット、何と今回初めて走行会のために開放されたらしい。
このサーキットは世界的にも「バサースト1000キロレース」が有名ですが、じつはレースなどのために年間10日しか使用を許されていないとか。
メルボルンGPのように地元民の反対などもあって、マウント・パノラマをサーキットとして使用する制限が厳しくなっているとか。
今までこのサーキットを走ろうと思ったら、レースに参加するかまたはレーシング・クラブに所属してサーキット走行用に準備された車で練習日や走行会で走るしかなかった。
もちろん普段は一般道ですから法定速度を守り、反対側車線にはみ出さない運転なら何周でも走る事は可能ですが、反対車線も目一杯使って、速度違反を気にせず走る事は、今回のようなイヴェントが初めてだったらしい。
メルセデス(AMG)も太っ腹と言うか、今回CLK、CLS、Eクラス等何十台ものAMGを用意し、車をとっかえひっかえ走らせてくれた。
ただしプロのレーシングドライバーが助手席に乗って目を光らせていたので、危険だと感じた時にはスローダウンやまたは運転停止(イエローカード、やレッドカードのごとく)を命じられるという仕組み。
僕もそうですがほとんどの人が初めて体験するコース。
一周6キロ以上にも及ぶコースの、場所によっては物凄く狭く両脇がコンクリートの壁というところなので最初の一周はインストラクターの指示によって走る。
結局最後までコースの全てを把握する事は出来なかったですが、コンロッドストレートの終わりでは時速約250キロ程に達し、ダンロップブリッジあたりでは体がシートから一瞬宙に浮くというのも体験しました。
で、感想を言うと確かに初めての体験でエキサイティングだったけどしかし「もっと楽しめたはずなのに」というのが心に残った。
こんな事を書くと今回のイヴェントを用意してくれたメルセデスやAMGにちょっと悪い気もするのですが、足回りがストックそのままでこのようなコースを回るのはあんまり楽しめないんですよね。
CLKにしてもEにしても公道を「楽チン」に乗るというのが主目的に設計されているので、あんなツイスティーなコース(いわば峠コース)を走らせると弱点ばかり目立ってしまう。
エンジンは用意された車は全て「6.3のエンジン」なので400〜500馬力もあり、かなりスピードも出る。
ところが足回りはスタンダードなので、もうフワフワで、両脇がコンクリートの壁なんてところ以外でも「ドリフトに持ち込んで」とかしようとしたら、3番目のインストラクターに「イエローカード」を渡されそうになった。
インストラクターと言えば、それぞれの車についているので、車を変えるたびにインストラクターが変わる。
で、最初のインストラクターは僕が初めてコースに出た時なので、彼からコースの説明を聞きながらながら走るので僕もおとなしく運転した。
その最初の一周が終わると二周目からはもうアクセル全開なのですが、ツイスティーなコーナーに来ると、「もっとブレーキ」とか「もうちょっと早めにインについて」とか教えてくれる。
で、一周6.213キロのコースを4周して第一回目が終了。
これはもうあっという間に終わってしまうって感じで、カートでコースを同じ時間走るほどの「体感」というか「体に来るもの」が無い。
多分カートに乗った事の無い方は判らないと思うが、本格的な(レース用)カートの方がすぐに「腕が上がってしまう」という状態になると思う。
それほどカートの方が横Gなど比べ物にならないほどシビアなのだが、その分カートの方が楽しめるという事でもあるわけ。
ピットに戻って来てどうでしたか聞かれたので、一応「楽しめました、ありがとう」と言ったのだがしかし「かなり足回りが柔らかくて、、、」とも付け加えたが、汗一つかいていない。
次に車を「E
6.3」に変えたら当然別のインストラクターになったのだがこの人は僕にかなり好きなように運転させてくれた。
「E 6.3」に乗り込んだら「何をお持ちですか?」と聞くので「SLK55AMG」と答えると、「当然この車はSLKよりマスも有りますし(つまり重いということ)、サスペンションも乗用車的な味付けですから、注意してください」と言われた。
しかしこのインストラクターはかなり攻め込ませてくれて、コンロッドストレート後のS字の出口で多少ドリフトをかけてコース一杯一杯で回っても怒られなかったが「いや〜ちょっとヒヤッとしましたよ」なんて言ってる。
まあ確かに僕がもしインストラクターで、誰だか判らないシロートが時速250キロ近くも出して下りのストレートを抜けて、S字に入ってドリフトとか始めてる横に座っていたらやっぱりビビルでしょうな。
で、その周に結構攻めた(責めた)ので、ピットに戻って来て車から降りたら、フロントブレーキパッドから煙が出てるんですよね。
AMGのブレーキはかなりしっかりしたものが付いていて利きも悪くは無いのですが、しかしもうその時点でかなり奥まで踏まないとという状態になっていた。
う〜ん、やっぱりAMGのブレーキでも車体が重いからこんな使い方すると厳しいのかなと。
僕は自分の車をここまで攻めた(責めた)ことは無いけど、やっぱりSLKはこんな状態にはならないだろうなと(願ってます)。
なぜか今回の走行会で用意された車の中に僕の乗っているSLKとかSLとかが無かったんですよね。
招待された人は全てAMGオーナー達なのだが、ひょっとするともしSLKとか用意してマウントパノラマなんて峠コースのようなサーキット経験させたら、(SLKオーナーじゃない人達は)自分達の車に失望してSLKに鞍替えしたいなんて人も沢山出てくるのを危惧して、用意しなかったのではないかと。
なぜならSLKがAMGの中でも一番廉価な車種なのですから。
なぜ一番安いのが一番面白いんだなんて事になってしまう。
僕は今回の走行会はてっきり今度輸入される事が決まったCLK63ブラックシリーズのお披露目で、それに乗るチャンスを与えてくれるのかと思っていたのですが、もしこの車が用意されていたのなら、かなり楽しめたでしょうね。
何しろこのブラックシリーズ、「走り」のために大いにモディファイされて、後部座席(本来2+2)まで取り払われている本格的なロードアンドトラックモデルのようですから。
あっという間に2時間に及ぶ走行会は終わり、ランチ会場に向かう。
なぜかそこにはミック・ドゥーハンとかドイツのDTMで活躍しているドライバーがいた。
ランチ会場に立っていてゲストをもてなしていたのだろうが、さすがAMGオーナーばかりなのか「ミーハー」的にサインをしてもらったり一緒に記念撮影を頼んでいる人とかいない。
僕なんかなぜミック・ドゥーハンがここに来ているのだろうくらいに見ていたのだが、マウントパノラマを走った事を他の人達と話していて彼の存在を忘れてしまった。
しかし今考えると、ミック・ドゥーハンは「人寄せパンダ」的に、つまり一応レース界での「セレブもいた」的にメルセデスが連れて来ていたのだと思うが、ほとんどの人が無関心でいたのは「可愛そうだった」かもしれないと。
僕のようにバイクのレースも長年に渡って楽しんできた者にとっては「尊敬すべき大ライダー」だったのだから、話したりすれば良かったなと。
少なくとも彼にとってもその会場に出かけてきた甲斐が有ったのではと。
今思うとちょっと残念だったかもしれません。
彼一人でぼ〜っと立っている時間が結構有ったみたいだから。
さて、ランチが終わってまた空港に戻りチャーターフライト機に乗り込んでシドニーまで戻ってきました。
シドニーは暑くも無く寒くも無く快適な「秋晴れ」で嬉しくなった。
メルボルンのあの過酷な猛暑を経験した後なので余計そう感じるのかも。
3月も中旬(ということは北半球なら9月中旬)なのですがアデレイドもメルボルンももう何日も猛暑が続いているらしいが、珍しい事でもないらしい。
昨日シドニーに戻って義姉に女房が「無事戻った」と電話を入れたら「今日は43度よ」なんて言っておりました。
トホホって感じでしょ。
シドニーに住んでて良かった。
それにしても今回の旅はたった5泊6日だったけど、かなりの疲労が残って、またまた腰痛が悪化。
今回は腰だけでなく背中にも疲労(これは疲れからの腎臓か肝臓か?)が有る。
で、今週末からメルボルンより東に100キロ以上の場所でおこなわれる弓の全豪選手権出場キャンセルすることにしました。
じつはすっかり日にちを間違えていて、メルボルンのF−1からシドニーに戻った後、全豪まではまる2週間、つまり今週の日曜日では無く、その次の週の週末だからリカバリーの時間もたっぷり有ると思っていたのですが、なんと今週末で、もし出場となると昨日帰ってきたばかりなのに、また土曜日の早朝メルボルンへ旅立たなければならず(今回は車で行く予定だった)ちょっときつい、その上毎日40度近い気温の可能性も有るので止める事に。
キャンセルについては随分迷ったのですが、結局「楽しみ」のためにやっている趣味のスポーツなので、今の状態を考慮すると疲労や暑さで「辛い」と感じる必要も無いと。
今回の旅行の写真は数日うちにこの日記に載せます。
2008年3月10日
今日は珍しく皆さんへ「クイズ」です。
下(↓)はオーストラリアのコインですが、何セントだかわかりますか。

20セントと50セントと答えた方は「まあまあ」のオーストラリア通です。
なぜ「まあまあ」なのか。
それは半分しか正解ではないから。
では正解は何か。
すぐに↓に正解の画像をつけてしまうと面白くないので、少々今日の日記に「クイズ」を書いた理由を書いてからその答えの画像をつけます。
それにしても↑の写真うまく撮れてますよね。
ポケットサイズのデジカメ(パナソニックのLUMIX)で今日の日記にために撮影を始めたら、コインが光ってしまってなかなかうまく取れない。
ストロボなどを使おうものなら反射して全く使えない写真になってしまう。
で、自然光で近写で手持ちなんですけど、まあまあでしょ。
と、色々能書きを書いて下の正解の写真がすぐにPCの画面に現れないようにしてるのがバレバレかな。
小銭入れを持たない僕は買い物などをして貰った「おつり」のコインはいつもポケットへ。
で、オーストラリアのコインは大きいし重いし、いつもジャラジャラとポケット内にかさ張って具合が悪い。
日本に旅行で行っている時にも、けっこうつり銭はポケットに入れているのですがそれほどかさ張るって感じはしない。
特にオーストラリアの50セントはその最たるもので、でかいし重くって不愉快になるほど。
この50セントコイン(上の写真の右側の方です)のデザインは元は英国の50ペンスコインからの発想で、非常に似ている。
似ているだけでなく、女王様を戴いているのも全く同じで、オーストラリアが英国の「属国」だった名残りが行き続けている。
で、ポケットに溜まった重たいコインは帰宅と同時にポケットからコイン入れの箱に「ジャラジャラ」と入れるのが習慣になっている。
出かける時にそのコインを持って出ないので、すぐにその箱は一杯になってしまう。
溜まる一方なので年に2度ほど全部を銀行に持って行って、専用の機器で計量して貰って、合計金額をそのまま僕の口座に入れておいて貰う。
さて、先日ポケットからその箱へ入れようと思って掴んだコインが汚れていたので目に付いた。
何か汚い20セントだなと思いながらそのまま箱に入れようとしたのだが何だか変だと気がついた。
「???」と、裏返してみたら

な、何といつも見る「カモノハシ」の図柄ではない上に、「20」じゃなく「50」ってあるではないですか。
(↑の写真の左側ね。 最初の写真をそのまま裏返しにして撮ってあります。 最初にポケットから出て来た時には物凄く汚れていたのですが、今回撮影するために磨いたら、ピッカピカにきれいになった。 その理由は後述のごとく銀が含まれているから)
で、即座に「こりゃ〜また間違って他の国のコインを掴まされてしまった」って思ったのね。
というのもオーストラリアでは、隣国ニュージーランドのコインってのがオーストラリアのにそっくりで、しばしばお釣りの中に混じっている事が有るから。
で、もう一度表を見ると確かに「Australia」って書いてあるんですよ。
でも50セントはこの右側のようにカクカクしているデザインのはずだと、眼鏡をかけてみたら1966年とある。
随分古いからひょっとしたらこれはオーストラリアが「ポンド、シリング、ペンス」なんてのを使っていた当時のものが紛れ込んだのかと考えた。
つまり50ペンスとか。
で、女房に見せたらオーストラリア生まれで僕と同い年、「ポンドの時代」も経験している女房がさかんに首をかしげているじゃないですか。
女房の記憶力もかなり怪しくなってきているのは最近気がついているのだが、まさか自国のコインを見て判らないほど「ボケ」てしまったのかと心配になってしまったほど。
で、結局女房も「判らなかった!!!」んですな。
ありゃ〜、女房も判らないほどならこれはよっぽど珍しいコインではないかと、さっそく「ググッて」みたら。
すると、何と1966年にそれまでの「ポンド、シリング、ペンス」から「ドル、セント」に切り替わった時に発行された「最初の50セントコイン」だったのですよ。
ところがたった3年ほどで(1966年〜1969年)現在の12角形のコインの変更されてしまった。
その理由が、このコインには80%の銀(そう!シルバー)と20%の銅で製造されたのだが、銀の価格の上昇で、額面の価値つまり50セント以上の価値になってしまい、発行不可能になってしまったのですな。
つまり作れば作るほど赤字になる。
特別記念硬貨ではなく、ただの「一般通貨」に80%もの「銀」を使用なんて、いやはやビックリ。
当時は銀も安かったのか、オーストラリア政府が太っ腹(?)だったのか良く判らないが、しかしさすがに無理があって、たった3年で発行を止めてしまった。
色々検索したら「この50セントの銀の含有量に目をつけた人間が大量に香港へ輸出して溶かし、銀と銅とに別けたりし始めた」なんてことも書いてあった。
ということは、たった3年しか発行されず、その上大量に香港に運ばれて「溶かされて」しまったのでけっこう価値が有るのではと思いさっそくネット・オークション(オーストラリアのe-Bay)で調べてみると、期待したほど高価ではなく、だいたい一枚7〜8ドル(700〜800)円ほどで取引されているんですね。
ただし、ほとんどが流通していたコインの残りなので未使用(ミントコンディション)のはかなり高価なのか、どこのディーラーにも価格が提示されていないんですね。
今回色々調べているうちに何だかこのとても寿命の短かった丸い50セント銀貨(と言っても良いほどの銀の含有量)に愛着が出てしまって、ネットオークションでもう少し購入してみようかななんて考え始めました。
将来価値が上がるだろうか?
さて、今回この日記を書くためにコインを撮影していて新たな発見をした。
最近僕は歳とともに目が悪くなっているので余計気がつかなかったのかもしれないが、コインについている「女王様」の顔が発行年度によってちゃんと「老けて」いるんですね。
下に古いのと比較的最近のを並べてみましたが、歴然としています。

↑は1980年発行の「女王様」

これが現在のです。
ついでに僕が間違えた20セントとの比較の写真も下につけます。
右が20セントね。 カモノハシのデザインがお馴染みです。


こうやって二枚の硬貨を並べるとその大きさの違いがはっきりするけど、しかし普通に貰ったらすぐには気がつきません。
僕につり銭として渡した人も気がつかなかったはずですから。
20セント(約20円)のおつりで7〜800円分(価値)も貰ってラッキーだった事は確かです。
2008年3月6日
僕の妹夫婦が5月にシドニーに来る事になった。
父の7回忌をシドニーでやろうという事になり、それにあわせて彼らはオーストラリア旅行も楽しもうという魂胆らしい。
2002年の父の葬式の時に妹は日本から駆けつけたのだが、旦那は来る事が出来ず結局彼にとっては20年ぶりのシドニーという事になる。
1987年に我が両親がオーストラリアに引っ越してきた翌年、妹一家はシドニーに遊びに来たのが最後だったから。
そんなわけで彼らの来豪計画に合わせて何度か日本に電話をかける必要が有ったのだが、妹のところへはSKYPE電話がかからない(通じない:後述)ので大いにフラストレーションが溜まってしまった。
ごくまれになぜかかかってしまうことが有るのが、よけいイライラさせられる。
かからない理由は妹の家の電話が「非通知電話は受取らない」設定になっているから。 (それならなぜたまに通じてしまうのか?)
妹の話によるとセールスなど迷惑電話が多いので「非通知」でかけてくるのは受取らないという設定をNTTに申し込んでいるらしい。
で、オーストラリアから僕がSKYPEで妹のところの電話に(ランドライン)かけると日本語で「お客様のおかけになった電話番号は、、、、」とメッセージが流れ「電話番号の前にXXX(数字です)をつけてもう一度おかけ直しください」と言われる。
このXXXという数字は正確な番号は忘れてしまったが、あえてここで書かないのは、それを付けても全く無駄で何の意味も無いから。
逆に書いたらそれを試してみようかという人も出て、かえって料金(SKYPE料金ね)の無駄になるから。
で、なんとかSKYPEでかけられないものか、つまりこちらのSKYPE電話番号を表示させれば受け取りを拒否されずにすむはずと調べてみたら、「SKYPEーIN(スカイプイン)」という有料サービスを購入すると、ランドラインと同じような、SKYPEの電話番号を取得することになり、こちらから妹のところへかけると、その番号が表示されるので「非通知拒否」が起きないということを知った。
これは便利と、少々高いとは思いながらさっそく1年分を購入、SKYPE電話番号の中から自分の覚え易いのを選んでさっそく妹のところへかけてみた。
ところがこれが「かかったり、かからなかったり」なんですね。
いったいどこがどうなっているのかわからないが、しかしかからない時の方が多い。
かかる確率は25%くらいか。 だから4回もかけなおして最後にやっと繋がっても、最初の3回はやはり上記のような日本語レコーディングメッセージが出るので、一応日本にかけたとして記録され、料金を取られてしまう。
そういう料金的なことよりも何度も何度もかけなおすという非常にイラつかされる手間に閉口してしまう。
で、必要な時には我が家のランドラインから妹のところへかけて「今PCを立ち上げているからSKYPE番号にかけて」と言ってすぐに電話を切る。
いつも何十分と長電話になるんですよね、妹のところへかけると。
妹はランドラインから国際電話をかける要領で僕のSKYPE電話番号にダイヤルすると僕のPCで電話を受けられるという具合になっている。
妹には国内接続料金がかかるだけで、国際電話代は一切かからず、このサービスの料金は僕のSKYPEクレジットから落とされる仕組み。
まことに面倒だが色々ネットで調べても、今のところたとえ「SKYPE-IN」を購入してもやはり繋がらないと言う苦情の書き込みが多く見られるので、実際には「番号表示」が機能してないんですね。
どうやら機能する国(例えばイギリスと日本間とか)とそうでない国があるようなことも書いてあった。
オーストラリアに住む僕にとっては全く無駄の投資になってしまいました。
我が妹夫婦はITオンチなので一応電子メールは使うのだが、しかしメールを送っても数日に一度メールチェックと言うようなペース、いまだ「SKYPEって?」なんてレベルなので、PC同士でSKYPEで話すということも出来ない。
だから電話(ランドライン)を使わずをえないのだが、今のITの時代に馬鹿高い国際電話代を払うなんて、僕には耐えられない事なのだが、しかし相手がITオンチだとどうしようもない。
何たってスカイプ同士なら無料で、その上必要ならお互いの映像を見ながらいくらでも話せる時代なのですから。
妹夫婦はそれでなくともテクノ・オンチで、そのNTTに頼んでいる「非通知拒否」の設定もどうやって解除するのかも判らないという始末。
そこまでオンチなら母のように「非通知拒否設定」さえ知らず、単純にそのままランドラインを使っていれば、SKPEの「SKYPE-OUT」を使用して簡単にいつでも問題なく電話をかけることが出来るのですけどね〜。
さて今回購入してしまったこのSKYPE-INの機能には留守電メッセージを置けるのも入っているのですが、僕が他にもこういう機能が有ったら便利だろうと思うのを書いてみます。
僕の使っている携帯電話にはアラーム機能があってスケジュールに合わせてアラームを鳴らしてくれる。
しかしカレンダーの中の「日にち」からスケジュールを選んでもアラーム設定は出来ないので、仕方なく「記念日」設定を選んでアラームを鳴らしている。
もし僕が今使っているGOOGLEの「サイドバー」とSKYPEが連動してくれたらこれほど便利な事は無いと思うのです。
具体的に書くと、僕は常にPC上に表示しているGOOGLE サイドバー に自分の日程や予定を書き込んでいる。
そして忘れてはならない大事なアポイントメントなどは、グーグルメールやポップアップ機能を使ってアラームとしている。
つまり1日前にその大事な予定のリマインダー・メールを受取ったりしているわけ。
しかし例えば旅行でシドニーを離れてしまうとノートパソコンでも持って行かない限り、リマインダーは受取れない。
だから普段からサイドバーに予定を書き込む時に、リマインダー設定でSKYPEでその日に(自分の設定した時間に)自動で電話をかけ(つまり予約電話ですね)、自分の声で必要なメッセージが流れるのを聴くというような機能が有ればとても便利だと思う。
何しろ60歳を超えた僕は物忘れが酷くって、大事な事を忘れてしまうのではないかと言いう心配が常に付きまとっているのですよ最近。
例えば5月12日の水曜日にオーストラリアF−1グランプリ観戦のために出発するのだが、その日の夕方友人(PC屋のジョン)に電話をかけることになっている。 彼も偶然当日はメルボルンにいるので一緒に(グルメ中国人のお勧めということで)彼推薦の美味しい中華を食べに行こうということになっている。
残念ながら彼がメルボルンにいる日にちと、僕らがメルボルンに入るスケジュールの関係で、その12日しかお互い時間が取れない。
だからメルボルンの空港に夕方到着したら即彼に電話を入れるということになったのだが、しかし当日は空港に迎えに来てくれる女房の姉さん一家とも色々有り、老人ボケの僕は彼への電話を忘れてしまう可能性が大なんですよね。
歳とともに物忘れが酷くなる→完全に忘れて後で気がつく、ようなポカをやるっていう心配が常に付きまとうってのもストレスですな。
2008年3月2日
このところ雨が多い日が続いて、シドニーの貯水池も(全体で)66.4%までに回復してきているようで、たった1年程前の日記には水飢饉の心配を度々書いていたのが嘘のようです。
と言っても、まだ3分の2までの回復ですから、水道水使用制限は当分変わらないんでしょうね。
相変わらずホースを使って車の洗車は禁止されているはずだし、庭の植物や芝生への散水も週に2度だけ、それも自動散水装置の使用禁止ってのは同じはずです。
昨夜も(と言うか本日の明け方)激しく降りしきる雨の音で目が覚めました。 日本と違って台風の来ないシドニーは激しく降る雨といっても高が知れてはいるんですけどね。
そんなわけで雨で弓の練習がお休み、イコール家にいるってので、最近には珍しく今日もまた日記の更新を。
さて、前の日記に書いた「車の中で楽しむ」ためのミュージックDVD収集ですが、先日JB−HiFiというレコード店でEric Clapton のCross Road Guiter Festival の2004年版を購入、大いに楽しんだ。
たまたまその日はすべてのDVDが25%引きの日で、色々物色していたらこの「2枚組」のDVDを見付けた。
僕は勘違いをして、てっきりEric Clapton
のコンサートのDVDで、その中で「クリーム」時代の名曲「クロス・ロード」がフィーチャーされているので、DVDのタイトルになっているのだと思った。
さっそく観てみると、Eric Clapton
とそのバンドのコンサートDVDというわけではなく、これは2004年に彼が主催したチャリティー・コンサートで、もうビックリするほど沢山の有名ミュージッシャンが参加していて、僕は大喜びしてしまった。
あ、チャリティーと言うのはEric Clapton
が私財を投じて設立したアルコール依存症や麻薬患者のための更生施設「クロス・ロード・センター」のためのもののようです
で、このコンサートについてネットで色々調べていたら、2007年度のコンサートのDVDも発売されている事を知り、JB-HiFiには在庫が無かったのでネットで購入したのですが、ギター好き(特にブルース・ロック系)の僕にはホントたまらないです。
どっちかって言うと2007年度版の方が、コンサートの流れが良く判って2004年度版よりも良いかな。
2004年度版は出演しているミュージッシャンは申し分ないのだが、編集し過ぎで、いまいちの部分があります。
さて、今回の2007年度版あまりにも良いのでDVDのかからないプリウスでも聴きたいので、DVDからWAVファイルを吸い出して、それをMP3に変換し、一枚のミュージックCDにして楽しんでおりますが、今回のDVDは音質も非常に良い。
2004年度の時より録音技術と言うか環境がずっと上だったのではと思います。
DVDから音を吸い出すと結構音量が低い事が多いのですが、今回は音量を上げるソフト(MP3Gain)のお世話にもならなかった。
ちなみにWAVファイルからMP3への変換はビットレートを320kbpsの高品質にしました。
さてその2007年度のCross Road にはジェフベックが出演しています。
実は2004年のコンサートでも彼は出演していたらしいのだが、しかしDVDには収録されていなかった。
素晴らしい演奏だったらしいのだがレコードレーベルの問題か何かで入っていなかったらしいのだが今回は2曲入っています。
で、彼がステージに登場してくる場面でいきなり、少女みたいな若い女性が出てくるのを見て、バックキングコーラスの女性か何かかと思ってみていると、何とベース・ギターを抱えていて、演奏を始める。
最近の音楽事情にはかなり疎くなっている僕はこの「素晴らしい」演奏をするベーシストのことは全く知らなかった。
購入したDVDにも彼女の名前は出ていないので早速ググッたら、、、。 何とこの「Tal Wilkenfeld」はオーストラリアはシドニー出身で、ギターを勉強するために15歳でアメリカに渡り、その後ベースギターに興味を持ち勉強を始める事たった4年なのに今やジェフベックと共演してる。
まだ21歳(今年は22歳かな)の彼女はその才能を認められて「チック・コリア」やジェフベック等の一流ミュージシャン達ととプレーしているとインターネットに出ているのを見て本当にビックリ。
なぜ僕は彼女の事を聞いたこと無いのだろうと不思議に思って、友人のロック好きオーストラリア人に彼女の名前「Tal Wilkenfeld」を聞いたんですけど、知っている人はほとんどいないんですよね。
アメリカで有名になったのでオーストラリアには話題にならないのだろうか。
それにしても10代半ばという若さでアメリカにギターの勉強で渡るって、凄いなと考えたのだが、しかしスポーツ例えばテニスなんかの場合は15〜16歳でアメリカに武者修行なんて当たり前のことではあるんですけどね。
こないだ日本人としては(松岡修造選手以来)20年近くぶりにATPツアー優勝した錦織(にしこり)選手にしても確か15〜16歳でニックボラテリのキャンプに出かけていたはずですから。
彼女のベース・プレイ、本当に素晴らしいです。
今度は彼女のDVDを探してみようかな。
あ、そうそう残念ながらこのDVDにはコンサート全ての演奏は入っておらず、Youtube
を見ていたら、何とDVDには入っていない「Jeff Beck とTal
Wilkenfeld」がビートルズの名曲「A day in the life」なんてのをやってるんですよね。
これはどこから引っ張ってきてYoutubeにアップしてるんだろう?
さて前回の日記に書いた我が娘の事ですが、表彰式の後帰宅してから女房がSKYPEをかけて、詳細を聞いていました。
話によると、この賞は英国の医薬品関係の業界紙が主催との事。
そして英国中の医薬品関係の会社からノミネートされた候補者が328人いたらしい。(娘も表彰式の発表時に司会者が詳細を話すまでその数は知らなかったらしい)
その328人の中から数ヶ月をかけて書類審査や面接審査を経て昨年の暮れまでに10人に絞り込まれて、その10人が授賞式に呼ばれていた。
もちろん医薬品業界の他の部門の賞の表彰も有るので、集まった人数はかなりの数だったらしい。
じつは娘は今の会社に移ったのは最近で、この賞へのエントリーは前の会社がしていたらしい。
で、いよいよトップ3の発表で、3位にまで入れれば充分と考えていた娘は、3位に自分の名前が呼ばれなかったので、「あ、駄目なのね」と言う心境になったと。
この発表では「XXX会社の○○さん」という呼び方をするらしいのだが、次の2位の発表で娘の会社の名前が司会者の口から出た時には「自分かも」と一瞬熱くなったのだが何と偶然同じ会社の同僚で(15年も先輩)やはりエントリーしていた人だった。
同じ会社から1位と2位が選ばれることなんて無いともうその時点で完全に諦め、ガッカリしていたらしい。
で、2位の人がステージに呼ばれて表彰状などを受け取るのを見てちょっぴり落ち込んでいた。
「さて、いよいよ優勝者の発表です」と司会者が言い始めた時にも、あまり集中して聞いていなくて、その司会者がまたまた同じ会社の名前から読み始めた時には、何かの間違いではと思って聞いていたらその会社の名前の次に自分の名前が呼ばれた時には、あまりの驚きに震えてしまったと言っておりました。
ステージに上がってトロフィーやら表彰状や賞金商品を受取っている時も信じられなかったそうで、司会者が優勝者として「スピーチ」を求めまた彼女の書いた論文についての質問も舞い上がってしまって、最初はメロメロだったそうです。
多少落ち着きを取り戻し最後はうまく締めくくったと言っておりましたが、やはり嬉しかったんでしょうな。
と、ここまで書いて娘が論文でどんな事を書いたのなんかは僕は全く知りません。 あんまり興味無い分野なので。
今度5月にロンドン言った時に読ませてもらおう。
そうそう、5月に(モナコGPが主な目的ですけど
)ロンドンに寄ると娘に言ったら、2泊3日でベルギーは「ブルージュ(BRUGGE)」に行こうと言い出した。 ユーロスターですぐだからと。 聞いたらツアーの額もビックリするほど安くって、さすが狭いヨーロッパって感じです。