2007年5月の日記

by tom tanabe                                                    マグパイへ戻る


2007年5月31日

日本のお茶で「お〜いお茶」って商品名のがありますよね。 
「さすが日本っ!て感じな商品名だ」と感じちゃいます。 って書いてどれほどの方がその意味を理解いただけるか。

つまりもし僕がソファーで新聞でも読みながら女房に「お〜いお茶」って言ったら「は〜い、今すぐ」って返事が「日本(日本人の女房)」ならごく当たり前に(?)返ってくるかもしれない。

しかし西欧でこんな事をやったら、まず一悶着あるでしょう。 
少なくとも我が家では。
「ねえコーヒー入れてくれない」と言いつつ最後に「プリーズ」をつけて当たり前の世界では、「わたしゃ召使かメードじゃ無い!」ってことになり、まずコーヒーにはありつけないでしょう。 
だから僕がこの商品名としての「お〜いお茶」ってのを見た時には思わず苦笑いしてしまった。

さて、オーストラリアでは日本食がブームってのはもう何度も書いているしいまさら始まったわけではないのですが、寿司のブームについては前から僕が危惧していた事がやはり起こっているようです。 
寿司ってのは生魚を扱うわけだから、生で食べられる魚の見分け方、さばき方、保存方法などかなり気を使う必要がある。 
ですからちゃんと学んだ(寿司の場合は修行って方が似合ってるかな)事が無い人間が扱うって怖さをずっと感じてた。 

ましてやここは外国、元々寿司や刺身を食べてきた文化が昔から有ったわけではないから、家庭ではなくレストランでも全くのシロートが作ったりする。 
日本人じゃなければ寿司や刺身を調理できないわけではないんですけど最低限の基本的な知識ってのは日本人には有ると思う。
例えば「鯖(サバ)」なんかは「足が早い」から注意するとかね。 

昨日の新聞にシドニーの寿司チェーンで手広く商売をやっていた韓国人の女性の事が出ていた。 
チェーン店(スシ・ワールドと書いてある)をいくつも持ち、大きな商売で彼女は「寿司クイーン」とこの新聞では表現されている。
ここの関連会社はチャッツウッドやシティ、ボンダイジャンクションなどの大きなショッピングセンターにも店を出している。 
で、彼女の会社が(主にテイクアエー用の製造販売)衛生面で当局から何度も罰金や営業停止、起訴処分まで受けて、この州で最も酷い食料品販売会社である事がヘラルド紙の調査でわかったと出ているのです。 

シドニーでは最近レストランなどのフードビジネスへの衛生面について、今まで公表されていなかった資料が、情報の自由化(知る権利)とともに簡単に入手可能になった。 
だから衛生局の抜き打ち検査を受けて調理場が不衛生などで処分を受けた場合、その資料が閲覧できるようになったので、その中でも悪質なところを新聞が槍玉に挙げるようになった。 

で、僕が恐ろしく感じるのはハンバーガーや焼肉などのような火を通す調理方法の食べ物店よりももっと衛生面に気をつけなければならない「寿司製造会社」が州で一番汚いってのがいやはやなんともなんですよね。

我が女房は高校で日本語を教えていたが日本語を勉強している生徒達は自然と日本の文化や食べ物にも興味を持つようになるわけだが、いつも「テイクアエーの寿司だけには絶対に手を出してはいけないと教えてた。 
僕らが見ただけで恐ろしくなるようなテイクアエーのスシってのはしばしば見ていたが、よく問題にならないものだと不思議だった。
今日の新聞を見るとこの会社だけを取ってみても、例えば18ヶ月間の間に11回の罰金、2回の営業停止処分、そして起訴までされてるんですよね。 

立ち入り検査をした検査官は、このスシ・ワールドの製造工場の不衛生さは言語道断、その検査官の経験の中でもこれほど酷いところは見たことが無いと。
調理台の上にはネズミの糞が散乱し、調理台の下にはネズミの巣や死骸なんかが転がっている。
米櫃(こめびつ)の中にもネズミが入り込んだ後があって糞が混ざっている。 あまりにもネズミが大量でネズミの尿の臭いさえ漂っていた。
ネズミはもちろん猫や鳩までウロチョロしてたと書いてある。 

当然この会社のスシを食べた人間が食中毒を起こしたりというのは数多くあって、検査も随分と行われその度に処分を受けていたらしい。
だいたいオーストラリアってかなり寛容な国なのか人員不足なのか、行政処分を受けるってのはそれほど多くないんですよね。 
それでもこれほど頻繁に罰せられていたというのは、どんな状態だったのか容易に察しがつきます。

こんな記事を読むと、せっかく寿司がオーストラリア人に受け入れられているのにイメージダウンに繋がるのではないかと。

一時期日本の政府が、海外に有る日本食レストランについて「サティフィケート」を出すようにして、とんでもない日本食を販売している店との差別化を図ろうなんて記事を見たことがあった。
随分おせっかいな事をと思ったが、しかしこんなスシ販売会社が行政処分は受けながらもいまだ営業を続けられる状態を考えると、日本政府の動きも少しは意味があるのかなと思っちゃいますよね。
 
安全基準といえば食品だけでなくオーストラリアは全ての分野でチェックが緩くて前々から心配していた。 
日本でも中国産の野菜や果物に対する不安感を持つ人は多いが、何と今度は繊維までが危ないということになった。 
「Formaldehyde(ホルムアルデヒド)」という科学薬品は繊維に使用することで、染料の持ちを良くしたり、肌触りが良くなったりというので中国産の繊維では基準を超える量をしばしば使用されているのが見つかるらしい。 
この薬品、衣類やシーツや毛布などの製品になった場合、その綿ぼこりが人間の呼吸とともに肺から吸い込まれる。
で、どうやら肺癌を引き起こす可能性が有るらしく、各国では限度基準というのがきちんと決められているようだが、今までオーストラリアではきちんとした製品検査が行われていなくて、国立や州立の病院などにもベッドカバーやシーツなどにこの安全基準を多く超える製品が使われている事が発覚したとの事。 

食べ物のように口に入らないからあまり心配しなくても良いと考えられていたのか。 
しかし呼吸器系から入り込むなら大問題だと慌てて輸入を差し止めたりしている。
全ての分野で中国製品は世界中を席巻し始めていますが、「安全基準」についてはもう一度良く考え直す必要が有るでしょうな。

 


2007年5月29日

昨日は父が亡くなってからまる5年、墓参りに行ってきました。
素晴らしい秋晴れで、海が一望の我が家の墓はいつ行っても「すがすがしく」感じます。
墓場に行って「清清しい(すがすがしい)」ってのも何だか似合わないような表現ですが、墓石に向かって手を合わせてると、抜けるような青空とエメラルド色の海が眼下に広がって、そこに眠っている父も幸せだと思います。
我が家からも近いし、命日以外でも墓参りは結構行ってます。

じつは我が家の墓は田園調布に有るのですが、めったに日本に帰らない「跡取り」の僕はシドニーにも「墓」を建てた。
どうせならシドニーの良さが感じられるところが良いと今の霊園を選んだのだが、この広い敷地内でも良く海の見渡せるところをお願いした。

我が家の墓は2箇所になってしまったわけで、日本に帰ってしまった母は、死んだらどちらの墓に入りたいか自分でも随分と迷っていたようだが、この景観を見て「やっぱりシドニーの墓に入るわ」と決めたようです。

それにしてもまったく月日の経つのは早いもので、この5年間もあっという間でしたね。
父が亡くなった2002年から毎年の事を思い返してみると、結構色々有ってそんなに短く感じるようなはず無いのですが、やはり「歳」なんでしょう。
その間、随分旅行もしたけど、若い頃よりも「感動、感激」が減ってしまっているのか、「必ずもう一度訪れなきゃ」って記憶に強く残っている場所も少ないですね。

そんなわけで忘れないうちに「アウトバック旅行」の残りをアップします。

今回は「カカドゥー」です。
カカドゥへのツアーで、ガイドさんが「ここはポール・ホーガン主演の映画クロコダイル・ダンディークで使われた場所だ」という説明を何箇所かでしていたのですが、先日偶然テレビで再放送が有ったので観ました。
この映画自体あまり興味が無いので、ガイドさんの説明が無ければ見なかったでしょう。

確かに見覚えのある場所が何箇所か出てくるんだけど、しかしその雄大なスケールとか美しさが、映画じゃ半分も表現されないんですよね。 
実際に映画館で観ればもうちょっと迫力があるのだろうけど、やはり実際に行って受けた感動というのは映画見てる人には伝わらないだろうなと。 
もしこの映画観て多少でもアウトバックの景色に興味を持ったら、是非一度は行って自分の目で見ることをお勧めします。 

今回の旅行では唯一カカドゥー方面が小型の四輪駆動車でした。
大型バスのサイズでは、無理なところが多かったです。
昔僕は、この広いオーストラリア大陸を一度は四輪駆動車かキャンピングカーで周りたいって考えた事があった。 
しかし今回バスで出かけ、その想像以上の距離と、道によってはものすごい悪路にその計画はきれいさっぱり頭から消えました。 
さすがオーストラリアは馬鹿でかいです。 

今回のバスツアーでも一日の移動距離が観光スポットを周りながら、600キロなんてのもあった。 延べ4000キロ以上走ったのではないかと思います。 
もし自分の車でシドニーから出かけていたら何万キロ走る事になるのだろうと、考えただけでも腰痛持ちの僕には腰が痛くなりそうでした。

下の写真、カカドゥーの中でも強く印所に残ってるのがイエローウォーター(ボートで周る)でした。
ちょうど雨季が終わり、乾季の始まりで水をたっぷり抱えたイエロー・ウォーターでは美しい自然の中で群れる水鳥やまたクロコダイルなんかがいてまさに「クロコダイル・ダンディー」の世界。

Kakadu_05.jpg (98471 バイト) Kakadu_01.jpg (75372 バイト) Kakadu_04.jpg (81350 バイト) Kakadu_03.jpg (54760 バイト)

Kakadu_02.jpg (69474 バイト) croco_01.jpg (54440 バイト)

↓クロコダイルダンディーといえばこの下の写真の場所が映画にも登場しますが、実際に行った迫力は写真じゃ出ませんね〜。 僕の撮影の腕が下手のなのもあるが。

Kakadu_08.jpg (111772 バイト)

バスツアーは↓の左の写真のようなハイウエイ(といっても片側一車線ですが)だけでなく、四駆でなければ無理ってところが多かったのですが下の真ん中の写真は、その我々の四輪駆動車でも道の一部が川になっていて渡れず(通行できず)、水位が落ちる(満潮干潮に関係があるので)のを待っている状態。

Highway_01.jpg (65584 バイト) Kakadu_06.jpg (106527 バイト) Kakadu_07.jpg (98559 バイト) 

↑右の写真はどうにか水位が落ちてきたので、我々が乗ったような四輪駆動車が渡り始めていますが、水の流れがかなり強くて(ここは左から右へ流れてた)この車ももう少しで流されそうなほど途中で横向いたりしてました。
こんな所を自分の車で出かけたら、水位の判断だけでなく水の流れの強さの判断など地元民でもない限り難しいのでやはり危険ですな。
何しろ一旦流されたら車から泳いで脱出ってのも「ワニ」がうようよで、ものすごく危険なのだそうです。
当然この場所にもワニはいました。

 


2007年5月24日

アウトバック旅行の更新も怠っているのに、友人のブログ(マナちゃん)を読んでいて触発されたので書いてみます。 

最初は彼のブログの「コメント」に書き込もうと思ったのですが何だか長くなりそうなので自分のページに書く事にしました。 
その日の彼のブログのサブジェクトは「国際結婚」です。 
読んでいると子供が出来るまでは自他共に認める仲の良い夫婦だったが、子育てのストレスが夫婦関係に影響を与えているようです。

そのブログを読んでいて自分の過去を思い出したり、現在の状態を考えたりしてたのです。 
彼が書いているように国際結婚は確かに離婚率が高いのかもしれない。しかし実際に国際結婚の離婚率に関する統計(この場合は日本人と外国人との結婚で限っても)を見たことは無いが、オーストラリアの離婚率の高さもそれに関係しているかもしれない。

つまりうわべは同じオーストラリア人同士の結婚のように見えても、人類の坩堝(るつぼ)であるオーストラリアではお互いのバックグラウンドの(バリエーションの)差というのは「日本人同士の」とは比較にならないほど大きい。 
例えばユダヤ系とアングロサクソン系のカップルとかね。 

だから昔女房がシドニーの高校で教えていた時に、生徒の両親が離婚している場合、親宛の通信簿を2通書かなければならなかったのだが、その数があまりにも多くひょっとしたら50%を超えているのではないかというような割合だった。 

次に離婚は「罪悪」なのだろうかという問題も有る。 
お互いちっとも愛してないどころか嫌いなのに種々の理由で離婚してないカップルよりも、きれいさっぱり離婚してまた新しい伴侶を見つけて暮らす方が幸せなのではないかという面もある。 
オーストラリアの場合、離婚となるとどんなに短い結婚でも、財産の合計の半分を分ける(大雑把に説明してますが)という事が有る。 

女房の父親など最初の離婚で財産は半分になり、その後再婚した。 
再婚後はほとんど財産を増やす事は無かったが、またまたその再婚も破局が来てまた半分を失い、彼が亡くなった時に我が女房(相続人の一人)はその財産の少なさに唖然としたものである。 
だからオーストラリアでは財政的な面で離婚を我慢しているという場合もある。 
もちろん子供が成人するまでは我慢なんてのはよく有るケースですが日本よりその意識は低いのじゃないかと思ってます。

しかし我慢しているうちにまた愛が戻って、(ヨリが戻って)その後幸せな結婚生活を全うしたなんて場合は、「我慢」ってのも価値が出てくる。 
じつは僕の持論は我慢してまで一緒になっている意味は全く無い、離婚したければさっさと離婚すれば良いだった。 
だいたい僕は我慢強くない辛抱強くない人間ですから。 
たまたま離婚したくなるほどの状態にならなかっただけ。 

結婚してから(同棲をはじめてからを入れると)35年の間には当然山あり谷ありだった。  
ロンドンで子供が生まれ、お互い働いてたしその上お互いの親親戚は(日本とオーストラリアだから)全くいない状態なので、ちょっと子供を預かってもらうとかなんて事も出来ない環境。
確かに子育てのストレスは多かった。 
だから最初の子供でもう「十分」って感じて二人目を作らなかった。 

その子育てなんですが、幼児期の大変さが一段落ついてほっとしていると今度は入学や受験、思春期の問題などなど次から次へと出てくる。 我が家の場合でも娘がティーンエージャーになって馬鹿な行動をとったりすると「お前の教育が悪い」みたいな事でぶつかったりしたものです。 

娘が独立して出て行って平和が訪れたかなと思ったら今度は女房の(いや僕も含むかな)更年期でしょっちゅう「ぶつかったり」も有った。 
そう、考えてみるとずいぶんと色々有ったのだがお互い今年60歳になる今になって、すごくうまく行ってるのです。 
まるで昔知り合って同棲を始めた当時みたいにものすごく仲が良い。 
もう喧嘩もまるで無い。 今の環境を考えると35年前と非常に近い事がわかる。 
また生まれ変わってきたら同じ人と結婚しますかって聞かれたら答えは「イエス」です。 

ここまでうまく結婚が続いてきたのは我慢強くない僕にとってはたまたま離婚に至るほどの「問題」が出なかっただけで、努力でもなんでも無く、ただ単に「ラッキー」なだけと思っている。 

ただ一つだけ言える事は国際結婚だから「お互い歩み寄る」って事。 
全く違うカルチャーで育ってきたわけだから、自分が「白」だと思っていても相手は「黒」が正しいと思っている場合などしょっちゅう。 
しかし自分が「そんなふうに考える方がおかしい絶対に白に決まってる」って考える場合じつは「日本じゃ」が付いてきてたのです、昔は。 

外国に住み始めてから日本の常識は世界の常識ではないという事がしばしば起こるという経験をする。 
だからまず意見が違った時に「自分は日本人の常識で判断しているのではないか」ってまず考えるようにした。 
もう30年も外国暮らしをしていると、とっくに日本人の常識を忘れてしまってますけどね。

この「お互いに歩み寄る」ってことにしても、中間地点までお互いが50%ずつ歩み寄るってつもりでも、自分は相手に50%どころか80%も歩み寄ってるのにと思ってても、実は相手も同じように80%以上は歩み寄ってると考えているほどでやっと50%地点なんですよ。 

こういうのを「努力」っていうのかは判らないが自分の場合はそれほど苦にはならなかったですね。 

と、何だかグダグダとりとめも無く書いてしまったけど、離婚せずに長く夫婦をやっているというのはやっぱり幸せなんでしょうな。

近日中にまたアウトバックの写真つき日記を更新します。

 


2007年5月18日

5月11日の日記に駱駝に乗っている写真を付けましたが、その駱駝について書こうと思っていた事を思い出しました。
駱駝の「こぶ」って僕はずっと水を溜めるものだと思っていました。
ところが今回の旅行で駱駝に乗った時に僕が水のことを言ったら「あら、あのコブに水なんか溜めてないのよ。 あれは脂肪が溜めてあって砂漠の中で食料が不足してくると、その脂肪をエネルギー源として生き延びるのよ」と教えられた。

子供の頃に駱駝は水の少ない砂漠を生き延びるためにコブに水を溜めてるって教えられたのだが、嘘だったんですね。
確かに駱駝は水の少ない環境で食料としての草などが有る場合はほとんど水を飲まない(飲めない環境で)生きていけるらしい。

実は今回駱駝に乗ったら記念撮影がオプションであってお願いしたら、写真とともに「駱駝について」説明書が入っていた。
ちょっとそれを書いてみます。
平均寿命: 野生で約30年、人間に飼われていると40〜50年。
体重: オス 800〜1000Kg  メス 600〜800Kg
身長: 肩まで1.85m コブまで2.15m
歩く速度: 時速5キロ 走ると、競争用は時速25キロ。

上で駱駝は水を飲まないって書いたけど、人間に飼われている駱駝は一日に20〜30リットルの水を飲むそうですが、長時間にわたって水を飲めなかった駱駝は、水にありつくと100リットルの水を10分ほどで飲んでしまうとの事です。
100リットルって、大型車の燃料タンクより多い量ですね。

ケーブルビーチで女房と二人で一頭の駱駝に乗せてもらったわけですが、肥満の多いオーストラリア人が二人も乗ったらやばいのではと思ってみてたんですけど、何と駱駝は自分の体重の半分は軽く担いじゃうそうです。
オスの駱駝で、885キロの荷物を担いだ記録もあるそうです。

じつはオーストラリアでは19世紀にアウトバック開発のため駱駝が輸入されたのですが、今では野生の駱駝も多いらしい。
ペットで駱駝を飼うってのも良いかも知れません。

さて今日掲載する写真は、今回の旅行のハイライトの一つだった「バングル・バングル」です。
カカドゥーも良かったけど、僕にとってはここが一番印象に残ってます。
それほど期待していなかったからよけいなのかな。

Bangles_10.jpg (58421 バイト) Bangles_06.jpg (28792 バイト) 

↑エマ・ゴージへバスで到着した僕らはそこで一泊した後、他のツアー客とは別行動で翌日小型機で「バングル・バングル リゾート」へ飛び立ちました。
滑走路は舗装されていないし、小型機はものすごく古いしパイロットを入れて8人乗りのこの飛行機に乗り込んだ時は少々不安になってしまった。

Bangles_11.jpg (130205 バイト) Bangles_12.jpg (86448 バイト) Bangles_16.jpg (117178 バイト)

それでも無事到着、バングル・バングルの飛行場(というよりただ未舗装の滑走路があるだけ)には迎えのホテルスタッフ兼ガイドのオニーさんとオネーさんが。
そこから四駆で15分ほど走って到着。
彼らについて行くとテント風のバンガローが。
合計20くらい有るのか。 テントの中は結構広くてトイレもシャワーも完備してるんですよね。(暗くて写真がうまく撮れなかった)
温水も来ているのですが、照明はソーラパネルで蓄えられた電気。
ですから240ボルトの電源などは有りません。

で、このリゾートなんとゲストは僕らだけでした。(夕方にイギリス人の女性の同士のカップルが到着)
スタッフは10人ほどいるのですが、まだ本格的なアウトバックの観光シーズンが始まっていないせいか、まるで貸しきり状態。
女房と二人だけで上の右の写真のテラス風レストランで遅い朝食を取った。 
僕らのためにスタッフがパンケーキを焼いてくれたり、他にお客がいないのでものすごく贅沢に感じました。
結局お客はその女性カップルと僕らの4人だけだったので、働いているスタッフ10人全員と一緒に一つの大きなテーブルを囲んで星空の元で夕食を。 スタッフは全員若いオージーばかりで食事が終わった後も皆で楽しくおしゃべり。 最高でした。

さて↓の写真は行きと帰りの飛行機の窓から撮影したバングル・バングルの風景。

Bangles_05.jpg (173997 バイト) Bangles_07.jpg (144665 バイト) Bangles_08.jpg (144357 バイト) Bangles_09.jpg (179088 バイト)

Bangles_17.jpg (98780 バイト)

↑残念ながら飛行機の窓はとても小さいし材質はガラスではなく、プラステッィクのような材質のために透明度が低くなぜか白くにごっているようで、残念ながら最高の景色をクリアーに撮影する事が出来なかったのがまことに残念です。

↓バングルに到着し朝食が終わったらガイドの二人とツアー開始。
一挙に写真を並べてますが、一日かけて4箇所延べ10キロほど歩いたかもしれません

Bangles_01.jpg (84486 バイト) Bangles_02.jpg (124224 バイト) Bangles_03.jpg (116611 バイト)

Bangles_04.jpg (104153 バイト) Bangles_13.jpg (144559 バイト) Bangles_14.jpg (89634 バイト) Bangles_15.jpg (114138 バイト)

Bangles_18.jpg (74897 バイト)

↑余計な説明などいらないと思います。
これぞアウトバックの圧巻って感じでした。
空からの写真と、実際に歩いて地上からの写真を比べてみて下さい。

このリゾートは観光バスツアーの会社「APT」が経営しているそうで、エマゴージにある「エル・クエストロ・ホームステッド」みたいに馬鹿高いわけでもなく大いにお勧めです。

 


2007年5月13日

今回のバスツーではほとんどがリタイヤしたような年齢のオーストラリア人の乗客が多かったです。
オーストラリアのアウトバック方面バスツアーは沢山の種類があるのだが、テントでキャンプしながら場所によっては風呂どころかトイレも無いなんてツアーは女房が嫌だということで宿泊はホテル、食事もちゃんとしたのがついているのを選んだら、同行客は高齢者が多かった。

この時季外国客はともかく、オーストラリア客は学校の休みではないのでリタイヤしているような年代が多いのは仕方が無い事かもしれません。
しかし学校休みと重ならないだけに、48人定員のバスに28人しか乗っておらず、自由に席を移動出来るのでまことに快適でした。
バスツアーってのはシートの位置の公平さを保つために、毎日席移動があるのですが、ガラガラだから最初は決められた席に乗り込むのだが勝手に景色の良い方へ移動したり、眠くなったら車窓が大きいので日差しが弱い方へ移動したりしてました。

僕らのバスでは唯一僕らより若かった(20代〜30代)客はオランダ人とアメリカ人(両方女性の一人旅)でした。 日本人は乗っていませんでした。若い日本人の学生さんやワーホリの人たちってのは、ホテルに宿泊する高額なツアーよりもキャンプしたりの廉価なツアーを選ぶんでしょうね。
その方が年寄りと一緒じゃないので良いかもしれません。
ツアーによっては年齢35歳までなんて制限の有るのもありますから。
日本からアウトバックを観るツアーってのは有るのかどうか知らないが、ブルームからダーウィンまでの11泊の日程が日本人には長すぎるのか、はたまた英語のガイドじゃわからないからか、日本人はめったに乗ってこないそうです(添乗員さんの話)。 

ちなみに行き先々でガイド(観光説明)をするのはバスの運転手が主で、添乗員はお客のお世話をする係り。 
ところが偶然今回の添乗員(女性)さんは日本語がかなり出来る(多少読み書きも出来る)ので聞いたら、2年前まで群馬県で子供相手の英語教室の先生を4年ほどしていたと。 
最初はワーホリで日本に行ってそのままヴィザ延長して4年間もいたそうです。 
この添乗員さんが乗っていれば、英語の苦手な日本人客でも安心かもしれませんが、しかし観光説明は運転手さんの役目なのでやはり難しいかな。

日本人の客といえば考えてみるとダーウィンからカカドゥへのバスには日本人が何人か乗っていた。 このバスは僕らのようなカカドゥ2泊3日ツアーの客だけではなく、日帰りのツアー客などが一緒に乗って出かけるわけですが、日本人は新婚と思しきカップルを除いて一人で旅行している30代らしき女性を数名見かけた。 日本もヨーロッパも暇でお金があるのは中年女性なのかもしれません。 

外国からのツアー客にはオランダ人がかなり多かったです。 
僕らのバスにもオランダ人の老夫婦がいたけど、行く先々でオランダ人を見かけました。
これは1600年代にオーストラリアを発見した探険家「エイブル・タスマン(アベル・タスマン)」がオランダ人だったという歴史的背景があるからです。 
上記の一人旅のオランダ人女性によれば、彼女が初めてアウトバックに来たのはオランダからの「アウトバックのパック・ツアー」で、その時にものすごく感動したので今回は一人でオーストラリアに入り現地のバスツアーを選んだのだそうです。
彼女は英語ペラペラなので、観光説明聞くのにも全く問題無かったようですが、老夫婦、特に奥さんの方はほとんど英語が通じず、ある晩夕食で席が隣り合わせになったのだが、残念ながら会話にならなかったです。 彼らにとっては運転手さんのガイドを楽しめなかったでしょうが、まあ景色を見ているだけでも十分なのかもしれません。

ところで僕らの選んだこのバスツアーはリタイヤ客が多いという客層設定になっているのか、あまり歩かないというかアクティビティーが少ないんですよね。 
ですから朝起きて飯食ってバスに乗り昼飯で止まってまた食ってまたバスに乗ってと「人間ホアグラ状態」に近いので、添乗員さんがツアーが始まってすぐに「皆さん!ツアーの終わる頃には服が小さくなってしまいますからご注意を」なんて言ってました。 
僕の場合「食っちゃ寝」のような状態が続くと胃が動かなくなって、ちょっとでも食べ過ぎるとすぐに胃腸の調子を崩すんですよね。 
だからなるべく朝食も軽くしたりして食べ過ぎないようにしてたが、やはり食欲がわかなくて、だいたいアウトバックのホテルの飯ってのもたいして美味くないのであまり食事では楽しめなかったです。 

体動かさなくてもちゃんと食べられる女房はてきめんに太ってました。 
2〜3キロついちゃったんではないかと思います。 
まあ僕らの場合は出来る限りオプションや自由行動の時に沢山歩いたりしてたんですけど、カカドゥへの旅行は別として、ダーウィンまでは大した運動量では無かったです。

たいして歩かないといってもさすが名所などに到着すると歩いて出かけるわけで、アウトバックを歩くわけですから虫に刺される人がけっこういました。
僕らはカンボジア・ベトナム方面への旅行用に購入した強力虫除けスプレーのおかげで2〜3箇所で済んだ。 
僕の場合は足にも塗ったつもりだったが靴下を履いてから塗ったので靴下と肌の境目を刺された。
あのような所に出かける前は靴下を履く前にバッチリ塗るべきだった。 

何にやられているのかわからないが、「サンド・フライ」などいろんな種類がいるんでしょうが、アウトバック方面に出かけるなら虫除けスプレーやクリームは必需品です。

さて今日の日記はそのバスツアーの車窓からの風景で始めます。

Buswindow_01.jpg (50542 バイト) Buswindow_02.jpg (51600 バイト)

↑まだ雨季が終わったばかりで、アウトバックといってもかなり緑が豊富です。 こんな風景がずっと続きます。
乗ったバスは↓かなり大型の快適なバスでした。

Buswindow_03.jpg (70540 バイト) Buswindow_04.jpg (93512 バイト) Buswindow_05.jpg (125070 バイト)

↑真ん中の写真のように未舗装の道も走るし、右の写真のように川のように水が流れている道も走ったりします。
乾季が進めばその水も無くなるらしい。

↓旅行中バスの窓から最初から最後まで見続けたのは「蟻塚」でした。
小さなものから巨大なものまで、いったいその数はどのくらいあるのだろう。 億単位には間違いないです。 羊やカンガルーが食べる草の量よりも、蟻塚に住む蟻(白蟻のようなやつです)が食べる草や木の量の方が多いそうです。

Arizuka_01.jpg (118728 バイト) Arizuka_02.jpg (136745 バイト)

↓旅行中沢山見たといえばこの「BOAB(ボアブ)」の木。
形が面白いので色々なところで撮影してました。

boab_01.jpg (135694 バイト) boab_02.jpg (141496 バイト) boab_04.jpg (137573 バイト) 

↑の一番左のはあまりにも大きくてそのうえ幹が空洞になっているのでその昔犯罪を犯したアボリジニーの拘置所の代わりにしていたとか。
残念ながらこの写真ではうまく中の空洞が撮れていません。
昔は中に入って撮影できたらしいが、今はアボリジニーの財産という事で柵がありました。
町の中にもボアブの木は多く植えられています。
一番右の写真は「Kununurra」の町の風景。 ここには沢山のアボリジニーがいて、何だか昼真っから酔っ払ってゴロゴロ昼寝したりってのが多かったです。(木の左側)
ボアブの木はニューサウスウエールズ州では非常に珍しいというか野生では無いはずなんですけど、僕が住んでいた前の家の門扉の横にはあったんですよね。
大変珍しいので我が家の前を通りかかる人が立ち止まって触ったり、写真撮ったりしてました。
この木はシドニーではボタニックガーデンに有る程度ではないかと。
今度その写真も載せてみます。

続く

 


2007年5月11日

本日はアウトバック旅行の出発地、「ブルーム」について書いてみます。

飛行機でパースからブルームに入ったのがシドニーを発ってからちょうど一週間後。
パースの気候はシドニーとほとんど変わりが無かったので、ブルームの空港に降り立ったら「ム〜ン」とした超熱帯の空気に迎えられて、ビックリ。
4月の終わりに近づき、乾季が始まっているのでもう少し湿度が低いかと思ってたんですけどね。
日本の夏を思い出してしまいました。

バスツアーが始まるのが翌々日だったので、オプションで美しいビーチで駱駝に乗ったり、日本人の墓やブルームの町に出かけたりしてました。
ブルームでは「ケーブルビーチリゾート」に2泊したのですが、リゾート地としてはちょっとがっかりでした。
僕のように美しいビーチのそばに暮らしている人間にとっては、ケーブルビーチをはじめとするブルームのビーチを見てもそれほど感激しないわけで、唯一の救いは「日本人墓地」訪問(墓参)でした。

BroomeHaka_01.jpg (151421 バイト) BroomeHaka_02.jpg (107343 バイト) BroomeHaka_03.jpg (102616 バイト)

707基919名の墓碑に刻まれた日本人の名前を見ながら、当時の事を色々想像していました。

1800年の後半、世界で最も優秀なダイバーだった日本人が数多くこの地に働きに来ました。
当時の潜水道具というのはまことにプリミティブなもので、潜水病などによる犠牲者が多数出ていたようで、上の右につけた写真には1914年には33人もが亡くなっていると記されています。

↓古い墓に刻まれた名前が時代を感じさせてくれます。
 下の一番右の写真はブルームの地、いやオーストラリアの真珠産業に とって最大の功労者の像がブルームの町に建てられています。

BroomeHaka_04.jpg (117993 バイト) BroomeHaka_05.jpg (91011 バイト) BroomeTown01.jpg (87903 バイト)

僕は勘違いしていたのだが、御木本幸吉氏がオーストラリアに養殖真珠の技術を伝えるまで、主に真珠ではなく真珠貝をボタン生産のために採取していたんですね。
1930年代にプラスティックのボタンが出てくるまで、真珠貝でボタンは作られていた。
採取される貝の中に真珠が入っていれば「ボーナス」ってかんじだったわけ。
で、プラスティック・ボタンの出現でブルームはさびれつつあった。
ですから御木本氏はまさに救世主だったわけで、日本人の銅像が街中に建っていても不思議ではないんですね。

↓さて、その美しいケーブル・ビーチと、駱駝に乗った時のスナップ。
夕暮れのビーチを駱駝に揺られて約1時間半、初めて駱駝に乗ったけどかなり揺れてそれほど乗り心地が良いものでは無かったです。
こんなのに毎日乗って砂漠を旅するって、いや〜かなりきつい事だなと実感。

CableBeach_01.jpg (50791 バイト) CableBeach_02.jpg (38837 バイト) CableBeach_03.jpg (29596 バイト)

↑の写真は駱駝ツアーの係員がカメラを渡すと夕日をバックに撮影してくれる。

CableBeach_04.jpg (51218 バイト) CableBeach_05.jpg (32777 バイト) CableBeach_06.jpg (60133 バイト)

↑は駱駝に揺られながらまだ日が暮れる前に撮影。
右の写真は僕らが宿泊していた「ケーブルビーチ・クラブ・リゾート」というホテルのカフェからビーチを撮影。
目の前がビーチで、駱駝ツアーもそこから出ています。

↓そうそうブルームではホーバークラフトに乗って恐竜の足跡の化石ツアーなんてのにも出かけました。
ホーバークラフトなので陸地から乗り込んで海の上を30分、無人のビーチに乗り上げて歩いて化石見学。
真ん中の写真でガイドのにーちゃんが手を置いている丸いのが恐竜の足跡(小さくて子供の恐竜らしい)です。

↓の一番右のはブルームの町に展示してあった昔の真珠採取船。

BroomeBeach_02_01.jpg (34917 バイト) BroomeBeach_02_02.jpg (111591 バイト) BroomeBoat_01.jpg (94175 バイト)

 

 


2007年5月8日

シドニーに戻って以来、すぐに処理しなければならない事が山のように溜まっていて、昨日(月曜日)から少しずつ片付け始めてます。
各請求書の支払い、昨年度の税金の処理、そしてちょうど我々が旅行に出かけた時と、娘のアパートのテナントが出て行ったのが重なってしまい、新たに貸し出す前にしなければならない事を不動産屋に依頼しておいたのですが、何とそこの担当者が退職(首?)してしまっていたために全く何も処理が進んでいなかった。

実は国内旅行だったので(といってもアウトバックは携帯の電波が届かないところが多かった)何度か電話を入れたのですが、まさか退職してしまっているとは知らず、繋がらない。
何度もメッセージをおいたが全く返事が無い。 おかしいと思っていたら昨日にすでに辞めてしまっていたことが判明。
そんなわけで本日娘のアパートを見に行ったら、床(フローリング)の塗りかえ後の掃除とか全くしておらず、3週間もの間テナントも決まらず手付かずの状態。

電気も止められた状態で、借りたい人が下見にも来れない。
任せる不動産屋を変えた方が良いのではと思っております。

さて、旅行について本日は最初の訪問地「パース」について今日は書きます。
一昨日の日記にも書いたようにパースはきれいな街です。
もし海外に住んだことの無い日本人が最初に訪れた地がパースだったら住んでみたい場所として非常に魅力的に感じることでしょう。
残念ながら今回は不動産の価格などを調べるチャンスが無かったのですが、シドニーほどではないにしてもかなり値上がりは進んでいるようです。

Perth_03.jpg (71432 バイト) Perth_04.jpg (58707 バイト)

↑パースの街とスワン河を美しい公園「キングス・パーク」から撮影。

Perth_06.jpg (66542 バイト) Perth_07.jpg (42377 バイト)

スワン河を渡ってシティーを撮影。
左は夕食に出かけた時にあまりにも夜景がきれいだったのだが、ホテルにカメラを置いてきたので翌晩も出かけて撮影。
↑右のはほぼ同じ場所から昼間フェリーで出かけた時に撮影。
この撮影場所のすぐ裏手に素晴らしく美味しいイタリアンレストラン「Spaghi(スパギ)」ってのが有り二晩連続で食べに行ってしまいました。

じつは、パースに入ってから毎晩食事を決めるのに、同行した日本人アーチャーが持参した日本のガイドブックで調べてたのですが、外ればかりでがっかりしてた。
で、トーナメント中に女房が地元のアーチャーに美味しい店情報を仕入れてきた。
その中にこの「スパギ」があったのですが、いや〜思いっきり美味しかったです。
席の予約を取らないかなりカジュアルなレストランで値段も超良心的。
夕方6時半に到着したらもう何人も外で待ってる。
店の中をのぞいたら中の待合用の椅子でも数人待っていて、まるで日本の有名ラーメン店みたいなんですよね。

30〜45分は待たされると聞いて、名前を書いてから近所を散歩に行ったらこの素晴らしい夜景だったわけ。

やっと僕らが席に着いたのが1時間後、待った甲斐があって僕の頼んだイカの料理も良かったけど女房の頼んだ「星の形」をしたシーフード・ラビオリが素晴らしかったです。
このラビオリはイカ墨のこの店の特製、ラビオリの中味のシーフードも蟹の肉などが使ってあり、シドニーでもこんな美味いの食べた事無かったです。

さすが地元の食通、おかげで美味い店にめぐりあうことが出来た。 
それにひきかえやはり日本のガイドブック(「何とかの歩き方」ってやつ)ってのは旅行に行った人間の情報が主だからあてにならないですね。

Perth_Arch_01.jpg (49134 バイト) Perth_Arch_02.jpg (93262 バイト) Perth_05.jpg (90473 バイト)

さて、アーチェリーの写真もつけます。
↑左は会場の風景で、実はこれはコントロールルームをはさんで左側の会場。 ほぼ同じ数の的(マト)が、右側の会場にもあり合計60ほどの的が並んでます。
真ん中の写真はオーストラリアの誇るアーチャー「クリント・フリーマン選手」。 アーチェリー史上、最初に1400点を超えた男です。
アーチェリー(FITA ラウンド)は一日に144矢を射るのですが1矢の最高得点は10点ですから全て10点なら1440点になります。
コンパウンドとはいえ1400点を超えるなんてのは、僕には想像つきません。 
確かいまだ90メートル的の世界記録(347点)保持者だと思います。
彼は出身地のタスマニアでアーチェリークリニックをしているらしい。
興味のある方は私に連絡ください。

さて最後の一番右の写真は、試合前日友人の紹介で地元の他のクラブへ練習に出かけたときのスナップ。
何と周りにはカンガルーがいて、矢を射ってると横で一緒に見てるんですよね。
もうすっかり人間になついちゃって、とても野生とは思えません。
可愛いでしょ。

 


2007年5月6日

昨晩ダーウィンより無事シドニーに戻ってきました。
パースでの選手権は残念ながら4位という結果でした。 
色々勉強になりました。 必ず来年の全豪に繋げることが出来る良い経験をしたと思っています。

主催者の不手際に惑わされ、僕のカテゴリーの試合の日程は水曜日(18日)だけのはずが、その前の日も(射る必要も無い日だった)参加して体力を消耗してしまい、本番の日は後半疲れて思うようなスコアーが出せず悔しい思いをしました。 まあそれも一つの経験だと思っています。

さて、その後のホリデーは十分に楽しむ事が出来ました。
ただやはりアウトバックは暑く、昨晩遅く帰宅した時には女房と二人グッタリしてました。
特に最後の5日間ダーウィン及びカカドゥ方面へのツアーでは、炎天下10キロは歩くなんてのも有り、いささかバテ気味でした。

シドニー空港に夜8時に到着したら想像していた以上に暖かいのでビックリ、しかしアウトバックから戻って来た我々にとっては素晴らしく心地良い夜風に、ほっとしてました。

いつも旅行から戻って来ると感じるのが「シドニー最高!!!」ってこと。
ヨーロッパや東南アジア旅行、はたまた日本への旅から戻って来る度に「シドニーってなんて素晴らしいんだろう」って再確認させられてます。
そう、今まで随分と色んな所に出かけたけれど、「素晴らしいところだ、将来チャンスが有ったら住んでも良い」なんて感じた場所は、シドニーに住み始めてから一度も無いんですよね。
気候、景観、雰囲気、文化、食、物価(生活レベル)、など等多くの判断の要素が有るけれど、東京、ロンドン、(短期間だがニューヨーク)などに住んだ経験のある僕にとってシドニーを越えるところはいまだ見つかりません。

それは今回のオーストラリア国内旅行でも同じで、日本人には大変人気が有ると言われている(らしい)パースでもシドニーより魅力があるとは感じませんでした。
確かにパースは綺麗で落ち着いた良い街ではあるけれど、やはりシドニーより田舎で、そこに住んだ場合文化的な面でフラストレーションが溜まりそうだし、また気候的にもちょっと暑すぎるかなと。
何か湿度がシドニーよりは高いようで、インド洋に面しているからかも知れません。

今回の旅行では沢山の写真を撮ったので、整理がつき次第この日記で紹介したいと思っております。

本日は無事生還の報告ということで、疲れが取れたら色々書きます。


マグパイへ戻る   過去の日記インデックスへ    最新日記へ