11月前半の日記



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11月1日

2001年11月1日

昨日31日の日記お休みしてしまいました。 
まず昨日の事をちょっと書くと、
早朝に病院から呼び出しを受けて、オヤジの手術が始まるからすぐ来いとの事。 日本も同じかと思いますが、手術をする前には、本人の同意が必要なので、型どおりの質問に答えた後、同意書にサインをしなければならず、オヤジは英語が出来ないので、僕が行って通訳をするという、もう何度も繰り返している事なのですが、さすが契約で物事が進む国、僕が到着するまで待っていたようでした。
呼び出しを受けたのは朝8時前、幸い家から比較的近いところにある病院なので、あまり待たせることはなかったのですが、僕は朝食も取る前だったのですが、そのまま手術が終わるまで居るように言われ、「病院」と「待つ」というのは同義語なので、手術室の外でずっと待っていました。

比較的早く手術室からオヤジは運び出されてきましたが、全身麻酔が効いているせいか眠ったままで、起きるまで待ち執刀の医者が手術の内容を説明に来るのを待ちました。
やはりと言うか、胃にできた癌がつくる潰瘍は大きくなって出血していたようで、内視鏡と一緒に入れたレーザーで患部(潰瘍)を焼いて固めたようです。
病室に戻されたオヤジに手術の説明をするために、いったん母を連れに家に戻り、食べてなかった朝食(昼になっていた)を慌てて摂ってまた病院へとんぼ返り。
オフクロを病院に連れて行って、一緒に手術の説明をして、すぐさま今度は自分のために日本人の開業医「池亀」先生のところへ。

じつは、僕は日本に行くちょっと前から耳鳴りがしだして、ずっと止まらなかったのです。 軽い頭痛も止まらないし、日本に行って友人に会ってる時に話したら、更年期じゃないかと言われたり、また他の友人と会ったら僕の手のひらがとても黄色いので、黄疸が出ているのではないかと言われたり、これは一度医者に行って調べてみなければと思っていたのです。

で、結論から言うと何と耳鳴りは中耳炎だったのです。
何で中耳炎なんかになったのか皆目見当が付かないのですが、左の耳の鼓膜まで炎症が見られるとかで、ビックリ。
飛行機に乗った時に痛かったのではないかと言われましたが、鈍感なのか気圧のために耳がおかしくなるのはいつもよりひどいかなとは思った程度で。
早速抗生剤の投与が必要との事で、出してもらったのを飲み始めたら、今度はいつもよりかなり反応が強く出てちょっと変です。
この抗生剤、500mgの錠剤と、かなり多目だし。
すっかり疲れてしまい、夕食を摂ったらそのまま寝てしまいました。
本当は日本に行っている時に見逃したモータースポーツ関係のビデオが溜まっていて、まずはF−1の日本GP見始めたのですが、なんと最初の10分で寝てしまい、気が付いたらすっかり終わって夜中でした。

モータースポーツ好きで、今までF-1を見ていて寝てしまうなんて一度もないので、やはりどこか体がおかしいのかよっぽど疲れが出ているのかもしれません。
疲れていると日記を書く気にもならず、こうやって今、昨日の事を書いているのですが、本日は本日で、日本に行っていたためにできなかった税務申告手続きのため、計理士との「アポ」が日本から帰ってくる前からとってあって、朝から計理士事務所に缶詰めになっていました。
昼過ぎには開放されたのですが、抗生剤のためか(そんなわけないのですが)頭が良く動かなくて、今晩は夕食の後にさっきまでずっと帳尻が会わない分をPCの画面に向かって四苦八苦していました。

しかしPCを使っての経理報告は間違いさえ見つければ一挙に解決できるので、23時近くになって無事終了、急に気分も晴れ晴れとして、一挙に書いてなかったこの日記を書き始めてしまった。

そうそう日本で手を見て黄疸と言われた件、医者は絶対に黄疸でもないし肝炎でもないと言う。
で、ミカンとかニンジンとか大量に食べたのではと言われたのですが、僕には覚えがない。
ところが今朝公園に行った時に「あれっ、ひょっとしたら」と思うことが。
というのは、僕はもう1年以上も毎日毎日公園を散歩する時に、ダンベルを持って歩いているのです。 で、これが一個3キロ両手に計6キロで、手をまっすぐ突き出して、上下させながらとかかなり上半身の鍛錬になるようにして歩いているのですが、ひょっとするとこのダンベルの握る部分がすれて、鉄棒の選手のように手のひらの皮を多少硬化させているために、色が変わってしまっているのではないかと思い始めたのですが、それが本当の理由かは全く自信はありません。

と、なにやらつまらない事ばかり並べてしまっていますが、とりあえずオーストラリアに帰国後友人よりいただいたメールの返事も満足に出していないので、とりあえず日記だけでもアップしておけば、何をやっているのか理解してもらえるかと思い駄文を並べてしまいました。
明日もまた病院なので、そろそろ寝なければ。


2001年11月2日

毎日病院へ行っていると結構気分が滅入ってくるもので、当分病院の話題は避けようと思います。

10月31日は、ハロウィーン(Halloween)でした。 昨年のハロウィーンの日はすっかり忘れていて、近所の子供たちが呼び鈴を鳴らし始めてから気が付き、小さい子供がいない我が家では菓子の買い置きがほとんどなく、困ってしまったのですが、今年は女房が憶えていて、いろいろな菓子をラップで包んで用意して待っていました。

「おひねり」という表現がぴったりの、数種の菓子を少々入れて、ラップで包んでひねってあって、何十人分も用意しておいたのに、なぜか今年は思ったほど来ませんでした。(と言うよりも作り過ぎ?)

オーストラリアでこのハロウィーンをこうやって祝う(騒ぐ)のはいつの頃か考えていたのですが、それほど昔の事ではありません。
せいぜいここ10年程前からではないかと思います。
僕がロンドンに住んでいた当時、子供が仮装したりカボチャを飾ったりというのは見たことがありませんでした。
ハロウィーンはもとはイギリスから始まったはずなのにです。

今のイギリスは知りませんが、オーストラリアでも僕がイギリスから引っ越してきた当時(1980年)は全くこのような事はやっていなかったはずです。少なくとも僕の住んでいた周りでは。
多分これはアメリカ風の祝い(騒ぎ)方なのでしょうが、年々エスカレートしているようで、菓子(おひねり)をねだりに来る子供たちの仮装にしてもかなり凝っているのが増えています。
これは結構僕にとっては不思議な現象で、アメリカ風なハロウィーンがなぜ最近に(10年程前から)なって流行りだしているのか。

我が女房もそういうのにはノリの良い方なので、子供たちが呼び鈴を鳴らすとゲートまですぐに出て行き、ずらっと並んだ子供たちに向かって「誰が一番怖いかしら?」と仮装のうまさを確かめたりしていました。

しかし翌朝散歩に出かけようとしたら、生卵は誰かが投げ込んでるは、ちょうどゴミの日で道に出してあったボトルなどのガラス類の入った箱からワインボトルなどを取り出して道に叩きつけてあるは、子供の仕業とは思えないのですが、アメリカのようにティーンエージャーまでが夜中中騒ぐようになると少々厄介になる予感が。
(昔日本からアメリカに留学中の青年がハロウィーンの夜に恐ろしいお面をつけてパーティーに行く途中、住所を間違って違う家の呼び鈴を鳴らしてしまい、そこの家の主人に撃ち殺された事件がありました。 そんな事はオーストラリアでは起きて欲しくないもんです)


2001年11月3日

オヤジが退院したいと駄々をこねるので、医者の許可も出たので本日連れて帰ってきました。 
何しろオヤジは英語ができないのに、できるふりをするのでいつも話が非常にややっこしくなります。
昨日も早朝に、まだ点滴が取れたばかりなのに、看護婦がもう退院してよいと言ったと勘違いして勝手に服に着替えてしまい、困った病院から電話があり、誤解を解いて欲しいとのこと。
早速駆けつけてみると、すっかり着替えて椅子に座ってる始末。
昔から自分の都合の良いようにしか人の話を聞かない人間なので、特に不得意な英語だとこんな事は日常茶飯事というか。
本人はもう家に帰りたくて帰りたくてしょうがないからでしょう、担当医が来たので事情を話したら、今朝の退院の許可が下りたのです。
その時の担当医の話では、彼の胃癌は進行性で今回のレーザーで出血部分を押さえる(固める)手術は、また癌腫瘍の拡大と共に出血が始まるので、常に注意が必要とのこと。
とにかく出血が始まると短期間の間に極度の貧血状態になって、電気のヒューズが突然飛ぶように、突然昏倒するのでいつも倒れる時に頭や顔を打ち、我が家は床が石やタイルの部分が多く困ってます。

その部分にもカーペットを敷くか、いっそのことオヤジに自転車用のヘルメットをかぶせたらなんて冗談も出るほど。
とりあえずは病院通いは今のところなくなったので、僕ももう少しPCの前に座ってる時間が増えると期待してます。

さて、話題を変えて
今回日本に行った時に、少ない東京での滞在時間の中でも一応しっかり秋葉原だけには行ってきました。
友人たちには今時秋葉原に行かなくてもいくらでも安売り屋はできていると言われました。
確かに娘の誕生日プレゼントとして前から約束していたデジカメなどは、秋葉原で見た値段というのは何軒回っても値段はほとんど横並びで、確かに高くはないのですが、そこそこというところでした。
で、店頭価格は横並びだから、そこからどのくらいサービスさせるかが客の腕なのかと思って数店で値段の交渉をしようとすると、まるで「お客さん何か勘違いしてるのでは?。 ここに書いてある値段が特価ですよ」で終わってしまいます。 僕の憶えている秋葉原というのは、店頭価格からまた引くというのだったと不思議に思いその日は買わずに帰って来ました。

もっとも他にどうしても買いたい物があって、それはそのうち詳しく僕のHP内のPCのページで書く予定ですが、「ダブルOS切り替え器」という物。
さすがこのようなオタクっぽいものは、秋葉原でしかなかったのですが、驚いた事に秋葉原でも、それもその中のPC専門店でも5店回って3店はそんな物の存在すら知らず、1店は知っていても売ってなく、最後の5店目でやっと入手したのですが、いささかがっかりしました。
秋葉原というところはもっと店員たちも知識を持っていて、PC専門店ならそれに特化した製品の知識も持ち合わせていると思っていたのですが。
逆にそんな製品は存在しませんと胸を張ってを言う店員に教えてやってる始末でした。
(たったPC歴1年ちょっとのオジサンに秋葉原のPC専門店の店員が教えてもらってるというのも悲しい)

さて秋葉原では買わなかった娘のデジカメですが、いったん東京の滞在先である我が妹のところに戻り、PCで(例の価格コムです)調べたところ、やはりというか安いところはやっぱり安く売っているのですが、普段秋葉原を徘徊していない人間にとっては地図を見てもすぐわからないような裏道のそれも店のように見えないような店舗なんてのがあって、再び秋葉原に出かけるのは億劫だし、時間も無駄だしと思っていて、妹の近所にある安売り屋に電話をかけて値段を聞いたところ、耳を疑うような安さ。

間違いではないかと思ったのですが、すぐに(近くだったので)出かけてみると、何とその日がリニューアルオープンの大特価セールス中だったのです。
こういう日にぶつかると、異常なまでに安くなるようで娘の富士ファインピックス40iというのも秋葉原の価格よりもまだ11000円以上安く買えてしまい、つくづく自分の悪運の強さを思い知ったというか。
何しろその日が偶然大特価セールスの最初に日だったのですから。
そんなわけで、あれも安いこれも安いと、他にもかなり買い込んでしまいましたが、オーストラリアで買う値段と比べても(オーストラリアでは型がかなり古いので単純に比較さえできないが)何分の一かというような値段で買えました。
やはりこういった商品に関しては相変わらず日本は安いようです。
しかし、明日は日本ではなぜか異常に高いもののことを書いて見ます。


2001年11月4日

昨日は日本で買ったPC製品などの値段の安さなどを書きました。 
娘のデジカメだけでなく、自分用にメモリーカードや、ハードディスクドライブなども購入、オーストラリア帰国後値段を比較してみても買って良かったと思う物ばかり。
日本はデフレというのか、今回の日本訪問でいくつかの話題の店「100円ショップのダイソウ」や「ユニクロ」に行ってみましたが、確かに値段だけでみるとダイソウは安い。 しかしこの100円ショップは想像して以上に大きなフロアーに多くの商品が置いてあるのですが、是非買ってオーストラリアに持って帰りたいと思う物はなかった。 
またユニクロですが、これは「安い」のを売り物にしているのかどうか判らない部分もありました。
例えばジーンズですが、オーストラリアのジーンズ専門店の2本買えば99ドル(2本でです勿論)なんてのは良くある事で、単純に一本50ドルそれを1ドル60円計算では約3000円となり、ユニクロのジーンズ値段と大して変わりない。
その上オーストラリアのジーンズ店というのはジーンズを専門に売っているので、デザインのチョイスが広い。
 
僕はロンドンに住んでいた当時、ずっとファッション屋として買い付けをやっていたので、その場で時価のレートを使って日本円になおし、日本での販売価格と比較するということが身に付いてしまっているのかもしれません。
そんなわけで長年の癖というのか、今回もダイソウは価格的には確かに安いとは思うが、買って帰りたい商品がそんなに多くはない。
ユニクロに関しては、想像していた通りでした。
つまり価格的には別に安くないのです。 日本でユニクロの物が安いと思っている人がいたらそれは今までの日本の衣料の値段が高すぎたのですと言いたい。
ジーンズだけでも、同じような中国製の衣料品で同じような価格帯の物を売る店はもう10年も前からあります。
ユニクロはイギリスにも進出とかどこかに書いてありましたが、よっぽどデザインを強化して、その上今の購買力で価格を今一度下げないと、日本でのような、チェーン店展開の成功は海外ではそう簡単ではないと思いました。

さて最後に、医薬品です。
今回日本に帰った目的は危篤になった叔父のためだったのですが、彼はすでに植物状態になっていました。
点滴だけでなく、口にもプラスティックのマウスピースのようなパイプを喉の奥まで常時突っ込まれ、呼吸だけはかろうじてしているという状態で、一日に何度も看護婦さんが鼻と口からパイプを突っ込んで、溜まっているタンを(肺からも)吸引するのですが、ほとんど意識のない叔父がその時ばかりは苦しいのか眉間にしわを寄せて、唸るのを見ていました。
この叔父の2歳年下の弟、つまり僕のもう一人の叔父も当然毎日のように見ていたためか、何と2ヶ月前に禁煙を始めたのです。

母方の親戚は皆へヴィースモーカーで90歳近くで亡くなった僕の祖母までが大変なスモーカーでした。
ですから2年前に僕らが叔父たちに会った時にオーストラリアの禁煙運動の話題になって、禁煙を勧めたら鼻先で笑い飛ばされ、「うちの親戚は皆へヴィースモーカだが、長生きをしているのだ。 タバコを吸わずに長生きしても、交通事故で命を落とす事もある」というようなありきたりの反応が返ってきたものです。
ところがまだ元気な一番下の叔父は病院に見舞いに行くたびに見る、叔父の苦しそうな表情を見て、何とタバコを吸わなくなったのです。
確かに(肺)癌の末期の患者の苦しみを間近で見ていたら、叔父のように喫煙の強者でもビビリます。
ところが72歳までものすごい量を吸っていた人間なので、そうそう簡単に止められるわけが無く、最近日本でも処方箋無しで薬屋で買えるようになった、ニコレッ○というガムを噛んで禁煙に努めたのです。
確かにこれはかなり効果があるようで、今はほとんどガムも噛まないでいられるようになったと昨日日本に電話をした時に言っていました。
このガムのお陰もあるかもしれませんが、禁煙できたのは兄弟の苦しむ姿というのが大いに助けになっていることは確かですが。

で、この「ガム」気になったので、昨日オヤジの薬を薬局に取りに行った時に見てみました。
やはりというか当然というか、全く同じメーカーのこのガムをオーストラリアでは約5分の一の値段で売っていました。
この値段の差はあまりにもひどすぎるのではないでしょうか。
流通機構が違うのか、はたまた日本の消費者は金があるというのか。
このように同じ商品(特に医薬品)を国によって値段をここまで違えるというのは、犯罪的だと思います。
このような商品は、今流行りの「健康食品」や「地球に優しい」商品などとは比べ物にならないほどの効果のあるものなのですから。
この値段の差は何が原因か(結構このガムのメーカーのせいでは無かったりする場合もあるので)調べてみると、日本の医薬品に関する行政や流通機構等などの「暗部」が見えてくるかもしれません。


2001年1月5日

本日の日記は「PCのページ」に移動しました。


2001年11月6日

僕が日本から帰って来たのが、10月29日で約一週間前。 女房に聞いてみると、僕が日本に発った10月13日以来ほとんど雨が降っていないとのこと。
晴れの日は嬉しいが、これほど雨が降らないと、庭の植物や芝などが水不足になって、朝から水撒きに追われてしまいます。 特に夏に向けて気温が少しずつ上昇しているので、プールや鯉の池の水位もどんどん下がり、毎日注ぎ足さなければならないほど。
オーストラリア(この場合シドニーですが)の気候というのは、住んで20年以上になる僕にとっても、摩訶不思議な物です。
いつが雨季でいつが乾季などと簡単に言えないし、これだけ雨の降らない日が続いていても、ひょっとすると来週からは雨が1週間くらい続いてしまう可能性もあって、日本からオーストラリアへ初めて遊びに来たいと言ってくる友人に聞かれても、困る事があります。

一日に四季があるような日もあるし、まだ9月なのに暑くてプールに飛び込んでしまった日もある。 地球の反対側のオーストラリアでは9月というのは日本の3月にあたります。(プラスまたはマイナス6ヶ月という事で)
日本で3月に暑くて泳げたなんて事はまず無いわけで。
そうそう、僕が日本に帰った10月13日頃はシドニーと日本の陽気がほとんど同じから逆転し始める時季でした。
日本に着いた頃は、幾分シドニーより暖かいかなと思ったのですが、すぐに寒くなり、今回帰って来たらシドニーは日本よりずっと暖かくなっていました。
特に今回帰って来て空港から出て来た時に印象的だったのは、空の眩しさでした。 本当に明るいところに帰ってきたっていう実感がありました。

で、日本から来る友人へアドバイスする場合特に気をつけるのが、この季節が全く反対という点です。
日本のうだるような灼熱の7月8月にオーストラリアに来る人は、例え季節が反対だと知っていてもオーストラリアに着いた途端、寒いを連発する事は珍しくありません。
日本で肌の汗腺が開きっぱなしになっているので、湿度の低いシドニーに着いたとたんに、びっくりしてしまうというか。
しかし、その時シドニーは真冬といっても、雪が降るわけでもなく、日中はほとんど10度は越えますし(日によっては20度近くまで上がる日もある)日本の冬とは比べ物にならないほど温暖なのですが、やはり日本人にはとても寒く感じるようで。
で、日本の正月休みにオーストラリアに来る人は、暑さにビックリという事になります。 実は日本の夏と比べたら湿度も低くてとても過ごしやすく、夕方には長袖のシャツでもちょうど良いという日もある気候なのですが。

さてここまで書いて本題を。 世界的な不景気は特に航空業界にも深刻な影響を与えているようで、何と全日空もオーストラリアから撤退してしまうは、提携していたアンセット航空も倒産してしまうはで、テロ事件以来海外旅行者はすっかり減ってしまっていると思っていたのですが、便数ももっと減ってしまったために、もともと座席の確保しにくい時期だったクリスマス、正月時期の航空券は非常に取り難くなっているようです。
僕の友人や知人にもオーストラリアに来る日は取れたが帰りが満席でという人が続出していて、困っているようです。

本当は僕のお勧めの時期は11月と、3月4月頃なのですがね。
特に11月は日本が結構寒くなり始め、夕暮れも早く訪れる時季に、明るく暖かいシドニーは最高の季節になります。


2001年11月7日

昨日の日記に天気の事を書いたらシドニーは久し振りに雨になり、ホッとしています。
ひょっとすると昨日触れたように、今度は雨がずっと続いたりするかもしれません。 典型的なシドニーの天気のように。

先日にちょっと書いた鴨のツガイが相変わらずうちのプールに遊びに来て、我が家の愛犬「ハナ」も気になって仕方ありません。
ハナは特に鳥系が好きなので、一時は彼女のために鳥を飼おうかと考えた事もあるほど。 そうペットのペットですな。

この鴨、犬がそばに来て見ているのに全く気にせずプール中を泳ぎまわったりしています。 しかし、プールの中で糞などをされると厄介だしと、複雑なところです。

さて、一昨日の日記に書いた、ウインドウズXPで遊んでいて、ちょっとしたパーツが必要になったので、例のPC屋に本当に久し振りに行ったら、例によって「ずっと出社してこなかった!」と(冗談で)叱られるかと思ったら、あまりにも長期にわたって顔を出さなかったので、いきなり「オヤジさんは大丈夫か?」と言われてしまいました。
彼らは日本語が読めないので、僕のこのHPで最近の事情を知っているはずも無いのですが、不自然(?)なほど連絡が無いので、何かあったと想像はついたとのこと。 しかし僕が叔父のために日本に行っていたのは知らなかったようです。
積もる話をしていたら、隣のカフェー・レストラン「THE PREGNANT WHALE」のルルちゃんも顔を出し、お昼はそこで。
今日はこのレストランの事を書いてみます。
彼女はもとはイギリス人、フランス人のボーイフレンドと二人で、ギャラリーとカフェーを兼ねたようなレストランを僕の御用達のPC屋の隣でやっています。 これは本当に便利で、PC屋で話が弾んでいる時には、PC屋のほうに出前してくれるし、落ち着いて昼を食べるなら壁を隔ててすぐ隣なので、注文してから出来上がる頃に呼びに来るし。
で、この二人の作る料理がかなりのレベルです。 時に彼女は研究熱心なので、僕ともすごく馬が合い、デザートのケーキなどであまりにも美味しい時は家でも作ってみようと彼女からレシピを貰ってきたり。

彼女のところは朝と昼だけしか開けていないので、メニューの内容が、前の日記にも触れたBill Granger(ビル・グレンジャー)などの影響をかなり受けているのです。
で、彼女を連れて今度ビルの店に連れて行くことを思いつきました。
わざわざキングスクロスにまで出かけていかなくても、彼女の腕ならそれを超えるような物を作れる可能性もあるし、ましてや値段は半額ですから、PC屋に遊びに行くたびに、彼女のレベルの高い昼を楽しめるなんて最高だと。
うんこれは良いアイデアであると、今週の土曜日あたり娘と女房も一緒にルルちゃんを連れて出かける計画を立てています。

THE PREGNANT WHALE (妊娠中の鯨)
Lulu Shore
87 BRONTE ROAD BONDI JUNCTION 2022


2001年11月8日

先日日本に行った時の思い出を、僕の得意な(?)「香りまたは匂い」で少し書いてみます。
まず成田空港到着して、機内から出たとたんに久し振りの日本の空気の匂いがしました。 秋なのに少しばかりジトっとした、湿度の香りと言うか。 「あ、日本に着いた〜」って気にさせてくれます。
もっともこの匂いは、日本は秋だったので、そんなに強くは感じませんでしたが。
成田に着いてもすぐにまた国内線に乗り継いで、福岡空港を目指したので、街の匂いは博多が最初だと言えます。
博多は、東京ほどの大都会の匂いはしませんでした。 そしてなぜか成田より湿度の匂いも少なかったと記憶しています。
博多のホテルにその晩は一泊して次の日の朝、新幹線で山口を目指しました。 向かった先は小郡(おごおり)駅。
新幹線から見える風景(下関など)はかなり変わって(拓けて)いて、懐かしいという感じはしませんでした。

迎えに来てくれた叔父(母の一番下の弟です)の車で一路山陰へ。
相変わらず彼の運転はうまいと感心していました。 歳は70歳を過ぎているし、その上彼には右腕が肩からありません。
(映画「逃亡者で」主人公の医者リチャードキンブルが追いつづける「片腕の男」のように)
彼が中学生の時、通学時に駅のホームで足を滑らせ列車とホームの間にはさまれて、腕を失ってしまったのです。
ちょうど日本は終戦直後で、医薬品類も極端に不足していましたが、すでに日本に進駐して来ていたアメリカ軍の助けで、命は取り止めたそうです。
僕にとっては子供の時から叔父には右腕が無いものだという感じで育ってきたので、見慣れてしまい、それが普通になってしまっていたのですが、今回久し振りに会うと、運転のうまさなど本当に感心させられました。
(あ、そうだ! 彼が5年程前にオーストラリアに遊びに来た時の経験、つまりオーストラリア人の身障者(叔父)に対する思いやりにについて、今度書かなければ。 彼に言わせると、日本との違いに彼が自信がビックリと言うか、戸惑ってしまうほどだったようです))

話は横道にそれてしまいましたが、その叔父の車に乗ったら、なんとタバコ(ヤニ)の匂いがしません。
何と禁煙を始めたとのこと。 70歳までずっとヘヴィースモーカーだったのに。 僕も昔ヘヴィースモーカーだったのですが、やめて以来タバコの匂いと言うのは、ものすごく敏感になりました。 これは禁煙をした人で無いと判らないが。
さて、
すぐに危篤状態のもう一人の叔父を見舞うために病院に行ったのですが、大きな病院の入り口を入ったとたんに、ロビーがあって喫煙している人を見て、「日本に帰ってきた〜!」って感じた物です。
オーストラリアのコメディアンが「日本では病院に喫煙室がある」っていうのをネタで使っているのを思い出してしまいました。

僕の第ニの故郷山口県(萩のある山陰の方です)は、僕が子供の頃はいつも夏休みに行っていたせいか、今回は残念ながら「思い出の匂い」はあまりしませんでした。 全く無かったわけではないのですが、ムンムンするほどの匂いは、秋のこの季節では無理なのでしょう。 すごく期待していたのに。 
この匂いと言うのは、草の匂いや(smell of meadow) 海から吹いてくる潮の香りが混ざったと言うのか。 
で、僕は自転車を借りて懐かしい「匂い」と「風景」を捜しに出かけました。 海に近づくにつれ、磯の香りが強くなってくるのは、オーストラリアよりも日本は数倍強いです。 
なぜだか判らないが、多分プランクトンとかが多少違うのかもしれません。
それよりも自転車でどんどん奥に入っていくと、そこは完全に無音の世界、自転車をこぐ時に聞こえてくる風を切る音だけ。
いや〜素晴らしい。 こんなに田舎って静かだったかと改めて感心してしまいました。 典型的な日本の田舎の秋の夕暮れなのかもしれません。
この「完全無音」は昔オーストラリアのエアーズロックに行った時に、ついでに寄った、マウント・オルガで体験したのを思い出しました。
そこも全くの無音の世界で、そよ風の音が時より、かすかに聞こえてくると言うか。 
「騒音や雑音」から完全に解き放たれると、心がジワーッと和んでいくのが実感できるものです。
一種のトリップ状態と言うか。

残りは明日の日記に続きます。


2001年11月9日

シドニーは天気が崩れて以来、大分気温が下がっているようです。
せっかく初夏を感じさせられる良い天気が続いていたのに。 と、人間とは我が儘なもので、ずっと雨が降らないからと心配していたのが、数日前だというのに。

さて昨日の日記の続き「匂いで綴る日本の思い出」(なんか妙なタイトルではある)
一週間ちょっとで、山口から東京に出てきた僕と母は、妹の所に厄介になりました。 
東京には結局1週間も居なかったのですが、小学校時代や、中学高校時代の同窓生、はたまたロンドン時代の旧友と、精力的に旧交を温めました。
やはり東京は大都会の匂いがします。
友人の表参道と青山通りの交差点のすぐそばにある、新築の家に泊めて貰った時には、場所柄特にそういう感じがしました。
しかしそんなに都心のところなのに、排気ガスの臭い(この場合のにおいの字はこの字が似合ってますな)が少なく、絶対に東京はロンドンより空気はきれいではないかと思います。
ましてや10月の半ばを過ぎているのに、蚊に噛まれたりして、なんか東京じゃないみたいだと思ったものです。

今回の日本行きでの「匂い」の圧巻は、焼き魚の匂いでした。
その日小学校の同窓生に会うべく、渋谷から電車に乗って駒場東大前駅で降り、富ヶ谷にある彼の大学に向かって、住宅街の細い道を歩いていました。 本当に秋の夕暮れという雰囲気で、日の落ちるのも日増しに早くなり、ちょっと肌寒さが感じられるという日でした。
もう時間は夕食の支度の始める頃で、通り過ぎようとしていた民家の方からあの匂いが漂ってきたのです。
「秋刀魚を焼く匂い!」 いや〜、すっかり忘れてしまっていたのこの匂いで、僕はその場ですっかり子供の頃にフラッシュバックしていました。

秋の夕暮れ、学校の帰りに友達と公園で遊び、ふと気がつくともう夕食時。 早く帰らなければ叱られてしまうとばかり日も落ちてしまった道を駈足で帰る時に匂ってくる魚を焼く香り。
僕はほんの瞬間クラクラッとしてしまうほどでした。 この感覚はちょっとわかってもらえないかもしれませんが、シドニーやロンドンではまず経験できない匂いです。  
特に、脂の乗った秋刀魚を焼く時には独特な匂いがします。
いえいえ、文句を言っているわけではありません、僕はその時すごく嬉しそうな顔をしていたはずです。
最近日本の都会では、欧米並みに(特にマンションなどでは)秋刀魚を焼いたりしたら顰蹙物らしいのですが、僕にはこの「匂い」本当に懐かしい気持ちにさせてくれました。 小学校の幼馴染に会ったように。
そう、その時にはまさに小学校の同窓生に(40年ぶりに)会いに行く途中だったのです。
ところが何と偶然!彼はその晩僕を日本料理に招待してくれて、飛び切り美味しい秋刀魚を食べる事ができました。

縄暖簾というのか一品料理が並んでいて、酒を飲みながら色々季節の料理を楽しむタイプのお店だったのですが、こういう店こそが久し振りに日本に帰った僕みたいな人間には大いに感激させてくれるんですよね。
特に!秋刀魚、なぜかこの魚は南半球の海にはいないのです。
ほとんどの種類の魚は日本と同じように捕(この場合「獲れる」かと思ったら、この字は鳥獣に使うようですな)れるオーストラリアですが、秋刀魚だけはいないのです。 これは本当に不思議なのですが、だからこそ感激も倍増でした。
デザートも柿なんて、またまた日本独特なもので。
(柿は、日本のマーケットのために、ニュージーランドで大分作られるようになったので、オーストラリアにも入って来るようにはなっていますが)


2001年11月10日

今日は連邦政府の総選挙投票日。 僕はオーストラリアでは投票権は持っていません。 というか日本国籍を捨てない限り、投票権は貰えません。 
オーストラリアでは投票に行かないと、罰金を取られます。
昼にダーリングハーストで食事をしていて、投票に行かなければということになって、二人を投票所に連れて行きました。 僕は投票できないので、外で待っていたのですが、娘が投票所に入る前に、身分証明書を忘れたと言うのです。 ところが、問題無く投票を済ませて出てきました。
その前に、車で走っていて、投票所をどこにしようかしらと言って、結局ダブルベイの投票所が車停め易いと言うのでそこに行ったのですが、なんかおかしいと思いはじめました。

投票するのに、身分証明書も要らない、投票所もどこでも良いみたいなのです。 で、どうやって本人だと確認したのか聞いてみると、何と名簿のような物が有って、自分で名前と住所を申告すると、その台帳のコピーのような物を見て確認して投票用紙をくれるというのです。
で、その台帳に一応その場で投票用紙を渡したら、すでに発行済みのサインを入れるのは判るのですが、上にも書きましたように、同じ地区内(これがかなりの広範囲で一体いくつの投票所があるのか判らない)ならどこへ行って投票してもよいシステムで、投票所間はオンラインで繋がっているわけでもないのです。

と言う事は悪意のある人間が同じ地区にある数ヶ所の投票所に行って投票しても、まずその場ではバレないわけです。
もっと言えば、娘の場合身分証明書も提示しなかったわけですから、似たような年恰好の人間がその人に成りすまして、多くの投票所を回る事も可能で、今これを書いてる夜9時にはすでに開票が始まっていますから、結果が出てからおかしいと判っても、手遅れのはず。
というのは、投票用紙には投票者の名前を記入するわけでもなく、投票用紙に番号が振ってあるわけでもないので、悪意の者が誰に投票したかも判らなくなってしまうのです。

僕は驚いてそう言うと答えは何と「そんな悪い事をする人はオーストラリアにはいない」って言うのです。
こそドロはたくさんいても、そんな事をやるような人間はいないと言うのか、僕には開いた口がふさがらなかった。
もうこれは、思いっきりノンビリしていると言うのか、本当に誰もこんな危険があると考えてもいないのでしょうか?

皆さんも良く憶えてるアメリカの大統領選挙で、無効票などの取り扱いをめぐって何週間も大いに揉め続けましたが、あのように票が僅差の時など、オーストラリアで起きたらどうなってしまうのでしょう。
このオーストラリアのシステム、今回偶然に僕が投票所まで女房と娘を連れて行ったので、このような事が判ったのですが、僕にとってはあまりのいい加減さと言うか、ノンビリさに、これを書いてる今も「本当にどうなってるんだろう」と、考え込んでしまっています。

女房にこの事を言うと、「もし多くの人がそういうズルをして投票総数が合わなくなったら、再選挙になるのだろうけど、そんなずるいことをする人はいないのでは」って言うのです。
そういう事を考える僕の方がおかしいと言わんばかり。

僕は日本で前の日記に書いたように、若い時に日本を出たので、一度も投票した事がなかった(できなかった)ので、日本のシステムは良く判りませんが、このオーストラリアのシステムっておかしいと思う方が変なのか、いや〜よく判りません。
 


2001年11月11日

昨日の総選挙では、大方の予想通り、リベラル(自由党)が勝利し、労働党の政権奪回はなりませんでした。
どうも、総選挙前から白熱した「難民受け入れについて」の議論で、労働党が確固たる姿勢を示さなかったのが、敗因に繋がったという意見もあるようです。
何しろオーストラリアはボートピープルが大挙押しかけてくる国ですから。
娘と女房は、この選挙の結果には不満らしい。 ということはリベラルには投票しなかったようです。

さて、数日前に天気がちょっと崩れて心配していましたが、昨日くらいからまた快晴が戻ってきました。
朝庭に出て、芝生に水を撒いていると、いやなんとも素晴らしい天気で、つくづくオーストラリア(シドニー)に住んでて良かったと感じる季節ではあります。
ボートピープルも来たがるわけだと納得してしまうと言うか。
雲ひとつない青空の広がる眩しいほどの明るさ、空気は乾燥して清々しく、暑すぎず、こんな素晴らしいところに住んでて、本当に良いのだろうかと、なぜか「うしろめたさ」を感じてしまうほど。
こういう季節が来るというのは、もうすぐ夏、そして年の終わりが近づいているという事です、オーストラリアでは。

女房が来年の手帳(ダイアリー)を買ってきて僕にも一つくれました。
もう今年も終わるんだなと、よけい感じさせてくれます。
毎年この小さな、携帯に便利な手帳を使うのですが、中を見ていて、面白いことに気がついた。
世界の休日が出ていて、日本の部を見ると何と休日の数が世界で一番多いではないですか。(韓国と計算の仕方では同数になるかもしれないがとにかく一番多い)
で、オーストラリアを見てみると一見すごく多そうに見えるのですが、それは各州で休日がかなり違うためにすべて表示されているためで、数えてみたら、シドニーのあるN.S.W州は日本の半分もないのです!

いつから日本はこんなに休日が多くなったのでしょう。
多分日本人は働き者だから、国が休日を沢山つくって無理やり休ませようとしているのか。
僕には、西欧からの圧力(日本人の労働時間を減らさせる)を感じてしまいます。 
護送船団方式にどっぷり浸かった日本企業のマネージメントは、労働者の長時間労働に支えられて日本経済が強くなったというのを忘れて、自分たちのやるべき事をすっかり怠けていたのです。 欧米よりも多く休祭日を設定してしまった後では、極端に競争力が落ちていくという構図を、むしろ欧米の方が良くわかっているはずです。 
だから僕はこんなに日本では休日が多いのは外圧ではないかと勘ぐってしまうほど。
(僕はここで、日本の休日が多すぎるから減らすべきとは全く思ってはいません。 日本の企業のトップのマネージメントの能力について言っています)

この手帳に書かれている日本の休日はもちろん英語のダイアリーなので、すべて英語で出ていますが、あまりにも日本を離れて長い僕には、すべての休日をすぐに日本語に訳する事ができませんでした。
以下に英語で日本の休日を書いて見ます。 どう表現されているか見るのも面白いかと思い付けてみます。
ちなみにイギリスはたった8日、アメリカは10日です。

Japan
New Year's Day
New Year's Observance
Coming of Age Day
National Foundation Day
Vernal Equinox Day
Greenery Day
Constitution Memorial Day
National Holiday
Children's Day
Marine Day
Respect for the Aged Day
Autumnal Equinox Day
Health Sports Day
Culture Day
Labour Thanksgiving
Emperor's Birthday
New Year's Eve

以上、クイズ用にわざと日付はつけませんでした。


2001年11月12日

本日の日記はお休みします。



2001年11月13日

僕は確実にPC依存症になっていると思う。 モニターの前に座る事によって、現実から逃避しようとしているのだと思う。 
特に、HPの日記を更新するという行為は、例え心が荒れていても、日記を書く行為はある程度状況に対して客観的にならざるを得ず、冷静さを取り戻すには良い方法だとは思っている。
しかし昨日は、かなりカリカリ来ていて日記を書く気になれなかった。
理由は一緒に住む両親の事ではあるが、詳細はどうせ愚痴になってしまうので、書かないことにします。
ただ、高齢の二人は頭の方も大分「いって」しまっているので、オオボケの失敗をするわけで、幼児なら失敗しても今我慢すれば、成長と共に間違いは減少していくという光が見えるが、我が両親のようにどんどん老化していく場合は、お先真っ暗というか、もっと悪化していくわけで、そういう現実を考えると、PCの前に逃げても限度というものはあります。

さて、先日(例によって)モニターの前に座って、ウインドウズXPで遊んでいたら、横で女房と娘がテレビを見ていて(いつもの我が家の風景です)、やっている番組が面白そうなので、一緒に見はじめました。

番組のタイトルは「東京ガール」。 カナダのテレビ局製作の(ほぼ100%)ドキュメンタリー。
内容は、東京や大阪で働くカナダ人の女性について。
職業は、「水商売」。 日本に(ワーキングホリデーで?)行ったカナダ人のホステス達をとおして、日本の風俗について紹介しているわけですが、一番興味を持ってこの番組を見ていたのは、普段あまり日本のことは興味を示さない(父が日本人なのに)娘でした。
彼女にとっては「ホステス」という職業の存在自体驚きだったようです。
確かに、欧米ではホステスバーやクラブというのは存在しません。
あるとしたら、日本人が経営しているか、絡んでる場合だけと言って過言ではありません。
もちろんシドニーにも日本人関係のこういう水商売はありますが、これはごく一部の限られた(つまり日本人の客のためなので)もので、平均的なオーストラリア人はその存在すら知らないはずです。

僕は全くの下戸の上、カラオケというもにも興味が湧かないので、シドニーのそういう場所にお客として行った事は皆無です。
(いや正確にいうと、シドニーで無理やり日本から来た客に一、二度行った事があるかも知れません。)
さて、この番組では「ガイジン・ホステス」の生活を通して、日本の男をあぶり出しているというか、僕のようにそういうところと無縁の人間にも結構興味深い番組でした。
何人か登場するホステスの一人は、日本に行って初めてこのホステスという職業を知り、お客の横に座って、一緒に酒を飲むだけで、考えられないような額の給料が貰えるのに驚きます。
特にサラリーマンを相手にその気が有るような無いような思わせぶりな態度で、(手練手管というのか)接客する事によってチップも増え、どんどん調子に乗っているうちに、来るたびに10万円のチップをくれる客が付きます。 
それまでのサラリーマンの客相手の経験から、こりゃーいいカモが来たわいと、調子に乗って相手をしているうちに、ホテルに誘われます。
ホテルに行く事を了承したら、ダイヤモンドの指輪と言うような甘い話で、いざ部屋に入ると男はシャワーを浴びて出てくるのですが、何と全身クリカラモンモンというやつです。 総刺青。 
すでに事態はどうにもならないところまで進んでいるわけで、彼女は観念してしまいます。
で、その晩の後、彼女は即座に日本を離れる決心をします。

この番組で紹介されるカナダ人のホステスの中には、日本人の客と結婚してしまうのや、客ことは思いっきり馬鹿にしているが、全く違う場所で知り合った日本人の男性と付き合っているのや、いろいろ紹介されていました。
それにしても、この番組を見ていた我が娘は、日本人の客がホステスに高額のチップを払うというのからして皆目理解出来ないようで、「WHY?」の連続でした。
そう、チップというのは本来、満足するサービスを受けた後に、それに対して感謝の意味で払う物ですから。
チップ以外にも、この日本独特な商売と、日本人の男のビヘイビアについて、散々質問の嵐を娘からいただいてしまいました。
僕も良くわかんないんです。 


2001年11月14日

こないだ日本に行った時に、生まれて初めての経験をしました。
それは、「農作業」。
東京生まれの僕には今まで耕運機をかけて、畑を耕すなんて事は一度もやったことがありません。
今回叔父の危篤で山口県に行った時に、毎日病院へ見舞いに行くと、叔母(彼の女房)が毎日病室に付き添っている。
見ると、叔父の寝ているベッドの脇に、もう一つベッドを持ち込んで、そこで寝起きしているのです。
その病院は完全看護だから、そこに泊り込む必要が無いはずなのですが、叔母としてはいつ死ぬか判らない亭主から一時も目が離されないというのかも知れない。
ところが、この叔父が倒れたのが今年の2月頃で、今の状態(意識がない)になったのは7月の初め頃。
つまり、叔母はもう4ヶ月以上もその状態を続けているわけです。

この叔父は跡取と言うのか、長男で本家を継いでいるわけで、僕は子供の頃にいつも遊びに行っていたこの本家が懐かしくて、母を連れて、病院の後見に行きました。
彼らの3人の子供のうち、一人息子は都会に出て就職し、今は九州のある都市の支店長になっています。
二人の娘はそれぞれ嫁いで家を出ています。
そんなわけで、家には誰も居ず、すべて鍵がかけられて何日も家に誰もいない状態になっていました。
庭は比較的手入れはされていましたが、家に隣接する家庭で食べる分をまかなうようの畑は、雑草がぼうぼうの状態でした。
ちょうど季節柄、柿の木には実が一杯に生っているのですが、誰も採らない為に熟したのは落ち始めていました。

柿が大好物の母と二人で、あまりにももったいないから、柿を採ろうかということになりました。
叔母に話すと、あまりにも喜ぶので、それなら柿だけでなく、雑草を刈ったりもしましょうと言う事になったのが始まりで、とうとう畑まで耕してしまったのです。
僕はオーストラリアの家にエンジンつきの芝刈り機と、芝のエッジなどを切ってそろえる電動の草刈機を持っているので、このくらいの農作業など、どうせたいした事はないとたかをくくって、始めました。
ところがまずビックリしたのは草刈機。 背中にエンジンを背負ってやるタイプで、その上刈る部分が回転式の円盤型の鉄製の刃なのです。
オーストラリアで使ってるのは誰でも安全に使えるように、プラスティックのヒモのような刃が高速で回転して、草を刈るタイプなので、その違いにはかなりビックリしました。
まるで、オーストラリアのがオモチャに思えるほど強烈なのです。 さすが本物と言うか、遊びではない事を思い知られました。
多分慣れない人は、かなりてこずるでしょうし、思いっきり危険です。 

次に耕運機! 「クボタ」と書いてある耕運機。 いや〜そういうものを使って、まさか畑を耕すなんて思ってもいなかったので、全く予備知識もないし、使ってた叔父さんは病院で植物状態になっていて、やり方を説明してくれるわけでもなく、まず使い方から解明しなければなりませんでした。
エンジンはうちにある芝刈り機と同じ4ストロークの物なので、割と簡単にかけることはできたのですが、さてその後が全くどうやっていい物だかわからない。 
その時初めて見た耕耘機、何と自動車のマニュアルギアーよりも複雑なのです! ギアーを「前進」に入れてみたりバックに入れてみたり、「耕すと前進」のギアーがあったり、また「耕すモード」でも、正回転と反回転とかあって、心の中では、「ど、どーしよう」って感じでした。
試行錯誤の上なんとか耕し始めたら、刃が全く土に食い込んでくれず、土を掘り起こしてなかったり。
結局はメカ好きの僕なので、何とか把握できて、すべてうまく耕す事ができましたが、「お百姓さん」ってお仕事やっぱり大変な事が充分判りました。 
でも、楽しい経験でもありました。 しかし、もう一度やれと言われたら、「ウ〜ん?」考えてしまうところではあります。


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