2002年11月前半の日記
2002年11月1日
昨日の日記をアップし終わって、ネットサーフィンをしながらテレビのニュースを見ている時の事です。
モスクワの劇場の占拠事件で、人質救出のために特殊部隊が使用したガスの事を報じていました。
ネットサーフィンをしながらだったので、ろくにテレビのニュースの方は聞いていなかったのですが、「Fentanyl(フェンタニールまたはフェンタニル)」という名前が聞こえた時に僕は「あっ」と息を呑みました。
今回の特殊部隊が使用した鎮静剤について、なかなかロシア政府が真相を明らかにしない中、使用されたガスにより多くの人たちが死亡したために批判が出始めているというのは知っていました。
僕も一体どんなガスを使ったのだろうと非常に興味を持っていました。
何と何と!「フェンタニル」だったのですね。
なぜ僕が驚いているかを書きます。
数年前のことです。
母が胃の不調を訴えた時に、僕はすぐに日本人がかなりの確率で持っているといわれるピロリ菌だと考へ、精密検査を勧めました。
専門医とアポイントメントを取り、胃カメラを使って胃の中を調べ、胃の細胞の一部を取って調べたのです。
日本では胃カメラを飲む場合は喉の周りの局部麻酔だけなのですが、オーストラリアでは麻酔専門医立会いの元「全身麻酔」で行ないます。
検査も無事終了し、麻酔から目が覚める頃に僕は母を病室に見舞いに行きました。
かなりボーっとしてはいましたが、僕の呼び掛けにも答えるので、看護婦から母を連れて帰ってよろしいと許可をもらい、服を着替えるために立ち上がった時の事です。
母はいきなり昏倒し、酷い嘔吐が始まりました。
まさかそんな事が起きるとは思ってもいなかったので、汚物をそこらじゅうに撒き散らす事になってしまいました。
看護婦が飛んできて、ただちに母はベッドに戻され様子を見る事になりました。
数時間後大分良くなったようで本人も帰りたいと言い出したので、そろそろと車に乗せ帰宅したのです。
ところがその日から母は完全にダウン、毎日吐き続けるしその度に昏倒します。 吐き気を催して自分で便所に行き便器の前に立った途端に昏倒し、便器の角に顔を酷く打ちつけて唇は切るは、入れ歯は完全に壊れてしまうなんて事も起きていました。
原因は最初から麻酔に対して反応を起こしているのは明白で、病院で倒れた時にも、その麻酔を覚ますような注射も受けたのです。(つまり解毒剤のようなもの)
しかしそんなものは全く効かず、一週間以上もの長期に渡って寝込んでいました。
母は昔から薬らしいものは服用せず(薬嫌いというヤツですな)、頭痛薬でさえほとんど飲んだことが無いので、薬が強すぎたのか、はたまたアレルギー反応を起こしてしまったのか、とにかく今後また麻酔を受ける必要があった時に、この麻酔では下手をすると死ぬ事態も考えられたので、その後僕は医者を訪ねました。
医者に母の症状を説明して、薬の名前を書いてもらいました。
その名前こそ今度ロシアで使われた「フェンタニール」だったのです。
当時、母が二度とこの麻酔薬の投与を受けないように、彼女の医療ファイルを作り、使用してはいけない薬名の筆頭にこれを書き加えたのは言うまでもありません。
昨日のニュースを見た時にすぐに僕は母のファイルを引っ張り出して確認するとやはり同じ物でした。
今回100人以上の犠牲者のほとんどがこの鎮痛剤によるものと言われていますが、胃カメラ検査の時にような日常の医療に使われていると思うとつくづく「麻酔」ってのの恐ろしさを感じます。
全身麻酔を受けるというのは、ある程度の覚悟は必要だという事なのかもしれません。
2002年11月2日
数日前からてこずっていた無線LANの設定がようやく終わり、無事開通しました。
昨日PC屋から電話があり、新しい「ファーム・ウエアー」が出たから、すぐにそれをダウンロードするようにとの事。
早速そのメーカーのウエッブサイトに行って見ると何と何と!!!。
そのファームウエアーは、2002年10月アップとして提示されていました。 全くこれには呆れてしまいました。
無線LANの世界ではひょっとしたら当たり前(?)なのかもしれないのですが、新しいファームウエアー(ドライバーのようなもの)が公開される前に、そのファームウエアーが無いと使えない製品を出荷してしまっていたからです。
自分でファームウエアーをプログラミングできるレベルの人ならともかく、ちゃんとしたファームウエアーが無ければ僕どころかPC屋の「ジョン」でさえお手上げだったわけで、イヤハヤこれにはビックリしました。
新しいファームウエアーにアップデートするにしてもウエッブサイトには全く何も書いてなくて、そのままアップしたら駄目でした。
何と!一度古いファームウエアーをインスト−ルして(つまりダウングレードです)リブートし、それから最新のをまたアップグレードという、手続きが必要でした。 「全く面倒かけやがって!」って心境です。
新しいファームウエアーのインストールが終わって、設定画面を見るとやっとと言うかついにと言うか無線LANのセットアプの項が現れました。
そう、今まではこの項目さえ現れなかったのです。
で、無事開通した無線LAN、いまのところUSBタイプを使っていますが、やはり家の中でもまことに感度良く電波が届く場所と、かなりきびしくウエッブサーフィンしていても途切れ途切れになってしまう場所が有る事がわかりました。
それほどの距離の差は無いので、これは間に沢山の障壁や電波を妨害する材料が存在の差からでしょう。
まだ「PCMCIAタイプ」のは試していませんが、場所によっては非常に電波が弱く、しかし机の位置などからPCを使う位置は変えたくない、もしくは変えられない場合、PCMCIA型だと、PCの一部に組み込まれてしまうので位置を調整する事ができないのではないかと考えます。
つまり、今使っているUSBタイプだと、PCの位置はそのままに、USBケーブルの長さだけ色々場所を変えてみることができるわけで、変えることによって、感度が(100%表示で)10%にまで落ちているのが40%以上に改善されたりするのです。
場所によっては、一階と二階なのに80%くらい出ているところも有ります。
勿論アクセスポイント(下の写真参照ください)の位置を変えたりもしてみましたが、それほど大きく変えられるわけではなく、その上、横から有線LANのケーブルが一杯出ていてまことに見苦しく、本当はモデムと一緒に机の下に隠してしまいたいのですが、そうするともっと電波が飛びにくくなるのではないかという事で今は僕の机の上に置かれています。
確かに無線LANは便利ですが、僕の買ったこのタイプは11Mbまでなので、将来ブロードバンドがもっと高速になったら、有線の部分はともかく無線の方は用をなさないのではないかと思います。
写真でもお判りのように、これはアクセスポイントとルーターにPCMCIAの無線LANカードを刺して使うタイプなので、将来規格が変わったときにも、拡張性があるのかもしれませんが。
とりあえず有線の部分は今のところ全く問題なく快調に働いております。値段はPCMCIAカード及びUSB無線カードなど総て込みで日本円で37000円程で、日本での価格よりはかなり高いのは承知の上です。
今回日本に行ったので日本で購入も考えたのですが、保証の事や僕のオーストラリアのプロバイダー(CA−TV接続)のモデムなどとの相性などが出た時には取り返しがつかないし、高いといってもせいぜい2〜30%ですのでオーストラリアで購入しました。
日本は価格COMなどで出ている値段はあまり信用できないし、その上5%の消費税も入っていない値段でしょ。
これが↓そのシステム、まだ置き場が決まってなくてPCの横に雑然と置かれていますが、有線接続のためのケーブルが横から沢山出て、見苦しいので、どうしたものかと思案中です。
本体の上の刺さっている(黒く見える部分)のがPCMCIA無線カードで、手前の小さいのがUSBタイプのもの、そして右側に置かれているのが、ケーブルテレビの会社が支給してきたブロードバンドのモデムです。
RCAと名前がついています。
上の写真をクリックすると大きくなります。
2002年11月3日
本日日曜日の日記はお休みです。(日曜定休日 除号外?)
2002年11月4日
オーストラリアはもう真夏です。 今日(月曜日)も素晴らしい青空。
それにしても全く雨が降らないので心配になってしまいます。
シドニーの貯水量も給水制限が始まるぎりぎりのところへ近づいているようです。
貯水量の何パーセントだったかを切ると、第一次給水制限が始まります。 しかし第一次のはそれほど厳しいわけでなく、庭に水を撒く時間に制限をつけたり、またスプリンクラーが禁止されてホースを自分で持って撒くとか、その程度です。
オーストラリアに来てから22年以上経ちますが、確か一度庭に水を撒くのが全面禁止までになった事(第二次制限か)はありますが、飲み水の制限まで受けた覚えはありません。
しかしオーストラリア気象庁の予想では、来年3月頃までこの天気が続く可能性もあるとかで、それが現実になったとしたらかなりの事態になるでしょうな。 国内経済にも影響は大で、考えただけでも恐ろしい。
やはり地球の温暖化は進んでいるんだろうか。
さて、昨日の日曜日に義父の墓参りに行って来ました。 場所はノーザンサバーブクレメトリアム(我が父もここで火葬をしたところです)に隣接する霊園です。
我が家から車で30〜40分ほどのところにあります。
出掛ける前に車に付いている外気温度計を見たら26度と出ていました。
昨日は36度くらいになるとの予報だったので、我が家を走り出してから外気の温度をずっとチェックしていたら、その霊園に向かって少しずつ温度が上がりだし、霊園に着いた時には33度にまでなっていました。
車から降りるといくら湿度の低い国とはいえ、「む〜ん」とした熱気が押し寄せてきます。 かなりの暑さで、墓参りもそこそこにどこにも寄らずにまた家に向かったのですが、家に着いたら何と出掛ける時とほとんど同じ27度なんです。
我が家のようにシドニー湾に近く、またボンダイビーチ(外洋に面しているビーチ)にも近いようなところは、内陸部(と言ってもこの霊園はたいした距離ではないが)と比べあまりにも温度の差があることにビックリ。
夏は涼しく、また冬は内陸部に比べて温暖だし、これがウォーターフロントやビーチの近くの不動産が高く取引される理由の一つなんですな。
我が家では30度を超えるような日でも海からの爽やかな風が吹いていて冷房を入れる必要がある日は、せいぜい一夏で2〜3度有るか無いか。
さて話は変わって、
日本では歩きながらタバコを吸うと罰金が課せられる「路上喫煙禁止条例」というのが千代田区で実施されたそうです。
オーストラリアのようにレストランなどほとんどの公共設備で喫煙が禁止されている国でも、歩きながらの喫煙に罰金というのはありません。
これにはちょっと驚き。
また区条例というのも興味のあるところで、タバコを吸いながら道路を渡った途端に他の区から千代田区に入り、罰則が適用されたりするんでしょうか?
このニュースを見ていたら、区職員が喫煙者を取り締まっているところが出ていました。
見ていてふと思いました。 僕も区職員の「ふり」をして取り締まったら、過料2000円徴収できてしまうのではと。
で、そのニュースでは取り締まられた人の反応も報じられていて、女性の方が過剰に反応をするらしいです。
ある女性などかなりヒステリカルになり「これが欲しいんだろう、金を払えばいいんだろう」と財布から一万円札3枚取り出して地面に叩きつけて歩き去ったそうです。
慌てた職員が追いかけて全額返したとの事。
この場合、もし「偽物」の取り締まり職員だったら、その3万円絶対に返しに行っていないはずで、結構こういう被害者出たりするのでは、なんて全く本筋とは関係ない事を考えていました。
僕も昔は一日3箱も吸っていたのですが、オーストラリアに来てから周りが全く吸わないので非常に不便で致し方ない。
その上せっかく空気のきれいなオーストラリアに移り住んだのに高い金出して(そうオーストラリアのタバコ代は異常に高い)肺の中を汚すというのも「なんだか」とある日考えて、その日から止めて、早やいもので20年経ちます。
それまで一度も禁煙なんかする気が無かったのですが、一度決めたらなぜかその後一度も吸いたいと感じなかったのは、非常にラッキーでした。「今年こそ禁煙」なんて言いながら、我慢しきれずにまた吸ってしまうというのは良く聞いていたので、自分も何度か失敗するかなと思っていたのですが。
僕の周りに喫煙者が全くいなかったというのも大いに助けになったのは確かですが。
ここ数年は娘があまり肺が強くないという事もあって、我が家に遊びに来る方、または泊まり方は禁煙が強制されています。
先日の日本での同窓会でオーストラリアに遊びに来たいと言う人たちも結構いたので、来豪時には大いに面倒を見させてもらおうと思っているのですが、この「タバコ」の問題が頭痛の種です。
2002年11月5日
例のPC屋へ注文した小物を取りに行くついでに、ボンダイジャンクションで昼飯を取ろうと出掛けました。
この日記で何度も書いているように、ボンダイ・ジャンクションは大開発が進められていて、今や建て替えられるグレースブラザースを始め、スーパーのウールワースの入っていたビルも総て取り壊されました。
そのため同じジャンクションにあるスーパーのコールズなど異常な混みかたで、レジに並ぶ買い物客の列も半端でなく長い時もしばしば。
人ごみが大嫌いな僕は最近のジャンクションは避けるようにしているのですが、なぜか本日はえらく静か。
祭日でもないのにと思って、PC屋に行き少々ダベっていたらそのPC屋の隣にある中古家具屋のニーチャンが、昼時だと言うのに冷えたビールを抱えて来て、「さあそろそろ始まるから飲んでくれ」なんて言ってビールを数本置いて行きました。
「えっ?」て考えてすぐに気が付きました。
今日は「メルボルンカップ」の日だったんです。
どおりで街はすいている筈です。
「メルボルンカップ」はメルボルンで行なわれる最も有名な競馬の事です。
ギャンブル好きなオーストラリア人は、この日が国の祭日(休日)でもないのに、この馬のレースで大騒ぎ、ろくに仕事もせずに昼間から酒を飲んで、テレビの実況にかじりついているという人が沢山。
全く競馬に興味の無い僕は、やはり全く興味の無いPC屋のジョンとテレビもつけずに話していたのですが、その隣の店では大騒ぎの様子。
ですからこの伝統的(多分)な馬の競走については全く知識が有りませんのでこれ以上書きません。
そんなわけでコールス(スーパー)の中もとても空いていて、パーキングは普段と比べてガラガラだし、あっという間に買い物も終えることができてしまったほど。
昔冗談で日本から来た友人にこんなことを話したことがあります。
オーストラリアに麻薬を持ち込むならこの日を狙えです。
オーストラリアは今でこそ「検疫」が大分緩やかになったのですが、それでもまだかなりの種類の食品の持込が禁止されています。
中には怒りを通り越して「笑ってしまう」ような事も。 例えば数年前に我が親が日本から帰ってきた時に、梅干を抱えて来ました。
オヤジはオーストラリアの検疫がうるさいというのを知っていたのですが、何と何が持ち込めないなんてのは知らなかった上に手荷物検査で聞かれても英語で説明する自信が無かったので、日本を発つ前に総ての食品の箱の上に英語で内容を書いてきたのです。
こういうのを場合によってはバカ正直と言うのです。
で、荷物検査を始めた係官は、オヤジが梅干の訳として書いた「Pickled
Plum」に目を止めました。
「これは持ち込み禁止です」といきなり言われてオヤジも唖然、今まで何度もこうやってオーストラリアに持ち込んでいたからです。
しかしその係官「Plum(プラム)なら種が入っているはず」だというのです。
確かに種の無い梅干と言うもの聞いたことが無い。
つまり植物やその種などが禁止されているから、例え料理されていても、種は持ち込めない規定になっているからと言って、取り上げてしまったのです。
梅干を食べた後に捨てたら、その種から木になってしまうんですかね?
その紀州産の梅干は、わざわざオーストラリアに持って帰って来るために宅急便で産地から取り寄せたかなり高価な物、その上計3キロほど持っていたのです。(確か数万円といった額)
納得できないオヤジは、そばにいた日航の係員の方などにも助けてもらって抗議したのですがやはり駄目で、出迎え口に出てきた時には大いにむくれていました。
じつはそんなことをバカ正直にわざわざ書いておいたから、その係官も英語表記を見てしまい、見逃すと言う事ができなかったようです。
何も書かずに聞かれたら、ジャパニーズスイート(日本風お菓子の一種)とでも答えておけば、それ以上深く追求される事なくお目こぼしされていたはずなのです。
少々話が飛んでしまいましたが、で、もし持ち込んではいけない食品などを日本から思いっきり持って来たかったら、このメルボルンカップの開催される日を選んでシドニーに到着すれば良いのです。
実は10年近く前に僕は偶然この日に(確かフィージーからだったか)シドニー空港に到着した経験があって、あまりにも係員が少なくほとんど手荷物検査もせずにどんどん搭乗者を通関させているのを見て、ビックリした事があります。(空港内が異常にガランとしていた)
メルボルンカップの日だとはその時気がつかなくて、ひょっとしたら税関員のストライキでも行なわれているのではないかと思ったほどです。 (この税関員のストライキというのもオーストラリアでは本当に起こりますから)
競馬のために税関までサボってしまうなんて、まあノンビリしていると言えばそうとも取れるのですが、とにかくこのメルボルンカップというのはこれほどのレースだというのはお分かりいただけかと。
2002年11月6日
こないだの日曜日(墓参りに行った日)の午前中に我が女房の元教え子が来ていました。
その教え子は今大学1年生。 前の日記にちょっと書いた(と思う)香港から小学校を卒業してすぐにオーストラリアに留学に来た子です。
大学でも日本語を続けていて、その日本語の授業の課題の一つで、決めれた内容の日本語の会話集(つまりテキスト)の中から選んで、「本物の日本人」と会話し、それをテープレコーダーに録音して提出しなければならないとかで、僕に助けを求めて来たのです。
会話の中身は結構レベルの高いもので、日本のビジネスマンの終身雇用制度や日本人サラリーマン特有の習慣について、外国人(その生徒)と日本人のサラリーマン(これが僕の役割)が論じているという内容です。
結局何度かやり直しもあり、2時間近くかかってしまいましたが、とてもうまく行って満足。
無事終了した後、彼女が持って来てくれたケーキを食べながら近況を聞いていたら、最近彼女のコンピューターがハッキングされたと言うのす。
最初彼女の言っているハッキングの意味が良く分からず、「大きな会社のコンピューターやFBIのような組織のコンピューターになら分かるが、君のコンピューターにわざわざハッカーが入ってくるってのも変じゃない。 どうしてそう思うの?」と聞き返しました。
彼女曰く「ハッカーが彼女のインターネット接続のアカウント名やパスワードを盗み出し、勝手に彼女名義でものすごい量のダウンロードやアップロードをしたために、プロバイダーからの請求が一ヶ月で2000ドルを超えてしまった」と言うのです。
僕はビックリして詳しく聞いてみると、彼女はテルストラ(プロバイダー名です)のブロードバンドを使っているそうですが、彼女の契約では一定以上の量を使うと、メガバイト当たりの料金がかかる料金設定ようです。
普段大学に行っていて家ではそれほどコンピューターを使わない彼女はまったく身に覚えが無いのでビックリして、プロバイダーに連絡をしたら、なんと一ヶ月で19ギガバイト(19000メガバイトです)も使っている事になっていると言わたそうです。
19ギガバイトなんて、女房が前使っていたDellに付いていたハードディスクの2倍近くあります。
今僕が使っている東芝ノートだってたったの6ギガバイトです。
当然彼女は身に覚えが無いので何かの間違いではないかと言ったそうですが、聞いてもらえず料金を払えと言う事になっているらしい。
彼女はすぐに(プロバイダーの勧めもあって)アカウント名とパスワードを変更したのですが、またまた翌月にも同じくらいの量が使われていて、やはり2000ドル近くの料金になってしまったとの事。
しかしプロバイダーは何もやってくれず、とうとう彼女は警察に届を出したそうです。 彼女が思うに、常に彼女のPCがハッキングされているので、中身が見えて、たとえパスワードを変更してもまた見破られてしまい彼女のアカウントを使われてしまうのではないかと言うのです。
彼女はノートンの「インターネットセキュリティー」というソフトも使っているそうですが、まだハッキングされていると言うのです。
僕はその話を聞いてにわかには信じられなくてずっと考えていました。
インターネットセキュリティーを使っていると言っているが、それは問題が起きてからだったのではないか、またはそのソフトの設定をちゃんとしていないのではないかなどなど。
いやひょっとすると彼女のPCがハッキングされているのではなく、プロバイダーの中に悪いやつがいて、彼女のように親(香港にいる)と離れて一人で住んでいるような弱い立場のユーザーを狙って、情報を流しているのではないかと。
僕はすぐに例のPC屋「ジョン」を紹介して(彼女もジョンも同じ香港身。)相談するように言いました。
とにかく原因を早急に突き止めなければ、どんどん請求書が来てしまいます。
そして、できる限り外出する時や、使用していない時にはPCの電源を落とすようにと。
「ハッカー」にも顔の効くジョンに任せる事にしたので、この結末はまた分かり次第報告します。
僕はその日以来、一日に一回は我が家の使用量チェックしています。(プロバイダーのページに入ると、自分の使用量をチェックできるのです)
2002年11月7日
今週からシドニーではゲイピープルたちのスポーツの祭典、「ゲイ・ゲームス」が行われています。
これはオリンピックと同様に4年に一回開催され、今回はシドニーということのようです。
ひょっとするとオリンピックの開催国と連動しているのかもしれませんが。そんなわけで「ゲイの都」シドニー、特に僕の家から比較的近いオックスフォードストリートなど大いに盛り上がっているようです。
日曜日に行われた開会式には僕も女房も大好きなカナダ出身の歌手、「kd
lang ケイ・ディ・ーラング」が出たので、僕らも行きたいと話していたほど。
彼女も有名なゲイ(日本ではレズというのかな女性の場合)、当日は彼女の誕生日とも重なり、大いに盛り上がったそうです。
僕らが贔屓にしている近くのタイレストラン、そこの若きオーナーの「ピーター」もバリバリのゲイで「もちろん開会式は行ったわよ〜」なんて嬉しそうに話していました。
それにしても日本語でも英語でもあの「ゲイのしゃべり方」って、どうしてこうも似てるんでしょうか?
簡単に言うと、日本では「おすぎとピーコ」の喋り方に似ているというと、わかりやすいでしょうか?
しかしもし開会式に僕と女房がカップルで行ったら、その場にそぐわなかったかもしれません。
まだ僕がロンドンに住んでいる頃、仕事のためにニューヨークにもアパートを借りたことがあります。
ファッションの買い付けが主な目的だったのでロワーマンハッタンのヴィレッジの近くでした。
通りの名前はクリストファー・ストリート。
僕と女房にとって、初めてのニューヨーク。 到着してすぐにダウンタウンにある、「スタットラー・ヒルトン」という、ここが本当にヒルトンホテルチェーンの一つなのだろうかとビックリするような安宿に宿泊しながら、賃貸のアパートを探すために不動産屋回りをし、たった3日で決めてしまったそこは、まさにゲイの天国のような通りの真っ只中にありました。
その通りにある店々は服飾の店からピザ屋まで、もうゲイのために存在するといった風情でした。
その当時(ロンドンで)は僕らもファッションの仕事をしていたので、ゲイは周りに多くいたのですが、ここまで徹底した場所はありませんでした。
そのニューヨークのアパートは男のカップルばかりで、回りもゲイ御用達の店ばかり、目の前にあるパブには有名なゲイのスターもお忍びで来ていました。 (エルトンジョンなども恋人と来ていたり)
ニューヨーク滞在中はそのアパートで女房と二人で行動していたのですが、出入りの度やエレベーターの中、またその通りを女房と腕を組んで歩いていたりすると、随分特異な視線を感じたものです。
つまりそこは男同士が仲良く歩いているほうが自然に見える場所だったというか。
いやあれは当時僕はまだ20代、つまり「東洋人の可愛い男の子」だった僕が女性と歩いているなんて「なんともったいない」という視線だったのかもしれませんが。
さて、そのシドニー・ゲイ・ゲームス。 いろんな種目が行われるようで、フィギュアー・スケートなんてのも有って、ペアーの演技は当然のごとく男同士(または女同士)なのだそうです。
普通のフィギュアースケートのペアーだったら男性が体の小さいパートナーの女性を空中に放り投げて空中回転させたりするわけですが、男同士だったら投げるほうの男性はかなりの腕力を必要とするでしょうな。
見てみたくなりました。
我が女房も学校の先生仲間の何人かが出場しているとかで、(バレーボールに出ているとか)見に行きたいなんて申しております。
前にも書きましたが女房が教える私立の女子高校の男の先生は90%以上がゲイです。(その方が若い女子高生には安全だと学校が考えて採用しているふしがある)
2002年11月8日
最近は目が覚めるのが早く、今朝も6時頃からメールチェックをしていたら小学校同窓生の武田君から、「本日はNHKのラジオ番組に出演」とのメールが。
(無線LANが入ってからは僕のベッドの横でもネットできてしまう。 良いのか悪いのか)
で、僕はその朝10時からの(生番組)放送を聞きたくなって、調べたらこれが何と見事にNHKはインターネット放送をやっていない。
ご存知のように結構な数の日本の放送局がインターネット配信というのをやっていて、僕は当然のようにNHKも聞けると思っていました。
その番組が聞けるか聞けない以前に、NHKは全くやっていないんです。
「そんなはずは、、、」と思っていろいろ検索掛けたら、どうやらNHKは日本全国ラジオ放送は聞ける体制を取っている上に、海外も短波などで配信をしているのでインターネットの必要は考えて無いようなのです。
これにはビックリ。 BBC(英国)などの国営放送も世界中ネットで流しているのに、NHKは予算がないのだろうか。
短波で流しているから充分という見解なのだろうかとしばし考えていましたが今時「短波放送」って言われても。
確か15年程前に我がオヤジは日本から買ってきた短波ラジオを使って、放送を聞いていましたっけ。
我が家の場所が受信に悪いのか雑音が酷く、非常に聞きにくいのに、オヤジは必死にラジオに耳をあてて聞いていました。
まるで戦後すぐに貧に窮してブラジルなど南米へ移民して行った人間が望郷の念に駆られてっていう構図に見えて、僕には結構悲しく感じたものです。
オヤジは英語が出来なかったので現地英語のテレビニュースを見てもチンプンカンプンだし、当時はその短波しか日本のニュースを知る手段が無かったからなのは分かるが、せっかくオーストラリアに住むと決めて来たのだから、日本の事などそれほど必死に知る必要なんて無いのにと思ったもんです。
また父はその当時日本から新聞を取っていました。 毎日航空便で配達されてくる一日遅れの日本の新聞は、それなりに僕にも興味は有りましたが毎日のように読むわけでもなく、その上バカ高い料金にオヤジは無駄な事をしていると感じていました。
で、今から確か10年程前にテレビジョンオセアニアという会社が、NHKテレビの配信を始めました。
これは有線ではなく、それぞれの受信者が大きな身の丈はあろうかというようなサテライトディッシュ(お皿のような形の衛星受信アンテナ)をそれぞれ購入しなけばならなかったのですが、僕らの住む地元の区役所が非常に美観にやかましく、道からやご近所からこの「お皿」が見えてはイカンというのですな。
普通は屋根などにつけるらしいのですが、我が家は何とか庭に設置しNHKの衛星放送を見ることができるようになりました。
(庭などに置くと建物などに遮られて良く映らないのでアンテナ屋も最初は難しいとか言っていた)
NHKテレビが見えるようになると、勿論オヤジは短波放送は聞かなくなってしまったのですが、その短波ラジオさえどこかにやってしまったようです。
その後そのテレビジョンオセアニアは無くなってしまい、運良くケーブルテレビジョンがNHKの放送を開始したので今日に至っております。
話が飛んでしまいました。
僕は同窓生がそのラジオの番組でどんな事を話すのか興味があって、どうにか聞く手段はないかと思ったのですが、(その短波ラジオも無いし)これが無いんですね。
たまにPCに向かっている時に、日本のニュースを聞きたくなったら僕はウインドウズメディアプレーヤーを起動し、好きなラジオ局を選んで放送を聞きながら作業していたりします。(TBS、ニッポン放送など色々あります)
音質は非常に良くて、日本でラジオを聞いているのと全く同じ。
いや、僕のPCに付いている安物のステレオスピーカーの音のほうがケーブルテレビのNHKの音より断然良いほどです。
夜は野球(ナイター)の実況放送などもやっているらしいです。
そんなわけで、残念ながら武田君の番組は聞く事ができなかったのですが、NHKには是非インターネットでも聞けるようにしてもらいたいものです。(国営放送としての義務ではないか)
それにしても、今日の日記を書いていたら、我々のような海外に住む者にとって状況は随分変化しているものだと感慨深いです。
特に僕がロンドンに住んでいた1970年代と比べたら、本当に隔世の感があります。
今は全く日本と同時間に、日本のテレビ番組を見ることができるわけで、今日の日記に書いたように、オヤジが短波ラジオに必死に耳をあてて雑音の中から日本語ニュースを聞いていた頃が嘘みたいです。
多分、日本にいる方は「海外に住みに行く」という事を考える時に、日本食などの食べ物の事と同時に、日本の情報の事も心配されるかも知れません。
しかし今や、皆さんが想像される以上に、日本にいる時とほとんど変わらない生活ができてしまう、そういう時代になっているのです。
そういう意味では便利過ぎて、短期オーストラリアに住んで、英語を身に付けたい等の目的で来る方にはかえって邪魔な状況かもしれませんが。
2002年11月9日
昨日の日記に朝早く目が覚めてしまうと書きました。
もちろん歳のせい(そう僕オヤジなんです)もあるのですが、実はだいぶ前から肩の痛みが出ていて、最近は酷くなるばかり、寝返りをうったりすると痛みに目が覚めてしまうことがあるのです。
痛みには鈍感なほうで、その上このような40肩というのか50肩は歳を取るとよく起きる問題でほっておけばそのうち治るなんて聞いていたので、医者に行かずにそのままにして置いたのが良くなかったようです。
ちっとも良くないどころか、最初は左肩だけだったのがここ数週間は右肩もおかしくなってきた。
ということでいつもの「池亀先生」に相談に行きました。
この「池亀先生」、我が両親の主治医でもあり、かなりの頻度でお世話になっています。 彼女(美人の女医さん)はお父上の転勤に伴って、確か中学生の頃にオーストラリアに来た。
ご両親は赴任期間も終わり日本に帰ることになったが、彼女は成績優秀のためそのまま一人でオーストラリアに残り、大学で医学を専攻し今はキングスクロスで一般医をされています。
お若い先生ですが、新しい医療やテクノロジーなどにも非常に前向きで、なかなかの名医です。
で、僕の肩の事を相談するとまずは超音波でということになった。
そこで今日は「オーストラリアで医療を受ける」について書いてみます。
体の調子が悪くなったて医者に見てもらいたいと思ったら、最初に行くのがゼネラル・プラクティショナー(GPと略して呼ぶ)つまり一般医のところです。
ですから僕の場合は主治医でもあるGPの池亀先生に最初に相談に行くわけですが、(よほどの急患で無い限り)アポイントメントが必要です。
彼女は非常に人気があるので当日にアポが取れることはまれで、今回の僕の例で言うと、金曜日に電話をして、最初に取れたのが翌週の水曜日。
そこで一応簡単な診察を受け、超音波検査をまず受けましょうという事になったので、紹介状を書いてもらいました。
で、もちろんその検査にもアポが必要で金曜日に。
このような検査の結果は紹介状を書いた医者に直接送ってもらうこともできますが、僕は数時間後にまた出かけて取りに行きました。
結果が出たので、また池亀先生にアポを取りその結果を持って会いに行くわけです。
その検査を受けた日にアポを取るべく電話を入れると、翌週月曜日の午後が取れるました。
今これを書いているのが土曜日ですから、明後日の月曜日のアポということ。
そう、最初に医者に行く必要があると思った金曜日から来週の月曜日はすでに10日が経過してることになります。
実は検査の結果を直接先生に送ってもらわないで僕自身が取りに行ったのは、結果を早く知りたかったからです。
というのも超音波の検査を受けている時に、技師が所定の検査をしながら次々と記録していくのですが、僕の場合その技師が途中で医者を呼びに行ったのです。
で、呼ばれて来た医者は自分でもその超音波検査装置を使いながら一生懸命に僕の肩のあたりを見ています。 二人でひそひそ話しながら。
僕は左肩の方はかなりの痛さがある事や、その医者に何か原因が見えますかなどと話し掛けるのですが、まったく答えてくれません。
多分彼らは患者に検査の結果をその場で伝えてはいけない規則になっているようです。
たしかに、たとえばその場で癌らしいものが見つかって、そこで患者に話してしまったりしたら、問題が出る可能性は十分考えられるので。
ですから僕が取りに行った検査の結果(超音波の写真と報告書)はしっかり封がされて、宛先は池亀先生になっています。
しかし僕の体の状態に付いて自分が知りたいのは当たり前だし、知る権利があると思っているので、「紹介状を書いた医者のみが開ける事が出来る」と書いてあるその封筒を、家に帰って開けて読んでみました。
読んでみると、Tendonitis ( 腱炎)が起きている、またTendon(腱)の傷も見られる。
そして、There is increase fluid around the bicep tendonとも書いてあります。
つまり肩に水が溜まってるとの事。 「え〜?、膝に水が溜まるってのは聞いたことあるけど、肩にも水は溜まるのか?」って僕はちょっとビックリすると共に、原因が見つかったという変な安堵感も。
まったく何も問題が見つかりませんでしたなんて言われたら、痛みは実際にあるだけに困ってしまうと言うか。
で、来週の月曜日にこの報告を検討の結果、専門医を紹介してもらうということになると思います。 ですからまたそこで紹介状を書いてもらって、専門医にアポを取るという作業になるわけです。
専門医によっては名医といわれる人ほどすぐにはアポは取れず、また一週間は待つのは覚悟です。 数週間待つというのもザラにあります。
膝に水が溜まった時には注射針で抜くというのを良く聞くのですが、肩の場合も同じなのか、または薬で散らすことが出来るのか、色々気になる事ではあります。
このようにオーストラリアでは問題が出たときに、すぐに行動を起こさないと(つまり痛いのに我慢し続けていたりすると)ちゃんとした治療を受けるまでに、かなりの日時が掛かってしますのです。
この件はまた書いてみたいと思います。
そうそう、一つだけ大事なことを。
オーストラリアではいくら名医者と言われる人に手術を受ける場合でも、日本のように「心づけ」というのか「お礼」というのか、正規の医療代以外に払う「お金」は必要はありません。
大体そんな事をしようとしたら、「えっ?」てなもんで、ビックリされるかもしれません。 そして固辞するでしょう。 我がオヤジのために毎日我が家に来ていた看護婦さん(チーフとしてかかりつけで来ていた)に母が大変お世話になったと言って、いくらか包んで渡そうとしたら、頑として受け取ってもらえませんでした。
彼女の看護の熱意だけでなく、余計に我々は感心したものです
2002年11月10日
本日、日曜日は定休日とさせていただいてます。
2002年11月11日
日本ではかなり寒さが増しているようです。まだ11月の前半だというのに。 面白い事に全くそれと半比例するようにオーストラリアはかなり暑くなって真夏の様相を呈しています。
僕は気象学についてはほとんど知識がないのだが、北半球と南半球とでこれほど(反比例的に)シンクロしているというのは、非常に興味深いです。
つまり日本が例年になく早く寒さが来た時には、オーストラリアではほぼ時を同じくして、例年になく暑さが増しているという。
地球を取り巻く「絶対熱量(そんなものあるのか?)」というのが決まっていて、片方(つまりこの場合は北と南半球という意味で)にシフトすると、片方の熱量が大幅に変化するというような。
さて、
先週の金曜日(11月8日)に書いた日記について、武田君がメールを送ってくれました。
僕は海外向け短波放送と、日本で聞く事のできるNHKラジオ第一とを混同していたかもしれません。
それはともかく、彼からのメールはいつも面白く、今回もとても興味を引かれることが書いてあるので、ご本人の了解を頂いて以下に掲載する事にしました。
以下が武田君からのです。
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さて、金曜日のキミの日記を拝読。 「NHKもインタアネット放送を」、には同感です。 そんなにカネがかかるわけでもないですから。
ただ、短波放送(ラヂオ・ヂャパン)は、全く放送形態が別
であります。「海外の皆さん、お元氣ですか?」で始まりますので。
ボクもづいぶん 出演させてもらってます。
ラヂオ・ヂャパンと云へば、こんな“ドラマ”がありました。
リクエスト音楽で構成する30分番組。そ
の90%は、ブラヂルからの手紙です。
アメリカの本土(おもに西海岸)やハワイにも、日系移民は多いのですが、
3世・4世、いやもう今や5世の時代ですが、彼らはハイスクウルで「ハーイ」の世界ですので、ヂャパニイヅは喋れないのです。
余談でが、 以前、ロスアンヂェルスの日本語放送にゲスト出演した際、「今日はグランマのヲ誕生日だから、孫娘の私ヂェインからリクエストを」(と英文で)、そして「MATATABI SANDOGASA」とありました。
そんなアメリカの日系人社会に対し、ブラヂルでは、日本語を喋る日系人は、実に多い。 子供たちもきれいに話します。 邦字新聞も、複数、刊行されています。
そんな事情から、NHKに寄せられるリクエストの大半は、この南半球の國からなのです。
「昭和30年代の前半、移住の船に乗る寸前まで、私は、当時、新宿にあった歌声喫茶に通いつめてをりました。最後の夜は、隣りの人と肩を組んで歌ひながら、「これでニッポンとお別れなのか」と
思ふと、とめどなく涙が溢れ出たものでした。
あれから何十年、思ひ出すのは、仲間との連帯感に青春の充実を感ぢた、
あの歌声喫茶の熱気です。でも、今は時代も変はりました。
そもそも歌声喫茶、って、いまでもあるのでせうか」。−−
その時ボクは、スタヂオとはガラス1枚で仕切られた副調整室でアナウンサアが読み上げる、遠い異國からの手紙を聞いてをりました。
アナ氏は、「それではリクエストにお応へして、歌声喫茶では定番だった
ロシア民謡『ボルガの舟歌』を」と云ふと、CD担当のバイトの兄チャンが
お皿を回し始めた。
はぢめ、
ボンヤリ聞いていたボクは、やがて「アレッ」と居づまひを正しま
した。
聞き覚えのある、張りのある低音が、モニタア・スピイカアから流れてをるのです。
そこで、ディレクタア氏からCDのケエスを借りてみました。 やはりさうでした。 歌声の主は、まがうことなくH.サンだったのです。
昭和52年の年はぢめ。バルカン半島での留学生活を中断して、久しぶり
にふるさとの正月を楽しみ、心ウキウキのボクにとり、十数歳離れた彼は、永年の空白を生めてくれる貴重な情報源でした。
そのころ彼は、暫く前までは全國のパチンコ屋で頻繁に流れる大流行のド演歌を歌ふデゥエット歌手のマネエヂャアでした。 その月の後半に行はれたボクの結婚式の披露宴では、彼は得意のノドを響かせて「オーソレミオ」を歌ってくれもしました。
しかし、その美声が耳の奥から消へる間もなく、彼はボクの前から忽然と姿を消したのです。
流行歌手は、一旦人気に蔭りが差し込むと、あとは坂道を転げ落ちるに似て惨めなもの。
マネエヂャアの彼が如何に頭を下げて放送局の芸能部を回らうとも、ニベもなく断られるのが落ち、の世界なのです。
噂では、借金をこさえて・女が出來て・・・でも真相は不明でした。
−−スタヂオに流れてをるのは、忘れもしない、その彼の歌声だったんです。
で、早速、そのCDを手がかりに、“尋ね人探し”を始めました。
録音現場となった新宿の歌声喫茶店→CD販売会社→録音製作会社、と辿り、最後の「G社音楽部門」で、彼の現在の連絡先を教へてもらうのに成功しました。
事情を知った担当者は、彼の歌う2曲を含む、2枚組のCDを氣前よくプレゼントしてくれたものでした。
H.サンと、思ひ出の詰まった新宿で、二十余年ぶりに会ひました。
全國の鉱山で働く作業員の現場監督のやうな仕事でネ、と、相変はらづ張りのある声で、現在の自分を語りました。
そして、「ヤマとヤマの仕事の合間に東京に帰れば、自然と足が“この街”に向くんだな」とも。
彼は「現役」のバス歌手だったのです。
そこで、1ヶ月ほどのち、彼に、その番組に出てもらうことに。
「Hさんの声を、遥か太平洋の彼方に届けませう」と。
リクエストを出した方だけでなく、受け取ったコチラ側にも、歳月が生んだ人間ドラマがあったのです。
さう云へば、昨年夏のキミとの“再会”も、偶然の所産。
世の中には偶然って多いんですねえ。つくづく人生を感ぢます。
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武田君ありがとうございました。
2002年11月12日
快晴の続く(というか、快晴が続き過ぎる)シドニーにピッタリの催し物が、ボンダイ・ウォークで行なわれています。
ボンダイウォークとはボンダイビーチの北側からタマラマ・ビーチへと続く海辺の散歩道。
多くの人が散歩やパワーウォークを楽しんでいます。
「2002年4月19日」の日記にもここを紹介しましたが、その海辺の絶景で、彫刻展が開催されているのです。
このイベントの名前は
Sculpture by the Sea
10月31日から11月17日まで。 6回目を迎えるこの催し物、今年は500を越える応募の中から厳選された107点が展示されています。
先週の週末に早速僕も女房と行って来ました。 ジョギングシューズに短パンといういでたちで、パワーウォークと鑑賞を兼ねて。
Sculptureという英語から僕はあえて「彫刻」と書きましたが、その中身は色々、とても彫刻とは言わない物まで含まれています。
デジカメで何点か撮影してきましたので、僕が批評を書くより皆さんに見てもらったほうが良いと思い、今日は久し振りに沢山の写真を添付しました。 下のサムネールをクリックしてもらえば、大きな写真でご覧いただけます。 本当は沢山載せたいのですが限度があるので、もし興味がある方は、www.sculpturebythesea.com
にアクセスしてご覧下さい。
(残念ながら今年の出展物はまだ写真にアップされていないみたいです)
左と真中は同じ物、とても気に入ったので二つ添付。 右のはひょうきんな作品で、暖かいシドニーに氷山とペンギンが出現。 このペンギン実は古いヤカンを使って製作。
左の作品はどうでもよい(?)のですがバックに写っている自然に侵食された岩の模様の美しさに思わず。 自然の素晴らしさには人間の作品などとてもかなわないことがある。
真中の写真は丘の上に置かれた作品群の一部。
右のは作品と置いてある場所がこれほどマッチしているというのは大いに得をしています。
全くのごく一部の紹介です。(なにしろ107点) 波打ち際の素晴らしい散歩道を、素晴らしい天気の元に散歩しながら鑑賞していると、またまた
「”シドニーに住んでて良かった”」のフレーズを心から感じてしまいます。
2002年11月13日
本日の日記は、事情によりお休み致します。
2002年11月14日
昨日は日記をお休みしてしまいました。
理由を書くのは本当に嫌なのですが、考えてみればここは日記、隠してもしょうがないので、さらけ出してしまいます。
実は昨日の早朝、目が覚めてトイレに立ったら、なんと立てないのです。
もう少し正確に書くと、トイレに向かって歩き出したら、天井が凄い勢いでぐるぐる回って、真っ直ぐ歩けないどころか、その場に座り込むほど。
しかし尿意はあるのでそのまま座り込んでいるわけにも行かず、とりあえず便器に座って、排尿をしていたら今度は猛烈な嘔吐感に襲われました。 「めまい」はともかく、吐き気が酷く、便器に吐こうとするのですが、昨晩食べたものはすでに胃を通過してしまって、胃の中には何にも無いので「ゲーゲー」言っても何も出てきません。
とにかく何が起きているのか分からず、この「吐き気」は昨晩食べた物で何か悪いものがあったのかとも一瞬頭をかすめますが、それにしても食アタリで天井がぐるぐる回るなんて聞いた事が無い。
吐こうとしても何も出ないので、とりあえず這うようにベッドに戻って、じっとしていました。
家人が起きて来たので事情を説明し、ベッドの横に吐いても良いように器を持ってきてもらい、同時にインターネットで「ある薬」の副作用について検索するように頼みました。
というのは一昨日から飲み始めた薬の事が頭にあったからです。
先週の日記に肩が痛いと書きました。 結局主治医と超音波の検査の結果を元に話し合った結果、腱は断裂していない、つまり傷ついているだけだから、消炎剤などの飲み薬で治療を始め、もし回復しないようなら専門医に行くという事になったのです。
そしてその時に処方してもらったのが「VIOXX」という薬なのです。
僕にとっては初めて服用する薬で、ひょっとするとこの薬で酷い反応を起こしてしまったのではないかと考えたのです。
調べてみると、確かにこの薬は副作用の中に、めまいや吐き気の可能性も報告されています。
で、我が主治医に連絡をしてました。
さすがに先生もちょっとビックリしていましたが、それほどの強い反応を起こすほどの薬ではないはずと半信半疑です。
で、とりあえずベッドの横になっていれば吐き気もなんとか我慢できるので様子を見る事にしました。
一時は寒かったり暑かったり、はたまたあぶら汗びっしょりという状態だったのですが、とにかく寝て目を瞑っていれば我慢できます。
そのうちウトウトとしているうちに寝てしまったようです。 電話で目が覚めました。 主治医からの電話でした。 ふと時計を見るともう夕方の4時過ぎていました。 かなり回復していて、めまいも横になっている限りほとんど感じません。
で、自分で来れるようならとりあえず来て下さいと言われ、恐る恐る自分で運転してキングスクロスにある主治医のところまで出掛けていきました。
その時点ではかなり回復して、朝の苦しさとは雲泥の差で楽になっていました。
で、いろいろ診察をしてもらった結果は、何と「メニエル病」だったのです。
実はもう一年以上前から耳鳴りが酷く、日本にいる友人にそのことを話したら、彼も同じように耳鳴りで苦しんでいてという話になって、その時に初めてその「メニエル病」というのを聞きました。
しかし、僕の場合は耳鳴り以外にはこれといった症状は無かったので、聴力の検査には行きましたが、そのまま放っておいたのです。
ところが、昨日のはほぼ「発作」と表現したらピッタリというほどの酷さでした。
ちなみに「メニエル病」でGOOGLE検索してみたら、昨日の僕の症状はもう完璧に「メニエル病」なんです。
メニエル病の症状はマイルドなものから昨日の僕のようなグルグル回ってしまうようなものまで。
で、これまたはっきりした原因や治療法が確立されていない病気なのです。
しかしこれで死ぬような病気ではないと書かれています。
そして昨日のような発作は一過性のもので、次に発作が起きるのは人によっては一ヵ月後、はたまた1年以上も起きないというように、良く分からない面がある。
何でこんなものにかかってしまったのか、不思議です。
昨日の発作は、肩の炎症を抑える薬が関係あるのか無いのかは定かではありませんが、副作用が似ているので症状を悪化させたのではと思っています。
そんなわけで今朝は朝から脳のCTスキャンを取りに行って来ました。
主治医が言うには、メニエル病にほぼ間違いないが、このようにめまいや吐き気は他の原因(特に脳の)も考えられるので、大事を取って脳のスキャンもということになったのです。
その結果が午後に出たので、すぐにそれを持ってまた主治医のところへ。
結果は全く脳には問題は見られないとの事で、安心しました。
初めてのメニエル病の発作が起きた時には、全く何が起きているのか見当も付かず、大いに慌ててしまいましたが、じっと横になっていれば回復する問題だと知って、次からは少しは落ち着いて対応できると思います。
何が起きているか分からないで慌てている時には、ひょっとしたら「狂牛病」ってのかも知れないなんて事まで考えてしまいましたから。
何しろ昨年の暮れに日本に行った時に、狂牛病問題真っ只中なのに、閑古鳥の無く焼肉屋へしょっちゅう行って、うまいうまいなんてやってましたので。(そんな事考えるくらいなら最初から食べなきゃいいのにね)
2002年11月15日
昨日の日記に「メニエル病」のことを書いてご心配をおかけしました。
ビックリしたのは同じ「メニエル病」を経験した方が何人かいらっしゃる事。 その上、我が家に来てくれる掃除のオバサン(ポルトガル人のファティマ)も全く同じ症状を経験しているとの事。
彼女の場合は救急車を呼んだとか。 僕の場合も、もう少し酷い症状が続いていたら、そして医者が開業する時間でなかったら、呼んでたかもしれません。
原因がはっきりした今では、「救急車」なんて事にはならないとは思いますが。 何しろじっと寝て通り過ぎるのを待ってれば良いわけだから。
実はまだかすかに「めまい」というか、「ふわふわ感」は残っていて、どうもシャッキとしません。 この感じは船酔いに似ていて、だから嘔吐感も伴うのでしょう。 とりあえずもう少し様子を見て何度も起きるようなら専門医へという事になりました。(すでに一応アポは取ってはあります)
さて話題は変わって、テニスのお話。
今年の男子プロテニスでポイントランキング第一位を続けていたオーストラリアのテニスプレーヤー「レイトン・ヒューイット」の今年度(2002年)の年間チャンピオンが決定しました。
現在上海で行なわれているテニスマスターズの最終戦で、第二位のオンドレ・アガシが敗退したために、決勝を待たずにヒューイットの年間チャンプが決定したのです。
これで2年連続の年間チャンピオンの座を獲得した事になります。
前の日記に書いたように子供の頃からヒューイットを見ている僕にとっては、2年連続ワールドナンバーワンなんて、半信半疑というか。
プロテニスの世界の頂点なんてそう簡単に取れるものではないと思っていたので、まさかって感じがいまだにします。
しかし、この最終大会の前にパリで行なわれていた大会で、体力的にはそれほどアドバンテージを持たないヒューイットがいかに強いかを見ました。
その試合を見た時の事を思い出しながら書いてみます。
その日、準決勝まで進んだヒューイットの相手は、これも最近台頭目覚しいタイ国のパラドン・シュリシャパーン。
タイの選手といえば偶然「男子と女子」の有望なテニス・スターが同時期に台頭してきたと言うのは興味深いです。
特にタイでテニスが盛んだなんて聞いた事なかったし。
(ちなみに女子の選手の名前はタマリン・タマスガーンと言います)
日本のテニス界ではここ十年は女性がいつも強くて、かろうじて男子では松岡修造がいましたが、以来国際的に名前が通る男子選手は出てこなかった。
またオーストラリアのように男子はともかく、女性陣がずっと不作だったりを考えると、このタイの場合何か特別な理由があるのかもしれませんが。
例えばテニスもオリンピックの種目になったので、国をあげて男女強化したら同時に有望選手が出たとか。
で、そのパラドン君(男子の方です)最近ものすごく調子が良いようで、マスターズ・シリーズ(パリ大会)でもセミファイナルにまで進みました。
その対戦相手が上述のシードナンバーワン、今や男子テニスのナンバーワンランキングプレーヤーのレイトンヒューイットです。
オーストラリアに住む僕は普段レイトンを応援するのですが、久し振りにアジアから出てきた有望選手、特に非常に好感の持てるこのパラドン君に是非勝たせてやりたいと考えて見ていました。
フランス人の観客も同じように考えていたようで、パラドン君が良いショットを打つと異常なまでに盛り上がり、逆にレイトンがポイントを取ると、すごい「ブーイング」。
レイトンが何か悪い事をやっているみたいに、サーブをしようとしても邪魔をしたり。
ところがこの観客の態度が「引き金」になって大接戦でしたが、レイトンが勝ってしまったのです。
そう、今日書きたいのはこの事なんです。
レイトンの事は前の日記に何度か書いているのですが、彼に強さの秘密は何とこの彼の「頭」にあるのです。
多分普通の選手だったら、これほどブーイングされたら嫌になってしまう、ファイティングスピリッツを欠いてしまうと思います。
つまりこれほどの大接戦の場合、ちょっとでも集中力を欠いてしまえば試合を落としてしまう結果に繋がるのが普通なのですが、彼の場合全くこれが逆なのです。
これは非常に珍しいケースで他の選手で考えられるのはジョン・マッケンローくらいだったと思いますが、このような状況になればなるほど集中力を増して強くなってしまうのです。
ですからその試合を女房と一緒に見ていたのですが「もしあんなにフランス人の観客がブーイングなどの嫌がらせをしなかったら、レイトンは負けていただろう」と言うのが我々の感想です。
あの場合パラドン君に勝たせたかったら、観客は逆の事をすべきだったのです。 つくづくレイトンの凄さを思い知らされました。 まだ彼は21歳です。 恐るべきレイトン。
結局彼は決勝に進出したもののロシアのマラット・サフィンに負けてしまいました。 観客がパラドンの時のようにサフィンを応援しなかったからかもしれません。
この精神力というのは「生まれつき」のものなのでしょうか。
もし訓練で身に付けたということなら、どうやるのか非常に興味深いものです。
今年のテニスシーズンも終わりに近づいています。
それはオーストラリアのテニスシーズンの始まりがすぐそこにまで来ているという事えもあります。
是非レイトンにグランドスラムの一つ、自国の「全豪杯」を取ってもらいたいと期待しています。