2002年7月後半の日記

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2002年7月16日

まずは先日のガレージセールで売らなかった、レコードプレーヤ(ターンテーブル)について。

ボンダイジャンクションに古くからあるオーディオ専門店、オーストラリアには珍しくかなり「マニアックな」製品が飾られてあるのはおぼえていました。
しかしまさか古い(27年も前)オーディオ製品なんて、買い取ってくれるなんて思ってもいませんでした。
だいたいガレージセールの日に、古いレコードの横に置いておいたのですが、誰も見もしない。
かなりの量のレコードを買っていった人に「ターンテーブル」もありますがと女房が言ったのですが、チラッと一瞥しただけで、「いらない」って言われてしまったのです。

で、粗大ゴミとして出してしまおうかと思ったのですが、それにしても何かもったいないなと、インターネットのGOOGLE検索でそのモデルナンバーを打ち込んだら、その「ターンテーブル」についてのウエブサイトのページが山のように出てくるのです。

こりゃーちゃんと調べなければと、上記のオーディオ屋に行ったら、現物を見もせずに「買います」との事。
しかしその日は担当者がいなかったので、本日行ってきたのです。

結論から言うと、僕のは全く手入れもしてなかったし、針も磨り減っていて換えなければ売れないとの事で、大分安くなってしまったのですがそれでも軽く300ドル以上で売れてしまいました。
これは業者買取価格で、売値は650ドルは行くそうです。
実はガレージセールで出していた時には30ドルでもいいと思っていて、それでも誰も見向きもしなかったのです。

そうそう、蚤の市で「掘り出し物」というのは、価値が買ったときの価格の10倍を超える時とか聞いたことありますが、まさにこれだったんですよね。

それより何より、いまどきレコードを聴くためにこのような中古(大古)のターンテーブルをどんな人が買うのかも非常に興味のあるところです。
女房の話では若い人がまたレコードを聴く流行がオーストラリアでは少し始まっているとの事。
古いレコードなんてキズも有って、ノイズも酷いのではないかと思うのですが、何かそういうノイズがまた「良い」と思う若い人も結構いるとか。

僕は今回レコードを全部整理すると決めたので、当然ターンテーブルも処分してしまったのですが、実は僕の手元にはそれよりももっと古いアンプがあり、これは現役としていまだに頑張っています。
古いものをどんどん処分しているわけではなく、使っているものはいくら古くても愛用しています。

このアンプは「LUXMAN」という日本のメーカーのもので、確か1973年に購入し、とても気に入っていたのでロンドンに移る時に持って行き、その後オーストラリアに移ってももちろん一緒で、今もこのPCのそばで「セレッション」のスピーカーを鳴らしてくれています。
音はとてもマイルドで、真空管ではないのに、なんか温かみのある音だと思っています。
考えてみるとこのアンプ、30年も(日本仕様のために100Vを変圧器を使って使用)一度も壊れずでした。
これはすごい事で、いまだにこのメーカーがあるのかインターネットで調べて見なければ。

買った当時はまさかこんなに長く頑張ってくれているとは思わなかったのですが、こうなったら修理してでも一生手元に置いておくことにします。


2002年7月17日

本日カート一式総て処分して来ました。
ずっと迷っていたのですが、ガレージ・セール以来踏ん切りがついたというか。
最近は(というよりもとっくに)歳でちっとも良いタイムが出ず、レースに出ても自分の娘よりも若い相手ばかりで、反射神経のスピードだけでも最初から負けてしまっているわけで、ついに「引退」を決意しました。

先週に僕のチューナー(カート屋さん)のオヤジさんに事情を話したら、僕のエンジンなら皆欲しがるからすぐに持って来いと言われていたのですが、すぐに踏ん切りがつかず。
しかし、いつまでもガレージにしまって置くよりも、どんどんレースで使われた方がエンジンも嬉しがるだろうと、シャーシとエンジン3基すべて積んでオヤジさんを訪ねました。

これらのエンジンはオーストラリアではほとんど手に入らない型式のものを、僕が日本に出掛けて行って掘り出してきたものです。
「オーストラリアで手に入らない」とは、1970年代に製作された(ヤマハ製)もので、昨日の日記に書いたトーレンスのターンテーブルのように、古くても非常に人気が有り、現在手に入る新品のエンジンよりもずっと高価なのです。
どうやらその昔は手作りの部分が大分残っていたので、現代のすべてコンピューターで管理された工作機で大量生産されるエンジンよりも当たり外れがあるらしい。
で、今から30年も前に作られたエンジンなので外れは生き残ってない訳で、30年近くも大事に保存されていた当たりの

エンジンというのは、現代のものよりも優れているのです。
また当時のアルミ材にも今よりも良いものが使われていたとかで、レース中に何周かするうちに、熱で出力が多少衰えてくる(熱ダレといいます)のが現代のエンジンよりもうんと少ないというのも人気のある秘密のようです。
ですから僕がすべて処分するとチューナーのオヤジさんに話したとたんに、他の顧客に話をしたみたいで、「いつTomはエンジン持ってくるのだ?」と問い合わせも有ったとか。

さて、すべてをオジサンのところに置いて、ちょうど昼飯時だったので、帰りはバンクス・タウンに寄り、大好物の「PHO(フォー)」をシドニーで最も美味といわれる「AN(アン)」に食べに行きました。
(この日記にも何度か登場。 このホームページ内の「食」のページにも書いてあります)
このレストランへ行く時には必ず並びにある駐車場(5階建て)に入れるのですが、食事を終えて少々買い物をし、その駐車場に戻ってきたら、この建物を取り囲むように警察が封鎖しています。

何が起きたのかはわかりませんが、駐車場の入り口あたりには救急車があり、人間が歩道に倒れているのが見えます。
そのうち警察が、その倒れている人と救急隊員の周りを大きな布で囲い始めました。
僕はその駐車場には裏口が有って、うまくそこが使えればとりあえず自分の車の置いてある階までは上がれるはずと、ビルの裏手に行くと、そこは運良く警察の封鎖にはなっておらず、階段を上れました。

2階に自分の車が置いてあったので、とりあえず買った物を車に入れ、2階から下を覗くと、ちょうどその人が倒れている歩道の真上でした。
そこで様子を見ていると、救急隊員はすでに手当てを終えていて、警察官がまた白い毛布のようなものを持って来て、その人の上にかけ、回りにテープを張り始めました。
つまりすでに死んでいるということです。
同じ階にいる人に何が起きたのか聞くと、車にハネられたのではないかと言うのですが、倒れているのは歩道で車が走ってくる場所ではなく、非常に不自然。
で、警察官はその階にもまた上の階にも何かの捜索を始めたので、心臓発作などの行き倒れでもないよう。

その頃には歩道にはかなりの人だかりで、どうも警察の動きを見ていると「殺人」のようです。
僕の推理は「その駐車場の屋上から突き落とされた」です。

家に帰ってその事を女房に話すと、「バンクス・タウン」はベトナム系ギャングやレバノン系のギャングの中心地との事。
月に一回は「PHO」を食べに来ている、バンクス・タウン。
これからは少々用心をしなければならないかもしれません。


2002年7月18日

昨日日本にいる妹から「納骨」について電話があり、あまりにも日本にある我が家の墓がある「寺」の住職が理不尽なので、不愉快この上なく、どうしようか大いに迷っています。

詳細を書くと、「納骨」なんて大して面白い話題ではないので、なぜ不愉快かを簡単に書きます。

寺の言い分は「納骨をさせない」です。
理由は、オーストラリアで葬式を挙げて、勝手に「戒名」を付けたからとの事です。
「戒名」については僕も詳しくない(なりたくもない)のですが、宗派によって、戒名は違うようです。
父をシドニーで荼毘にふし、オヤジの宗派である西本願寺(浄土真宗)が偶然シドニーにもあるので、こちらで葬式を挙げたときに、そこから僧侶に来ていただき、お経を上げていただき、戒名ももらいました。

で、オーストラリアで死んだので、オーストラリアで葬式を挙げ、納骨のために親父の骨を持って日本に帰るのでよろしくと、我が妹が数日前にその田園調布の寺に挨拶に行ったのです。
ところが、田園調布にある寺は同じ西本願寺だが浄土宗で浄土真宗ではない、だから浄土宗では付けない「字」がオヤジの戒名に使われている、だから納骨は許さないというのです。

ところが僕の祖父母は浄土真宗で、亡くなった時に、当時の住職(今の住職の祖父)が理解のある人で、わざわざその住職は浄土宗だが我が祖父母のために、浄土真宗の戒名を付けて、納骨してくれたのです。

代が変わって、今の住職は(その孫に当たる)、自分の代ではそんな事はさせないと突然言い出した。
では我がオヤジが自分で建てた(というか今のに改修した)墓に入れないのですかと言うと、そうだと言う。 
代代の墓、ましてやオヤジが改修して今の墓を建てたのに入れないでは困ると言うと、それならシドニーで付けたもらった戒名をやめて、新にまた戒名をつけるのなら納骨を許すという。
ここまで書いて皆さんなぜそんな事を言っているか分かりますか?

そう、金が欲しいのです。 僕は納骨料は当然払うつもりでいたのですが、住職としてはそれでは「金」はたっぷり取れない、だからこのような理不尽な事を言って新に自分で戒名を付ければ「たっぷり」と戒名料を取れるからなのです。

特に僕が頭にきているのは、もう何代も同じ西本願寺ではあるが、浄土真宗と浄土宗の違いは先々代の住職の時から了解して続いてきているのに、今になって突然だめだという理由が、とにかく「金」目当てミエミエだというのが、非常に悲しいというか。 

オヤジの戒名が浄土宗のだろうが、浄土真宗のだろうが、僕はどうでも良いのですが、葬式の時にシドニーに来た叔母は、同じ宗派の戒名がシドニーでもつけて貰えたと言って喜んでいたくらいなのに、納骨したければそれを破棄しろと言われて、大いに困惑しております。

この顛末を女房に言ったら、だいたい「戒名」なんて妙なものさえ何だかよく分からないオーストラリア人なので、もう「怒り」を通り越して、あきれ果てております。
日本の「坊主」は金の亡者なのかと。
オーストラリアでは全く考えられない「事」だと。 で、そんな寺なら止めちゃって、シドニーの海の見える素晴らしい墓地(サウスヘッドにあります)に「田邉家」の墓を建てれば良いと女房は真剣に言い出した。
女房の母が眠るこの墓地にはたとえ仏教だろうが、イスラム教だろうが、皆仲良く眠っております。
女房曰く、日本の墓なんて将来僕が死んだ時にそこに納骨なんかしたら、墓参りもほとんど出来なくなるしと言うのです。

僕も今回の件では非常に不愉快で、そういう方法も無いでもないがとは思いますが、しかし今回はオヤジの納骨で、オヤジが自分で改修した墓に入れないというのも可哀想でもある。

「坊主」の言う金額はどの程度か知らないが、僕としても払わないでもない。 しかし、このような理由でまるでヤクザのような言いがかりで、無理やりまた戒名をつけさせられて、金をふんだくられるのは、「気分」が良くない。
どうしてくれようかと、ずっと考えています。
すでに入っているオヤジの両親(つまり僕の祖父母)は今の「坊主」が駄目だと言うその「戒名」でちゃんと納骨されて入ってもう半世紀は経っている。
こういう事で「裁判」を起こすというのも、「意味」が有るのではないかとも考えています。

日本は不景気で寺の収入も減少気味で、このような理不尽を言っているのでしょうか。
宗教とはそういうものではないと思うのですが。


2002年7月19日

我が愛犬「ハナ」の調子が悪く、獣医に見てもらったら「癌」宣告をされてしまいました。
我がオヤジが逝ったばかりなのに、今度は「ハナ」って、非常にショックです。 
特に今の症状を見ていると、我がオヤジの時と全く同じです。
消化器系の癌らしいのですが、癌が発見される前はものすごい食欲で、ひょっとしたら高齢(13歳)なので少し「ボケ」が出て、いくらでも食べられるのではと考えていました。
晩御飯をたっぷりもらっても、すぐに犬用のビスケットのあるところから動かず、何度でも欲しがっていたのです。

ところが20日ほど前に突然その晩御飯を食べなくなりました。
今までは一気に飲み込むように「平らげて」いたのが、ちょっと匂いを嗅いで考え込んだり、少し食べてすぐ止めてしまったり。
「こりゃ〜ヤバイ」と直感しました。 人間もそうですが、体内に癌が出来ていると、その癌が栄養分を取ってしまうために、平均以上の食欲が出るということは良くあるようです。

我がオヤジも歳の割にはすごく食欲が有って、皆にオジイサンは「元気」でと言われていた。
ところがその食欲が止まったと思ったらあっという間に逝ってしまいました。
その経験があるので、今の「ハナ」を見ていると、おのずと先が見えているようで非常に暗い気持ちになってしまいます。
このような事を延々と書くともっと落ち込みそうなので、話題を変えます。

昨日日本から送ってもらった日本のヴィデオで「200X」という番組を見ました。
定年後の生活を海外でという趣旨の内容です。
最近、定年後の年金生活に不安を抱く人が多いとの事。
それは年金の額が生活していくのにギリギリで、「豊かな老後」なんて現実のものではなくなっているので、海外に出てその「豊かな生活」を実現する方法をこの番組で取り上げているのです。

日本では平均的な生活をするのに月24万円がかかるそうです。
で、今の平均的な年金額がほぼ同額らしい。 ということは、ギリギリなので、ちょっと贅沢をしたら、苦しくなる。
で、物価の安い海外で生活する事によって、同じ年金額でも豊かな生活を実現させると言うのです。
タイとオーストラリアで暮らす二組のカップルを取り上げていましたが、オーストラリアに住む僕から見ると(タイは分かりませんが)随分「眉唾(まゆつば)」というか「誇張」が入っているように思えます。

もちろんオーストラリアは日本より生活物価は安いのは確かですが、細かく検証すると、この番組が「誇張」なのはすぐに分かります。
まずは家賃。
この番組ではゴルフ場付きのコンドミニアム(オーストラリアではこの表現は使いませんが)が月に7万円だとか9万円だとか言っている。
多分場所はゴールドコースト近辺だと思うのですが、そんなに安いのはオーストラリアに住む僕にも信じられません。
今、オーストラリアドルは1ドルが65円くらいですから、7万円だと1000ドルちょっと、シドニーではまず無理だと思います。
1ベッドルームのアパートで市街地の中心から外れれば有るかもしれませんが、「贅沢な生活」と言えるのかどうか。

海外で年金生活というのを何か勘違いしている部分も有るかも知れません。 つまり長期旅行ではなく、そこに根ざして永住する覚悟があるのかどうか。 オーストラリアの場合はヴィザの切り替えが6ヶ月ごとにあるはずで、その度にいったん出国しなければならない。
もちろん近くの国(ニュージーとかフィージーなど)に出る方が日本にその度に帰るよりも安上がりですが、それでも航空券代や宿泊が必要です。

また現地に住むと言う事は特に家賃の安い郊外などではマイカーが無ければ手も足も出ない場合は多い。
で、車を持てばガソリン代は確かに日本よりは安い(5〜60円)が、車検料や保険代など諸経費は当然かかってくるわけで、総合で経費を計算しなければならない。

この番組の中で一番顕著な「誇張」は、毎月30万円の収入があれば、一段と豪華な暮らしが実現するような表現で、クルーザーを持つのも夢ではないような事を言っています。
これは実際にクルーザーを所有した事の無い者が、興味を引くために言っているだけで、実際に所有してみれば、係船料や船舶保険、また船体塗りかえや燃料などなど、ビックリするほどの経費がかかるのです。

月20〜30万円の収入で、持ち家も無く(つまり家賃を払う身分で)クールーザーまで所有なんて番組で見せてしまうから勘違いしてしまう人も出るのではないかと。

この番組では年金収入が毎月15万円のカップルから25万円、そして30万円と別々に取り上げていますが、明日の日記にオーストラリアに永年住む人間として、もう少し正確に分析して書いてみたいと思います。


2002年7月20日

例によって本日は土曜日なので娘のための不動産物件探しに付き合わされていました。
そう、いまだに物件を手に入れることが出来ずで、探し始めてはや六ヶ月。
「娘のため」なのに、娘はちゃっかり昨日からスキーに行ってしまって、女房と二人で目星をつけた物件を何件も見て回っています。

スキーと言えばオーストラリアは真冬、今年は殊のほか冷え込みが厳しいと思っていたら、案の定今年のスキー場は雪がたっぷりあって、最高なのだそうです。
地球は温暖化のはずなのに、どうなっているのやら。
僕は寒いのが苦手なので、毎年この時期は暖かいところに、逃げ出したいと思っています。(後述)

さて、本日の物件捜しではかなり良いのが出てきたが、やはりべらぼうな値がついています。
ここのところアメリカの景気が停滞(後退)してきて、ニューヨークの株式市場もかなり落ち込んでいるのに、相変わらずシドニーはミニバブル価格がついていて、僕としては大いに迷っています。
こんな高い時に不動産に手を出して、アメリカの景気が本格的に落ち込んできたら、もちろんオーストラリアも大いに影響を受けるわけで、後で後悔するのではと。

だから僕としては今は様子を見る「時機」だと思うのですが、女房も娘もなぜかあせって必死で探している。
不思議でしょうがないのです。 娘が僕のもとを一刻も早く逃げ出したいというのかしらと考えてしまう。
別に僕は娘と喧嘩をしているわけではないのですが、女房と娘の関係ほどは親密でもない。
考えてみると僕が親のもとを飛び出したのがちょうど娘と同年でした。

親のもとを出た「日」が僕の人生にとって最高の「吉日」だったと今も確信しているので、それを考えると娘が独立するのに手を貸してやりたい気は充分あるのですが、何とも価格が「バブル」で。

さて、昨日の日記に書いた「老後は海外で」(日本のテレビ番組)の件。
今この日記を書いていたら、僕もタイに住みたくなってきました。
その番組では「タイ」に住むには、年齢が55歳以上、タイの銀行に日本円で240万円以上の預金をするなどの条件を満たすと、2〜3ヶ月で「ヴィザ」を受けられるとの事。(長期滞在ヴィザ?)
僕はまだタイに行った事が無く、旅行でも必ず行きたいと思っている所なのですが、考えてみると僕も55歳まで後一ヶ月。
240万円の預金というのも何とかなりそうな額なので、旅行で行くより、そこに長期滞在でも良いな〜と考え始めています。

日本にいる人には、「老後は海外で」の候補地としては必ず選ばれるオーストラリアに住みながら、「何言ってるんだ」と思われてしまうかもしれません。
しかし今日の日記の最初に書いたように、僕は寒いのが大いに苦手で、この寒い時季だけ逃げ出すのも良いかなと。
もちろんこの広いオーストラリアですから海外にまで行かなくても、いくらでも暖かいところはあるのですが、どうも同じ国内では気分転換にならないような気も。

しかし、その番組での紹介の仕方が結構「眉唾」気味なので、「タイの紹介」のもあまり信じてはいけないのかなとも。
その番組ではお手伝いさん付きの生活と言いながら、実際に住んでるアパートはワンルームみたいなところで、何かアンバランスな気が。

ただし食生活について言えば、僕は毎日でも「タイ料理」は平気な方なので、旅行ではなく長期滞在でもなんら問題は無いはず。
このアイデアを女房に言ったら、そういう計画を立てるのなら「先にオーストラリアの今の状態を解決しなければでしょ」と言われてしまいました。
確かに今の僕の環境は、「鍵一つ」で何ヶ月も出掛けられる環境ではないのです。

どうしたもんやら。


2002年7月22日

土曜日の日記に娘の不動産物件購入の事を書いたら、何通かメールをいただきました。

僕のこのHPのリンクにもある「マナちゃん」からは、やっとパラマタにある「物件」購入の契約に、こぎつける事が出来たとの事。
シドニーで不動産物件を購入する苦労を何度も味わった経験の有る僕には、その大変さ実感でき、心から「おめでとう」と。
それとともに「お疲れ様でした」もぴったりかなと思います。

彼の「日記」には、いかにオーストラリアの不動産屋が「酷い」かが詳細に書かれていますので、ここでは簡単に書きます。
オーストラリアで不動産を購入に興味の有る方は、是非彼のHPを読んでください。
オーストラリアでは最も尊敬できない職業が「中古車専門のセールスマン」と「不動産屋」だと言われています。
(ちなみに最も尊敬できる職業は教授だったか、医者だったか。 定かではありません)
あ、これはオーストラリアに限った事だけで、日本ではその限りではないと思います。(いや、思いたい)

初めてオーストラリアで購入した(1981年)ボンダイジャンクションのタウンハウスから始まって、今住んでいる家まで、その「最も尊敬できない職業」と言うのを痛いほど思い知らされました。
オーストラリアの場合、「買い手」にとって特に酷い理由は、不動産屋の仲介料が売主からしか支払われないと言う制度にも起因しているのは確かですが、ほとんど不動産屋たちの「人間性」を疑ってしまうほどの酷さです。

特に今住んでいる家を購入した頃は(1987年)、今より激しい「超バブル」の真っ最中で、驚くような「いやな経験」の連続でした。
ある、物件など長い長い交渉の末やっと売主が売ると承諾して、売主の用意した売買契約書に署名を入れ、やっと買えたと喜び、我が弁護士の事務所で「シャンペン」を抜いて祝ったら、その日の夜に弁護士から自宅に電話があり、何と他の人に売ってしまったと聞かされた時のショックは、いまだに忘れられません。

当時はこのように今よりも酷い事が多く、契約習慣として買い手と売主が一緒(同時)に売買契約書に署名を入れなくても良かったので、売主は他にも買いたいと言っていた「買い手」に、我々が署名を入れた売買契約書を持って行き、このとおり本当に売れてしまうぞ、欲しければもっと出せと言って、もう5万ドルだかを上乗せして売ってしまったのです。

その買い手は、売主の言う事が契約書を見るまでは本当か(他に買い手がいなくても、いるように言って、もっと出させようというのは常套手段ですから)疑っていたのですが、確かにサイン入りの契約書を見せられれば疑う余地は無く、さっと5万ドルほど積んで横取りしてしまったのです。

当時このような行為「ガザンピング」はよく起きていて、あまりにも酷いと言うのでその後政府が「ガザンピング」には規制を設けるようになります。

不動産屋のセールスマンが言う、「他に買い手がいる」や「売主がこう言っている」なんて、ほぼ100%嘘です。
ですから契約書署名に漕ぎ着けるまででさえ、大変なエネルギーを使わせられるのですが、まさか署名した後にまでどんでん返しがあるなんてと、いまだに忘れられない苦い経験です。
経験の有る我が弁護士までもそんなことは考えず、彼がシャンペンを用意したほどですから。

このような経験は書き出したら止まらなくなりそうなので、我が娘の件についてちょっと書きます。
娘は、僕と女房がそういう経験を積んで来ているというのに、「欲しい」というのが先に来て「熱く」なってしまっているので、しっかり不動産屋に振り回されています。
先日も大変気に入った物件を、契約書にサインまでは行きませんでしたが、値段的に売主から「了承」が出たと聞いていたのに、娘の仕事場に電話をかけてきて、他の人に売ってしまったと言われて、仕事中なのに涙声で僕に連絡して来た時には、「オイオイ、仕事に支障出ないのか?」と心配してしまいました。

特にバブル期にはこんな事はしょっちゅうですが、娘は経験が無いのでナイーブ、そのセールスウーマンをすごく信用していましたので、ショックは大きかったようです。
娘とほとんど歳の変わらないそのセールスウーマンは娘と「友達」みたいに、今流行のナイトスポットの事など話したりして、ほとんど友達感覚でしたので、我が娘は「不動産屋のオヤヂ」ってのとは違うとすっかり騙されていたようです。

娘の欲しがっているような「不動産物件」が特に、「難しい」のには実はシドニー特有の理由があるのですが、それは長くなりそうなので明日の日記に書きます。

最後に、僕が昔働いていた事務所のある、(しばしば僕の日記に登場する)ボンダイ・ジャンクションの写真をつけます。
今の変わり様と、大開発が始まっている証拠写真というか。

オーストラリアに来た経験がない方でも、「ボンダイ」という地名は聞いたことがあると思います。
特にアップルコンピューターの「アイマック」には「ボンダイブルー」という色が有ったりですが、この「ボンダイ・ジャンクション」はビーチからはバスで10分ほどの距離にあります。

最初の写真は今の「ボンダイジャンクション駅」の地下鉄とバスの操車場。 昔の「ここ」をおぼえている方には、ビックリするほどの変わり様です。 一枚の写真には入らないので、バスの出てくるところと、その上に建っている巨大アパートの写真。(写真をクリックして見てください)

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上の右側の写真は、左手にもとの事務所が入っている「ディビッド・ジョーンズ・デパート」が見えますがその向こう(並び)にこの新しい駅ビルが見えます。 上の方はアパートになっています。 下がターミナルでバスが出て来ているところ。 昔は全く何も無くて、屋根も無いバス操車場でした。

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上は何とそのデイビッドジョーンズの横、ウールワース・スーパーなどが入っていたところです。
爆撃の後のように取り壊されていますが、その向こう(写真では見えない)のオックスフォードストリートを挟んだグレースブラザースのビルも取り壊しが進んでいます。
場所によっては、この一体はアフガン戦みたいな様相を見せているところも。 何しろ、「RTA(陸運局)」のあるところでも道に駐車してある車が、ホコリだらけになっています。

 


2002年7月23日

昨日までの日記に不動産購入の事を書いていたら、「日本でもトラブルは色々有る」と詳細をメールで頂きました。
土地を購入して、いざ家を建てようとしたら持ち主が売るつもりが無かったと、弁護士を立てて土地売買契約破棄を言ってきたという、なんともメチャクチャな話です。

昨日の日記を書いた後に1987年当時の事をいろいろ思い出しました。
その当時のバブルは世界的なもので(これを覚えている人も少なくなってきているんですよね〜)、売り手市場だったので、不動産屋に大いに翻弄されたものです。

昨日書いた物件(他の買い手に売られてしまったやつ)のほとぼりも冷めぬまま次の物件を捜していました。
何10軒か見た後、割と良いのが出てきたのですが、その物件は「オークション」で売られることになっていました。
あらかじめどこまで出すかを女房と相談していたら、まだオークション2週間も前だと言うのに電話がかかって来ました。
「オークションの前に買い手がオファーをかけてきたが、あなたも興味が有るようだから連絡しました」というものです。

オファーとはオークションの前に金額を提示して、買い手が満足する額なら売ってしまうというものです。
当時は僕らもまだまだ経験が少なく、その上「バブル」でどんどん物件が売れてしまうので、焦っていました。
何しろ我が親がオーストラリアに引っ越して来て、一緒に住む家を捜していたので、来るまでに決めたいという焦りも有りました。

かなり良い物件だったので、慌てて金額を決め連絡をすると、そのほかの買い手のオファーよりも上だったようで、今すぐ売り手の弁護士事務所に来てくれと言う。
つまり契約に来いと言うのです。 すぐに行ってみると、何と!その弁護士事務所にはもう一人の買い手も来ているではないですか。

ふざけた事に、その売り手の弁護士事務所でその不動産屋と売主は両天秤にかけだしたのです。
僕らが電話を受けて我々のオファー額を言ったら、何とまたその不動産屋は、他に電話をかけてまたまた売値を吊り上げただけではなく、こうなったら両方呼んで競争させようとしたのです。

なんと本番の「オークション」の前に、弁護士事務所で「オークション」を始めたのです。
これにはさすがの僕も怒り心頭に達し、全くその誘いには乗らず引き揚げて来ました。 バブルの時代と言うのは、こんなバカな事が日常茶飯事だったようです。
結局、紆余曲折有って今の家を手に入れたのですが、その件はまた明日の日記に書くとして、今日は娘の捜している物件について書きます。

昨日の日記の、なぜ「娘の捜している物権が特に高いのか」です。
我が娘は独身であり友人達の住む場所や普段の行動範囲から、主にパディントンという地域に絞って物件を見て回っています。
その上、娘はなるべくなら新築もしくは新築に近い物件を捜しているのですが、そのような物件を下見に行くと、ほぼ50%の割合で(いや下手すると50%を超えているかも)「ゲイのカップル」が所有しているものなのです。
下見の時にはどうしても住んでいる人の写真とか、また押入れを開けると服とかが目に入ってしまうのはしょうがないのですが、男同士が仲良く抱き合って写っている写真などが、これ見よがしに飾ってあったり。
これ見よがしに飾ってあるというのは、買いたいと下見に来る人達も「ゲイのカップル」が多いので、効果があるようです。

ご存知のようにシドニーは「ゲイ人口」が世界第2位の都市と言われています。 
このゲイのカップルと言うのは収入的に「DINK」を凌駕する最強のカップルなのです。
「DINK」というのはご存知のように「Double Income No Kids」の略ですが、普通は男女のカップルで共稼ぎで子供がいないために、可処分所得が多いのですが、それでもオーストラリアの場合、旦那の(つまり男)所得よりも平均的に女性(奥さん)の方が収入が低い、ところが「ゲイ」の場合は両方とも「男」なので、「最強のDINK」なのです。

このカップルが好んで捜すタイプの物件(わりとファッショナブルなアパートなど)と地域が、娘の欲しがっているところとかち合っているために、オークションに行っても驚くほど値が釣りあがってしまう。
特に投資の物件ではなく自分の住むところだから余計にオークションで競り合って、感情的になる。
感情的になるイコール値がもっと上がるという図式です。

これは余談ですが、娘のような年齢(日本では適齢期という妙な語彙が有る)はこの「ゲイの街シドニー」の犠牲者かもしれません。
この不動産物件の取り合いでも競争相手は「ゲイ」が多いというだけでなく、普段の生活ですごく「いい男」がいて、娘が惚れそうになったら、女性には興味の無い方で。
って、それだけ「男」の数が少ないかもしれない。(余談と書いたが事実のような)

次の理由は、今オーストラリアではオーストラリアドルの下落とともに、アジアからの投資が大量に流れ込んでくる。
今まではアジアからの個人投資は(香港からは大分前からですが)ほとんど無かったのですが、最近は東南アジアの諸国でも自国のカレンシーと比較して、オーストラリアの物件の割安感が出てきたのでしょう。

海外からの投資の場合、オーストラリアの法律で取得出来る物件は「新築」に限られているのですが、娘が気に入った物件でもまだ建て終わっていないのに買い手が付いてしまうありさま。
(図面を見ただけで買ってしまう)

そんな訳で娘が自分の住むところを見つけられるまでにはまだ当分かかると思います。

昨日の日記に「ガザンピング」が法律で規制されるようになったと書きました。 確かに1987年当時は違法ではなかったのですが、今は「ガザンピング」行為は違法になったが、これが全くのザル法で、立証が難しい。
で、相変わらず似たような行為は行なわれているかもしれません。

明日は今の家を購入できた理由と、「オークション」での物件購入の注意などを書いてみたいと思っています。

追記。
オヤジの残した数々の木工用の電動工具(中にはプロ用も含む)が、すべて日本から持ってきた100ボルト用のために、オーストラリアでは売るわけにも行かないし、どう処分か困っています。
誰かに無料で差し上げるにしても、日本までの運賃はかかってしまうし、どうしたものかと。
欲しい人いますか?


2002年7月24日

オーストラリアで不動産物件を購入するには、「FOR SALE」として売りに出ている物件を、(販売価格が決めてある。これを言い値で買う人はほとんどいませんから) 値段の交渉をして買う方法と、「オークション」で落札して購入する方法があります。

「FOR SALE」で出ている物件というのは、最初に「オークション」で売りに出したが、欲しい金額まで値がつかなかったために、売買不成立にして「FOR SALE(売りたし)」にまわしている場合が多くあります。

そういう物件は「オークション」ではそんな額を誰も出さなかったと言う事実が残っているわけですから、誰も言い値で買うわけではなく、値引き交渉が始まるのです。
しかし、オークションでは最高いくらまで付いたが売らなかったという不動産屋の言う額も「100%嘘」ですので絶対に信用しない事。 これは後述しますが「サクラ」が付けた最高額の可能性があるからです。

オーストラリアで不動産を購入する場合の鉄則は、トランプのポーカーゲームと同じように絶対に自分のカードを相手に見せないと言う事です。
「大嘘つき、海千山千」の不動産屋相手に交渉をするのですから、こちらも絶対に本音は示さない事。
最初に物件を見に行くと真っ先にセールスマンが出てきて名前と電話番号を聞きます。
この時に、不動産屋にとって「この買い手」は新顔か経験豊富かを判断し始めます。

次にセールスマンが聞くのが「自分で住むための購入か、投資用か」と、「予算」はいくらくらいのところを探しているのかを聞いて来ます。
これらの質問に(名前と電話番号を除いて)はすべて本当の事を答えてはいけません。
必ず僕は「投資用として購入を考えている」と答えるようにしています。
なぜなら、「自分が住むための購入=感情移入」と知られること自体が、その後の交渉で不利になっていくのです。

また「予算」を聞かれて本当の事を言ってしまうと、かなり自分のカード(手の内)を見せてしまうのと同じになってしまい、「FOR SALE」でも、「オークション」の場合でも非常に不利になります。
前の日記に僕が「売り手」の友人のために「オークション」で「サクラ」をやったと書きましたが、その時にも売り手が不動産屋と「オークション」での「売買価格」を決める時に、どの「買い手」はどの程度までは出せそうという情報が材料にされます。

つまり、「いくらの金額」まで値がついたら売買承諾をする、「いくら以下」なら売買不成立にすると決めるのですが、見るからにその物件を気に入ってしまっている「買い手」がいて、その買い手が(例として)100万ドルくらいまでの物件を捜していると本音を言ってしまったとします。
それなら99万ドルは必ず出せるだろうと判断し、オークションが始まると、「サクラ」が98万までウソの競り合いをその買い手相手に展開します。

そのサクラがいなければ、その100万ドルまで出せる買い手と、例えば95万までしか出せない他の(本物の)買い手もオークションに参加したとした場合、その両者の間での競り合いが起きても、95万ドルくらいで値が止まってしまう可能性が有ります。

で、もしサクラが98まで吊り上げた時に、95までの人が途中で落ちて、その100万までは出せるという本物の買い手も万が一追いかけてこなければ、本物の買い手はいなくなってしまうことになりますが、売り手は「売買不成立」つまり98万ドルでは、売りたい金額まで達していないと言えば良いわけです。

上に書いた「見るからにその物件を気に入ってしまっている買い手」というのは、「あまり売買の経験が無い」、「自分用の物件購入を捜している」、そして特に夫婦の場合「女房が気に入って、何度も見に来ている」というパータンのことで、「感情移入度」が高い、つまりオークションの時に「熱くなりやすい」と判断されるのです。
昨日の日記に「ゲイのカップルと言うのは最強のDINK」と書きましたが、この「感情」という面でも最強です。

なぜなら、オークション会場で熱くなって自分の予算をオーバーするくらい競り合ってしまっている女房(旦那でもいいですが)をどちらかが、冷静にストップをする場合がよくありますが、ゲイのカップルと言うのは二人とも「熱くなって」イケイケになってしまう事がよくあるという経験を、彼等相手に競り合った僕は何度もしています。

何かここまで書いたら、書きたい事がどんどん出てきて止まりそうに有りません。 

不動産を適切な価格で購入するには、このように嘘八百を並べる不動産屋を相手にするのですから、多くの経験を積む必要があります。
特に今のようなバブル期には、売り手市場なので翻弄されやすい。 
このような時期には投資用の物件購入は最初から止めた方が良いと僕は思っています。
しかし我が娘の場合はちょうど独立して持ち家をと考え始めた時期と一致してしまっているのがなんとも残念です。
考えてみると、戦後のベイビー・ブーマーの子供たちがちょうど不動産を捜す時代に入ってきているのかもしれません。
つまり需要が膨らみ始めている。

さて、では今より過激だった1987年当時にどうやって僕が今の家を手に入れたかを書きます。
あまりにも嘘八百で駆け引きを展開する不動産屋に疲れを感じている頃でした。
ある日オークションではなく「売りたし」の物件を見に行った僕と女房は家の中を色々下見していると、ある部屋の中に飾られていた写真に写っている家族の写真の1枚に目を止めました。
「あら、ジェフだわ」。 何と偶然そこの家の長男は我が家に週一度、日本語の勉強に来ている子だったのです。
誰かの紹介で我が女房は当時2〜3人の高校生に家庭教師をしていました。

普通は物件を下見に行くとそこの住人(売り手の場合でも、借人でも)はいません。 不動産屋が見せてる間どこかに行っているように、不動産屋もアレンジするようです。
つまり「買い手」が直接「売主」に交渉を始めたりするのを防ぐ意味も有るようです。

家に帰った僕らは、不動産屋の嘘に疲れていたので、これは直接売主に交渉出来るチャンスではないかと考えました。
翌週我が家に勉強に来た息子に「直接お父さんと話したい」と申し入れました。 不動産屋はあまりいい顔はしませんでしたが、手数料がちゃんと払われるのならと、シブシブ引き下がりました。

実はこの不動産屋は、「例のシャンペン事件」の時のヤツで、僕らがカンカンになっているのを知っていましたから、今回はおとなしく引き下がった事情もありました。
この不動産屋は「シャンペン」の時は、売主が勝手にやったことだと、自分の無実を言っていましたが、少なくとも僕らの「怒り」は理解していたようです。

もちろん直接交渉するといっても、売主がやはり海千山千なら大して変わらないのですが、少なくともそれが「不動産屋のブラフ」なのか「売主が言っている事なのか」で迷わせられる事は無いわけです。
で、交渉はとんとん拍子に行き、「ある額」で了承を得ました。
その額はかなりバブルな額に近いものではありましたが、僕はその額で了承をする代わりに、ある条件をつけました。

それは、最初に10%の手付を払った後に契約完結するまでを約5ヶ月と言う異例に長い期間を申し入れたのです。
現在の一般的な売買でも契約完結までは6週間ほどかかるのも珍しくないのですが、5ヶ月は異例でした。
しかしそんな条件も、やはり売主と直接交渉できたからでしょう、良い値をつけてくれたと売主も喜んで、5ヶ月を呑んでくれました。

僕にはある考えがありました。 バブルが沸いている当時オーストラリアでは、銀行金利が15%を超えていました。
と言う事はその購入資金は(銀行から借りるわけではなかったので)半年近く定期に寝かせる事によって、7%ほどの利子が付きます。
ですから、交渉の時につけた値段がちょっと高くても、逆に得になる可能性があったのです。

例えば100で買いたい物件があってどうしても売主は105で売るという。
で100のうち10を頭金で払って、残り90を半年銀行に預けておくと、年間15%の場合13.5が利子が付きます。
5ヶ月でもその利子は5を超えるので、買値が100ではなく105という事で5を多く出させられたとしても、充分もとを取れ自分の値100とほぼ同等以上に有利になると考えたのです。

その上運が良い事に、その回りの物件はその5ヶ月の間にまだ値上がりが続き、その「買値」が安く感じられる程になっていったのです。
その時一番心配したのは、売主がその回りの値上がりを見て、安く売ってしまったと後悔し、僕らとの契約破棄を考える事でした。
もちろん違約金など色々な事が絡むので、そんな簡単には出来ないとは思っていましたが、最終的に全額払い終え契約完結した時の席で、売主は随分迷ったと言っていました。
5ヶ月は長かったとも。

今はオーストラリアの金利は4.5%前後ですから、以上のようなことは参考にならないかと思いますが、いかに不動産屋が絡むと面倒になるかはおわかりになったと思います。

続きはまた明日。


2002年7月25日

本日の日記は事情によりお休みさせていただきます。


2002年7月26日

昨日の日記を書かなかったのは、我が愛犬を安楽死させるべきか、大いに迷っていたからです。

不幸続きと言うか、オヤジが5月の終わりに逝ってしまった後、我が愛犬「ハナ」も体調を崩し、急速に悪化していきました。
もちろん獣医には何度も見てもらったのですが、内臓に癌腫瘍が出来ている可能性が大ということで、ほとんど手の施しようが無い状態でした。

不思議な事に、我がオヤジの時と非常に似ていて、体調を崩すまでは食欲も旺盛で、ちょっと関節炎が出ている程度だったのです。
そのうち食欲が「異常」なまでに増え、どうしたのかと心配になるほど。
最初はだいぶ歳だから少し頭がボケたのかとも考えていたのですが、獣医曰く、体の中に腫瘍が出来て急速に(癌細胞が)繁殖している時と言うのは、いわば寄生虫の如く栄養分を奪うので、食欲が自然と旺盛になるとの事。

で、ある程度まで癌腫瘍の進行が進むと行くと、「ぱったり」食欲が止まり今度は急速に衰弱していくようです。
同じ事を父の時に経験していたので、我が愛犬がある日突然食事を残した晩は目の前が真っ暗になりました。
瞬時に「癌」だって、考えたからです。
「ハナ」は我が家に来て以来、非常に健康でただの一度も、もらった食事を残すような事は無かったのです。

我がオヤジの場合も癌腫瘍での「痛み」は全く無かったのですが、「ハナ」も同じように、食欲が突然止まるまでは元気に動き回っていました。

どうやら人間も動物も、癌の場合は食欲が止まったら、「死」へのカウントダウンの始まりのようです。
数日前からはほとんど動けない状態になっていて、庭へ用を足しに(便所)行くのも無理になってきていました。

で、ここ数日いつ獣医に「安楽死」させてもらおうか、ずっと悩んでいました。
人間は(オーストラリアでも)まだ安楽死は認められていないのですが、ペットの場合はある意味「簡単」に獣医に頼めば出来てしまう。

しかしこの「簡単」がちっとも簡単ではない。 僕と女房はそのことで「心の中は」大いに揺れ動き、とても決断が出来ない。
考えただけで、非常に暗い気持ちになってしまう。 しかし犬は口が利けないので、苦しがっているのかもしれない。
早く「安楽に」させてやるべきなのかとか、迷いに迷っていました。
これは人間の「安楽死」問題を考える場合、自分自身にとって非常に参考になる経験をしているのだと思います。

人間の場合は自分で「死」を選択するというのが基本でしょうが、我が愛犬や人間でも「植物状態」になっている場合は、回りが決断せざるを得ない。
これは本当に「苦しい」決断です。

で、結局昨晩女房と二人で今日(金曜日)にお別れをする事にしました。今日の夕方に獣医が来る事になっています。
今(昼前)から、かなり気が滅入ってしまっていますので、先に日記を書き終えてしまうつもりで書き始めたのです。

多分明日の日記もお休みさせてもらうと思います。 
 


2002年7月29日

先週の金曜日の日記にも書いたように、我が愛犬「ハナ」はその日の夕方我がオヤジの元へ旅立って行きました。

愛犬の事を思い出すと憂鬱になるので、書きません。

翌日土曜日にPCの前に座ったら、どうしても愛犬の事が思い出されてしまう。 というのは、このPCの真後ろに「ハナ」のベッドが有って、いつも僕の後ろで寝たいたからです。

で、気分転換に女房と「お茶」をしに出掛けました。
行ったのは僕のお気に入りの一つ、キングスクロスのはずれにある、「フェルナンデス」というカフェです。
「キングスクロス」というと、日本の新宿歌舞伎町のようなイメージが有りますが、このカフェがあるところはそこから奥に引っ込んだ、地元の人しか来ない店です。(昔そこのオーナーの娘が日本に住んでいた事があり長崎に支店を持っていたことがある)

ここオーナーはスペイン人で、元はコーヒーの焙煎をして他の店に卸しているのですが、その店でも飲める。
安くて良質なコーヒーが飲めます。 僕はこういったスペインの下町にあるような(ちっともきれいではないが)店が大好き。

で、ちょうど3時の「おやつ」時だったので、僕の大好きなスパニッシュ・ホット・チョコレートと、チュロスを注文しました。
(チュロスはスティック状の揚げパンに砂糖がふりかけてあるようなもので、このスパニッシュ・ホット・チョコレートとは切っても切れない相棒のようなものです)

ところがウエイトレスが「今日はスパニッシュ・ホット・チョコレートは品切れで普通のホットチョコレートしかない」というのです。
これは妙な事を言うものだと思ったのですが、無いと言うのなら仕方がない、僕はかわりに「カフェ・ラテ」を頼んだのですが、女房はどうしてもホット・チョコレートを飲みたかったからと、そのウエイトレスの言う「普通のホット・チョコレート」を注文しました。

ちなみに、この「ホット・チョコレート」、僕の子供時代には「ココア」と言ったのですが、いつからか日本でも「ホットチョコレート」と言うようになったようです。 (武田君が日本でもココアと注文しても、ウエイトレスがホットチョコレートかと聞き返すと教えてくれました)
じつはオーストラリアでも昔はココア(コウコウと英語発音では言う)と言っていたのです。 なぜホット・チョコレートに変わっていったのか不思議です。

いや、書きたいことはそんな事ではなく、この店の「逸品」である「スパニッシュ(スペイン風)ホット・チョコレート」だった。
この店のはコクがあるのにしつこくない。 つまりキレがあるのです。
じつはある時この店の秘密であるこのスペイン風ホットチョコレートの作り方を教えてもらったのです。

何とそれは「コーン・フラワー」を使うのです。 「コーン・フラワー」は日本で言うところの「片栗粉」に近いものです。
それを使う事により、多少のトロミが生じ、コクを増すのです。 
つまりこのコクをココアだけで出そうとすると、非常にしつこくなってしまう。
ましてや最近のホット・チョコレートの粉末には砂糖も入っていますので、ちょうど良い甘さを作るのには決まった量がある。
で、ちょうど良い甘さのを作ると、今度はサラっとしすぎて、ホットチョコレートというコクが出ない。

最初のウエートレスとの会話に戻ります。 「普通のはあるがスペイン風は品切れ」という言葉に引っかかっていました。
それでは普通用の粉末とスペイン風は違うのを使うのだろうか?
しつこい僕はラテを飲みながらチュロスを運んできたそのウエイトレスに聞きました。 「普通のが出来るのに、今日はスペイン風は品切れって、良く分からない。 粉が違うのか?」
ウエイトレスはちょっと困っていました。 で、「普通のしか出来ないんなら、それにコーンフラワー入れればいいじゃない」。

そこまで言うと、なんだこのお客「秘密」を知ってるんだと悟っとたようです。
「ごめんなさい、実はコーンフラワーを切らしちゃってたのです。 でもそんな事は店の秘密に繋がるから言えなかったから、、、、」
そんな事なら僕が近所の店で「コーンフラワー」買ってきたのにと、後の祭りでした。

もしココアが好きならこの「スペイン風」是非是非試してください。
日本でもネッスルあたりで粉は売っていると思います。
で、自分で作る時にもっとも注意しなければならない事は、ミルクは沸騰させたくない、コーンフラワーは沸騰させないと充分なトロミが出ないと言う相反する事です。
その按配をうまくやると、格別のホットチョコレートが出来上がります。

あ、でも今日本は真夏でした。 まったく季節に合わないでしょうな〜。
真冬のシドニーではこのアツアツのスペイン風ホットチョコレート体が温まってこの時季にぴったりなのですが。
そうそう、コーンフラワー(片栗かくずでも良いか)は絶対にミルクが冷えている時に混ぜておいてください。 そうじゃないと変な固まりになってしまいます。


2002年7月30日

5月の末にオヤジが逝ってしまった時に、日本から駆けつけた我が妹がここに数日泊まっていました。
妹が初めてオーストラリアに来たのは今から14年も前の事です。
それ以来一度も訪れるチャンスが無く、今回も慌しく葬式を済ませると翌日には日本に帰って行きました。

今回の滞在中に我が家で朝ご飯を皆で取っていると、昔食べた「ベーグル」がまた食べたいと妹が言い出したのです。
(ベーグルはドーナツのように丸いパンです。)
妹曰く、日本でもベーグルは随分普及してきたけど、昔シドニーで食べたのほど美味しいのは日本でもまだ見つけられないそうです。
その「言葉」にすっかり忘れていたお店を思い出しました。

今日はその「ベーグル」について書きます。
僕が初めてベーグルを食べたのは今から30年近くも前、ロンドンに住み始めた1970年代です。

当時僕は仕事と趣味を兼ねて、週末はいつも早朝からロンドンの「蚤の市」回りをしていました。
その数ある「蚤の市」の中で、「ブリック・レーン」というユダヤ人が多く住むところに、焼きたてのベーグルを売る店はありました。 
蚤の市を回った後、そこでアツアツのベーグルを買って家に戻り、紅茶とベーグルの朝食を大いに楽しんだものです。
蚤の市回りはまだ暗いうちから出掛けていたので、交通の混雑していたロンドンでも比較的早く家路にたどり着けたので、家に帰ってもまだ焼きたてのベーグルの香りがムンムンしていたものです。
それにしても焼きたてのパンの匂いって何であんなに食欲をそそるのか。

その後ロンドンに住みながらニューヨークにも仕事で何度か行くようになり、アメリカ風のベーグルにも出会うのですが、やはりその「ブリックレーン」の焼きたてのベーグルにかなう物には出会えませんでした。
1970年代の後半に入るとニューヨークでもベーグルがファッションとして人気が出始めます。
ベーグルバーというように、いろいろなベーグルを使ってサンドイッチにして出したり。
しかしニューヨークのはかなり複雑な製法のもあるのですが、何か違うんですよね。

 
僕がとても気に入ってしまったブリック・レーンのベーグルは、ミルクもバターも使わずに作る素朴なもので、だからこそ焼きたてが美味いのです。 
バターもミルクもたっぷり使ってあるフレンチ・クロワッサンとは対極なのですが、作ってから半日も経ってしまうとすっかり味が落ちてしまうのはとても似ています。(グルテン質を多く含む小麦粉を使ったパンの特長の一つなのでしょう)
美味しい物の思い出の少ないイギリスでしたが、オーストラリアに移って来てからイギリスの味を懐かしむ、数少ない食べ物の一つでした。 
ほんと、このベーグルを除けばイギリスの味は、あとは「ソルト・ビーフ」くらいしか思い浮かばない。(このソルトビーフについても忘れずに書いておかねば)

で、シドニーに移って来てから、とてもそのベーグルを食べたくなって捜したら何と運の良い事に、自分の住むボンダイ・ジャンクションにあったのです。 
その店はマクドナルドの通りを隔てて斜め向かいに有りました。
イースタン・サバーブには多くのユダヤ人が住むので、美味しいベーグルの店があるのは当然なのですが、僕の気に入っていたロンドンはブリックレーンの店に雰囲気(つまり小汚い)までそっくりで、いっぺんに気に入ってしまいました。 

特に大事なのは冷えたら食味が半減してしまうベーグルなので、店が近くないといけません。 そこは歩いても行ける距離なので、週末は必ずと言ってよいほどこのベーグルを堪能していました。 
その頃女房がテレビのクイズ番組でチャンピオンになって、ちょっぴり「有名人」になってしまったのですが、そのクイズ番組がパン屋を経営する老夫婦のお気に入りの番組だったようで、前以上に格別のサービスをしてくれるようになりました。

女房が買いに行くと、すでに作って並べてあるベーグルが有るのに、わざわざ奥へ行って亭主の作っている焼きたての(手に持てないほどアツアツの)が有るとそれをくれたりして、女房より後に来た客は並べてある(冷えてる)方だったり、僕らの気が引けてしまうほどのサービスをしてもらっていました。

ところがある日その店から火事が出てしまうのです。 かなり高齢の夫婦でやっていた店なのですが、亭主が奥でケーキを作っている時に、揚げ油に引火し彼は大やけどを負い、店も半焼してしまったのです。 
怪我は幸い回復したのですが、その老夫婦は「歳」を感じ、隠居してしまったのです。(もうそこには店はありません) 

またあの美味しいベーグルを焼き始めるのを首を長くして待っていた僕には、大いにショックでした。
噂では、彼らの娘が医者で金銭的にも充分引退できる状態であったようなのですが、なんとも残念でした。 
というのはそれ以来随分似た味を捜したのですが、残念ながらいまだに出会っていないからです。 
シドニーでもベーグルはニューヨークっぽいのが主流なのです。

偶然その老夫婦の娘を知っているという知人がいたので、その人を通して、ベーグルの作り方を直伝してもらいたいと、申し出た事もあるのですが、話がうまく伝わらなかったようで、教えてもらう機会はありませんでした。
手元には「ベーグルの作り方」の出ている本もあるのですが、なぜか出来上がりがちょっと違う。
絶対に秘密があるはずです。 

じつは先週の日曜日にもローズベイの方でベーグルを焼いている店を見つけたので早速買ってきましたが、何かちょっと違うのですよね。 結構似ているが塩気がちょっと強いような。

で、この日記の書き出しに有る、我が妹の言う「14年前に食べた美味しいベーグル」を食べさせるのは実現しませんでした。
僕としてもまたあの味に再会したいと思っているのですが、我がオヤジも逝ってしまったように、あの老夫婦も、、、と考えてしまいます。 


2002年7月31日

昨日の新聞のニュースに、シドニー湾内に遊びに来ている鯨の事が出ていました。
シドニーは湾を囲むように街が形成されているので、日本で言う新宿は歌舞伎町のようなキングスクロスと言う場所からでもすぐ裏手に湾が見えるといった按配。

そんな場所に一頭が60トン近くもある鯨3頭が泳ぎ回っているなんて、東京生まれの僕は大いに感激してしまいます。
いかにシドニーは自然が残っているかという象徴のようにも感じて。
前の日記にも書いたように我が家の周りにも、青舌トカゲ(2001年9月17日の日記に出ています)や、ポッサム、コウモリ、ペリカン、オウムなどの数々の鳥類と生息していて、日本の都会育ちの僕には、いまだに驚きがあります。(もうここに住んで22年にもなるのに)

それほど自然が残っていても、東京やロンドンなどの大都会で生活しているのと同じレベルの「シティーライフ」を満喫できる。
またまたシドニー自慢みたいになってしまいそうですが、事実なので。

この鯨たちは南極に移動する途中でちょっと一休みしているとの事、毎年この時期はシドニー沿岸で鯨を見かけることが出来ます。
湾の中まで入ってくることは稀だと思いますが。
マンリーとサーキュラーキーを結ぶ、湾内フェリー(朝夕は通勤の足として便数も結構多い)も鯨にぶつからないように注意して運行しているそうです。
湾内フェリーの通勤客が手を振ると、大きなヒレを上げて挨拶をすると言う冗談(?)まで新聞に出ていましたが、シドニー湾は確かに居心地が良いようで、交尾まで始めているとか。

シドニーの話題を書いたついでに、「シドニーのバス」についても書きます。
最近僕の住んでいる地区(他にも多数のようですが)のバスの運行経路の大幅変更がありました。
今までの便名までなくなってしまった。 大幅変更が行なわれるらしいと聞いた時には、我が母のように普段の足に使っているの者は大いに心配しました。

それでなくとも、1時間に1本くらいしか来ないのにと、気を揉んでいたら、我々にとっては前よりもうんと便利になりました。
便名が365から326に変更になり、今まではエッジクリフ駅からボンダイビーチまでの運行だったのが、ボンダイジャンクションから我が家のそばを通りサーキュラーキー(シティー)まで行くようになったのです。
その上便数も倍に増え日中は1時間に2本は来るようになりました。

我々の場合はラッキーだったのですが、地区によっては非常に不便になった人もいるようで、新聞の投書欄に随分「文句」が出ていたようです。

で、先週我が計理士事務所に年度末の決算報告書の事で(オーストラリアは6月末が年度末)出掛ける時に、この新しい路線を確認する意味で女房と二人で乗ってみました。
今までバスだとシティーはエリザベスストリートにある計理士のところへは、乗換えをしなければならず、電車の方が早かったのです。

バスに乗ってシティーまでなんて、考えてみるともう10年振りでしょうか。
朝10時のに乗ったら、なんと6人しか乗っていません。
途中で数人が乗ってきましたが、これじゃすごい赤字なのではないかと心配になってしまいます。
片道大人一人2ドル60セント。 これが高いか安いかはオーストラリアの物価なども考慮に入れなければなりませんが、こんなに乗客が少ないなら値上げが必要になるはずです。

あまりにも久し振りだったので、まるで観光客のようにバスから景色を見ていました。 いつもは自分で運転しているので、見得ない所が見えてきて、計理士の事務所の真ん前のバス停まで、女房と二人で楽しんでいました。
ところが行きも帰りもバスの車体がすごく古いのに気になって、女房に言ったら、「我々の住む地域(つまり326の路線)は絶対に労働党の勝てない地域だから古〜いのはこちらに回されて、最新型は労働党のお膝元に使ってるのよ」との事。

本当なのか良く分かりませんが、帰りのバスをシティーで待っていたら次から次へと来るほかの路線のバスにはかなり新しいのが多かったので、気になるところではあります。

 


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