2004年6月後半の日記
by tom tanabe マグパイへ戻る
2004年6月16日
僕の今までの人生で、思い出に残るベストアルバムを10枚、いや5枚選べといわれたら、確実に選ぶであろうピンクフロイドの「The
Dark Side of the Moon」。
先日SBSというマルチカルチャーテレビ局でこのアルバム制作当時の思い出を綴った、ドキュメンタリー番組をやっていました。
もう30年も前に発売されたこのアルバム、日本名が「狂気」だと言うのもすっかり忘れていました。
ちなみにこの「狂気」は初期のメンバーで薬乱用で狂人となってしまったシド・バレットを偲んで書かれた曲名から来ています。
この番組を見ながら、イギリスへ僕が移り住む前後の頃の思い出が蘇って来て、懐かしさで一杯でした。
番組を見ていると、このアルバムで初めてピンクフロイドはアメリカでメジャーになったとの説明。
1970年にはすでにピンクフロイドの虜になっていた僕にとって、実はこのアルバムが発表された時には、まあ随分とコマーシャルな部分が前面に強く出たアルバムだと感じた物です。
いえ、別に批判しているわけではなく、その前から彼らのアルバムにしびれていた僕にとって、こんなアルバムを出されたらメジャーになりすぎて僕だけの楽しみが奪われてしまうような気がしたものです。
キングクリムソン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)、イエス 等など当時のプログレ系のバンドの中でも、僕にとってのピンクフロイドはシドバレットのいた「夜明けの口笛吹き」よりも、もう少し後の「神秘」や「ウマグマ」だった。
特に牛(ホルスタイン)の写真がカバーに使われている「原子心母」にはどっぷり浸かってました。
(当時この「夜明けの、、、」は日本で発売になっていなかったのではないかと記憶している。)
ですから「狂気」でかなりポップに振ったのを初めて聴いた時には、僕にとって戸惑いさえ感じたものです。
しかしその戸惑いも、当時の「ドラッグカルチャー」真只中、すっかりハマってしまい、このアルバム発表当時は何度聴いた事か。
もし聞き過ぎてレコードの溝が磨り減るとしたら、確実に僕のこのアルバムは一番最初に磨り減って、針がB面に出てしまうのではないかとさえ思ったものです。
1974年にロンドンに住みに行った僕は何度か彼らのコンサートにも行きました。
一番思い出の深いのは屋外コンサートだったのですが、そこが何処だったか女房も忘れてしまっています。
確かロンドンから北へ車で1時間程走った、田舎の広い野原の中という思い出があります。
そうそう、行く途中でタイヤがパンクしたのですが、すぐに気が付かず時速140キロは出して走り続けていたため、突然凄い振動でビックリ、車を路肩に止めたが、タイヤが熱で焦げ白煙を上げ、あまりの熱さにタイヤ交換もすぐに出来なかった事を思い出しました。
当時は随分と無茶をしていたんですな。
確か当時一緒にADDISON AVENUEの家をシェアーしていた僕の高校時代からの友人と彼女も同乗していた筈です。
当時の記憶が蘇って来ました。
コンサート自体はあまりにも広い原っぱで音響設備が場所にマッチしていなかったせいか、音的にはそれほどの迫力を感じなかったとおぼえています。
やはり彼らの曲は「レインボウシアター」あたりで聴きたかったですな。 このSBSの番組を見た後、すっかり当時の思い出に浸っておりました。
ちなみにこの「狂気」、ビルボード誌の全米ポップチャート、アルバム部門のベスト100に、連続725週チャート・インという驚くべき記録は、たぶん永遠に破られることはないでしょう。
なんと14年近く売れ続けたことになるのです!
2004年6月17日
呼び鈴が鳴って、インターコムで答えても返事がないので出てみると日本人の女性二人が門の所に立っている。
即、宗教関係の方だとは察したのだが一応「はい、何でしょうか」と僕。
案の定「突然お伺いいたしまして、失礼します、、、、」と例によって切り出すので、「あ、宗教関係の方ですか? すみません僕は宗教には興味有りませんので」と答える。
その二人の女性のうち年上に見える方が、「宗教に興味がない? 宗教を信じないということですか?」とすかさず聞いてくる。
「すみません、興味ないもので。 ご苦労様です」と、僕はなおも喋り続けようとする彼女を無視して家の中へ。
いや〜、かなり熱心ですよね。 いったい一年に何度あの宗教の方達は我が家に「日本人」を送ってくるのだろうか。
だいたい我が家の事をどうやって調べているのか。 多分シドニーの電話番号の中から日本名らしいのを選択して、訪問されるのでしょうが、その作業だけでもかなり大変なのではと。
ご苦労様な事です。 あれほどのエネルギーは他に向けたら良いのにと考えてしまいます。
さて話は変わって、
「Tim
Berners-Lee 」と言う名前を聞いたことがありますか?
実は僕も良く知らなかった。
彼こそがWWW(World Wide Web)を作った人なのだそうです。
WWWはインターネット上でホームページを閲覧する仕組みです。
ですから、彼は「インターネットの父」といっても過言ではない。
先日、その偉大なる彼の業績に対して、フィンランドの第一回ミレニアム・テクノロジー・プライズが贈られ、120万米ドルの賞金が授与されました。
では、なぜそれほどの人が、著名ではないのか。
その理由こそが、彼の創造したWWWが現在世界中で使われている理由でもあるのです。
つまり彼は、自分の研究を広く一般に公開し、彼の作り上げたシステムに対して一切を無料にしたのです。
彼自身も受賞の席で言っているように、もし彼がライセンス料等を要求していたら、現在のように彼のWWWが世界中に広まらなかっただろうし、多くの他の小規模のWEB形式が乱立していたでしょうな。
そして乱立していたら、今ほどの発展を望めなかった事は明白ですから。
彼が1989年にWEBの研究を始めたのですが、それは正式なプロジェクトとしてではなかった。(つまり仕事として任された研究ではなかった)
しかし独自に研究を重ね、HTTP(hypertext transfer protocol
)を完成させ、1990年にその最初のブラウザを作ったのです。
昨年には「Knight(ナイト)」の称号を与えられたイギリス出身のこの教授は非常に謙虚な人らしい。
あまり表に出ることなく、また彼の当時の同僚達のようにその研究の成果によって「富」を得る事からも距離をおいているそうです。
「現在も完成させなければならない事や、新たな開発が、山のようにあります。 それらの研究を阻害する物が有るとしたら、それは我々のイマジネーションの問題です。 今学校や大学で勉強している人たちにとって最も大切な事は、”今”を認識する事です」そう語る教授は自分の研究については非常に謙虚に「すでに存在したテクノロジーを寄せ集めて作っただけのものだ」なんておっしゃているらしい。
授賞式で、彼を選んだ選考委員長は、「彼がWWW
(World Wide Web)の父
である事には間違いない。 もしそれに疑いを抱く人間がいるとしたらそれは教授自身なのではないか」とこの教授の謙虚さを表現しています。
現在彼はMIT(マサチューセッツ工科大学)でWorld Wide Web
コンソーシアムの仕事に就かれているそうです。
こういう研究者って、僕が昔の日記に書いたLINUXシステムの中のSAMBA開発者(オーストラリア人)と共通性が有りますね。
金にしようと思ったらいくらでもチャンスが有るのに、全く無頓着。
自分の好きな研究の成果を世の中の多くの人が使ってくれたら良いというような、純粋な学者タイプというのか。
「ジョージ・ソロス」のように、デリバティブの魔術師なんて呼ばれ、ただただ「金を転がす」事で世界有数の億万長者になる人間もいれば、このように技術の発達、しいては世の中の発展のためには、無料で公開するというタイプ、世の中には色んな考え方が有るものですが、やはり僕が尊敬するのは後者の方ですな。
2004年6月18日
昨晩は女房の親友(大学時代からの同窓)「メグちゃん」と4人で(女房、及び我が母)ギリシャ料理へ行ってきました。
レストランの名前は「PERAMA」、ピーターシャムというシドニー中心地から車で30分ほどの所に有ります。
この地域はポルトガル料理を食べさせる店が多いので、何度か来た事が有ります。 特にポルトガル風ローストチキンでは間違いなくシドニーで一番美味いと言われる、「Portuguese
Charcoal Chicken
(その飯の名前でしょ)」もここにあります。
多分ポルトガル風にこだわらず、ここのローストチキンの味はシドニー5指に確実に入ります。
店の奥は小さなレストランになっているけれど、テイクアウェイでロースと・チキンを買いに来る人の行列がいつも出来ています。
値段も超良心的、我が家にお掃除に来てくれるポルトガル人のオバサン「ファティマ」お墨付きの店です。
さて昨晩のギリシャ料理店「PERAMA」、シドニーモーニングヘラルド紙等のグルメ紹介記事に何度も登場していて、前から噂は聞いていたのですがなかなか、行くチャンスがなかった。
とにかくいつも満員のようで、予約無しで行っても入れない、実は昨晩も数日前に電話を入れたら、やはり満席と言われた。
がっかりしていたら、6時から入って7時45分までに出てくれれば四名の席が一つ有るとの事。
僕のように酒を飲まない人間には、ゆっくりワインを飲みながらという食事でなくとも一向に構わないので、即テーブルを取ってもらった。
僕のイメージの中にはギリシャ料理というのはあまり「美味い」印象がない。 ロンドンに住んでいた当時、随分と仲の良かった友人の中にギリシャ人も何人かいたので、一緒にロンドンのギリシャ料理は何度かトライした経験はあります。
またその友人を訪ねて、当時生まれたばかりの娘を連れてアテネにも出かけ、本場ギリシャ料理も色々試したのですが、ほとんど記憶にないのですな。
で、昨晩もそれほど期待していたわけではなかったけど、いや〜大繁盛している理由がわかりました。
前菜もメインコースもかなり洗練されていてハイレベル、4人でそれぞれ違う料理にチャレンジしたのですが、非常に手の込んだ料理で、納得しました。
まず前菜はMEZE、タラモサラタやフィローペイストリー系の御馴染みギリシャ料理の前菜盛り合わせ、ミックスディッシュです。
約9種類、それぞれが非常にソフィスティケートされて美味。
次にメインコース。
母はラム・シャンク(骨付きラム肉を長時間煮込んだ料理、これはメニューにはなく昨晩のスペシャルらしい) メグはポークチョップ(これまた骨付き)。 女房はこの店のシグネチャー料理といわれているラムのロースト(Lamb Skaras)。 そして僕はビーフとポークの合挽き肉のミートボールのバーベキュー(いわばギリシャ風ハンバーグか)。
まず母のオーダーしたラム・シャンク、長時間煮込んであるために、とろけるほどの柔らかさ。 入れ歯の母も大喜び。
この料理と、女房のオーダーしたラム・ローストが甲乙つけがたいベストな料理でした。
何しろ6時間もかけたラムのスロー・ロースト、美味くないわけが有りません。
ちなみに今まで僕が食べたラムの料理で最高に美味しかったのは、友人のパーティーで出された、仔羊丸ごと一頭を巨大な櫛に刺し、炭火でゆっくり半日かけて(ぐるぐる回しながら)バーベキューした料理。
塩コショウだけでもとろけるほど美味かった記憶があります。
やはりスロー・ローストってのはラムの肉には似合うようです。
値段的にもそれほど高くなく(前菜10ドル前後、メインディッシュは20〜25ドル)、ギリシャ料理店としては初めて「もう一度戻って来たい」と思わせてくれました。
ただし、デザート系は期待したほどではなかったです。
デザートとしては、結構な値段を取るほどの味ではなかったと思います。
まあ前菜やメインコースですっかり堪能していたので、僕のオーダーしたフィローペイストリー系はちょっとしつこかったです。
最近は外食というとどうも東南アジア系(タイ、ベトナム、チャイニーズも含むが)が多く、いつも行く所は決まってしまっているので、この日記にワザワザ書くほどの事でもなかったのですが、昨晩のギリシャレストランは超お勧めですな。
詳細はこのレストランのホームページ↓でどうぞ。
http://www.perama.com.au/
2004年6月21日
最近歳のせいか「妙な時間」に目が覚めてしまうことが多い。
朝4時半なんて時間に目が覚めてしまうと、そのまま起きてしまうのは一日がしんどくなるし、さりとてもう一度寝ようとしてもまず無理。
しょうがないので枕元に置いてある古いノートPCを起動させて、メールをチェックしたり、ネットサーフィンをする事になる。
で、確実にその日は一日が長く感じて、夕食を摂った後はもう眠くなってしまう。
えらく早い時間に寝てしまうので、またまた朝早くというよりも夜中に起きてしまうという悪循環。 しかし、これは健康な証拠なのかもしれない。
というのも、土曜日も夕食後またまた早く眠くなったのでそのまま寝たら翌朝7時半までぐっすり寝てしまった。
何でこんなに長く眠る事が出来たのだろうと不思議に思っていたら、またまた風邪を引いていたんですね。
ブリスベンから帰ってきて、随分長く風邪で調子を崩し、しかしそれを無視して寒い風が吹く屋外でアーチェリーの練習をしていたためにすっかりこじらせてしまい、抗生物質も最初の一週間分は効かず、抗生剤の種類を変えて2週目が終わった時点で何とか回復した。
しかし、どうやら肺の中にその菌がすっかり定着してしまったのか今回もまた痰を伴ったセキが始まってしまった。
熱はなく、ちょっとだるいのと腰が痛くなる程度。
そうそう、歳をとるとちょっと体の具合が悪くなっても、まず「腰」に来ますな。 何でだろう。
さて、本日は他の事を書こうと思っていたのですが、昨日のアメリカF−1グランプリ、ついにと言うか、やっとと言うか佐藤琢磨選手お立ち台の一角に立ってくれました。
日本人がF−1のお立ち台に上るのは、1990年の鈴木亜久里選手以来14年振り、日本としては二人目です。
いや〜、オメデトウございます
特に今回は、タナボタの3位ではなく、彼の実力で自らもぎ取った3位でした。
いまやほとんどレース中にオーバーテイク(抜く)シーンが見られないF-1で、今回は何台彼は抜いた事か。
ティームBARの作戦の大ミスで、本当だったら5位か6位でフィニッシュしててもおかしくないはずだったのですが、彼の攻撃的な走りでついに彼にとって初めての3位入賞を果たしました。
もしティームがまともに2回目のセーフティーカー導入の時点で、ピットインさせていれば(ほとんどのティームがピットイン、当たり前の事なのです)2位、いやひょっとしたら優勝していたかもしれないのです。
昨日のレースを見ながら何が嬉しかったって、イギリスの解説者が「今F−1で最もアグレッシブ(攻撃的)な走りを見せているのは佐藤選手」だと言っていた事。
今までこういうタイプの日本人ドライバー少なかったでしょ、それを聞いた時には嬉しくなったですよマジで。
日本人って日本国内ではかなりアグレッシブな走りをする選手でも外国に出ると萎縮してしまうのか、習慣の違い言葉の違いに多少の遠慮が出てくるのか、非常におとなしい走りになってしまう事が多いです。
ただしバイクのレースでは大分事情が変わって来て、日本人の選手の中でもエキサイティングな走りを見せてくれるライダーは増えてはいますが。
F-1の世界でもモントーヤをはじめ攻撃的な選手って僕は大好き。
そういう意味でも彼のティームBARが(まあ主にボスのデイビッド・リチャーズだと思うが)佐藤選手に不満で「うかうかしてたら来期のシートは無いぞ」みたいな事をちらちら言っているみたいですが、僕にとっては非常に不愉快ですな。
だいたいティームメートのジェンソン・バトンよりも結果が残せていないと言われても、エンジンブロー等のほかの要因が多いでしょ。
特に今回のように、ティームの大ポカ(セーフティー・カーでピットに入れなかった)ででも彼の攻撃的な走りがあったからこそ3位を取れたのですから、もうすこし経験を積んだティームになってから佐藤選手の走りを批判すべき。(ピットストップで作業が遅いのも有名だし)
シロートが見てても「????な作戦」で、テレビ解説者(マーティン・ブランドル)も「何で、佐藤をピットに入れなかったのだろう」と何度も不思議がっておりました。
来年佐藤選手にシート用意されないのなら、ホンダはBARにエンジン供給止めるべし。
せっかく日本人には珍しいアグレッシブな走りを見せる選手が出てきたのに、今年で終わりなんて言われたら、大ショックですな。
とりあえず今後(今年も早半分が消化されましたね、早いもんだ)の残りのレースで真中に立つ日が来るのを祈っております。
追記。 いよいよマイクロソフト社がF-1のスポンサーになるらしい。
それもスポンサー先がトヨタだとか。 う〜ん、トヨタを選んだってのも、いかにもMS社らしいと感じさせてくれます。
多分、随分と多くのモータースポーツ関係者があの強大なマイクロソフト社の金(スポンサーマネー)を引き出そうと動いてきた事だと思うが、何の風の吹き回しかトヨタのF−1。
確かに今回のUSーGP見てたら、大変な観客数ですよね。 たしか20万人超えていたみたい。 20万人ですよ!
米国ではF−1の人気はイマイチと言われていたのが、将来はUS−GPは年間2戦を見据えているらしい(昔にも2戦時代はあったが)。
マイクロソフト社が支払うスポンサーマネーは4000万ドル(44億円)程らしい。
別にビックリするほどの額ではないと思うが(MS社の規模から考えたら)この金がラルフ・シュウマッハーへの支払いにかなり消えてしまうような気が。
そういう意味でもTOYOTAさん、やはり「なめられて」ると思いますよ。
なめられていると言うよりも、「金ばら撒かせられる」もしくは「せしめられる」って感じかな全てにおいて。
ラルフ・シュウマッハーにはそれほど高額の給料払う価値は無いって、現在の雇い主ウイリアムスはとっくに見抜いてるわけで、高額を要求し続けているラルフはF-1ドライバーの報酬ってのを兄貴(マイケル)の給料袋見て、なんか勘違いしてるんではないかと。
来年度からウイリアムスに移籍が(ほぼ)決まったマーク・ウエバーの方がよっぽど価値有るのに、たった300万ドルですよ、ウイリアムスが払うのは。
トヨタは大金積んでマークウエバーを取りたかったらしいけど、マネージャー(ブリアトーレ)の勧めにも固辞してウイリアムスへ行くらしい。
まあ今の情勢なら当然といえば当然だけど、もう少し(ウエバーに)払ってやって欲しいと思うほど。
トヨタにはラルフが来ても、もう一人は若手を起用して欲しいですな。
若手を起用しないのはティームに自信が無いから。
アロンソやライコネンの例を見れば、若手を起用した方がよっぽど道が開けると思いますけどね。
ライアン・ブリスコーもこのままだと飼い殺しになってしまいますな。
2004年6月22日
歳のせいか、風邪気味のためなのか、シドニーの朝夕は非常に寒く感じる今日この頃です。
相変わらず、雨は降らず良いお天気が続いているので日中はとてもポカポカと暖かく、心地良い日が続いているのですが、日が落ちると摂氏10度を切る日も結構有るのではないか。
この時期オーストラリアに旅行に来られる方は非常に寒く感じるでしょうな。 来週にも母の友人が娘さんとシドニーに遊びにいらっしゃるとの連絡が入ったが、オーストラリアが真冬だとご存知なのだろうかと少々心配になってしまいます。
7月に水着持ってシドニーに遊びに来た友人が昔いました。 寒いよ、シドニーは冬だよって言ったのにもかかわらず、「7月8月が冬」なんて信じられなかったのでしょうか。
さて、昨日の日記にマイクロソフト社がF−1のスポンサーになると書きました。
そのマイクロソフト社が将来にアンチウイルスソフトを開発して販売する計画があるのだそうです。
ウインドウズなどのオペレーションソフトが高いといつも文句を言っている僕ですが、考えてみるとそれらは一旦購入したらずっと使い続けられる(サポートは終了したとしても)のですが、アンチウイルスソフトと言うのは、いつもいつも新しいウイルスが出現するために、常にアップデートが必要で、しかしそれができるのは使用期限内(普通は購入後1年)に限られますよね。(最新のウイルス定義を取得していないアンチウイルスソフトなんて効力ほとんどありませんから)
OEM版を購入すればそれほど高くないとは言え、我が家には何台かPCが有って、それぞれに毎年毎年使用料を払ったり、また新しいのに乗り換えたりする度に金を払うわけで、結局オペレーションソフトよりも出費をさせられているのではないかと。
穴の多いオペレーションソフトのお陰で、ウイルスだけでなくハッキング等の対象にも簡単になってしまうわけで、もともとアンチウイルス等のプログラムはマイクロソフト社が責任を持って開発し、オペレーションソフトに含めるべきではないかと考えていたのです。
やっとと言うか、ファイヤーウォールも含め、マイクロソフト社が動き出したようで、これでノートン(シマンテック社)等の他のメーカーも新たな競争相手の出現で、料金的にももっと低額になってくれれば嬉しいんですけどね。
今のところ一応我が家のPCは全てアンチウイルスソフトは導入しているけれど、ファイヤーウォール等のセキュリティーソフトは常時起動している僕のメイン機だけでした。 (ノートン・インターネット・セキュリティー使用)
と言うのも、我が家には無線LAN導入に伴ってブロードバンド用のルータを使っているので、ルター超えの侵入はほとんど無いと高をくくっていた。
ところが最近有るんですねこれが。 一週間に一度くらいだがノートンが「PCへのアクセスをブロックしました。 IPアドレスは何々」という警告を出すようになった。
で、僕も興味を持ってそのアドレスへこちらからアクセスしてみると、なんか聞いた事も無い韓国の会社のIPアドレスだったり、はたまたアクセス拒否されて何処の誰だかわからない場合も多いです。
で、僕のPCではノートン(インターネットセキュリティー)がよそからの侵入行為は「はじいて」くれるので心配ないのですが、ふと女房のPCも結構常時起動してる事が多いのに気が付いた。
で、ノートンをワザワザ買うのも馬鹿らしいので、フリーソフトを使用してみました。
名前は「Zone Alarm(Zone Labs 社)」です。
Zone Alarm Pro というのは有料ですが、ただのZone Alarmは個人使用に限ってフリー(無料)です。
この会社のホームページから女房のPCへダウンロードし、インスト−ルもあっという間に終わりました。
これでウインドウズXPのよりも上等なファイヤーウォールで、安全な環境を手に入れることが出来たのですが、考えてみるとこのような良くできたソフトが無料で手に入る時代なのだから、マイクロソフト社は無料でこのようなソフトを最初から提供しているべきではないかと。
僕の使用しているウインドウズ2000には全くそのようなソフトが入っていません。
ユーザーに自分の安全は自分で何とかしろと言う事なんでしょうが、これを車に置き換えてみると面白い。
いまや車はエアーバッグやまたエンジン・イモビライザー等の盗難予防装置がついて来ますよね。
自分の安全は自分でとエアーバッグをユーザーが車購入後に自分で装備する時代ではないでしょ。
つまり車の場合は多くのメーカーが有り、競争原理が働くから、より安全な装備を施された車が手に入る。
ところがコンピューターの場合ほぼウインドウズが独占状態だから、ユーザーに負担をかけるような事が起きてるわけです。
少なくともオペレーションソフトを金を取って販売している以上、無料のセキュリティーシステムはマイクロソフト社の責任だと思うのですがね。
やはりマイクロソフト社のアンチウイルスが出ても、しっかり金を取るんでしょうな。
金を取るのなら少なくとも購入時だけで、後のアップデートはウインドウズのようにずっと無料にしてもらいたいものです。
2004年6月23日
本日は、風邪気味で咳が止まらず、リバプールへの練習も取り止めて、家でおとなしくしておりました。 熱もないのでそれほどきつくはないのですが、寒風の野原で立ちっぱなしで弓を射っていると、確実に風邪こじらせちゃうでしょうな。 射る時には結構薄着ですから。
アーチェリーでは寒いからといってあまりにも厚着をすると、引いた弦が服の胸の部分に当って(まあ人によって射り方が違うが)こすれてしまい、非常に安定しません。
さて、
オーストラリアでは動物愛護運動が盛んです。
愛護団体はいくつか有るのですが、一番過激なのは「Animal
Liberation」動物解放運動とでも言いましょうか。
彼らは一時期、「鯛の生き造り」や、「活イセエビの鉄板焼き」なんてのを槍玉に挙げていました。
で、この州では「犬の尻尾を切る」のも禁止になっているそうです。
例えば、ドーベルマンという犬は番犬(ガードドッグで)として御馴染みですよね。
締まった体に、三角形のピンととがった耳、短い尻尾。 しかし本当は尻尾は長く、耳も垂れているが、子犬の時に尻尾も耳も切ってしまってああいう形にするんですね。
我が家でたまに預かる友人の「シュナウザー」という種類の犬も、尻尾は当然のごとく短くカットしてあります。
つまり自然の姿ではないが、ある意味ステレオタイプというか、その昔誰かが「これが格好良い」とやり始めたら、すっかり定着して、尻尾を切り落とすのが当たり前になってしまっている。
これは人間のエゴであるのも確かで、動物愛護団体の圧力でそのような整形は許されなくなってしまったのです。
さて、そんな動物愛護の影響の強い国ですので、たまにはそういう団体の行動が、行き過ぎではないかと疑問に思う事も有るのですがしかし、一昨晩やっていたABCテレビ局(日本のNHKのような存在)の「フォーコーナーズ(Four
Corners)」という番組見てたら、さすがの僕もタマゴ(鶏卵)について考えさせられてしまいました。
戦後最も価格が安定している食品は鶏卵と言われていますが、それは巨大な養鶏場で狭い檻に入れられた鶏達がせっせとタマゴを産むから。つまり極端な大量生産で価格が安定しているから。
しかし昨晩のドキュメンタリー番組で「動物解放運動」の人達が撮影したその鶏たちの悲惨な状況を見せられて、今後僕はできる限りフリーレンジの鶏の産んだ卵にしようと考えていました。
番組の中で出てくる鶏の中には、まさに見るに耐えられないほど傷ついた(精神的にも)が続々と登場し、その番組を一緒に見ていた我が娘などはその目を覆うようなシーンに「悲鳴」を上げておりました。
やはりあのような状況で産んだ卵というのは、美味しくないと言われたら納得してしまいそうです。
昔の日記にも書いたように、最近はできる限りダーリングハーバーのカジノの前で開かれている生産者市で購入する「ハッピー・チュックス」という養鶏場の鶏卵を買うことにしています。
これが確かに非常に美味!。 スーパーで買う鶏卵とは全然違うんですよね。 「殻の硬さ」、「黄身の立ち方」もう、全てが全然違う。
オーストラリアのスーパーでは非常に多くの種類の鶏卵が売られていますが、その味の差がほとんど感じられない。
つまりスーパーでもフリーレンジ(放し飼いと称する?)の鶏卵が他のよりも2倍ほど高く販売されていますが、昨日の番組見ると「フリーレンジ」と販売されている事自体、非常に疑わしく感じてしまい、だからこそ2倍の値段を取るくせに、味に違いが無いのではないかと。
そうそう、卵の味といえば、我が女房と娘は日本の「カステラ」が大好物でした。 「でした」と過去形で書くのは、実は最近の日本のカステラは「魚臭くて」嫌だと言うのです。
つまり女房に言わせると、日本では高級なカステラほど良い卵を使おうとするのかもしれない。
そのこと自体悪い事ではない。 しかし、良い鶏卵は高価な飼料が使われる。 高い飼料には魚の粉末が混ぜられている。
で、卵が魚臭くなる。 ところが魚をしょっちゅう食べている日本人には卵の魚臭さに気がつかない。 ←これはあくまでも女房の魚臭さの推理ですが。
で、その話を聞いていた娘が横から、高校時代学校にカステラを持って行って食べようとしたら級達からその匂いで「フィッシュケーキか?」と言われたそうです。
「鶏卵が魚臭い、魚の粉末(鰯とか?)が鶏の飼料に混ぜてある」
↑この辺は僕自身が調べたわけではないから確証は無いが、可能性は有ると思います。
というのも皆さんは「コーンフェッド・チキン」というのを聞いたことがありますか?
鶏に与える飼料として毎日「とうもろこし」をやって育てたチキンの事なのですが、これが見事に肉の色まで「真っ黄色」なんですよね。
コーンフェッドのチキンはその独特な風味で美味しいと言われているが、毎日食べる物であれほど色が変わってしまうというのも何となく不気味。ですから魚臭いというのもあながち単なる想像ではないかもしれません。
そう考えると、我々が食べる鶏卵でもどんな飼料が使われているのかというのも大事だが、どのような状態で鶏が飼われているのかというのも、非常に気になるところではあります。
結局はそれを食べる自分達に跳ね返ってくるのですから。
2004年6月24日
先日の日記に書いた映画「Super Size Me」、多分日本では話題にもならないでしょうが、オーストラリアや本国アメリカでは、ファーストフード業界に与えたインパクトは非常に多かったようです。
僕は、映画を見終わった後、マクドナルドのような巨大企業はその豊富な資金力で有能な弁護士をどっさり雇い、訴訟に持ち込んでこの映画を潰そうとするのではないかとさえ僕は考えた。
しかしこの映画の内容は、「ドキュメンタリー」、ほとんど嘘や誇張が無いためにどうする事も出来ないのでしょう。
そこでマクドナルドは即座にこの映画への対抗処置的なテレビコマーシャルを流し始めました。
テレビコマーシャルの内容は、スーツを着た男性が登場し画面(視聴者)に向かって「毎日朝昼晩とマックを食べ続けると調子を崩すなんて当然の事です(We could have told him)」とあっさり認めちゃってるんですね。いや、認めちゃってるというよりも、「毎日毎日、30日間も朝昼晩とマックを食べる方が異常でしょ」っていうニュアンスなのですが。
確かにこの映画の事を話すと、そんな馬鹿なことは普通誰もやらないから、ファーストフードを槍玉に挙げるために誇張して制作されていると考える人も多い。
しかし考えてみると、マックは毎日食べないまでも、同類食を食べているなんて結構やっている人は多いと思います。
つまり、結果としてファーストフードは毎日のように食べているという事。
僕がニューヨークにアパートを借りていた頃(1970年代の後半)、ロンドンからニューヨークへ長期出張に出掛けて、自炊する時間も無かったから、手っ取り早く、タイムズスクエァーに有ったファーストフードの殿堂みたいな所で、マックに飽きたらケンタッキーを食べたり、ピザだったり、タコスにしたり、週に半分はファーストフードのお世話になっていたものです。
若かったし、今よりも(当時の他の食品と比較して)美味く感じたし。
で、何が一番問題かと言うと、こういうファーストフード独特の食習慣なんですよね。 つまりファーストフードというのは必ず抱き合わせでソフトドリンクが付き、また高カロリーのポテトチップスが付き、その上「お得感」を強調するために(特に米国では)異常なまでにサイズを大きくするでしょ。
で、子供の時から毎日のように、このようなスタイルで食べていると、それが当たり前になってしまう。
例えば日本人で言ったら、寿司食べてもコーラを飲みながらだったりって事が起きてくる。 つまり実は本当に怖いのは、その主役のハンバーガーではなく(サイズはともかく)高カロリーのソフトドリンクとチップスなんですよね。
特にソフトドリンクには大量の糖分が入っているし、油で揚げたポテトチップスは言うまでも無く高カロリーでしょ。
販売する方にとってもソフトドリンクというのが一番利益率が良い、つまり儲かるということ。
で、子供の時からそれを頻繁に食べていると一種の中毒症状(血糖値が引き金としての)が出るのですね。
最近に発行された雑誌「タイム」でも肥満の事が表紙に取り上げられているように、この映画は非常に影響力が大きいと思うのですが、実はこの映画を見て再考を促されるべき人間というのが結構無視してたりするんですよね。
つまりハリウッド製の娯楽映画ではないから大ヒットになるような映画ではないし。
オーストラリアでもこういう問題に憂慮をしている人達にはかなりの話題になっているけど、僕が弓の練習に行くリバプール(シドニー郊外)あたりへ行くと「そんな映画聞いた事も無い」って反応でした。
最近のマックの宣伝を見ていると、彼らも変わらざるを得ないととっくに承知はしているようで、それはある意味進展でもあるようです。
何しろ1950〜60年代のタバコの宣伝なんて、タバコは健康に悪いなんていう指摘には真っ向から反論し、フィルター付きのタバコが販売されたら確か100人以上の米国の医者がタバコの宣伝に名を連ね、「フィルター付きのタバコは決して健康を損ねません」なんて堂々と発表していました。
今考えてみると恐ろしいほどの「プロパガンダ」というか、「無知」がまかり通る時代だったんですよね。
タバコで言えば、相変わらず日本ではタバコを吸う医者はいるは、病院に喫煙所が設置してあったりで、その辺の意識はまだまだ1950〜60年代なのかもしれませんな。
オーストラリアのマクドナルドに話を限ると、郊外の店には小さな遊園地のように設計された所が多く、マックは食べたくなくとも遊びに行きたいという子供心を捉え、その上「誕生日パーティー」用の特別メニュー等を用意しているので、いわば生活の一部になってしまっているんですよね。
幼児を持った親にもマックへ行けば楽だし安いし、本当に手軽なわけです。 そういう環境で育った子供達が親の時代になれば、(もうとっくにそういう時代が来ているわけですが)またその子供たちを連れてマックへ出かけるという行為に何の疑問も抱かないのは当然でしょう。
2004年6月25日
僕のPCの知識など全くたいした事はないのだが、「好きこそもののなんとか、、」と言うように、多少のトラブルは自分で解決できるようにはなっています。
で、友人の「T さん」というオーストラリア在住の日本人で、60才代半ばの人にすっかり頼られてしまっています。
彼はオーストラリアで一人暮らし、好きなゴルフ三昧の素晴らしいリタイヤーライフをエンジョウイされています。
彼が何年か前にPCを買ってインターネットをしたいと言われた時に僕が相談に乗って一緒に機種を選んだりしたので、それ以来何か事有るごとに彼から電話がかかります。
そう、僕はTさんの「サポートセンター」通称「サポセン」になってしまっています。
ところが僕は性格的に全くサポセンに向かないのです。
とにかく「心おおらか」に「辛抱強く」相手の問題を電話で聞いてあげて、問題解決のために指示を出してあげるのが、本当に苦手なのです。
彼が高齢ということもあるのですが、とんでもない問題で電話をして来て、それに対して指示を出していても、またその指示さえも聞き間違えて、もっとおかしくしてしまうなんてこともあるわけです。
気の短い僕は、彼の家が比較的近いこともあるので、すぐに出張ということになります。
先日も彼から電話があり「田邉さんまたコンピュータがーおかしくなってしまって」とかかってきました。
僕、「どうしました」
Tさん、「画面の下のほうに色んなのが出ているのが有るよね」
僕、「あ、タスクバーですか?」
Tさん、「う〜ん、そういう名前なのかな?」
僕、「で、それがどうしました?」
Tさん、「それがね〜、なぜかみんな右端に行ってしまったんですよ。 どうしてこんなことになってしまったんだろう」
僕、「Tさん!!!その問題はもうこれで4回目ですよ!!!」
Tさん、「え〜???そうだっけ??おぼえてないな〜。 でどうやったら治りますか?」
僕、「右に行ってしまったのは、いつも僕がTさんに言っているように、常にマウスのボタンを無意識のうちに押したままにして、必要も無いのにぐるぐる動かしているからです。 ですから知らないうちにタスクバーが右側に移動してしまったのです。 ではまず、その右に行ってしまったタスクバーの何も無いところにまずマウスのカーソルを当ててください。」
Tさん、「はいやりました」
僕、「そこから左クリックボタンを押したままにして、ず〜っと下の方に引っ張ってきてください。 治りましたか?」
Tさん、「いえ何も起きません」
僕、「最初にカーソルを当てたのはどこですか?」
Tさん、「スタートと書いてある所です」
僕、「いえスタートのところではないです。 スタートのボタンの下は何になっていますか?」
Tさん、「インターネットエクスプローラーとかアウトルックエクスプレスの小さなマークがあります」
僕、「そこからずーっと下のほうは何がありますか?」
Tさん、「時計が有ります」
僕、「では時計でもなく、スタートボタンでもなく、小さなアイコンもない部分にマウスの矢印を当てるのですよ!!!」
段々僕の語気が強くなっていきます。
僕、「で、左ボタンクリックをしましたか?」
Tさん、「左ボタンってのはどっちの指でしょう?」
僕、「人差し指です、右利きの場合は。 さっきはどっちの指を使ってたんですか!!!」
Tさん、「あ、?どっちだったけかな〜」
気の短い僕は、大体このくらいのやり取りでもう我慢が出来ず直接彼の家に駆けつけてしまうのですが、このタスクバーの問題はもう4度目になるので、何とか電話口で解決せさたいと辛抱強く指示を出し、何とか解決。
で僕は、「どうやって解決できたか、ノートにでも書いておいたらどうですか? 何度も同じ問題が起きるようですから」と言って電話を切った。
ところが翌日また彼から電話。
Tさん、「田邉さん今度はアウトルック・エクスプレスでメールを読んでいて、突然上のほうの返信とか受信とかをするアイコンが無くなってしまったんですよ。 こりゃ〜ウイルスですかね??」とかなり慌てている。
実は彼の場合(まあ高齢であるのも原因だが)無意識のうちにマウスに乗せた指に、必要も無いのに常に力を入れてしまうので、マウスボタンをクリックした状態になってしまっているのに気が付かない。
その上そのマウスを必要も無いのに無意識のうちに動かしているので、常にこのような問題が起きるのです。
で、問題が起きるとすぐにサポセン?の僕に電話があるという次第。
と、ここまで書いて読み返したら自分でも結構笑ってしまうのですが、問題解決に躍起になっている時には「カリカリ」しっぱなしです。
いやマジでサポセンに勤めている方って「大変だな〜」と。
では皆様良い週末を。
2004年6月28日
昨年の暮に、胃の調子が悪いので胃カメラ検査をし、第一回目の検査で前癌細胞が胃の壁から見つかって、更なる精密検査を受けたと書きました。
幸い精密検査では他には前癌細胞が見つからなかったので、要注意ながら様子を見るという事で、「毎9ヶ月毎の胃カメラ検査を」と医者から言われておりました。
その後、胃の方は良かったりはっきりしなかったりで、イマイチなのですが、先週に病院の方から「そろそろ検査の時期が近づいてきましたので、ホームドクターで紹介状を入手の上、予約をお取り下さい」というような内容の手紙がきました。
まったく時の経つのは早いもので、もうそろそろ9ヶ月なんですね。
それにしても、同じ胃の専門医に定期的に検査を受けるのに、その度に医者の紹介状を用意しなければならないってのも何だかと思ってしまいますけどね。
オーストラリアでは専門医にかかる場合には、ゼネラル・プラクティショナー(一般医)の「紹介状」が必ず必要なのです。
それにしても、これが前の検査から1年間以上間が開いているなら判るけど。
で、この紹介状をお願いする必要が出たし、またここのところ咳がいつまで経っても僕から出て行ってくれないので、例によって僕のホームドクター「池亀先生」に会いに行って来ました。
医者に行くと言ったら女房が珍しくついて来るという。
どうもこのところ僕がしょっちゅう風邪は引くし、妙に僕が痩せて見えるので、心配しているらしい。
そしてもう一つの理由は僕の右脇の下に出来ている「イボ」が急に大きくなってきたので、それを摘出というか切除するべきかを相談すると言ったら、整形外科医の選択に当って懇意にしている医者がいるから、必要ならその医者への紹介状も書いてもらうために付いて来ると言う。
咳の方はなぜか昼間はそれほどではないのですが、(エアコンが効いているところでは止まらなくなるが)一番苦しいのは睡眠時。
なぜか布団に入って暖まると咳が出て一晩に何度も起きてしまう。
それも「ゴホンゴホン」と止まらなくなり、しょうがないので一旦起きて正座してたりすると収まるんですけどね。
さて、脇の下のイボはいつから出来ていたのか良く判らない。
確か20年程前に脇の下に小さな2ミリほどの粒というかちょっとうまく表現が出来ないが耳のような形の皮膚がついていたのはおぼえているのだが、これが最近になって急に黒く大きく(直径8ミリほどの)イボになってしまった。
で最近、なぜか服などで擦れると痛みが出てくるようになって気が付いた。
池亀先生に見てもらったら即座に「あ、イボね悪性のようではないけど、取ってしまいましょうか?」とおっしゃる。
「え?今この場で先生が取れるんですか?」って聞いたら、「そう、簡単よ液化ガスでその部分を凍らせれば、数日後にポロっと取れちゃいますから」との事。
そんなに簡単にイボが取れてしまうのならとすぐその場でお願いしたら、まるでケーキの飾りに使う生クリームを噴出す器具(またはカクテルバーで炭酸飲料を作るときのような)というか、ボンベにノズルがついたようなのを持ってきて、そのイボに吹きつけ始めたのです。
痛みは無く、ちょっとピリッとはするのだけど、どうやらそのガスは「液化窒素」で、吹き付けられたイボは凍って真っ白になっていきます。
その作業は1分もかからず終了、数日後には取れますとの事だったのですが、、、、本日、月曜日になっても全く取れる様子は無く、昨日あたりからヒリヒリする痛みが出始めた。
痛みが出始めたと言う事は取れかけているのかもしれないが、先週の木曜日にこの処置を受けて、今日が4日目イボは真っ黒に変色し、多分壊死しているのでしょう。
これってひょっとすると(いやひょっとしなくとも)雪山などで遭難して凍傷にかかり手足の指が取れてしまうというのと原理は全く同じなのではないかと。
実はそのイボの写真、真っ黒になったところから取れるまでを、ここに載せようかと思ったのですが、そんな気持ちの悪い物を載せたら、ひんしゅくを買うので止めました。
綺麗に取れたら載せるかも知れません。(^^;
と言う事で、胃の検査の方は紹介状を書いてもらってさっそく予約をしたら大繁盛の先生なのか定期点検で急がないためか検査日は8月と言う事になったのだが、日にちを聞いたら「8月13日の金曜日です」との事。
13日の金曜日なんて確か1年に一度しかないはずなのだが、いや〜まったく偶然と言うか。 そう、相変わらず僕には13と言う数字はついて回っております。
セキュリティー上あまり詳しく書けないが、銀行の口座番号や電話番号ライセンス類など必ず13が入っております。
ボンダイに住んでいた時の電話番号は1313だし、ゴーカートのライセンスも1313って半端じゃないでしょ。(他にもいっぱいありますが現使用中のものなので書けない)
2004年6月29日
先日の日記にピンクフロイドのアルバム「狂気」の制作秘話の番組(クラシック・アルバムズ名盤シリーズと言うような音楽番組です)の話を書きました。
その次の週の番組で、またまた僕にとっては非常に思い出深い、ルー・リードの大ヒット作、「トランスフォーマー(Lou Reed
Transformer)
」の事をやっていたので、書かずにはいられません。
これは当時のカルチャーに大きな影響を与えたアルバムでした。
このアルバムのそれぞれの曲の詩の内容を読んでいただければ、その意味が判ると思います。(英語で読まないと意味がなかなか伝わらないのですが)
1973年当時旅行でロンドンを訪れていた僕にとって、街角から流れてくる音楽の思い出と言えば、確実にこのアルバムでした。
そして翌年僕はロンドンに住みに行ったわけですが、1974年の暮僕はロックの殿堂と言われた「レインボウ・シアター」での彼のコンサートに招待を受け、まさに最前列のど真ん中、最高の席で彼のパフォーマンスを堪能しました。
いえ、ルーリードと知り合いだったのではなく、実はその時のサポーティング・バンドだった(Dux Delux)のマネジャーと知り合いで、ティケットをもらったのです。
その日が最終日だったかで、ルー・リードもノリノリ、最後の方ではいきなり舞台でズボンを下ろしてケツを突き出しのご愛嬌、真ん前にいた僕は全て見えてしまった(見ないでも良かったが)なんて事がありましたな。
そうそうコンサートの後、ルーリードやそのバンド達の打ち上げパーティーをキングスロードのレストランでやると招待を受け、コンサートが終わってから友人達と出かけたのだが、レストランの名前が間違っていたのか住所を聞き間違えたのか、見つからずさんざん探し回ったが結局参加できなかった記憶も蘇って来ました。
今なら携帯電話があってすぐに見つかったのですが、今から30年も前の話ですから。
さて、このアルバムに話を戻すと、中の曲は全て秀作でほとんどの曲ががヒットしました。
当時ロンドンを訪れていた僕は、表現の自由という意味において、イギリスというのはかなり「進んだ」国だと思っていたのですが、実はBBCが詩の内容をよく理解しないで(いや、「出来ないで」かな)、ラジオで流してしまったのが始まりらしく、制作した当人達の方がビックリしたらしい。(これも英語の詩を見ていただくと意味がお判りになると思います)
またこのアルバムに参加したミュージシャンはスタジオミュージシャン(セッション・ミュージシャン)が多く(プロデューサーのデイビッド・ボウイが集めた)特にベースのHerbie Flowersの話はとても興味深いものでした。
彼は「ワイルド・サイドを歩け」という曲のベースを弾いているのですが、アコースティック・ベース(日本語で箱ベースと言ったっけ?)とエレクトリックベースを両方使っています。
これが非常に効果的で、この曲の特徴となっていますが、何とHerbie曰く「このアコースティック・ベースとエレクトリックベースを両方使うアイデアは僕が出した。 じつはそれでセッションミュージシャンである僕のギャラが倍になるという勘定もあった」なんて言うのを聞いて思わず笑ってしまいました。
ちなみにこのアルバム最後の曲「グッドナイト・レイディーズ」の中の「チューバ」の演奏もこのFlowers
がやっていたんですね(多芸ですな)。
それにしても当時のロンドンには優秀なセッションミュージシャンはたくさんいたんでしょうな。
そうそう、この番組にはもう一人のプロデューサーであったミック・ロンソンも出ていました、いや〜懐かしい。
話は前後しますが、ルー・リードがいたバンド「ベルベット・アンダーグラウンド」はアンディ・ウォーフォールの庇護の元ニューヨークで活動をしていたわけですが世界的にはほとんど無名でした。
ロンドンに移ったルー・リードは、最初のアルバム「ロックの幻想(英名ルー・リード)」ではリック・ウエイクマン(イエス)やスティーブ・ハウ等の有名ミュージシャンが参加したのですが、駄作でほとんど売れなかったです(しかし僕はしっかり当時買ってたりしてます)。
翌年にデイビッド・ボウイとミック・ロンソン二人にプロデュースを託し制作された「トランスフォーマー」は歴史に残るアルバムとなったわけです。
上でも書いたように、僕がロンドンに住みに行ったのは1974年ですが、その前年の1973年、一ヶ月ほど滞在した時、街に流れていた音楽といえばこの「トランスフォーマー」という印象が非常に強いです。
今でもそのアルバムの中の一曲「ヴィシャス」を聞くと当時のシーン、特にフルハムロードに有ったカフェーで僕が昼飯を取っているシーンが蘇って来ます。
カフェーの名前は忘れてしまったけど、確か「ボンバチャ」というブティックの前あたりに有ったような。
そうそう話は飛びますが、当時僕はファッションの買い付けでロンドンに行っていたので、当時の有名ブティック「ボンバチャ」にも良く行きました。
そのボンバチャで当時ファッション・コーディネーターをしていた「フィリシティー」とはその後現在まで30年も付き合いが続いています。
数年前にはオーストラリアの我が家に泊まりに来たり、我々の方からロンドンの彼女の家に訪ねたり。
いまだ毎週のように電子メールをもらう付合いです。
話が飛んでしまった。(なんか当時の事が走馬灯のごとく)
僕にとってこのアルバムに入っている曲は全て大好きで、甲乙つけ難いです。
アンディー・ウォーフォールがルーに与えた「インスピレーション」によって作られた「ヴィシャス」を始め、ウォーフォールがピストルで撃たれた事件がきっかけとなった「アンディーの胸」も素晴らしい、そして発売後25年も経った1998年にまたイギリスヒットチャートナンバーワンになった「パーフェクトディ」など等、これほど素晴らしい曲がぎっしり詰まったアルバムも少ないでしょうな。
これも(ルーリード自身も言っているように)プロデューサーであったデイビッドボウイやミック・ロンソン、はたまたFlowersたちセッションミュージシャン達の力でしょうな。
余談ですが、アルバムのに写っているジーンズの男と女装の男性はルーリードではなかったんですね〜。
僕も女房もすっかりルーリードが一人3役をやっていると信じていたのですが。
またこのジーンズ男の股間はバナナを入れて撮影したなんて事までわかっていや〜面白かったです。
こういう番組に感激してしまう僕はやはりジジイになった証拠でしょうな。
2004年6月30日
我が娘は性格が僕に似ているところが多く、それが原因なのか衝突する事もしばしばあります。
仲が悪いわけではないのですが、どうも考え方や行動が似ているがゆえに、当たってしまうと言うのか。
彼女の趣味にしても、他の人がほとんど興味を持たないようなものというのも、僕の最近の趣味「アーチェリー」なんてのと似ている点かも知れません。
だいたい、50代半ばの日本人のオヤヂはゴルフやってたりするのが普通でしょ。
そんなに僕に似てしまったのか、最近の娘の趣味は「盆栽」で、これも20代半ばの娘(もう娘とは言わないかな)はあんまり興味示さないような物だと思うし、盆栽の本場日本ではいざ知らず、オーストラリアで盆栽をやっている人の数だって高が知れているはず。
しかしせっせと月に何回かの教室に通っております。
その教室に通うのに一人では行きたくなかったのか、我が女房も巻き込んで、今は女房までも盆栽に凝っている始末。
まだまだ始めたてで、盆栽好きの人が見たら笑ってしまうような内容だとは思いますが、一応下にその一部の写真を載せておきます。
さて娘が「普通」ではないと思われるもう一つの趣味は、今欲しがっているペット。
普通の娘なら犬が欲しいとか猫を飼いたいとなるところだと思うのですが、何と「トカゲ」を飼いたいと言い出した。
それも彼女がすっかり気に入っているのが「Shingle Back」というトカゲで、僕の昔の日記にも登場した「青舌トカゲ」の仲間です。
下の写真をご参照ください。
ところがさすが動物愛護が進んだオーストラリア、そう簡単には飼えないんですよね。
つまり日本ならペットショップの「爬虫類専門店」にでも行けば、簡単に購入する事ができると思うのですが、オーストラリアはペットショップでは販売されていません。
また爬虫類を飼う事自体、「ラインセンス」が必要なのです。
どうしても手に入れたい娘はまず、そのライセンスは取得したのですが、次に爬虫類の「同好会」というのか「ソサエティー」というのに出て、そこで手放したい(売りたいというのではない事に注意)人から買うという事になります。
つまり、すでに飼っている人のトカゲが子供を作ったから同好の人に分けてあげる、でその販売金は動物愛護協会や爬虫類研究の協会などに寄付という事になり、個人の懐には入らない仕組みになっているようです。
ですから一般の売買の対象にはならないのです。
娘が出かけて行ったソサエティーでは、その日何匹かのトカゲがオークション(そうオークションで一番高額をつけた人に渡される、イコール寄付金も多くなるという仕組み)に出ていたそうですが、彼女のお目当ての「Shingle
Back 」は出なかったそうです。
そしてそのソサエティーの人と話していたら、「Shingle Back 」はシドニーでは非常に飼い難く、よっぽどのエクスパートでないと病気にさせてしまう可能性が高いと説明されたらしい。
同類の「青舌トカゲ」の方がよっぽど簡単ですよと進められたらしいが、彼女はなぜか「Shingle
Back」を思いっきり気に入っていて、他の種類は今のところ考えていないようです。
そもそもこのトカゲを気に入ってしまったのは、先日女房と娘二人で「ダボ」に有るサファリーパークに2泊で行って、そこで飼育されていたこのトカゲを見てからのようです。
青舌トカゲと違ってものすごく人間に「なつく」とのことで、娘が抱っこさせてもらった時にも娘の頬に「チュー」をしたりして、すっかり気に入ってしまったのがそもそもの始まりらしい。
しかし普通の女の子だったら下の写真を見てもらえば判るように、どっちが頭だかわからないような奇怪な形のトカゲに「チュー」なんてしてもらいたくならないでしょ。
う〜ん、そんなところはやっぱり僕の娘かもしれない。
左の写真は最近撮ったのではないので、現在はこれよりもう少しマシなのが増えているようです。
右のShingle Back
リザードは「お尻」と「頭」が非常に似ているでしょ。
これはアタックされた時に急所である頭を守るために、どちらが頭かわからないようになっているらしい。 トカゲの尻尾切りだが頭そっくりという仕掛け。