過去の日記   2001年5月前半

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2001年5月1日

オーストラリアにはLotto等の宝くじが沢山あります。 僕がオーストラリアに来た頃に始まった最初のLottoは週一回月曜日の抽選のだけでした。 
月曜日が抽選というのがミソで、皆日曜日には「また明日から仕事が始まる」という暗くなりがちな気持ちを、少しは和らげるというか。
昔ブームタウンラッツBoomTown Rats(リーダーがあのBand Aidで勲章をもらってしまったボブ・ゲルドフです。)の曲に 「I don't like Monday」なんてのもありました。
イギリス時代にはサッカーのPools(日本のトト)というクジがあって、たまに買った事はありましたが、それほどサッカーを見ていなかった僕は、そのクジにもあまり食指が動きませんでした。

オーストラリアのこのクジは知識を必要としないので最初の頃は買っていたのですが、次第に種類が増え今や毎日のように何かしらのクジの抽選が行われているので、逆にすっかり興味を無くしてしまいました。

しかしたまに賞金金額が大きく増える時があり、その時は買います。 
先日こちらで賞金が25ミリオン(日本円で15億円くらい)の時には、電子メールで友人に6つの番号を選ぶように頼みました。
(ビギナーズラックを期待して) 
日本にいる友人はそのようなクジを買った事は無く、金額も日本では考えられないような高額です。 
その時にもしその15億が当たったら、何に使うかという質問もしました。

皆さんはどう使いますか?
僕はここ数年来抱いている夢に使いたいと思っています。
別にたいした夢ではありません。

オーストラリアには本当に多くの才能あるレーシングドライバーがいるのに、この国では国際企業が少ないために、海外に送り出してくれる、そういう資金を出してくれるスポンサーを見つけるというのが至難の業なのです。 
日本はいくら不景気といっても世界第2位の経済大国ですから、たいして才能が無くてもF−1のシートを手に入れたドライバーは数名います。 (日本人のドライバーが皆才能無いと言っているのではありません。 念のため)逆にこちらでは有り余るほどの才能があっても、F−1に上がるための登竜門的なクラスのレース(ヨーロッパでの)にも行く資金がありません。

そういう才能のある若手をF−1に行かせるために、シンジケートを組むための資金に15億円は使うというのが僕の夢です。
ここ10年ほどオーストラリアでカートのレースをやって、本当に皆に良くして貰った恩返しにもなるかなと思っています。
オーストラリアでレースをやっていて、人種差別的な事など一切無いだけでなく、このようなおじさんがレースをやっているのが珍しいのか、随分皆さん親切にしてくれました。 
こちらから頼まなくても、全く口も聞いた事も無い人が、近くにいるというだけで手を貸してくれたりなどはしょっちゅうでした。
その頃のドライバーで、今やジュニアからセニアに上がって来ている若手を是非F−1にまで送り出したいと思っています。

日本人として、日本企業にも数社あたったりしたのですが、この不景気の中、モータースポーツのスポンサーになってくれるような企業など、見つけるのは至難なようで。
全くの僕の夢なのですが、この宝くじがあたったら、必ずやオーストラリアに恩返しと考えています。

オーストラリアにはF−1の世界チャンピオンが二人もいますがそれは遠い昔の事になりつつあります。(そうモータースポーツに関しては日本とは比べ物にならないほど歴史もあるんですよね。)

久しぶりに賞金が溜まったみたいなので(16ミリオン)
さあ、今週は(土曜日)「買うぞっ!」
このLOTTOに参加希望の方は、1から45までの内の6個の番号を選んでメールください。 当たったら、オーストラリア旅行プラスアルファをプレゼントかな。


    2001年5月2日

  リーのイビキ解消手術
女房のイビキがひどくなってきたのは、4年位前からでした。 
多分僕もイビキをかくのですが、自分のはどのくらいのイビキかなんて分からない物です。 勝手なもんですな。
2年程前3人でヨーロッパ旅行に出掛けた時に、宿泊先によっては一つの部屋に3人寝るという状況もあり、イビキの騒音に娘から文句が出ました。 
その時の娘(被害者)の判定から、女房はイビキをなおす手術を受ける事を決心しました。 そう両方ともイビキはかいていたのですが、どうやら女房の方が音が大きかったという判定です。

最初に手術を受けると聞いた時には、内容を良く知らないので「あっそう」ってなもんだったのですが、いろいろ知るの及んで「おいおい大丈夫?」って心配になりました。
特に眠りの浅い僕は、女房のイビキは気になっていたので、それが無くなるのなら嬉しいと単純に喜んでいました。
しかしこの手術と言うのが簡単なものではなかったのです。

この手術には2種類あります。 一つはレーザーで、喉チ○コを整形して小さく加工します。 このチ○コですが、別に○を使ってごまかす必要が無いのですが、何か変ですよね。 だいぶ前にNHKの番組で、イビキの事をやっていましたが、そこでもちゃんと喉(のど)チンコって言っていましたから、こういう場合は許されるのでしょうか。 それにしても他にこの名前が無いと言うのも不思議ですよね。
(医学用語はあります。 覚えにくい名前なので、、、たしか口蓋垂といったような。) 

妙齢の女性が、医者に行って「あのー、喉チンコ痛いんですけど」なんてとても言えませんよね。(言うわけないです)
すみません話が脱線しました。
さて、レーザーではない方のもう一つの手術方法はマイクロウエーブで、喉チンコを焼いて硬くするのです。 
つまり電子レンジで使っているものとほぼ同じ原理です。 
喉チンコを「チンしちゃう」と言うのです。(すみません、また脱線しそうです) 

イビキの(すべてではないが)原因は喉チンコが振動するので、イビキになりますから、その喉チンコを振動しないように焼いて硬くしようと言うのです。 生のステーキは柔らかいが、よく焼いたステーキは硬いと言う考えなのでしょうか。 
で、そのマイクロウエーブをどう使うかというと、ピストル型(医療器具)の先に大きな鉄の針(針というより細いパイプ)が付いていて、それを喉チンコの周辺に刺して、電気を通すのです。 

医者はレーザーと、この「チン」とどちらを選びますかと聞いたらしいのですが、どうもレーザーは切った後、ものすごく痛くその痛みも長引くと言われ、マイクロウエーブ(チン)の方を選びました。 
当然国民保険も使えませんし、注射針と同じように、このピストル型の医療器具も先に針がついているので、今の医療法で使いまわしが出来ません。 で、この医療器具を本人の買取との事になります。
もちろん特殊な医療器具のためかなりの額でした。 

注射針でまたちょっと脱線させてもらいます。
オーストラリアのようにのんびりしてストレスの少ない国でも、麻薬問題は本当に深刻です。
スイスのように、シドニーでもつい最近シューティングギャラリーがオープンしました。
シューティングギャラリーというのは、政府がわざわざ麻薬中毒患者のために麻薬を使う(注射する)場所を提供しているのです。
ここには新しい注射針も(無料で)用意されていて、テレビのニュースで見る限り結構清潔なようです。
もちろんこのような場所を国の金を使ってオープンするというのは多くの反対がありました。
日本から見たらオーストラリアは物分りが良すぎるという意見も出るかもしれないが、麻薬問題解決のための究極の選択だったのでしょう。

日本でも覚せい剤などの問題は深刻になっているようですが、このような場所は絶対に日本では設置されないでしょう。
これを読んでオーストラリアのイメージが変わってしまうかもしれません。
このような場所を政府が設置すると決めたのも、結局は野放しにするより良いとの判断です。
エイズや肝炎(注射針の回し打ちで)、またオーバードース(投与超過)などの治療のために国民保険で使われる税金も異常に多くなりつつあります。

またそういうところを作る事によって、マフィアたちの資金源を絶つという目的など多くの理由があります。
なんだか脱線したら異常に長くなりつつあります。
女房の「チン」の方は明日に続く事にさせてもらいます。


2001年5月4日

昨晩は5月3日の日記のアップができませんでした。 実はPCがクラッシュしてしまったのです。 WIN2Kは本当に安定していて良いのですが、僕が少々いじりすぎたようです。

中の(パフォーマンスをあげるといって)メモリーを増やした(256MBか512MB)ついでにレジストリーをいじくってメモリーマネージメントのパラメーター変えたりしていたのと同時進行で、前から気になっていたライティングソフトEASYCDCREATORと、マイクロソフトメディアプレーヤー7のバッティングの問題(これはMSでも確認されている問題)、を直すために中のレジストリ変えたりしていたら、何とCD-ROMドライブ(僕の場合はCD-RWと、DVD-ROM)がすべて認識されなくなってしまい、中のPCIドライバーも壊れて、なんとそれを直すためにドライバーの入っているCD-ROMが読み込めない状態になってしまった。
で、なんか無理やりWIN2KのCD入れて修復してたら、すべて再インストール状態になってしまった。
というよりも再インストールでなければ結局回復しなかったのですが、そんなことでPCの中はまっさらで、すべてドライバーからアプリケーションまで再インストールになってしまいました。
インターネットの設定とかすべて最初からでした。

幸いHPの中身はバックアップとってあったのですが、それでも設定に夜中の2時半までかかってしまって、HP更新どころではなかったです。

さて一昨日の続きです。

さて手術当日さすがに女房はビビって、一緒に付いて来てくれと言うので、手術に立ちあいました。 
喉に麻酔をして、この大きな(パイプのような)針を、何度も何度も喉チンコ周辺に刺しては電気を入れていきます。 見ていると、その電圧を変えて、(上げていって)喉チンコ周辺の肉を料理していきます。 
数時間に及ぶ手術は無事終わりましたが、強い痛みは数日続きました。

ところが、数週間後に手術の腫れも引いたのですが、やはりイビキは治っていませんでした。 
この手術は開発されたのも最近のためか、医者から成功率は60%くらいなので、(どのくらいの電圧を使うとその人の肉がウエルダンに焼けるのか分からないからでしょう)、その場合は2回目から3回目まで手術は無料で行うと言われました。 だからこの医療器具も本人の買取と言う事になっているようです。 

数ヵ月後、女房は「マイ ピストル」持参で再び手術を受けました。
同じようにまた回りの肉を焼いていきます。 ここで、焼くというと何か火であぶって、こげるようなイメージがありますが、そこまでは料理するわけではありません。 しかし前よりも増して電圧を上げていきました。 
当然手術後の痛みは前よりもひどいものでした。 

で、どうなったかと言うと確かにイビキは減りましたが、こんな思いまでしてやったほどではありませんでした。 
僕はもう(3回目)手術は受けないように言いました。 
その手術の後遺症か、喉と耳が繋がっている部分あたりから痛みが出るようになり、それは今でも続いています。 喉と鼻とか目とかは繋がっている物なので、このマイクロウエーブ波によってその辺が変形してしまったのかもしれません。 

僕が彼女のイビキで眠りが浅くなってしまうと言う文句もあったのですが、本当にこんな手術受けさせなければ良かったと後悔してます。 
勿論本人もイビキを治したいという気持ちはあったから受けたのですが、なんか女房にすまないって言う罪悪感を感じてます。 

それから2年ほどして、彼女はダイエットに励み6キロも体重を落したら、手術よりも確実にイビキが減ってしまったからです。 これを読んだ方で、イビキの問題を抱えている人は、どうしても手術するのなら絶対にレーザーですよ! 喉チンコの形変えてしまうのですから、いくら手術後の痛みが長引くと言っても、確実性があります。


  


 

これが、「マイ、ピストル」
奥に置いたのが、サイズ比較のためのボールペン  


2001年5月5日

きょう日本では端午の節句ですな。
こういうのって、英語圏ではないです。

シドニーは午後から天気が崩れて、寒くなってきました。 
一昨日にロンドンから若いお客さんが我が家に来ています。 
僕らがまだロンドンに住んでいた頃、仕事を通して知り合った友人の娘さんです。
こういう話題を書くと、自分の歳を再確認させられて余り面白くないのですが、まだ僕らがいた頃には生まれてなかった彼女が、今や高校を卒業して、ケンブリッジに行く事が決まり、新学期が始まるまで(7月)世界中を旅しているのです。
羨ましい。 まだ19歳なのですが、とてもしっかりしていて、これなら親も安心して世界旅行に出せるわけです。

彼女の話を聞くと南アメリカもかなり周って来たようです。 
マチュピチュ遺跡にも行ったらしいのですが、そこで食べ物からか、水あたりというのでしょうか、6週間も苦しんだようです。
シドニーの後はクイーンズランドに上がって、数週間楽しみ、その後は東南アジアを周って新学期の始まるぎりぎりまで世界旅行を楽しむようです。

彼女を空港に迎えに行って、あまりにも色が白いのでさすがイギリス人と妙に感心してしまいました。
まるでロウソクのように白いので、早く小麦色にならないと目立ってしょうがないと、悩んでいます。(本当にずっと旅行しているのかというほど日に焼けない)
日本人のワーキングホリデーの人たちがこちらですれ違う同じような年恰好の東洋人を見て、「あ、こいつも日本人のワーホリかな」と考えるように、彼女も同じような若い色の白い白人を見て、「あれは絶対にイギリスからのバックパッカーだ」と言っているのを聞いて思わず笑ってしまいました。

彼女の話によると、イギリス人の若い人で海外旅行というと一番人気があるのがオーストラリアだそうで、ものすごい数が来ているはずとの事。
僕ら東洋人から見ると、すでに日に焼けてしまったイギリス人なんて喋ってみてそのナマリで初めてイギリス人だと判る以外、見分けつかないと思うのですが。

彼女と話していると、彼女お母さんにそっくりなので、昔のことを色々思い出してしまいました。
僕らが彼女の母親と知り合ったのはやっていたファッションの仕事を通してなのです。
当時ロンドンでも有名だったフルハムロードにあった店(ボンバチャといいます)を彼女はやっていて、余りにもわれわれと馬が合ってしまい個人的にも付き合うようになったのですが、イヤー懐かしい話がいっぱいで、僕のHPの中の「ロンドン時代」を更新しなければと思い始めました。


2001年5月6日

日本にいる妹より連絡あり。 
今日本に帰っている母の身体の調子がどうもおかしいとの事。 最初の異変は便に血が混じるというのから始まって、下痢も止まらない食欲も無いなどなど。
もちろん医者に行ったようですが、要領を得ません。 何しろ歳なので、一者に行っても説明をちゃんと出来ないのか、または説明を受けても理解できないのかその辺はわかりませんが。 もう2週間以上も続いているというので、専門医に見てもらった方が良いのは判っているのですが、今日本はゴールデンウィークで予約がなかなか取れないとかの話です。

今日は少し日本に医者について書いてみます。 
オーストラリアとは医療制度が違うので、簡単に比較できませんが、我が父はオーストラリアに移って来たために、いまだに元気でいられると言っても過言では有りません。 彼はこちらに来てから数年後に心臓の問題があることがわかり、こちらで手術を受けました。
その難しい手術の後(かなり高齢なのにもかかわらず)本当に調子が良くなりいまだにピンピンしています。 

なぜ彼がオーストラリアに来たために、助かったかと言えるのは、この心臓手術に関しては日本とは比較にならないほどレベルが高いからです。肉を多く摂るオーストラリア人にとって、心臓の問題はとても多くまた深刻で、それだけ手術例も多いために心臓外科のレベルが非常に高いのです。 
またこのような手術に要する費用もプライベートで加入している保険でカバーされます。 

心臓の問題が発覚した時に(彼は倒れたわけですが)この心臓外科医は手術を勧めました。 父にとっては(日本人にとっては)心臓手術などはあまり馴染みがないので、彼は不安になったのでしょう「俺はもうこのような歳だし、今回は薬で良くなったからそんな手術は絶対に受けない」と頑として拒否の姿勢でした。 
救急車で病院に運び込まれてからずっと入院をしていたのですが、毎日のようにその医者は彼のベッドサイドに来て、一生懸命手術を勧めました。 その説得する時の姿勢は、ただの患者と医者の関係を超えていました。 ましてや言葉が通じない医者と患者のような関係なのに。 

もし息子の僕を通して(通訳)の説得でも納得してもらえないのなら、彼は医療専門の日本語の通訳を連れて来るとまで言いました。 結局父はこの医者の熱意に押し切られてこの手術を受け、本当にすっかり回復しました。 もしこれが日本だったら(日本の心臓手術のレベルとかの問題以前に)医者はこれほど熱心に手術を勧めていたかどうか。

さて今回の母の件ですが、実はこの問題の前に「まったくっ!!!日本の医者はどうなってるんだろう」という経験をいくつもしていました。 
笑い話のような事もありました。 
母は足に魚の目というのでしょうか、歩くと足の小指の外側がこすれて、小さな硬い(これが魚の目と言って良いのか?)ものができます。 これがどんどん皮膚に食い込んで痛みがひどくなり、日本で医者に行きました。 
歳を取っていて正確に症状を説明していないというのでしょうか、母が「足の小指の先に小さな石のようなものができて痛くて歩けない」と説明したところ、その町医者はろくにその足を見ずに「ハイそれではレントゲンを撮りましょう」の一言で、レントゲン室に回され、出来上がったレントゲン写真を見ながら、「足の指には石は入っていません」の一言で、終わってしまったそうです。 

オーストラリアに帰ってきてまだ痛い痛いという母を連れて、PODIATRIST(足の医者とよんででいますが日本語ではないようです)に行きました。 
彼はすぐにハイハイと言って母を診察台に乗せて、その部分を特殊な器具できれいに取り、クリームなどをつけて「一丁上がり」ってなもんです。 
正確にはこのPODIATRISTは医者ではありません。 しかしどこにもいて、非常に安い料金でこういった足に関わる問題を解決してくれます。 母の場合この「小石」のようなものを英語ではCORN(とうもろこしのコーンと同じスペルです)と言い、石と言おうがコーンと言おうがすぐに問題を把握してくれます。 
ところがこの日本の医者はろくに足も見ないで、母が石と言ったというのでレントゲンで石が入っているかを調べたと言うのです。 もちろんレントゲンに写るような鉱物(石)が入っているわけ有りませんから、(それも両方の足の同じ部分に)「ハイ石は有りませんでした」で終わって、診察料とレントゲン代など1万円以上取られたというのです。 

もうあきれ果てて笑ってしまいました。 日本の医療ってどうなってるんでしょう。 今回の出血も母は医者を2件も回っているのにわからないようなので、すぐにオーストラリアに帰ってくるように言いました。 出血が2週間も続いているのに、専門医を紹介しましょうかと言うだけで、全く何も調べないそうです日本の町医者は。


2001年5月7日

今週のシドニーはどうやらずっと雨が続きそうです。 先週から始まったペンキ屋さんたちの仕事は家の中へと移っています。
雨の日には中晴れた日は外壁と、天気によって仕事してます。
僕はもうペンキ塗りには懲りて、プロのおじさんに頼むことにしました。 
やはりイギリス出身の40台半ばといった彼は、任せても安心できそうな職人といった感じです。

このように雨が続くと、車の運転にはぜひ気をつけたいものです。
シドニーで車を運転していていつも怖いと思うのがおばさんの運転です。どう怖いか、それはスピードです。 どう見ても反射神経とか良くなさそうなオバタリアンが60キロのところを80キロ近く出していたり、シドニー空港の近くの80キロ制限速度のところを90キロを軽く超えて走っているのを見ると、なぜシドニーのあるニュサウスウエールズ州が毎年交通事故の死亡者数でダントツの1位かが分かるような気がします。 

僕がオーストラリアに来てビックリしたのは、当時すべての道(1%以下の一部の道を除いて)の制限速度が時速60キロ、またちょっとした郊外は80キロから場合によっては90〜110キロだったのです。
いくらヨーロッパや日本と比べて道が広いからといって、裏道でも60キロというのはいくらなんでも高すぎます。 ですからちょっとした事故でも人身事故につながります。 
とうとうシドニー市も重い腰を上げて、60キロから道によって50キロに制限速度を変え、かなりの地域が10キロほど低くなったのです。 
しかし僕から見ると、皆ちっとも速度を下げていません。 

一番怖いのは彼らがどのくらいの速度を出しているのかを把握してないことなのです。 この場合把握とは10キロや20キロの制限速度超過をして走っていると自覚しているということでは有りません。 
つまりとっさにハンドルを大きく切ったら、そのような速度では車がどういう挙動をするかや、道が濡れてきたからどういうふうに車が滑り出すとかは全く理解もしていない。 またそういう場合どう対応したら良いかも全く知らない人達が平気でスピードを出しているのです。 

実は僕がオーストラリアでカートのレースを始めて、最初の数年は雨用のレースタイヤ導入が認められていませんでした。雨の日のレースでは路面が完全に濡れていても、スリックタイヤでレースをしていました。
レーススリックタイヤというのはまったく山のない(のっぺら坊の)タイヤです。 
その時の経験から実感したのですが、濡れやすい路面を飛ばすのはカミソリのような反射神経が必要だということです。 アクアプレーンなどが起き始めたらまるで悪夢のようなものです。 これは僕の持論なのですが、運転免許の試験にはウエットコントロール(路面が濡れたところで、わざと滑らせる)の教科も入れるべきだということです。

皆さん雨の日にシドニーで車運転するときにはくれぐれも慎重に!


2001年5月8日

シドニーは雨また雨。
これほど天気が悪いと気温もかなり落ち込みます。 ロンドンから遊びに来ていた友人の娘さんが、イギリスの天気を持って来てくれたのではないかと思うほど、ここ数日の天気は悪いです。
しかし彼女はこの天気をシドニーに残してすでにクイーンズランドに。

彼女がここに泊まっている間に、日本食をご馳走しました。 もちろんロンドンでも日本食はとても人気があり、彼女も良く食べに行くそうです。
ですから僕が用意した日本食も、大喜びで食べてくれました。
もしこれが10年以上前だったら、絶対にほとんど食べられなかったと思います。

スシなどの日本食の普及は目覚しいものがあると、僕のような年寄りは感慨深いものあります。
海外に住んでいる若い日本人たちには日本食がどこにでもあるというのは、今や当然なのかもしれません。

ロンドンに住み始めた昭和49年当時、本格的な日本食を食べに行ったり、家で作ったりは今とは比べ物にならないほど難しいことでした。
メニューにもよりますが、寿司や刺身系を作ろうと思っても、ネタがありません。 近所の魚屋に並んでいる魚介類は生で食べるどころか、煮たり焼いても「おい大丈夫か?」って思わせてくれるほどのイキの悪さです。
そのうち誰かが、KINGSTONにある魚屋は比較的にイキの良いものを売っているという情報を仕入れて来て、はるばる1時間以上をかけて買いに行ったものです。

刺身で食べる魚はイギリスには皆無であると思っていたので、そこのお勧めはサーモンだと聞いたときに一瞬ひるみました。
今はサーモンの刺身は海外では一般的ですが、日本では鮭は刺身で食べない習慣があったので、これまた「おい大丈夫か?」です。
しかし、周りは食べているというし、うまい魚に飢えていた僕は買って来ました。 
ところが、多分今まで食べた刺身に中でも5指に入る美味さでした。 それは、そこの魚屋のイキの良さが抜群だったのは当然として、元来スコットランド産のサーモンが世界でも有数の美味さなのです。
特に大きなサーモンの腹身の部分を食べたときの美味さはいまだに忘れられません。
もちろん養殖ではないし、オーストラリアに移ってからやはりこちらでもサーモンは手に入ったのですが、残念ながらあそこまでのものは手に入りません。(こちらは養殖ばかりで)
しかし、サーモンだけバリバリ食べても、限度があります。 やはり寿司や刺身というのは色々種類があってこそ大いに楽しめるのです。
今は日本食の普及で、ロンドンでもマグロや他の魚介類が(南ヨーロッパなどから空輸されて)簡単に手に入る時代になっています。

ロンドン時代、日本風の「米」を見つけるでも苦労した当時と比べると、今や日本食に関しては海外に住んでいるというハンディほぼ無くなりました。
日本にいる皆さん、海外に住んでみたいが食べ物に苦労するのではないかと思っていますか?
一度見に来たらよろしいです。

そうそう、このロンドンからの娘さんに「ご飯」をよそって出したら、いきなりコショウ挽きを取って、茶碗の上のご飯にコショウをふりかけはじめました。 
「う〜ん、やっぱり日本では見たことない行為だな」
いや、フリカケ出してあげたらもっと喜んだかな?


2001年5月9日

毎日来ている、ペンキ屋さん(すみません、塗装職人のことです)は僕の予想通り仕事はちゃんとやるし、とてもフレンドリー。
別にイギリス人だからと言うわけではないのですが、丁寧に仕事をやってくれます。
本当にすばらしい仕事をする職人さんというのは、日本でも見つけるのは簡単ではないでしょうが、オーストラリアではことさらです。

職人の技術というのは日本の方が上だという意見は見とめざるをえません。 
さてこのペンキ屋さん昨日から、相棒を連れてくるようになりました。 
やはり同じイギリス出身かと思ったら、フランス人でした。
彼もフレンドリーなタイプ。 昼に食事に行ってくると、僕に声をかけに来るときに、「何か昼飯買ってこようか?」なんて、まるで友人みたいです。
それで本日は娘が店から持ってきた「例の余り物」がいっぱい有ったので、僕が昼ご飯ご馳走しました。
「こんなにご馳走になって良いのか」、なんて真剣に聞いてきます。 オジサンたち食べなきゃまた、Matthew Talbotへ寄付しに行くだけだからと言っても、かなり恐縮してます。

クロワッサンとかも余っていたので昨日からの余り物だけど、良ければどうぞと言ったら、「フランス人に、一日経ったクロワッサンを食べろというのか?」と言われてしまいました。
そうですフランスパン系というのは朝作ったのを夕方でさえ食べないのが本当なのです。
もちろん怒って言っているわけではありません。 そんな風に言えるほど和気あいあいとしているというか。 
僕にはフランス人の義理の母がいると言ったら、彼には日本人の義理の妹が二人もいると言っていました。
「私はジェロームです。 フラン人です」と日本語ですらすら出てきます。

弟さんが、日本人の女性と結婚しているそうで、こういう話がどんどん出てくるところが、いろんな人種が交じり合っている、オーストラリアらしいんですがね。 
午後に来た幌屋さん(見積もりを取りに来たオバサン)など、僕が日本人だと知ると、「娘が日本にモデルの仕事で行っていた。 その当時その娘を頼って遊びに行って六本木というところに泊まっていた」など、ちょっと話してもこの国と日本との距離の近さを感じます。

ペンキのほうは来週一杯で終わるでしょうが、このように毎日家族のように家の中にいると、ひとつだけ困ったことがあります。
なんとこのイギリス人のペンキやさんと、わが女房の名前が同じなのです。 実はスペルは違うのですが、(女房はLee、ペンキ屋さんはLeigh)オーストラリア人でもそのスペルの違う「リー」を言い分ける事は出来ませんから、家の中で僕が女房を呼ぶたびに両方が答えます。

日本語の名前でも男女両方使っている名前ってありますよね。 薫とかは使う字まで一緒です。
でも英語の場合はかなり少ないのです。 短くした呼び方の場合はかなりあります。 男がサミュエルで、女がサマンサの場合は両方「サム」と呼びますし、男がジャックで、女がジャクリーンの場合、やはり両方とも「ジャッキー」になります。

家の中で女房を呼ぶときは、とっさに「リーと」出てしまいますし。
ペンキ屋さんに日本では「ペンキ屋さん」と呼んでもおかしくありませんが、英語圏で彼を呼ぶ時「ペインター」なんて言ったらすごく失礼です。
面白いですな。


2001年5月10日

シドニーの怪しい人たち。 
久しぶりにボンダイジャンクションにあるラーメン屋に昼飯を食べに行ったら、これも久しぶりに有名なホームレスにラーメン屋の前で会いました。 正確には「遭遇しました」かな。
スーパーでかっぱらってきたショッピングカートを押してちょうど一番星というラーメン屋の前を通り過ぎるところでした。
相変わらず、カート一杯に身の回り品を積んで、その上には「有名な」スピーカーが付いていて、音楽をガンガン鳴らしながらまるでパレードのように過ぎ去っていきました。

彼はボンダイジャンクションのあるイースタンサバーブではかなり知られたホームレスです。
僕は日本に長年住みに帰っていないので、たまにニュースで日本でもホームレスが増えていると聞いてはいますが、あまり実感が沸きません。
しかし聞くところによると、近年の大不況で結構ホームレスが新宿や代々木あたりに集まっているとか。
しかし僕から見ると日本のホームレスとオーストラリアのは質が違うように思われます。 もちろん似たタイプもいるのですが、この音楽付きのオジサン見ていると絶対に日本にはいないタイプだと。

このオジサンの名前は失念してしまいましたが、一時期うちの近所のバス停に住み着いていました。 僕の住んでるところとボンダイジャンクションのちょうど中間あたりに屋根付きの立派なバス停があったのですが、ある時から彼はそこを自分の家と決めたようで、暮らし始めたのです。 ところがさすが「怪しい系」のホームレスの彼、そこが自分の家なのに、小から大までみなやってしまうのです。(つまりトイレ)

その辺が大分「いって」しまっている派なのですが、汚いし臭いしもう誰もそこをバス停として使えません。 大体中にはオジサン住んでいるし。
バスは一応そのそばまで来るのですが、乗客はそのバス停を避けるようにバスを待っているという状態です。

地元の区役所は困って立ち退くように言いましたが、そんな勧告などどこ吹く風でずっと住んでいました。 もちろん警察を呼んだりもするのですが、バス停で暮らすといっても、オーストラリアでは軽犯罪法で引っかかる程度ですからすぐにまたこのバス停に戻って来てしまいます。 
「ここは俺のうちだーっ」て決めたみたいです。 とうとう地元の区役所は困って、そのバス停を壊して屋根をとってしまった。

「う〜ん」これには僕もびっくり。 屋根が無くなって、雨がしのげなくなったこのオジサンは、さすがに困ったようでとうとう居なくなりました。
そのオジサンに久しぶりに今日ラーメン屋の前で遭ったのですが、オーストラリアは本当にこういう手の人たちに寛容ですよね。
絶対お金も無いはずなのに、あの箱型のスピーカーやそれを鳴らして大きな音で町をパレードするための(たぶん電池で音を出しているんでしょうが)費用とかいったいどこから出ているのやら。

こういうタイプの人たちというのは、お金が無いからホームレスやっているというよりも、そういうのが好きなんでしょう。
実は今日このオジサンに遭ってこの手の人のことを書き始めたら、あまりにもこれ系の人が沢山いて、今日の日記だけでは終わりそうに有りません。
そのうち続きを書きますが今日はその中でもとびきり有名な人のことを書きます。

彼の名前は、Albert Stacy(アルバート ステイシー)。 今から40年から50年程前のことです。 このオジサンは音楽の代わりに白墨を持ってシドニーの街中に「ある言葉」を書いて回っていました。 グラフィッティーのはしりとも言えますが、とても丁寧にきれいに街のいたるところ(ほとんどが地面)に座り込んで書いていました。

その言葉とは「ETERNITY」(エターニティー)意味は「永遠に」または、「永久に」といったところです。 このオジサンはかなり宗教系の怪しいオジサンだったのですが、彼の書くこの単語(この言葉ばっかりです)が人々には受け入れられたようで、有名人にさえなってしまいました。
びっくりしたのはそれから約半世紀が経ち、20世紀最後の花火大会が恒例のシドニーハーバーブリッジで行われたときに、例年にも増して盛大だったのですが(21世紀を迎えるということで)最後の締めくくりの仕掛花火でハーバーブリッジに字が浮かび上がりました。

「ETERNITY」 この50年も前の怪しいオジサンの書き続けた言葉がいまだにシドニーっ子の心に焼きついていたのでしょう。
確かシドニーオリンピック閉会式の最後の方にもこの言葉のロゴが使われたと思います。

ここまで来るともう、ただの変なオジサンではなくなりますな。
次回はチャンスがあったら他の(Bea Milesという怪しい女性も含む)シドニーの怪しい人たちについて書いてみたいと思います。


2001年5月11日

この日の日記はPCのページに移動しました。


2001年5月12日

僕がこのHPを始めてはや二ヶ月半。 最近日本にいる友人からめっきりメールが来なくなりました。
みんな忙しいのかな、なんて考えていたらどうやらこのHPの日記のせいでもあるようです。
先日母の出血の事書いたら、ずっとメールくれなかった友人から、「そう言う場合は、これこれの可能性があるから」と心配してくれてるメールが届いてびっくりして聞いてみたら、なんか僕の日記毎日見てくれていて、すっかり僕の近況分かっていて、知っていると「お元気ですか?」なんて書いてくる必要ないからという事なのだそうですが、僕だって相手の近況知りたいのに。  思わぬ弊害(?)が。

さて、とうとう念願だった、ケーブルTVのインターネットコネクション申し込みました。 
先日OSを再インストールした後、WIN2KのSP−1へのアップグレードや、オフィス2000のアップグレードに、今使っているインターネットプロバイダー(56Kモデム)経由で、ダウンロードしたら時間が異常に長くかかってしまいました。
それだけでなく、なんと4時間ごとにダウンロードの途中でも切断してしまうようです。 つまり僕のプロバイダーは料金固定性なので、ユーザーが繋ぎっぱなしにしているのを防止するためなのでしょう。
このプロバイダー、絶対にそういう切断はしないと言い張っていたのですが、僕がHPを作る時にホスティングの会社(僕のHPを管理してくれるところ)を物色していて、最初にこのプロバイダーにも聞いたら、自分のドメインネームのHPを持ちたければ今のアカウントではなくビジネスアカウントに変える必要があるとのことでした。
今使っているアカウントとどこが違うのかと聞いたら、ビジネスは常時接続ができると言うので、では今使ってるのは常時接続していたらどうなると聞いたら、家庭用はある一定時間来たら切断すると、思わず本音をそのテックサポートのオニーチャンもらしてしまって発覚したのです。

そういうことなら切断されるたびにまた電話料金かかってしまうし、いくらケーブル接続より安いと言っても、オフィス2000のアップデイトのダウンロードに2時間とか3時間もかかってしまうのは本当にきついものがあります。
また何よりノートンのウイルスチェックってしょっちゅうアップグレードしろって言って来ますが、そのたびに再起動かけるとネットは切断、またネット接続のために電話かけることになるって、すごく不経済です。

特にノートンの場合、ダウンロード終わってからもまだ繋いだままでほかにやりたいことあっても、「後で再起動する」というのが選べない場合が多いのです。

で、CA−TVの常時接続です。
来週の水曜日に設置に来るとの事今からワクワクしています。
ただし、家の中でLAN組まないと女房も娘も使えなくなると言うのが面倒ですな。
オーストラリアではまだ無線LANがほとんど普及してなくて、有線のLANは引き回しでみっともないし。
早くオーストラリアでも安く無線LAN売ってほしいものです。
そしたらノートでどこでも「家庭内LAN」ができるのに。


2001年5月13日&14日

昨晩13日の日記をアップしようとしたら、僕の使っているインターネットサーバーがダウン、いつまでたっても回復しないので、寝てしまい13日の日記と今日の分を一つと言うことにします。

最近、MP3用のフリーソフトをD/Lしてきて、CDからMP3ファイル作ったり、またそれをCDに入れたりしています。 それで、今までウインドウズ98の方は余り使わなかったのですが、このフリーソフトが日本語OS用のためにWIN2Kのほうに入れて変な反応起こされるのもいやなので、いつクラッシュしても良い98の方で作業しています。(デュアルブート)
WIN2Kでも大丈夫だという確信はあるのですが、何しろいろんな怪しいソフトも色々入れてしまったりするので、最近は98の方で確認してからということにしています。
それにしても不思議なのはこのHPを作成するのに使っているソフト「フロントページ」なぜか日本語バージョンなのに日本語オフィス2000が入っている環境ではすべて日本が表示が、英語版のオフィス2000が入っているWIN2Kに入れたらなぜか英語版になってしまいます。(つまり全部英語表示)同じソフトなのに、そこへ入っていく環境で変わってしまうこれを僕は「カメレオンソフト」と呼ぶことにしました。
僕のように一つのPCの中に日本語版のウインドウズ98SEと英語版のウインドウズ2000を入れて使い分けているなんて本当に特殊なので、一般にはそのような経験をされる方は少ないと思いますが。

さて、普通このPCに向かっているときには、横に置いてあるテレビを見ながらの作業ですが、ほとんど見ているというよりもテレビを聞いているわけです。
ところが一昨日は久しぶりにタイプを打つ手が止まりました。 多分イギリスのBBCが作ったドキュメンタリーなのですが、こちらではABCという国営放送でやっていたこの番組、思わず引き込まれてしまいました。

内容を少し書きます。 イギリスの元スタントマンの30代の男性が、(仕事中の事故とかには関係なく)PARKINSON(パーキンソン)病にかかります。 この病気はモハメッドアリとか、俳優のマイケルジェイフォックスで有名です。 この男性の場合はかなり重度で、モハメッドアリの今の症状(歩き方とか)とは比較にならないほどで、まっすぐにも歩けません。
最初は彼の日常生活をこのドキュメンタリーは見せていたのですが、服を着るにも食事をとるにも、まともに出来ないほどです。

ところが!!! ある日彼は大発見をします。 
悪さをして、法律では麻薬とされているエクスタシーというドラッグを何かの拍子に飲んだらしいのですが、飲んだ途端その症状がほとんど収まったのです。
このエクスタシーというのはLSDなどと同じようにデザイナードラッグと呼ばれ、化学的に合成された麻薬です。
もちろん使用は全く禁止されていますし、医者の処方箋があれば良いというようなタイプの薬ではありません。

たんにトリップ(ラリる?)するために作られて闇で売られている薬なのです。
ところがなぜかこの麻薬がこのパーキンソン病を(薬が効いている)一時的にですが、治してしまうのです。
彼の場合、普段は重度の身体障害者並なのに、これを服用すると(飲んでいるところからカメラは追っている)すぐに効果が出始めて、ほとんどちゃんと歩き始め、何と(昔スタントマンやっていたためか)宙返りまでやって見せます。

パーキンソン病はドーパミンというのが体の中で分泌されないのが原因ですが、治療などまだほとんど確立されていないこの難病が何とエクスタシーで(まだ研究が始まったばかりらしいが)一時的にせよ治ってしまうというのを見ていて、思わずテレビに目がクギ付けになってしまいました。
何しろこのドキュメンタリー見ていたら、まるでこのスタントマンがテレビで演技でもしているのではないかと思うほど、劇的に変わるのです。
まさに、ジキルとハイド、またはジェリールイスの昔の映画Nutty Professor の感じです。

と、話が何やら飛んでしまいました。 そうそうMP3の事書こうと思っていたのですが、この番組のことですっかり書きたいことが変わってしまいました。 ケーブル接続になったらどんどんMP3も使えると楽しみにしています。



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