日記 2001年4月後半
2001年4月15日
イースターホリデー3日目、シドニーはさわやかな良い天気が続いています。 (ひょっとしたら日本と全く同じ陽気かもしれません)
女房も休みで家にいます。 家の中には、やらなきゃいけない事が溜まっていたのでちょうど良い機会と、今日は朝から色んなところを修理してました。
職人さんの工賃が高いオーストラリアでは、この「日曜大工」というのか、「日曜工事人」をやる事が多いです。
特に僕の場合は、カートのレースをやっているため、エンジンいじったりシャシーを組んだりで、ツール類も揃っているため、ほとんど自分でやってしまう癖がついてしまっています。
さて今日のお仕事の最初は、水道の栓をいくらきつく閉めても、水が止まらなくなっている問題。 たらたら流れ続けているのは、中のバルブを取り替えます。
そんなのは日常茶飯事。 と、思ったら今日はいつもより手ごわかった。バルブ替えても全く同じように流れつづけます。
手ごわい相手にはよけいエネルギー湧いてくる、みょうな性格の僕は、家に入ってくる水道の元栓を完全に止めて、その蛇口を総てばらして取り去り、流し台に来ている水道管の中の金属(バルブの当たる部分、バルブシートというのでしょうか)を見てみると、なぜか傷がついています。 バルブを新しくしても流れつづけるわけです。 結局この金属の部分をバルブシート研磨機(そんな工具まで持っています)で削って、一件落着。
オーストラリアでは、このようなちょっとした事で水道屋さん呼ぼうものなら、来るだけでいくら、掛かった時間に付きまたいくらと、かなりな出費になってしまいます。 もちろんそのような工具や、経験の無い人は僕のように出来るわけではありませんから、呼ばなければならないのですが、何が一番困るかというと、職人さんがちゃんと約束どおりに来ないということなのです。
会社勤めの人など(家に誰も留守番できる人がいない場合)本当にどうしているんでしょうね。 週末まで待って、来てもらうんだろうか?
また僕のように家で仕事をしている場合でも、午前中来るからと言われて、出かける用事は午後にして待っていると、だいたい50%の確率で来るのは昼過ぎになります。 イやもっとひどいかもしれませんが、まあとりあえずその日には来ます。
今やってるもらっている屋根の工事も、木曜日(イースターホリデーの始まる前の日)に職人さん(サボって?)来なかったので、電話をかけたら土曜日に(イースターホリデー真っ最中の土曜日!)やりに行くからと言われました。 そんなのは最初から「絶対にありえない」と判っていますから、その日は出かける事にしていました。
案の定土曜日の朝に電話が入って「別の緊急の仕事が入ったから、やはり行けない、来週の火曜日(イースター明け)に行きます」との事。
それでも、ちゃんと電話を朝入れてくるからマシな方なのです。
こういう事はイギリスでもしょっちゅうで、別にオーストラリアに限った事ではないのです。 イギリス時代職人さんが一番良く使った言い訳は、「車が故障した」でした。 定番の言い訳です。 しかし今は携帯電話がありますから、「それなら故障した時に何ですぐ電話してこなかった」ということになりますから、最近は緊急の工事が入ったというのかもしれません。
イギリス時代の「車の故障」の言い訳は、確かにとても説得力ありました。 本当にその時代のイギリス車というのはよく壊れたからです。
その後イギリスの自動車会社というのは(外資系以外の)総て無くなってしまいました。(注。バックヤードビルダー系はまだ少数残ってはいますが)
さて、午後は外のペンキの剥がれたところをちょっと塗ったり。 天気が良いので、すぐに日に焼けてしまいます。
日本の友人からメールで、オーストラリアは紫外線が強いかと聞かれました。 確かに強いですな。 特に曇った日が要注意です。 暑くないので、一日中外にいると、太陽出ていないのにすごく日に焼けます。
確かに新聞のお天気欄には、本日のUV予想とか言うグラフが出てます。
僕は日本人でメラニン色素が守ってくれるから大丈夫って、あまり気にしてませんが。
友人のイギリス人の娘さんが、絵に書いたような赤毛に真っ白な肌で、メラニン色素ゼロというのか(正確な表現ではない)日に焼けると真っ赤になって、その後ソバカスのようにシミが出るだけで、一切小麦色になりません。
彼らはイギリスに住んでる時からの友人で、僕らが来た後オーストラリアに移住してくると言ってきた時、「おい大丈夫か?」って心配になるほど真っ白な「赤毛系」でした。 この系の肌の持ち主は、皮膚癌になる確率が非常に高く深刻な問題です。
一般的にオーストラリアでかっこいいとされているのは、小麦色に日に焼けた肌です。
わが母は、相変わらず必死で日に焼けまいと、車に乗っていても(後ろの席で)右に行ったり左に行ったりしています。
「だれだれさんのお嬢さんは色の白い美人よ」って、オーストラリアに来てまで言ってます。
相変わらず日本では「色白美人」ってありですか?
オーストラリアでは皆日に焼けてる時に白かったりすると、「気持ち悪い」って言われてしまうんですけど。
マシュータルボット(Matthew
Talbot)
娘がアルバイトで近所のグルメデリ(お惣菜屋さんとカフェーが一緒になったような)でアルバイトしています。 とても美味しいと評判なのですが、たまに予想以上に作ってしまい売れ残ったりすると、残りを家に持って帰ってきます。
最初の頃は、こんなに美味しい物を(また朝食用のパンなども含めて)沢山持って帰って来るので、「よしよし、捨てるのはバチが当たる」と誉めていたのですが、それが積み重なって少々飽き気味になってきました。
もうあんまり持って来てもらっても、結局食べきれないからゴミ箱行きになってしまい、自分でどんどんゴミ箱に捨てるのは忍びないし。
で、ある名案を思い付きました。 寄付するのです。 女房と相談して候補が2つ見つかったのですが、一つはちょっと遠いので、ダーリングハーストにある「Matthew Talbot」に持って行くことにしました。 キングスクロスからちょっと先にあるこの施設は、ホームレスの人たちが助けを請いに来る最後の砦のように見えます。 それでもすぐに一杯になってしまうのか、中に入れない人が真冬でも外に溜まっていたりします。
裏路地の細い横丁を入ったところにあって、観光などでオーストラリアに来る人は(繁華街のすぐそばにあるのですが)決して見えない場所です。
車で娘の店で残った食べ物を運ぶようになって随分経ちます。 僕が忙しくて行けない時は女房一人で行くのですが、暗くなってる時には一人ではちょっと行けないような雰囲気に包まれています。 あるとき母も乗せて配達に行ったのですが、母はかなりのショックだったようです。
こういうところを日本にいる時も見たことが無い母は、僕らが食べ物を運び込んでいる時も、そこにいる人々に目がくぎ付けという状態でした。
ほとんどがホームレス(アル中っぽいのがほとんどで)で、僕らがショッピングバッグに入れた食べ物を持って車から降りると、中に入れないホームレス達は、我々が食べ物をこの施設に運び込む前に「くれ」と言ってきます。 たまにそういう人数が多い時には外で配ってしまう事もあります。しかし中にはアル中にも見えないし、身なりもまあまあで歳も若いのもいて、何でこんなところで食べ物をねだっているのだろうと考えさせられる時もあります。
皮肉な事に、一生懸命働いていてもそれほど生活に余裕の無い人は、イースターのホットクロスバンでも、スーパーで売っているようなのを食べているのに、(うちもだいたいこの手を食べてます。先日の写真も一個30セントくらいなもんです。)ここにいるホームレスは、娘の店で売っている一個が1ドル以上もする、(僕だって高いなーと躊躇してしまうような)高級なホットクロスバンをイースターに食べてるということになってしまいます。
何か間違ってるかもしれないなと、この若くまだまだちゃんと働けそうなホームレスを見た時に考えてしまいました。
ここの情景は写真だと上に書いた雰囲気など良く判るのですが、さすがにカメラ持って行って撮れる雰囲気ではありません。
2001年4月17日
今日はちょっと、下の方のネタになってしまいます。 18禁とまでは行かないけど、ちょっとご注意のほどを。
タイトルは割礼
日本のテレビ番組をたまに見ることがあります。 だいぶ前ですが、田嶋陽子先生というのがビートたけしと、「男が何で自分のパンツ洗えないんだっ!」という議論していました。
オーストラリアでは男女同権(同等)、どっちがパンツ洗おうと、時間のある方がやれば良いと皆思っている、、、、と言いたいところなんですが、残念ながら言い切れないんですなこれが。
勿論日本より男女同権ははるかに進んではいますが。
オーストラリアのようにいろんな国から人が来ていると、信じられないような習慣を出身国から持ち込んで、オーストラリアでそのまま続けている人がいたりします。
女性の割礼などがその良い例です。 何と21世紀のこのオーストラリアで、生まれたばかりの赤ちゃんのク○○○スを取ってしまうのです。
つまりそういうものがついていたら性の喜びを覚えてしまって、フシダラになるっていうわけです。 これって19世紀の話ではなく21世紀の話なんです。 信じられないでしょうが。
中東の自国で(正確に言うと、僕がやっているのをテレビで見たのは、北アフリカ出身、たしかスーダン系の人たちでした)まだやっているというなら、考えられないではありませんが、オーストラリアに来てまでやっているという。
当然オーストラリア政府は取り締まっていますが、なんだか本格的に調査してるようでもないし。
このような国では、男にパンツなんか洗わせたら、大罪人になってしまうのかもしれません。 イヤーいろんな国の人が住んでるるんですな。
で、今度は男の割礼の話です。 ユダヤ教では、男は割礼を受けるべきと決まっているようです。 やはり生まれたばかりの赤ちゃんを教会で(医者が立ち会っているのでしょうが)先の方を切っています。
これは日本の包茎手術に通じる物で不潔にならないなどの意味もあるのでしょうが、やはり使いやすくするって言う事でしょう。
考えてみると、女はSEXを楽しまないように割礼をし、男は使いやすく、つまりSEXを楽しめるように割礼をする。 これってものすごい事ですよね。男女差別などという議論以前の問題というか。
男の割礼の場合ユダヤ教に限らず、アングロサクソン系も包茎にならないようにという(宗教的な意味を持たない)手術を生まれたばかりの子供にやる習慣はかなりあるようです。 何パーセントくらいかは確かではありませんが。 ところが女房が言うに、偶然に先日TIME誌に面白い記事が出ていたそうです。 僕は読んでいないのですが、何でもアメリカでの「男の割礼」のお話です。
「親が勝手に自分が生まれたばかりの時に割礼をしてしまった。 それは自分の意志ではなかった。」 という精神的コンプレックスを持つ者がいるそうで、大人になってから整形手術で、また皮被りに戻す手術を受け、やっと心から男として幸福を感じているというのです。 大人になっても皮が被っているからと、悩んでいる人というのなら分からないでもないのですが、逆なんです。
イヤー色んな人がいるもんです。
僕がボンダイジャンクションに行く時に通る道ににユダヤ教の教会(シナゴグ)があります、 そこの前を通ると必ず上から下まで真っ黒な服(あれは普通のスーツとはちょっと違う)を着て、黒いツバ広の帽子までかぶり、伸ばしっぱなしのモミアゲを編んで(三つ編のように)かぶっている帽子の中に引き込んでと、独特な風体のユダヤ人がいます。この人たちはLubavitch(a)といいます。
ウルトラ、オーソドックス系ユダヤ人(Ultra Orthodox Jewish)です。
僕が不思議なのは、オーストラリアのように熱い国に移り住んできているのに、あんな格好をして本当に苦しいのではないかと心配さえしてしまいます。
オーストラリアで生まれて、オーストラリアで教育受けて育っているのに、日本人が、チョンマゲに羽織袴で、毎日生活してるようなものだと思うのですが、これも一つの風景なのです。
いろんな国の色んな文化習慣が混ざり合ってるオーストラリアの一つの風景です。
注。 上の女児割礼については、2年ほど前にテレビで見たのですが、 まだオーストラリアで続けられているかは分かりません。
またそのような習慣を続けようとしているのはごく一部だと思ってください。
しかし一部でも彼らはオーストラリア国民として選挙権も取得して生活しているのですから、この国の難しさでもあります。
2001年4月18日
本日の朝刊の一面に、前から気になっていた記事が出ていました。
「移民が支えるシドニーの近郊野菜」についてです。
ある日親と一緒に郊外にドライブに出かけた帰り道の事です。 往路がとても混んでいたので、帰路はいつもは通らない道を帰っていました。
シドニー空港の近くまで戻ってきた時に、偶然その風景が目に入りました。 「えっ」て言う感じです。 そこは畑が一面に広がっていて、そばのシドニー空港に発着する飛行機が間近です。
その畑の中に農夫が何人か働いているのですが、皆被っている帽子がベトナムの「ノン」なのです。 「ノン」は、円錐形のワラで出来た独特な帽子なので、見た方も多いと思います。
「ここはオーストラリア???」って、ビックリするほど、全員がその帽子、まるで僕らはベトナムの「メコンデルタの農道」を車で通り過ぎているという情景なのです。
あまりにも奇異に感じたので、僕はその道から、まさに農道という細い道に入っていきました。 何しろ好奇心おおせいなので。
そこはまさに、メコンデルタとうりふたつの情景でした。 なによりビックリしたのは、そこに働いている人たちが皆アジア人というだけでなく、その畑の横にひっそりと立っているあばら家(あばら家よりひどい)の農家は、まさにオーストラリアには絶対にありえないほどひどいものでした。
「エ〜、こんなところがあるんだ! シドニーの街にもすぐ近く(シドニー空港はシドニーの中心地から車で約20分ほどの距離です)のところに畑があるというのはそれほど奇異には感じませんが、そこに働いている人たちが全員(多分ベトナム人もしくはカンボジア人かもしれない)アジア人、格好も、住んでる家もまるでオーストラリアっぽくないのです。
僕らが同じアジア人と見たのか、ニコニコ笑って挨拶するので、僕は車から降りて畑に入って行きました。 そこには僕らの大好きな中華系の野菜が(その時はチンゲン菜などです)ちょうど収穫されていました。
勿論取れたてですからとても美味しそうです。 「それを少し別けてくれ」と言うのも簡単には通じないほど、彼らの英語力はないのですが、そこは「手まね」で欲しい分だけ売ってもらえました。
勿論新鮮で美味しかったので、その後また行こうと思っていてある人に注意されました。
「あんなところで野菜買ってきたら、真上を通る航空機の燃料の直撃にあっているだけでなく、彼らは英語読めないから、殺虫剤などの農薬を、適量なんて全くお構いなしにメチャクチャ使ってる可能性もあるから。」
いっぺんでまた行く気がそがれてしまいました。
本日の朝刊にはその事にも触れていますが、彼らがいかに(小作制度のように)搾取されているかが出ていました。 英語力も無く、コネも無いカンボジア系の移民が特にこのような農業で生計を立てているそうです。 土地を持っている昔からいるオーストラリアの農家は、そういう移民たちに土地を貸して、かなり搾り取っているようです。 具体的に数字まで出ていましたがかなりひどいものでした。 僕らの食べる野菜はそういう人たちに支えられているようです。
中華街で食べる飲茶にしても、作る手間を考えるとものすごく(オーストラリア製なのに)安いのも、こういう移民に支えられているのではと、僕は前からにらんでいました。
そうか、その材料の野菜までも搾取されてるんだ。
違法移民も多いオーストラリアでは、最低賃金制度など全く関係ない世界でビジネスが動いているのも確かです。
2001年4月19日及び20日
4月後半(15日〜)の日記のページにリンクが付いてませんでした。
失礼しました。
INDEXのページからも、前の日記からも入れますので宜しく。
昨日書こうと思っていた事が本日にずれ込んでしまいました。
昨晩、友人の新刊出版パーティーへ。 古くからの友人で、彼女の名前はMEG STEWART。 女房とは大学生以来の親友で、また彼女は本を出版したようで、彼女から「HARRY MOON」というタイトルの本が贈られて来ました。 彼女は映画も撮っていたことがあり、彼女の家に遊びに行くと思わぬ有名俳優がいたりしたものです。
そのメグが昔々、まだ我々が日本に住んでいた当時、オーストラリアから訪ねてきました。 我々も大学を出たばかりの頃の話です。
彼女は、女房と二人で、日本中を旅行(それもほとんどがヒッチハイクで)し、大いにエンジョウイしていました。
彼女が東京にいる時には、僕らのところに泊まっていたのですが、困ったことが一つありました。
それは、裸足でした。 はだしのメグちゃん。
まだ僕は日本にいた当時なので、オーストラリア人の裸足好きを知りませんでした。 特に60年代から70年代にかけてのヒッピー運動に影響を強く受けた世代にはそれが頂点でした。
彼女が日本に遊びに来たのも1972年ですから、ちょっとその辺まで出かけるというと、靴をはきません。 当時僕は六本木に住んでいたのですが、六本木の交差点くらいまでは平気ではだしで出かけてしまいます。
僕はこれには閉口してしまいました。 何しろ日本は畳なので、道の汚れがそのままついてきてしまうのです。 ところが良く考えてみると日本では(今は分かりませんが)犬のフンが道に落ちていません。 そんなに汚いと彼女は思っていないのです。
犬の糞と言えば、ロンドンに住み始めた当時僕は随分糞を踏んだものです。 友人に言われました、ロンドンにどのくらい住んでるかは、どのくらい糞を踏むか、よけられるかで分かると。
とにかく、オーストラリアはカジュアルの国、その「はだし」では色んな逸話があります。
今は亡き義父があるとき言ったものです、「今日事務所で秘書を募集して面接をしたら、CITYのど真ん中のちゃんとした会社の面接なのに、はだしで来たのがいる!」
ある時など、ボンダイジャンクションのマックで列の前に並んでいる女性が、パンティーとブラジャーだけで立っているの(もちろんはだしで)を見てビックリした事があります。 よく見たらビキニの水着だったのですが、そこのマックは海岸からも近くないし、さすがシドニーと変に感心してしまいました。
また別の時には、プールや海岸とは全く離れた通りの公衆電話ボックスの中で、男性がパンツ一つで電話をしているのを見て、思わず追いはぎ(すみません古い表現で、、窃盗にあって身ぐるみはがされたと言う意味)にあって、警察に通報しているのではないかとさえ思ってしまいました。
僕は思わず笑ってしまいました。 カジュアル天国万歳です。
さて、この出版パーティーはライカード(LEICHHARDT)と言う、今やイタリア人街の中心地の本屋で開かれました。
この本屋のあるノートン(NORTON) ストリートはとりわけ急速に変化を遂げ、かなりファッショナブルになっています。
僕の友人のオーストラリア人が経営する(当然イタリア製)カートショップもそのはずれにあるので、随分前からここには通っていたのですが、変化の速度があまりにもすごいので、ちょっと来ないだけで知らない店がまた増えているという状態です。
2001年4月21日
シドニーの週末は僕の予想通り、天気が崩れて雨が続いています。 釣りに行きませんかというお誘いがあったのですが、キャンセルにしてもらって正解でした。 月曜日まで天気は良くないようで。
なんか日本も急に温度が下がっているとか。
屋根の工事も、もう少しで完成と言うところで、雨が止むまでお預け。
一昨日からかかりきっていた、納税申告手続きもどうにか終わって、一安心。 オーストラリアは消費税が今税金年度から導入されて、かなり混乱しているようです。 このオーストラリア版消費税(GST)のために、僕は1年に4度も(つまり3か月分ごと)納税申告をやらされる目に。
今までは1年に1度計理士さんがやっていてくれたのですが、どうもうちのような場合は、自分でやるほうが速いようで。 そのためクイックブックという経理ソフトを購入、やはりこういうソフトはとってもお利巧で感心してしまいます。
多少のバグは入っていますが。
一昨日にインフルエンザの予防注射を受けたのですが、いつも行く池亀先生は大繁盛で予約を簡単には取れないので、ボンダイジャンクションにあるメディケアーセンターへ。
ここは相変わらずバルクビリングなので助かります。 このバルクビリングについて少々説明します。
オーストラリアでは医者にかかる場合、最初に行くのがGP
(General
Practitioner) という一般開業医。 簡単な治療や、今回のような予防注射はそこでやってもらえます。 この場合支払いは(インフルエンザのワクチンは20ドル払ったが)バルクビリング(Bulk Billing)の場合はメディケアーカード(国民健康保険カード)を提示して、無料となります。
つまり、国が医者に支払う最低診察料金内でやっていれば、このバルクビリングになります。
この一般開業医が総てバルクビリングで無料ではないのです。 これは医者の考え方で変わってきます。
診察料を国家の定めた診察料金内にして、患者の数を多くとるか、またはそれ以上の料金(法律で決まった金額内ですが)、自分の欲しい金額を設定するかです。 高くすればバルクビリングよりも患者の数は確実に減りますが患者一人当たりの利益は多いということです。
信頼する先生にかかりたい場合は、それがバルクビリングよりも多少高くても価値があります。 しかし本当に面倒くさいのが、その場合差額分を国から支払いを受けるために、数少ないメディケアーの窓口に行って長〜い列にならぶ必要が出てくるのです。
我が家からはボンダイジャンクションの窓口が一番近いのですが、いつ行ってもしらけるほど長い列が出来ています。
実は今まで池亀先生はバルクビリングだったのです。 しかし彼女は日本語が出来るために日本人の患者さんが多いというだけでなく、オーストラリア人の(特に女性の)患者さんにとても人気があり、いつも予約で一杯でした。 ですからものすごい過密スケジュールのなので、予約を取っていってもかなり待たなければならない事もありました。
ですから最近になって彼女がバルクビリングを止めたと言うのを聞いて、逆に(面倒くさくはなったが)少しほっとしています。
というのは彼女はわが両親の主治医で、日本語しか出来ない年寄りの親にとってはとても助かっていました。
と、なんだかシドニーの暮らし情報みたいになってしまいました。
そうそう、このインフルエンザワクチンの注射でビックリした事があります。 何年も注射を受けてなかったのですが、一緒に注射を受けた家内ともビックリした事が、この針全く痛くないのです。
というよりもむしろ、針が入っているのさえ分かりませんでした。 最初に僕が注射をしてもらって、終わったと言われたときに、あまりにも何も感じなかったので、失敗して針が入らなかった(そんな事あるはず無いが)のではないかと、自分でその腕を何度も確かめました。
その後女房も受けて同じように全く何も感じなかったので「えっ」という顔をしています。
何か新しいテクノロジーで、痛くない針というのが開発されたのでしょうか? 針の先には簡単に刺さるようにシリコンのコーティングがされているというのを昔聞いたことがありますが、それもシリコンが発癌性があるというので禁止になったと思うのですが。
知っている方教えてください。
朝例によって、公園に散歩に行くと、ANZAC DAY (アンザックデイ)の到来を告げる行事が行われていました。
ANZACは、Australia New Zealand Army Corps の略で、昔々(第一時世界大戦時)オーストラリアとニュージーの軍隊が、トルコのガリポリで戦った記念なのですが、多くの戦死者を出します。
当時イギリスにアゴで使われ、主にオーストラリアとニュージーの兵が激戦の最前線に出されます。
CANNON FODDER(大砲のえじき)にされ、多くの兵士が命を落したために、オーストラリアとニュージーの兵士の強い絆が出来上がります。
その絆を記念し、ANZACが出来ました。
彼らが帰国凱旋した道を、アンザックパレードと命名されました。(NWS大学の前の通りです)
両国の兵士は勇敢に戦ったという評価以外に、何でイギリスのためにこのような多くの犠牲を出さなければならなかったのかという認識も生まれます。 ですから一緒に戦ったのはイギリス、オーストラリア、ニュージーなのにもかかわらず、ANZACの文字の中にはイギリスの国名を象徴するものは入っていません。
今朝の公園でのパレードを見ていて、僕が(日本人として)不思議に思うのは、このような歴史があるのにも関わらず必ずバグパイプでおなじみのスコットランド(風の)の楽隊がパレードの先頭を切る事です。
ANZACが出来たバックグラウンドにはイギリスからの独立が意識として入っているはずなのに、なんでこのスコットランドのバグパイプの楽隊なのかというのが不思議です。
彼らはパレード=バグパイプっていう刷り込みがあるのでしょうか?
例えばアメリカで退役軍人のパレードがあってもバグパイプなんて出てきませんよね?。
我が家のすぐ近くには私立の男子校が二つあります。 そのうちの一つスコッツ(SCOTS)という高校は名前が示すとおり、スコットランド系キリスト教つまりPresbytrian
Church が創立しました。
そういう歴史はわかるのですが、「何も21世紀のオーストラリアで」と思うほどいまだにバグパイプ入りのスコットランドの楽隊の演奏練習を毎日のようにやっています。 近くですからとてもよく聞こえるのですが、僕が今のこの家に引っ越してきた当時その音の違和感にビックリしました。
僕が住んでいたロンドンでさえ、このような音を聞いたのはまれですから、いまだにキルト(スカートみたいなヤツです)をつけて近所を練習で演奏して回っているのを見ると本当に違和感を感じます。
数年前に行われた国民投票で、共和制に移行できなかったのもこういうのを見ていると、なるほどと思わせてくれます。
投票の結果は、本当に僅差だったのですが(残念ながら)。
いまだにエリザベス女王がオーストラリアの首相の首を切る事のできる立場にいるのです。
2001年4月23日
久しぶりに他のページも加えました。 国際結婚についてです。 何度か書きかけては消し、また書いてはと駄文しか書けない僕はいつまでたってもアップできず、とうとうこの日記のように書きっぱなしっていう感じで始めてしまいました。
クイーンズランドに住む友人からは、国際結婚でもうまく行っていないケース(彼の場合)も書いてくれと頼まれているので、いろいろなカップルについて書いていく予定です。
興味のある方はのぞいて見て下さい。
やっと、シドニーは青空が戻ってきました。
女房はまだイースター休み。 学校の先生って良いですね。 休みが沢山あります。 しかしもう19年もやっているのでかなりバテ気味。
来年あたり辞表を出そうかなって言っています。 彼女の場合教えるのにものすごくエネルギーを使うので、生徒がそれに応えてくれないと、とても落ち込むようです。 毎年満足できる結果を得ていたのですが、今年はなぜかとても出来の悪い生徒ばかりが集まって、自分のスランプなのか、この年の学生が終わればまた良くなるのか、迷っているようです。
僕は無責任に「もう辞めちゃえば」なんて言っています。 だいたいもう定年に近い歳だし、仕事辞めちゃってもおかしくないよなんて言っていますが、どうする事やら。
そろそろ新しい日本の首相が決まるようです。 僕はこのHPで、なるべく政治についての意見は書かないようにしています。 特に日本の政治については。 理由は簡単、もうそこに住んでいないからです。
住んでもいない(税金も払っていない)のに、批判する資格は無いと思っているのです。 しかしいつまでたっても日本人、興味はあります。
で、一応海外在住者選挙権登録(これが正式名だったか)というのはしました。 何を隠そう僕は今まで投票というのをした事が無いのです。
若くして日本を出てしまい、日本を出る前に確か2度ほどあった投票のチャンスも何かの事で行けず、それ以降出っぱなしなので投票のチャンスすらなかったのです。 で、いよいよ海外に住んでいても投票できる事になったのですが、上記の理由で僕のように故国を捨ててしまった人間は(オーバーな表現かな)投票の権利なんて無いのではないかとも思うのです。 しかしオーストラリアでも投票権もらえないし、(帰化すればもらえるが)帰化する気も無いし。
それにしてもオーストラリアはのんびりした国で、今の住所に移って来てすぐに行われた選挙の時に、いや正確には選挙の後に、僕宛に「投票に来なかった」ので、投票しなかった理由を言いに来なければ「罰金」って言うこわーい手紙が来ました。 そう、オーストラリアは投票に行かないと罰金なのです。
その時僕は考えました、今回もし罰金払ったら今後選挙権そのままもらえてしまうのではないか。
実はオーストラリアで投票してみたいって考えているんです。 ちゃんと税金も払っているし。
2001年4月24日
昨日、選挙権の事を書いた時に思い出した事があります。
オーストラリアに住んで21年も経つと、5年ごとに(今は10年になりましたが)パスポートが切れてしまい、何度か日本領事館に行って更新しました。
その度に、「オーストラリアの市民権は取っていませんね」って念を押されます。 最後に行った時は誓約書まで書かされました。
「絶対に日本国は二重国籍認めないぞ」っていうのでしょうが、誓約書まで書かせるって言うすごい国です日本国って。
どうして二重国籍認めないのか僕は良く分かりません。
うちの娘はロンドン生まれで、母親がオーストラリアで、父親が日本人なので18歳になった時に、どこの国籍にするかチョイスがありました。
オーストラリアの国籍を取得すると、(今オーストラリアに住んでいますから)問題ないだけでなく、イギリスのパスポートも持てます。
すると日本国籍は捨てなければなりませんでした。 別にイギリスもオーストラリアも、娘が日本の国籍も(もし取れたとして)持っていようが、問題無いわけです。
つまり日本だけが駄目だって言ってるわけです。 ですから娘が日本に(旅行ではなく)住みたいっていう場合は、ビザを取る必要があります。
娘が生まれた時に、日本領事館に娘の出生届を出すのが遅れた事がありました。 当時女房も僕もイギリスには親戚がいなかったので、お産の時にも僕は仕事もしなければならない上に(ほぼ自営業でしたので)出産にも立ち会わなければならないは、毎日病院にも行かなければならないわで、出生届は2週間以内というのを、数日遅れてしまったのです。
で、日本国様は遅れたから受け付けないと言われました。
何とかならないのかと聞くと、遅れた理由が正当なら受け付けるというのです。 しかし「忙しくて来れなかった」というのは理由にならないそうです。
その時にどんなこじつけの理由を考えたか、思い出したくも無いのですが、それでもその理由を証明する物を持って来いだのと、随分いじめられました。
同じ頃ロンドンに住んでいた友人は、やはり出生届が遅れ、同じように日本領事館にイジメられたので、「それなら結構です」と結局出しませんでした。 ところが数年後、彼らの事情で日本に帰らなければならなくなりました(彼らの場合両方とも日本人です)。
当然その子供も連れての帰国ですが、出生届を受け付けてもらっていませんから、まだ3歳の娘は、親のパスポートに付け加えてもらえません。(普通成人するまでは親のパスポートに属します)
仕方なく子供はイギリスパスポートを取得し、日本国のビザを取得して日本に帰りました。 しかしその後毎年(いや6ヶ月毎だったか)品川にある出入国管理事務所に娘のビザを延長に通わされる羽目になります。
両親は日本人、出産の時に日本にいなかったというようなものなのに。
日本国はなかなか日本帰化を認めず、永年の間両親はその子供を連れて入国管理事務所に、ビザの延長に通っていましたっけ。
このような経験をすると、日本国というものが見えてきますな。
2001年4月25日
一昨日の月曜日に雨が上がって、天気が続くと読んでペンキ塗りをする事に決定、月曜日と火曜日2日あれば女房と二人で簡単に塗れてしまう(それも下塗りと含めて二回)と思っていたのが大間違い!。
塗る表面が平らではない上に、細かい砂のような材質で、ペンキがどんどん吸い込まれ、朝7時から始めているのにいまだに終わりません。
ペンキ屋さんに頼もうと思っていたのですが、簡単な部分は自分でやってしまおうと思ったのが運の尽き、ペンキ120リッター使っても足りそうにありません。
この120リッターという量は普通の室内の平らな壁なら、1200平方メートル(1回塗りの場合)塗れてしまう量なのです。
坪数で言うと(日本はもう坪使わないんだっけ)300坪くらいに相当する。で、ローラーでずっと塗っていたら、腰にきてしまいました。
実はこれを打っていても腰が痛くて椅子に座っていても我慢できないほど。
そんなわけで、今日は日記お休みしまーす。
昔やったぎっくり腰が再発しそうです。 歳は取りたくないものですな。
2001年4月27日
昨日は死んでました。
昨日腰が痛いのに、もう少しで終わるとまたまたペンキ塗り始めてしまい、どうにか自分でやろうと思っていたところは、ほとんど終わったのですが、夕方にはどうにも完全に(腰だけでなく)体全体に来てしまい、夕方からは死んでました。
しかし何ですな、あまりにも長時間にわたって体を使うと、体中の血が筋肉の方に回ってしまい、頭の方には全然回ってきません。
もともと頭の働きは良い方ではないので、更新するために駄文を考えるというのも出来ない。
ただただPCの前にはかろうじて座るのですが、ボーっとしてるだけで。
どういうのでしょうこういう状態。
何かこの「うわのそら」感は、初恋の時に似てるかもしれない。
しかし肉体には自信あったのですが、この腰痛にしてもつくづく歳だと感じて落ち込みそうです。
ただしペンキ20リットル入りのバケツ型の容器を2け持って屋上に上がったのが悪かったというのは想像付きます。
20リットルというのは水なら20キロだからとたかをくくって、2けでたった40キロだろうと。
重いなとは感じたんですけどね。
6個運んだ後、それにしても変だなと思って、体重計に乗せたら1ケが28キロをちょっと超えていた。 (ペンキって比重が1.4くらいもあるんだろうか、それともペンキ屋のお兄さんが口まで一杯に入れたのだろうか)
それって2つで56キロってことで、それを3回もやったのがいけなかったようで、馬鹿ですな。
結局ペンキは6ケでは足りず7ケ目も買って来て、どうにか終わるには終わりました。
しかし自分はマゾだと思うのは、こういうことやると(体は死んでますが)気分はすごく良い。
ランナーズハイっていう感じです。
明日からまじめに更新します。
2001年4月28日
皆さんは清掃局のストライキで、生ゴミなどを回収してもらえなかったらどうしますか。
昨日までの工事もほぼ終わりに近づき、だいぶゴミが出て来ました。 上記のゴミは生ゴミではなく、(ペンキの残り分などは)厳密に言うと生ゴミと一緒に出せません。
そこで今日はROCKDALEにある、SYDNEY WASTE CENTRE に行ってきました。
生ゴミだけではなく、簡単に捨てられないゴミがたまってしまった時、ここほど重宝しているところはありません。
簡単に言うと、ここはシドニー市が管理しているゴミ捨て場なのです。
まだ僕がフィッシングに狂っている当時の事です。 真夏のある日、大量のKINGーFISH(ブリ系の魚。 ヒラマサに近い) を釣ったのですが、ご近所にあげても(日本と違い魚をあげても喜んでくれる人はそれほど多くない頃です。今なら寿司や刺身が流行っているから違うかもしれませんが)まだ大量に余ってしまい、
確かその大型の魚を15尾近く、重さにして40キロほど釣った時です。 とうとう冷蔵庫の中で古くなり始めました。
時は真夏、もったいないがすべて捨てる事にして、明日は生ゴミの回収があるというので、大量にゴミとして出したのですが、なぜか取りに来ませんでした。
たまたま1日くらい遅れたのだろうと思っていたのですが次の日も来ず、数日してから当時住んでいた地区のゴミ回収の職員のストが始まったのを知ったのです。
ストが始まっても数日で収まるだろうと思っていたのですが、一向に終わりません。
もううちのゴミ箱はものすごい臭気を発していました。
真夏のオーストラリアで、生の魚をゴミ箱に入れっぱなしにしていると、もう目も当てられません。
ご近所も皆ゴミを持って行ってもらえないので多かれ少なかれ臭くはなっているのですが、我が家のはもう異常に近い臭いです。
うちの前を通る人もその臭気で塀越しに中を見るような気もしてきました。
どんどん臭くなるし、もう冷蔵庫に戻すわけには勿論いかないし、ストが解決するのをひたすら願っていました。
10日を過ぎた頃には、ウジはわいて来るは腐った身はドロドロになって行っているようです。
すみません、もしこの日記、食事中に読んでいる方は後にしてください。
とうとう我慢の限界がきて、女房は市当局にどうしたら良いか相談しました。
もっと早く相談すべきだったのですが、最初はスト中で電話にも出なかったのです。
すると担当が言うに、自分でそのゴミをあるところに運べば(それも有料ですが)捨てられるというのです。
もう待っていられません。 車に何枚もビニールを敷き詰めてこぼれてもよいようにし、その臭いゴミ箱(大きな物が二つ)を積み込んで、その後見捨て上を目指しました。
そこは車で入って行くと、車ごと計量を受けます。 そして200キロ以下のゴミの場合はプライベートのゴミという事で、入場料がたった(本日でも)9ドルでした。 確か当時は7ドルくらいだったと思いますが、それがたとえ100ドルだったとしても迷わず払っていたでしょう。
入場料を払って大きな体育館のような建物の中に車ごと入って行くと、そこは水の入っていないプールのような形の穴があいています。
皆はそこへ持ってきたゴミを投げ込んでいます。
そこは臭い、ホコリ、騒音と最強の3Kもはだしで逃げて行くようなところです。
息を殺すようにして、車から降ろしたその腐ったゴミを何とか投げ込んで、すぐにまた車のエンジンをかけ出口を目指しました。
外に出て、やっと息をした時に「2週間も苦しんでいた便秘が、いっぺんですっかり出た」というような快感を感じた事をいまだに思い出します。
それ以来、どうしても生ゴミとして持って行ってもらえないもの(捨てるテレビとか)もすっかりそこのお世話になるようになりました。 初めて行った時のあのゴミを捨てた後の快感がいまだに忘れられないのです。
行っていろんな物を捨ててくるたびに快感が走ります。
今日行って知ったのですが、捨てる物によっては投棄料無料なのです。
(紙、鉄、ビンなどのガラス、そしてペンキやオイルなど)
捨てて外に出てきた時の快感はいつもあるのですが、今日よく見ていたらその中で皆が投棄するのを椅子に座って見ている人がいます。
そこの従業員なのでしょうが、そこの臭いやホコリまたすさまじい騒音(中のゴミをブルドーザーのような物で動かす機械等の出す騒音です)の中、ずっと座って投棄状態を監視している人です。
イヤーこれはすごい職業ですな。 いくら給料もらってるか知りませんが、思わず「君はえらいっ」!て言いたくなってしまいました。
最強の男かもしれない。
2001年4月29日
自宅と仕事場が一緒の僕は、しばしばかかってくる間違い電話でまいってしまう事があります。
絶対に他の家よりもひどい状態だというのには自信があります。
その最大の理由は電話番号1番違いで存在する近くのお医者さんのせいです。 このお医者さんかなりの高齢で、当然のように彼の患者さんも高齢者ばかりです。
お年寄りが1番くらい押し間違える事はしょっちゅうあるので、ひどい時には毎日それも1回や2回ではないほどです。 もう慣れっこになっていまい、電話に出て相手がしゃべり始めると同時に、いやそれより喋り始める前に、「あ、またドクターデイビーズの患者だ」と判ってしまいます。
亡くなった女房の父は声に特徴のある(低いハスキーボイス)人だったのですが、ある時など「ドクターデイビーズ?」と彼までが間違って掛けてきた時にはあきれてしまいました。
そのとき初めて義父の主治医がこのデイビーズと知ったほどです。
電話番号を変える事も考えたのですが、すでに会社としても使っているのでそう簡単には行きません。
次に良くかかってくるのが寄付金募集のです。
彼らは電話番号から地域を割り出しているのでしょう、前に住んでいたボンダイジャンクションとは比べ物にならないほどの多さです。
内容は本当にさまざま、週末の夜にまでかかってくる時にはいい加減にして欲しいと思うほどです。 「May I speak to Mr or Mrs Tanabe Please」 とかかったらほぼ間違いなくこれです。
また女房がある協会に寄付をしたとたんに、ここはねらい目と見たのか、その協会からもしょっちゅう掛かって来るだけでなく、今度は家内の名前宛に他の団体からもどんどん掛かって来るようになり、後悔しています。(これはそういうリストが出回っているに違い有りません)
その次がマーケットリサーチで、これは本当のマーケットリサーチの場合と、良く聞いたら売り込みのためのと二つに分かれます。
そして最後が電話魔の娘宛の電話です。
これらが毎日毎日朝から晩までかかってくるのですから、僕はすっかり電話嫌いになってしまいました。
それに引きかえE−メールは素晴らしいです。 押し売りや良くわから無いメールも来ますが、それらは最初からクリック一つでデリートしてしまえば良いし、だいたい自分の好きな時に受け取れるのですから。
ですから僕は携帯もあまり使いません。 本当に便利で、携帯があって良かったと思うことも多いのは認めますが、娘のように携帯電話が一つの趣味のようになっているのも、ちょっと悲しいですな。
2001年4月30日
今朝は雨。 それでも小降りなのでハナ(犬)を連れて公園へ散歩。
いつも朝7時頃に出かけます。 公園に着くと、一緒にその公園を何周かするのですが、今日は見たこともないおじさんが待ち構えていました。
車から降りたとたんに、僕に近づいて来て署名をお願いしますって言うんです。 こんな朝早くから、それも小雨がぱらついている公園で(他に人はほとんどいない)いきなり「署名を!」です。
しかし彼の説明を聞いてすぐに署名の趣旨が分かりました。
この日記にもよく登場する公園には(オーストラリアの公園というには本当に小さい広場といった感じなのですが)湾に面してレストランが二つあります。
一つは真っ白な建物の「カタリナ」で、西欧料理(フランス系)の店。 もう一つは中華料理の「インペリアル北京」 。 この方はよく見ると水に浮かんでいる、フローティングスタイルの建物です。
建物というより船という方が正確なのかもしれません。
この中華料理店については数ヶ月前に新聞に記事が出ていました。
このレストランの場所があまりにも素晴らしいので、ある有名なタレントがそこを買い取って、全く新しい店を作ろうとしているのです。
オーストラリアでは、既存の建物を(このレストランに限らず)壊して全く新しい物を作ろうとすることは非常に難しいのです。
だいたい管轄の区役所の許可を取るというのが半端ではなく難しく、環境問題も含めて多くの時間と資金が調査に使われます。
そこでこのタレントは少しでも許可を取りやすくするために、今ある中華レストランの手入れを一切せず、ペンキは剥がれかけているは、汚れも目立つようにしたままにしています。
皆が汚いと感じるようにすれば、潰して全く新しい建物の建設許可がおりやすくなると踏んだようです。
ところがオーストラリアでは物事はそんな簡単に運びません。
すぐに住民の気がつくところになり、今回のように署名運動が始まったのです。
僕としては、今朝署名を頼まれた時にどうしようか考えてしまいました。
別にこのタレントの肩を持つ気はないのですが、確かにこの浮かぶ中華レストランは醜いし、それよりオーストラリアでは何事にもすぐ「反対」というのが多すぎると思うのです。
これは女房と意見が分かれるところですが、例えばボンダイビーチ前の通りは、高さ制限が非常に厳しく、ホテルなどは新しく建てようとしたらペイできない階数(高さ)しか許可が下りません。
これには女房は大賛成派で、ボンダイビーチがハワイのワイキキようになって欲しくないって言うのです。
昔、日本の熊谷組がハーバートンネルを作ると言い出したときに、かなり大きな反対運動が当然のように起こりました。
僕の尊敬する友人が、バーブリッジの渋滞を解消するにはトンネルしかないと、シドニー市に対して破格に安い工費で請け負うということを決めた時にも、あらゆる反対運動が起こりました。
環境に対する調査などに想像以上の経費が使われました。
また、「入札も行わないで日本の会社がやるというのは不透明だ」というような、ありとあらゆる反対です。
シドニーのハーバーブリッジの下にトンネルを作るというアイデアは前からあったのですが、オーストラリアの業者のどこもが二の足を踏んでいたプロジェクトだったのです。
工事に自信がないという理由や、工費が恐ろしく高くなり現実性がないというような理由です。
どこもやらないから熊谷組が安い値段でやると決めても、入札制度を無視しているという主張。 新聞の論調もトンネルプロジェクトに懐疑的な書き方でした。
しかしトンネル完成後は本当に便利になりました。 また最近はイースタンデストリビューターという、トンネルから空港に通じる道路も開通し、シドニーの北側に住む人にとっては、生活が変わってしまうほど便利になったのです。
僕は当時強硬に反対した人たちに是非今の意見を聞いてみたいと思います。
どうしてすぐに何でも反対なんでしょう。(何でも賛成というのも危ないですが)はっきり言って猛烈に反対した人たちも大いにこの便利さを享受しているに違いありません。