過去の日記2001年4月前半
2001年4月1日
今朝のシドニーモーニングヘラルド(新聞です)に、気になっていたオーストラリアの離婚率が出ていました。
「46%」 この数字は世界で3番目だそうです。 1位アメリカ2位イギリス、そしてオーストラリア。
世界3位なんだから離婚率は高いのでしょうが、僕は絶対に50%は超えていると思っていたので、何だそんなものかと感じました。
そう思うほど僕の周りには離婚したカップルというのは多いです。
女房は高校の先生ですが、離婚している生徒の親が多いので、学校側も生徒の成績レポートを2枚用意するようになっています。
つまり父親母親がべつに住んでいますから、2ヶ所に送らなければならないのです。
このHPを立ち上げた時から、この中のどこかのページで、国際結婚について書こうと思っているのですが、こればかりは安易に書かないほうがよいという躊躇もあって、中々まとまりません。
女房がオーストラリア人の女性で、僕が日本人という組み合わせは日本人だけでなく、オーストラリア人にも興味を持たれるようです。
家内は毎週水曜日のテニス(オバサンテニスのリーグ戦です)の時に、日本名の付いた苗字を言うと、初めて対戦する相手などはいろいろ興味を持って聞いて来る人もあって、少々頭にきています。
それは種々の誤解なども含まれているのですが、僕が書きたいというのは、日本にいる方も含めてそういう事を書くことで、色んな事が(誤解や文化の違い等など)、浮かび上がってくると思うからです。
近日中に国際結婚については書き始める予定ですが、一つだけここで書いておきたいのは、「オーストラリア人同士の国際結婚」(変な表現でしょ)が、この「離婚率46%」に貢献していると思うからです。
これこそがオーストラリアの特徴の一つと考えています。
さいわい僕は現在まで女房とうまくいっていまして、離婚の可能性は少ないと思います。 しかし我が家のような、舅姑もいて親子3代一緒に同居という事自体が、非常にまれなオーストラリアでは、オーストラリア人の女房の立場というのは、かなり厳しいものがあるのも確かです。
ゴールドコーストに住む僕の友人からも、国際結婚(彼も奥さんはオーストラリア人)について書けとリクエストがありますので、近日中にアップします。
僕らのように知り合ってから31年続いているのは、「なんでも鑑定団」に鑑定してもらった方が良いほど珍しいのかもしれませんが。
2001年4月2日
今日から屋上の第二期工事開始。 今度の職人さんは信用しています。 何しろ、ニューサウスウエールズ州の防水工事協会会長って言う肩書きですから。 (肩書きって信用できるのか?)
で、例によって朝7時にはピンポーンです。 午前中の工事が一段落した途端に雨が。 一段落していたから中止できたのはラッキーですが、昨日まで本当に天気が良かったので、そういう意味ではついていないというか。
さて日本に帰った両親は、病気の兄弟(僕にとって叔父叔母)の見舞いに先週末から山口県へ。
報告では、叔父は肺癌の5期つまり末期とか。 何もしないと3ヶ月とのこと。 僕は何かしてももう無理、苦しむだけだと思うのですが。
放射能治療などかなり苦しみますからね。
この叔父は母の実家の跡取(つまり本家を継いだ)。
この跡取について、ちょっと書きます。
まずオーストラリアには跡取っていう習慣はほとんどありません。 跡取というのがどこまでを含むかですが、いわゆる日本でいう名前を継ぐ、本家を継承するということで言ったら、皆無でしょう。
親の仕事を継ぐというだけなら、オーストラリアにもいくらでもありますが。
現在の日本を知らない僕は、このような習慣はもはや都会では存在しない、田舎だけの事だと思っていますが、間違っていますか?
実はこの叔父には息子一人娘二人います。 で、その一人息子がこの事態になっても帰ってこないというのです。 つまり親父が倒れても、田舎に帰って本家を継ぐ意思はないというのです。 これに対して、わが両親までが、そんな事はまかりならぬと憤慨しているようです。
オーストラリアに住んでしまっている僕には、非常に頭の痛い問題です。なぜなら親戚の中で一番最初にこのような日本的「オキテ」を破ったのは僕だからです。(東京と田舎の違いはあるかもしれませんが)
長男である僕は(妹と二人ですが)東京の家を継ぐのが当たり前だと、両親は考えていました。 僕がロンドンに住んでいる頃から、ゆくゆくは日本に帰ってくるだろうからと、家を建て替えた時に2世帯住宅の設計にして僕が帰ってくるのを待っていました。
何年経っても一向に帰る気配は無いし(当時僕はイギリスの永住権も取得していましたし)その上イギリスを出ると決めた時にもオーストラリアに来てしまったのです。
実はその時僕は、アメリカに住むためのビザも持っていたので、随分どちらにしようか迷ったのですが、少なくとも日本はその時の選択肢には入っていなかった。(なぜアメリカを選ばずに、オーストラリアを選んだかなどの経過も、今度海外の生活の方で書いて見ます。)
オーストラリアに移ってから両親は何度も遊びに来るようになり、すっかりここを気に入ってしまいました。
僕が日本に帰って両親の面倒を見ながら「田邉」継ぐということは両親も諦めたようです。 1987年に僕が育った家を売って、オーストラリアに引っ越してきました。
つまり、彼らは日本的に考えるのを止めたのです。 いや正確には止めたと思ったのですが、今回のような事が起きると両親は、また古い考えを持ち出しています。
僕は叔父の息子(つまり僕の従兄弟)がどのような理由で帰りたくないかを知りません。 自分の生活(仕事を含む))や彼の女房や子供たちの生活まで犠牲にしても、何もない田舎に帰る事が必要なのでしょうか。
あまりにも長く海外に住んだために、僕の頭は(浦島太郎どころか)すっかり洋風ボケしてしまっているのでしょうか?
今回の事で僕は両親と(従兄弟をかばう意味で)かなり激論してしまいました。
結局親戚一堂集まって、長男は諦めて、娘の一人にいる2番目の息子(つまり孫です)を養子にして、それに本家を継がせるということで、話がまとまったと聞いた時にはさすがの僕もビックリしました。
どうしても誰かに継がせなければという、様子が良く分かります。
さらに良く聞いてみるとなんとまだ中学生だというではないですか。 下手すれば叔父はあと3ヶ月とかの話なのに、中学生がそこに突然移り住んできて、どうするって言うんでしょう!
オーストラリア人の女房は「なんか王族とか、天皇家がやってる話」を聞いてるようだと、ビックリ。
そうですよね、ただの市民が名前がなくならないようにと右往左往する様は、決して欧米人には理解できない事かもしれません。
僕でさえ昔話を聞いているようで。
このホームページでは、海外に住みたいという方のためにも書いている一面があるのですが、こういうことに対して克服していないと、海外に住みに来るというのはなかなか難しいと思います。
さて最後に、昨日書いた国際結婚について。
オーストラリアに住む僕よりうんと若い方のHPに、上の件でメールを出したら、丁寧な返事をいただきました。 「彼の国際結婚」についても参考にさせていただきます。 ありがとうございます。
彼のHPは、了解いただき次第リンクをつけさせていただきます。
ぼくのHPと違って、資料的にもとってもためになると思います。
もう一つはクイーンズランド州にすむ友人で、彼からは今彼が抱えている問題について詳しく書いて送ってくれるとの事、彼からの報告も入れたいと思っています。
2001年4月3日
昨日夕方、日本の友より日本の味が届く。 イや〜毎年この時季わざわざ贈っていただいて、僕は幸せ者です。 早速電話したが繋がらず、明日にでもかけてみます。 ありがとう。
さて、昨日から来ている工事人のミックはイギリスからの移民。 1972年にケンブリッジから来たとの事。 ということは結構な歳なのです。 かなり信用できそうなタイプ。 ちゃんと仕事をやってくれそうです。
朝、犬の散歩から帰ってきたら、彼が防水工事用の材料、薄い絨毯のようになっているアスファルト系のもの、ロール状になっているのを、一つずつ屋上に運んでいます。 たった一人で、40ロール以上あるので、手伝わせてもらう。 1ロールが35キロあるので、それを肩に担いで屋上(2階建てです)に。
僕も20ロールほど運んだ。 計700キロ。 僕はこういうので汗を流すのが大好き。 メシもうまくなるし。 ただし、、工事人はなぜ施工主の僕がこんな事をやろうとするのか解せない。 解せない以上に、嫌がる人も多い。 ミックとは話しが合いそうで、少なくとも嫌がってはいなかったのでやらしてもらった。
だいたい職人さんで、イギリス出身というのは僕自身としてはかなり信用してます。 オーストラリアの悪口になってしまいそうですが、僕がオーストラリアに移ってきた当時、イギリスの職人さんとの技術の差を強く感じたものでした。
オーストラリアには、いろんな国から色んな職種の職人さんが移民で来ています。 べつに技術の差はその出身国とは関係ないと思うのですが、最初に買った家のためのリノベーション(キッチン)で、多くの事を経験しました。 ちょうどロンドンに住んでいた時にも、持っていたアパートで似たようなキッチンのリノベーションをやった事があったので、(予算的にも同等な内容の)かなり具体的に技術の差や、仕事に対する姿勢などを比較する事が出来ました。
オーストラリアでは良く知られたキッチン専門の会社に頼んだのですが、出来上がったは、目も当てられないほどお粗末なものでした。
扉と扉の隙間がメチャクチャだったり、取っ手がずれて付いていたり。
その経験からオーストラリアでの対処の仕方というものを学びました。
まず見積もりを取る。(当たり前ですがね) それも最低2件から。 次に絶対に納得がいくまで、直させる。 で、いくら請求書がきても、ちゃんと直してない場合は、払わない。 そうです、総て当たり前の事なのですが、オーストラリアではそういうクレームはしょっちゅうのようで、文句をいくらつけても、相手も慣れたものでした。
そのキッチンの時は会社が大きかったので、別の職人さんを送ってきましたが、似たり寄ったりで、何度もやり直しをしてもらいました。
口の悪いオーストラリア人の友人などは、僕がその事を言うと、「そうそう、しょうがないのよ、オーストラリアに移民してくるようなヤツは、本国でもまともに食えないようなのが結構いるから。」つまり彼の意見だと、母国で職人としてちゃんとした腕を持っていたなら、そこで十分食えていて、移民なんか考えないというのです。
このオーストラリア人は随分偏った意見をもっているとは思いましたが、100%彼が間違ってるとは、という面もあります。
しかし、オーストラリアに移民してくる理由は皆それぞれ違いますから、母国で名人といわれるほどの技を持っている人だって入っているはずなんですけどね。
その後数年してやはり同じ家の玄関の扉を新しくつけてくれた職人さんは、スリランカ出身のもと弁護士と聞いてビックリ。
彼はオーストラリアに来てスリランカの弁護士の資格は認定されないし、当時失業率も高くて、とにかく食わなければならないので、母国にいた時の趣味(木工家具つくり)を生かして、大工さんをやっていたと知ったのですが、素晴らしい仕事をしてくれました。
しかし平均的には技術力(ワークマンシップというか、クラフトマンシップというか)は低いです。 オーストラリア製の車と、日本製を比べたら、組み立てに、顕著に違いが出るのも似たような事です。
オーストラリアでは日曜大工の店が流行るわけだと知ったのもその時です。 こんな事にこんな高い金を請求されるのなら、週末に自分でやったほうが、よっぽどマシだと思う人が多いからです。
キッチンまで自分でリノベーションしてしまうというほどの日曜大工ではないにしても。
ロンドンの時からある程度は自分で直してしまうという習慣が出来ていた僕は、日曜大工趣味に拍車が掛かりました。
そういう国ですから、テレビを買っても、テレビ台(下についてくるキャビネット)など、総て自分で組み立てなければなりません。
ねじ回しも持った事の無い人はいったいそういう場合どう対処しているのやらと心配になるほど、DIY(Do It Yourself) ものが多いです。
僕はオーストラリアにて、日本人との付き合いが少ない。(苦手なのかな)オーストラリアに来てまで、同じ日本人同士でっていうのもあるけど、それ以上に僕の場合は国際結婚で、日本人同士のカップルと、なんか目に見えない距離があるのかもしれません。 で、偶然見つけた、同じシドニー発のHP、僕の若い頃に似ている部分もあって、とても興味津々。
で、そのサイトをやってる、マナチャンから了解いただいたので、リンク付けました。 ぜひ覗いてみてください。(若い人には特にお勧め)
2001年4月5日
オーストラリア(シドニー)には5つのテレビ局があります。 そのうち3つが民放で、1つが国営そして最後の1つが半民半官(のような)放送局SBSです。 このSBSはマルチカルチャーを基本に番組を構成していて、僕も好きで良く見ます。 オーストラリアは移民の国マルチカルチャーの国といっても、視聴率から言うと、一番低いのもこのSBSです、残念ながら。
なぜなら移民などで来た人の子供たちは、すぐにオーストラリアに溶け込んでしまい、他の民放局を見るようになってしまいます。
その子供たちのアイデンティティーはもうそこ(SBS的というか)から離れてしまっているからです。 それほどオーストラリアは溶け込みやすい国です。
さて昨晩、HPの中に入れる予定の「国際結婚」についての駄文の下書きしながら、このSBSを見ていました。 ちょうど書いているところの行と、テレビでやっている番組の内容が偶然にもシンクロナイズしたのです。 思わず手をとめて見入りました。
まずこの番組について先に説明します。 番組名「FRONT UP」 毎週火曜日夜7時半からの30分番組です。 欠かさずいつも見ているという番組でもないのですが、ちょうどそのときにテレビの前にいたら必ず見る、僕にとっては興味のある番組です。
内容はこの番組のインタビュアーが、街に出て通りがかりの人にアットランダムに、インタビューを始めます。 インタビューの内容は全くその場のアドリブというか、決まったものはありません。 今の政治をどう思うかというような(アンケート的な)街頭インタビューではありません。
かなりその人のプライバシーにかかわる内容まで行く事が多いです。
これは最初の驚きです。 いきなり見ず知らずの人にインタビュアーが、その人のプライバシーに入り込んで行くからです。
オーストラリアではパーティなどで初めて会った人などと話す時には、かなり気を使うべきです。
日本人はどうしても、(3面記事的にというか)歳を聞いたり、結婚してるのかとか、知り合ったばかりの人に聞いたりしてしまいがちです。
日本の街頭インタビューなどで、いきなり若い娘をつかまえて「今カレシいますか?」などのなんとも程度の低いものとは違うからか、またインタビュアーの腕が良いのか、この番組では「None
of your business」という反応は余りありません。
30分番組の間にだいたい5人ほどがインタビューされます。
つまり一人たった6分前後なのですが、その人の人生が良く見えたりします。 ここがこの番組の面白いところです。
さて昨晩見ていたら4人目に登場した(マーティンプレイスあたりを歩いていた)女性を見て僕は、一瞬「東洋人? いやオーストラリア人?」と迷いました。 インタビュアーにも彼女が東洋人に見えたのでしょう、海外からの旅行者の可能性もあると、最初の質問は「どこから来ましたか?」でした。 その答えが「さあ、どこから来たと言ったら良いかしら」でした。
またまた僕は一瞬「???」です。 完全なオーストラリア訛りの英語で答えた彼女は、1972年に東京で生まれました。
母は日本人、父はスコットランド系オーストラリア人です。 彼女が6歳の時に両親は離婚し、彼女は母親に東京で育てられます。
幼稚園に入った彼女はイジメに会います。 まだ当時外人が珍しい頃に幼稚園で皆から「アイノコ」と呼ばれます。 その彼女の顔立ちを見ていると、日本では絶対に「ガイジン」です。
その後すぐ彼女はオーストラリア行きを決意します。 どうも話の内容では彼女は父を慕ってというようではありません。
オーストラリアに母と来た彼女は現地校に通いだします。
このインタビュアーも迷ったように、彼女はオーストラリア人から見たら顔立ちは東洋人です。 つまり日本風に言ったら「ガイジン」なのです。
彼女は言います「日本にいた時はクラス全員が日本人で、私の顔が目立って、すぐに(イジメの)標的にされた」 「アイノコ、アイノコ」と呼ばれた時に、彼女はこのいやな言葉を乗り越えようと「アイノコは、愛の子なんだ、つまりLOVE IS BEAUTIFUL」と自分に言い聞かせたそうです。
しかし、そのイジメもあり彼女はオーストラリアに移ってきます。
現地校では同級生は「当然のごとく」中国系もいれば、中近東系もといったふうに多くの人種が混ざっています。 ですから、彼女は一人目立つ事は無かったのです。
オーストラリアに来てラクになったと彼女は言います。
やがて彼女は成人して、オーストラリアでスイス人と結婚します。 スイスにも行き、子供も出来たのですが、たった2年半で破局を迎えてしまったそうです。 今彼女の子供は3歳半との事ですから、たった1年前の話です。
彼女の息子は、今日本語の幼稚園に通っているそうです。
このインタビューでは、彼女の両親の事なども話していました。
スコットランド系のオーストラリア人である彼女の父は仕事で日本に行ったときに彼女の母と結ばれたのです。
このインタビューを見ていて、今のオーストラリアの縮図を見たような気がしました。 国際結婚あり、離婚あり、、、、。
最初の彼女へのインタビュー(どこから来たのか)の質問に戻ります。
ここまで話してから彼女はその答えは、
「日本でもあり、父の祖国スコットランドでもあり、今住むこのオーストラリアでもあり、分かれた彼のスイスでもある」なのです。
このようなことはオーストラリアでは珍しい事ではありません。
それよりも僕が確信したのは、実は日本が世界でも有数の人種差別国なんだということです。
オーストラリアに来たいと思っている日本にいる若い人がよく僕に聞きます。
「オーストラリアでは人種差別あります?」 古いところでは「白豪主義ってまだ残ってるんですかね?」また、どうせ外国に行くなら「日本人にやさしい国がいいと思うのですが」
実はそういう質問をする人たちの住む国こそが最も差別の強い国だったりするのですが。
最後に。
オーストラリアにも人種差別はあります。 このように広い国では、どこに住むかで体験は違ってくると思います。
僕の意見は限られた地域(シドニー)ということを忘れないで下さい。
「マルチカルチャーの街、シドニー大好き!」 ですな。
2001年4月5日
もうすぐイースターです。 イースター明けに釣りでもと提案を受けて、久しぶりに釣具屋に行きました。 釣り道具屋に行ったのは3年ぶりくらいかも知れない。 釣り道具は十分持っているのですが、シドニーのあるニューサウスウエールズ州では、先月から釣りをするのに免許が必要になったのです。
全く驚きです。 この州内ならどんな釣りでも、ライセンス料を払わないと釣りができないというのです。 岡からちょっと釣り糸をたれて、釣れるか釣れないかというような、半分昼寝のような釣りでも金を払えって言うのです。
いやな世の中になったもんです。 料金は、3日間が5ドル、1ヶ月が10ドル、1年が25ドルで、3年間有効なのは70ドルとか。
いったいこの料金はどこへ行くのでしょうか。
毎朝犬の散歩で行くローズベイのボートランプ(トレーラーからボートを下ろすところ)では、もうインスペクター(調査員)が、釣りをしている人に、免許の提示を求めていました。
持っていないと罰金なのでしょうが、僕としてはそれよりももっと取り締まってもらいたい事があります。
この州ではだいぶ前から、釣り人一人が釣っても良い数(総ての種類の魚ではないが)が決まっています。 また釣ってよいサイズも決まっています。 これは本当に良い事だと思ってはいますが、このボートランプでインスペクターが釣ってきた魚の量とサイズをチェックしているのをほとんど見た事がありません。 5年程前に一度見ました。 僕はこのボートランプに10年間以上毎朝散歩に行っているのに。
こういうルールを知らない人たち(残念ながらアジア系の移民の人が多いのですが)が真鯛(マダイ)の15センチほどのをバケツ一杯捕っているのを何度も目撃していたので。 最近は知りませんが、僕が釣りをやっている当時は岸からでもこの程度の小さい鯛はいやって言うほど釣れました。 サビキに何尾も掛かってくる。
僕はリリースをしていたのですが、僕のオヤジなどオーストラリアに来た当時、ルールを知らず大喜びで持って帰ろうとしたのをおぼえています。
日本ではこの程度の小さな鯛でも立派な商品として(すずめ寿司とか言う)捕ってしまうようです。 ですから減ってしまうのは明白です。
結局今日は免許もらわないで帰ってきてしまいました。 何月何日からと釣り始める日を申し出ると、その免許に書き込まれその日からカウント始まるって言うのです。 イースター明け頃っていう、まだ日も決まっていないし、それよりこの免許の事を調べていて、ちょっとやる気がそがれてしまいました。 日本から旅行で来てちょっと釣りをという方は充分気をつけてください。
釣り道具屋さんの後は久しぶりに理容室へ。 キングスクロスという繁華街にある、昔彼がワーホリで来た当事お世話して以来の付き合いです。
その後彼は、永住権を取得しその店で働き始め、オーナーの引退でその店を引き継いでやっています。(TEL 9358−6836)
彼にとって僕は良いお客ではありません。 何しろ女房がバリカンで、僕の頭を刈ってしまうことが多いので、彼のところに顔を出すのは1年に3回程度でしょうか。
彼を含めて、昔僕がお世話した人たちがシドニーに永住者としてたくさん住んでいます。 彼は日本人ですから、てっきり日本人のお客さん専門でやっているのかと思ったら、僕が行っている間オーストラリアのお客ばかりでビックリしました。 皆どんどんオーストラリアに溶け込んでいるようです。
昨晩日本からもらったメールにはビックリしました。 彼は日本で「SEX PISTOLS」という昔のカルトバンド(パンク)のオフィシャルページをやってる人です。 その昔(昔々のお話)僕がロンドンでファッションの仕事をしていた当時、ヴィビアン、ウエストウッドという女性デザイナーの服も扱っていた関係から、彼女の当時の伴侶マルカムマクラーレンとも知り合い、マルカムがマネージャーをしていた「SEX PISTOLS」のレコードも扱ったりしていました。(この辺の事は、僕の海外編のロンドンのページ中に書く予定です)
で、そのバンドを日本に紹介しようと、僕はある雑誌の創刊号のために、インタビュー記事を作りました。 世界で初めてのオフィシャルインタビュー記事だったのですが、あまりにも早すぎてほとんど当時の日本では覚えている人はいません。
その事を彼に話したら、何と彼はそれ以来、二十数年前のその創刊号をずっと探し続け、ついにある古本屋で見つけたというのです。
ただただ彼の熱意に感服しました。 で、彼から頼まれていたその時のインタビューのテープを(ご褒美に?)今日、日本にプレゼントしました。
いや〜なんか、彼の熱意すごく嬉しくなってしまいました。
彼のサイトを一応つけておきます、特殊なバンドだったのですが興味ある人は見てください。
HP URL #1 : http://www.geocities.co.jp/MusicStar/6282/
HP URL #2 : http://www.no-future.org/
2001年4月6日
数日前のことです。 女房が娘に「はい、今月のPOCKET MONEY」と言いながら、○○○ドルほど渡しているところに出くわしました。
つまりお小遣いです。
僕は全くその辺の事には関与していないので、その額を見た時に「えっそんなにもらってるの」と驚きました。
確か昨年まではそんなにもらってなかったと思うので、「いつからそんなに増えたの?」と。
二人の反応は「全く何にも知らないんだから」。 聞くところによると、今年から大学の研究室で「オナー」のコースを始めて、研究に忙しく前よりもアルバイトしてる時間が減っている、たったこのコースは1年だし、来年からは自分で食って行くようになるからと、コースを終えるまでの1年間は、増やしたのだそうです。
そういえば最近アルバイトに行っている日が少ないとは思っていましたが。 それでも週末は土曜か日曜日一日だけやっているようです。 そのアルバイト先の店が2件目に増えて、先日開店パーティーに呼ばれて行きました。
彼女がアルバイトをしているのは、我が家からすぐそばにある、「グルメデリ」、名前を「CRAVE」と言います。
この「グルメデリ」日本でもそういう名前で呼ぶのかどうか分かりませんが、いわばカフェーと、お惣菜屋とがミックスしたような、最近流行りの、そこで食事ができるデリカッテッセンというのか。
うちの近くの1号店は、カウンターに椅子3つ、その前の歩道にテーブルと、椅子が少々並べられているだけで、店の中では食事が出来ないほど狭いです。 本来がテイクアウェーの食品、や調味料などを売っているのですが、昼時などそこでランチをとる人でとても賑わっているのは知っていました。 まさかこんなに早く2号店まで出してしまうほどとは。
2号店はボンダイジャンクションのはずれにあります。 オックスフォードストリートをシティーの方に向かって行くと、マクロという自然食品店がありその真向かい。
1号店と比べて、とっても立派な2号店のオープニングパーティーで、オーナー夫妻と少し喋りました。 彼らは二人とも料理人。(いわばオーナーシェフですな)
パーティーの席ではガヤガヤしていてあまり深くは話せないのですが、今度彼らをうちに呼んで、料理談義をしたくなりました。僕の趣味の一つが料理なので、彼らにはとても興味があります。
彼らの作るメニューは、ここオーストラリアのマルチカルチャーの風土を取り入れた、「何でもあり」のものだけに特に話が合いそうです。
僕はすっかり浦島太郎なので、日本から着たばかりの人が、ベジマイトに驚いたりというのさえ、すっかり忘れてしまうほど。
ちなみに僕は、毎日ベジマイト食べています。 いや正確に言うと、マーマイトの方です。
日本の友人で両方とも聞いた事無い人にはちょっと失礼、もう少しこの事を続けます。(以下を読むと大体どんな物か分かります)
ベジマイトはオーストラリアのもので、マーマイトはイギリスのものです。 パンに塗って食べます。 ずっとベジマイト派だったのですが(僕がロンドンにいた当時はマーマイトは常食にしていなかった)たった数年前にメルボルンの義理の姉さんのところに泊まっている時に、ベジマイトが無くマーマイトが置いてあったので、かわりに食べたら塩気が少ない事に気がついたのです。 それまではほとんど同じ味だと思っていたのでわざわざベジマイトがあるのに(娘や女房はベジマイト派)同じ味のマーマイトは買う必要もないと思っていたのです。 やはり減塩は気になる僕としては、それ以来、サネトリアム社のマーマイトに切り替えました。 ちなみにベジマイトはクラフト社製です。
なんか話題がどんどん飛んでしまいます。 (これが僕の特徴です、スイマセン)スイマセンと言いながらどんどん進めてしまいます。
このベジマイトは絶対に日本人にはむかないと思っている人が多いです。 これは完全に間違いです。 ある時僕は日本から来たばかりのベジマイトの洗礼を受けた人と賭けをしました。
彼はこんな異常にマズイものが日本人に合うわけはないという、一般的な(日本人として)否定派です。
で、僕はそうではない事を証明するためにある実験をしました。
ちょうどその頃僕は、日本から来る若い人達をお世話する仕事をしていました。 毎週毎週オーストラリア初めての人達です。
そこで来たばかりの若い到着者たちに実験台になってもらいました。
用意するものは、焼きたての(焼きたてでなくても良いのですがよりいっそう美味しく食べていただくために)フランスパン。 それだけです。
まず最初に、彼(もしくは彼女)に目を閉じてもらいます。(その時点ではベジマイトは見せていません。)
僕、「目を閉じて、次の食品を思い浮かべてください。 昆布の佃煮、塩辛、納豆」。 他にも何種類か日本独特の食品をあげました。
「次にそれらを混ぜて熱いご飯の上に乗せて食べるとどんな味になるか想像してください」
そういった後、僕はおもむろに、フランスパンの上にベジマイトを塗ったのを出し、食べてもらいました。
10人中9人までがちゃんと食べる事が出来ました。 「ウエーっ」と言って途中で吐き出す人は少々いましたが、だいたいそういう人は日本でも納豆が嫌いというような人達でした。
で、5人中少なくとも2人から3人は、「これはご飯に乗せても食べるられるかも知れない」や、「結構僕こういう味好きですよ、甘いジャムとか苦手な方だから」という風に、評判いいのです。
「どうだっ!」賭は完全に僕の勝ちでした。
これには本当に大事な事が含まれています。 つまり人間は先入観念で、物事を判断してしまうのですな。
ベジマイトの場合は、色や状態から、多くの人がチョコレート系の甘いものを想像してしまうのでしょう。
甘いものが口に入って来るぞって思っていて、正反対のものが来ると、拒絶反応が起きます。 その拒絶反応は強く、以後受け付けなくなってしまうのです。
これって我々の日常で、食べ物以外でもやっている可能性あります。
「○○人って嫌い」本当に深く付き合ったことも無いのに。
イヤーすっごく回り道(話が飛んだ)してしまった。
おぼえていますか? 僕はCRAVEのオーナーの料理の種類の話してました。 彼らがたまに(日本人には奇妙に見えるような)料理を作っても僕は、大喜びです。
例: いなり寿司の袋(油揚げで出来てるやつです)の中に、イタリア風リゾット米とチーズとイタリアンハーブが入っている。
うちの母親は卒倒しそうになりましたが、僕は美味いなーって思いました。
ぜひ彼らと料理談義をしたいです。
2001年4月7日
シドニーは、秋晴れの良い天気が続いています。 この秋晴れって、とても日本のに似ているんですが、空気がきれいなせいか日中の温度はかなり上がります。
僕の下手な日本語で表現するより、写真を付けた方が早いと、ちょっと撮って来ました。
この毎朝行く公園は、今岸壁を工事中で、もう少し良いアングルがあるのですが、それは次回に。

この公園の名前はLYNE PARK (ラインパーク)、ROSE BAYに有ります。
左にいるのが、わが愛犬。 その向こうに水上飛行機が見えます。
今はシドニーの遊覧飛行機の発着所になっていますが、何と、昔ここはシドニーで最初の旅客定期国際便の空港だったのです。 最初にイギリスから飛行機が来たのは今のシドニー空港キングスフォードスミスですが、本格的に外国行きの定期便が始まったのは、この公園からなんです。
カンタス航空の始まりでもあります。
この事を知ったのは、何と10数年ほど前に一人で昔住んでいたイギリスに遊びに行った時です。 旧友との再会があり、その中の一人ナイジェルが彼の家に招待してくれました。 彼は僕が住んでいた当時、キングスロードでファッションの店をやっていました。
僕がシドニーに移ってから、風の便りで彼は麻薬中毒になり、店も何も全部失って行方も判らなくなっていました。 僕がロンドンを訪ねた時に、偶然に共同の友から、彼がすっかり元気になって(麻薬からも完全に立ち直って)SOUTHAMPTONに住んでいることを知りました。
すごく懐かしく、是非再会したいと思っていたので、連絡をとり彼の住むSOUTHAMPTONまで訪ねて行きました。
僕がロンドンを出たあとの彼のストーリーはあまりにもドラマティックで、ここに書くには無理なので省略します。
元気で、かわいい奥さんと二人で、新しいビジネスをやっていました。
再会できた事も、彼が麻薬から立ち直った事も嬉しく感じたものです。
その日は、彼に連れられてSOUTHAMTON街を案内してもらったのですが、ちょうど波止場の堤防のところを通りかかった時に何気なく目に入った小さな銅製のPLAQUE(銘版、記念額)を見て、ビックリしました。
そこには、ここがシドニーとイギリスの国際線の発着所(空港)だった事、そこからシドニーのROSE BAY(LYNE PARK)に向けて、定期便が飛び立っていた事を記念するものだったのです。
僕が毎朝愛犬と散歩するその公園の事が書いてあるのです。
実はその時には、シドニーのこの公園にはそのような事を記すPLAQUEは、存在していませんでした。
昔その公園が飛行場だったらしいというのは知っていましたが。
今は何の変哲もない小さな公園で、ウオーターフロントのレストランがあるだけです。
そのロンドン行きで、まさかロンドンを離れてSOUTHAMPTONまで行く事など全く考えていなかった上に、ナイジェルとの再会でさえ、ほとんど偶然でしたから、とても感激したのを覚えています。
その後(まるで僕がシドニー市に頼んだみたいに)1年ほどして、このLYNE PARKに同じような銅製のPLAQUEが建てられます。
ある朝散歩で、作業員がそのPLAQUEを建てているのを見てまた感激しました。
そのPLAQUEには、ここが1938年に最初の定期外国航路の発着所になった事や、行き先はそのイギリスのSOUTHAMTONであること等が刻まれています。
そうそう書き忘れました、昔々の旅客飛行機って言うのは水上飛行機だったのです。(FLYING BOAT)
ところが今回この日記を書くためにこのPLAQUEを撮影し細部までよく読んでいてまたまた思わぬ偶然を発見しました。(一緒に読んでいた女房もビックリ)
何と、この額が作られた当時(1988年)のQANTASの、最高責任者は、元日本へ行かれたオーストラリア大使だったのです。
名前をJ.L Menadue (AO) ,偶然はそれだけにとどまりません。 日本に大使として行かれた Mr.Menadue と奥様は、大の日本贔屓になり、両国間の文化交流に多大な貢献をされました。 その一環として、基金を設立されて日本語教育の普及に努めます。 何とわが女房はその基金で今日本語を教えているのです。
本当に偶然というのは重なるものです。
これがそのPLAQUEです。
読めないと思いますので下に原文を入れました。

QANTAS FLYING
BOAT MEMORIAL
AT 7A.M ON THE 5TH OF JULY 1938, QANTAS AIRWAYS (IN CONJUNCTION WITH IMPERIAL
AIRWAYS) COMMENCED FLYING BOAT OPERATIONS FROM ROSE BAY.
THREE SERVICES OPERATED PER WEEK IN EACH DIRECTION BETWEEN SYDNEY AND
SOUTHAMPTON ENGLAND TAKING NINE AND HALF DAYS WITH SCHEDULED STOPS AT 31 PORTS
EN ROUTE, USING A SHORT BROS. 'C' CLASS EMPIRE FLYING BOAT, REGISTRATION
VH-ABF, "COOEE" WAS UNDER THE COMMAND OF CAPTAIN P. LYNCHEBLOSS WITH
A CREW OF 10 WHICH INCLUDED THREE STEWARDS BEING EMPLOYED FOR THE FIRST TIME
ON A QANTAS AIRCRAFT.
QANTAS CEASED FLYING BOAT OPERATION FROM ROSE BAY EARLY IN JUNE 1955.
J. L.. MENADUE
AO
CHIEF EXECUTIVE QANTAS AIRWAYS LIMITED
JULY 5 1988
2001年4月8日
今日は日曜日、本当に久しぶりに中華街へ。 とっても遅い昼食を飲茶(ヤムチャ)でという事になって、遊びに来ていたK.I君も一緒に。
彼はレース仲間。 数少ない日本人の友人の一人。
いつもはメチャ混みの金福レストランも、午後3時近くに行ったら、直行で入れました。 (いまだに金福はランキングトップの座をもらっているのでしょうか。)
昼の飲茶は一時期随分通ったものです。
インド料理と同じように、ロンドン時代におぼえた飲茶は、シドニーに僕が移っていた頃から本格的に始まります。 (随分昔の話でスイマセン)
確かシドニーでは「MARIGOLD」レストランが、一時期ヘラルド紙のランキングのトップ走っていましたが、SUSSEX ST の第一号店が出来た頃の話です。
飲茶の人気第一位の店は移り変わりましたが、僕はだいぶ前からベトナムやタイ料理のほうに目が移ってしまい、今日の飲茶も本当に久しぶりです。
飲茶は僕の好きな「早い、美味い、安い」のチャンピオンですが、ベトナム、タイ系に比べてどうもスパイスが「なまぬるく」感じるようになってきたのが、あまり来なくなった理由かもしれません。
しかし今日は久しぶりというのもあって堪能しました。 料金も飲茶は本当に良心的で。
この「早い、美味い、安い」についてちょっと書いてみます。
シドニーには回転寿司が大流行(もちろん世界的にも)、これもやっぱり「早い、美味い、安い」系です。
僕がこの手の食事を好む理由の一つは、「酒を飲まない」というのがあります。 それにいつまでたっても気の短い日本人だし。
しかし、時代がそういう方向に動いているとも確信しています。 時代がものすごい速度で動いています。
そうでなければ回転寿司がこれほどオーストラリア人に流行らないと思います。
ニューヨークのロワーブロードウエイにアパートを持っていた頃に、友人のニューヨーカーにタイムススクウェアーにある店に夕食を摂りに連れて行かれたことがありました。 そこはファーストフードの殿堂のような店で、ロンドンというか、ヨーロッパとの違いに、ビックリしたものです。
ありとあらゆるタイプの料理が、ファーストフードスタイルで軒を並べていました。 今のフードコートの原型の様なといったら判っていただけるでしょうか。
まさにそこは最も「ニューヨーク」的な場所でした。
夜7時頃から食べ始めて、デザートが運ばれてくるのは絶対に10時前はありえないような某有名フレンチレストラン、酒を飲めない僕には、いささか苦手です。
2001年4月9日
シドニーもイースターで盛り上がりつつあります。 ちょっとだけ皆はホリデームード。 ということは悪名高い交通事故多発。
なぜかこのシドニーのある、ニューサウスウエールズ州はオーストラリアの中でもダントツに交通事故が多いです。 何でだかよく判りませんが、ヴィクトリア州と比べてどうしてこんなに死亡者の数とかこんなに違ってしまうのか。
で、休みに入ると警察は必ず交通違反の点数を増やしてます。 つまり普段はシートベルト無着用が3点減点なのにこの期間だけ6点というふうに、突然倍増します。
すごいですよね、まるで航空券のマイレッジポイントサービスみたいに、この期間にご利用いただいたら、ポイントが倍増えますって言う。
法的根拠があるのだろうかって、考えてしまいますがとりあえず事故が減るなら(特に悪名高いこの州では)仕方が無いのかもしれません。
皆さんも是非気をつけてください。
さてこの交通違反の事を書いていて、「小野君」の事を思い出してしまいました。 昔僕が若い人たちのお世話をする仕事をやってた当時の事です。
その日事務所に小野君が駆け込んで来ました。 「あの、僕今朝逮捕されてしまいました」。
で、一日中取り調べられて、さっき釈放されたというのです。 なんでも朝5時頃アパートに数名の警察官が来て、いきなり逮捕されて手錠をかけられて連行されたそうです。
「え〜?なんでっ!」僕も事情がわかりません。
実は彼、交通違反で逮捕されたというのです。 「???」交通違反くらいで、家宅捜査までされてしまう?
そこで彼から詳しく聞いてみると、
ある日彼は友達から買ったバイク(900ccの大型)で、一人オックスフォードストリートを爆走していました。 100キロちょっと(60キロ区間)出ていたそうです。 ちょうどネズミ捕りをやっていて、スピード違反で停止命令を受けました。 停まるふりをしてスピードを落とし、警察官の立っているそばまで行ってから突然全速で逃げたそうです。
もちろん警察の追跡が始まりました。 白バイはいなくてパトカーだけの追跡だったそうです。 彼は日本でも「走りや」(暴走族とどう違うのか良くわかりませんが)をやっていたので、振り切れる自信があったそうです。
で、この繁華街のオックスフォードストリートから逃げ出して、結局振り切ってしまったのです。
ところが(日本は知りませんが)こちらの警察はかなり追跡に自信を持っているので、振り切られたりするとものすごく屈辱感がわくようで、非常線を張ります。 で、多くのパトカーなどを動員して、逃げた地域を丹念に数日に渡って捜索を続けたようです。 すぐに路上に置いてあった彼のバイクを見つけ、それから数日にわたって張り込みをし(現行犯ではなかったので)逃げたライダーが着ていた革ジャンと同じのを、小野君が着ているなどの確認の写真も撮り、一週間後にとうとう朝寝込みを襲って逮捕してしまったのです。
そこまで聞いても、僕は事態の深刻さを認識していませんでした。 まあ逃げたのは悪質だが、何日も張り込んで早朝逮捕で、手錠をかけてと、なんだかオーバーだと思ったのです。
ところが、仮釈放されて来た彼の罪状を見てビックリです。
ちょっと箇条書きで書きます。
スピード違反1.(最初に止められた時の分)40キロ超過。
警察官の停止命令無視。(公務執行妨害といいましたっけ)
スピード違反2.(逃げる途中)125キロ超過、つまり時速185キロ以上で逃げたそうです。(後から追跡の警察官に聞いたら200キロは出ていたはずだとの事。)
追い越し禁止地区違反。(数回) 右折禁止違反。 信号無視違反(十数回)
車線変更禁止地区変更違反。 歩道通行違反
無免許運転!!!。 名義変更義務不履行 無車検車運転行為
無保険車運転
今おぼえてるだけでもこれだけですが、とにかく日本に帰ってしまった友人から買った車検切れのバイクを(当然のように強制保険も切れています)無免許で、名義変更もせず、爆走して逃げたのです。
後でこれも警察官から聞いたのですが、追跡のパトカーの一台は交差点で彼を追っている途中で曲がりきれずに突っ込み大破したそうです。
それを知って僕は考えました。「 約一ヵ月後の裁判に僕が出ただけでは、絶対に刑務所行きになる。(収監期間は短いでしょうが)」
「小野君、これだけ重なると刑務所行だよ」ところが彼の答えは「しょうがないっす。 行ってもいいです。」 彼はどうも日本の交通刑務所を考えているようです。
オーストラリアには交通刑務所は無く、行くとしたらもちろんホンマもんの刑務所なのです。
色々考えた末、弁護士に相談しました。 その弁護士は、18歳の小野君を見て言ったものです。
「彼刑務所行ったら絶対に、他の囚役者にやられちゃう」
そうか、そういうことまで考えていませんでした。 で、小野君を良く見るとまだあどけない顔の18歳、背もすらっとしていてお尻もきゅっと締まって、オーストラリア人から見たら16歳以下にも見られるようなかわいさです。(いえ、あの僕は興味ありませんが)
その事を彼に言ってもキョトンとしているだけです。
事態の深刻さがわかっていないのです。
次の日に続く
2001年4月11日
昨日の日記は、途中で終わってすません。
さて、弁護士事務所で、小野君は事の深刻さを知ります。 オーストラリアの刑務所ではかなりの確率で他の囚役者から性的暴行を受けるというのです。 特に彼のような若い、かわいい子は標的になりやすいようす。中には麻薬中毒経験者などで、AIDSを持っていなくても、B型肝炎ウイルスを持っているものは結構多くいるはずです。
ですからそのようなウイルス保菌者に性的暴行を受けた場合、結果はおのずと知れてます。(僕は昔見た映画「案山子」の中で主人公演じるダスティンホフマンが、刑務所内で、筋肉モリモリのやつに強姦されるシーンを思い浮かべてしまいました。)
そこで
僕と、弁護士は法廷での申し開きをどうするか何度も協議し、随分詳細にわたった「作文」に励みました。
なぜ「作文」なのか。 法廷では、罪は全面的に認める予定でしたが、最後に情状酌量を請うために、小野君のために弁護士の喋る時間が与えられます。 そこで全くの「作文」であっても裁判官の心を打つ内容を作る事によって、判決内容が大きく変わってくるというのです。
出来上がった内容はこの小野君の本当の状況とは似ても似つかないものでした。
それは、「高校を卒業し、一生懸命勉強した甲斐もあって、日本でも有数の一流大学に合格が決まりました。 両親も大喜びで彼が大学に入る前に、1年間オーストラリアでワーキングホリデーをして、経験を身に付けたいという希望を認めます。 彼は日本で一生懸命アルバイトをした後来豪し、オーストラリアをバイクで一周するという希望もあって、オーストラリア到着後すぐにバイクを入手します。 来て間もない彼は、スピード違反で停止命令を受けた時に、永年の夢がすべて壊れてしまうというパニック状態に陥ったのです。
一旦は止まりかけたのですが、パニックに陥った彼は無我夢中で逃げてしまった」というそんな「作文」でした。
彼は確かに18歳でしたが、それ以外は何とも創ったりという内容でした。
こんな嘘デタラメ並べていいのでしょうか。 その弁護士の作った内容を小野君に説明しておぼえてもらうのが大変でした。
いくら弁護士が喋るといっても、裁判官は彼に通訳を通して直接聞く事もありますから、彼はすべて内容を把握していなければなりません。
なぜそこまで彼を助けてやらなければならないのかという批判も一部で出ましたが、助けるのが僕の仕事というだけでなく、僕には彼の良いところも見えたので、ここで彼の人生を大きく変えたくないという気持ちがありました。
裁判当日僕は通訳もかねて、出廷しました。
検察側と、証拠類を用意した警察側の関係者の数の多さにビックリしました。 空き巣くらいでは、通報しても調べにも来ない事があるほど、または来ても犯人の残した指紋も取らないほど、警察力(予算、人数不足)が落ちているオーストラリアで、これはかなりな扱いだとわかります。
幸運にも裁判は我々が望んだように展開し、結局判決は執行猶予つきで、オーストラリアでは(3年だったか)運転行為禁止、罰金は当時(約十年前)1800ドルでした。 彼はバイクも売り(当たり前ですが)手持ち金もすべてその罰金に消えてしまったために、その後アルバイトに精を出します。
何しろ一文無しになってしまいましたから、本当にまじめに働きました。
日本でもこんなに一生懸命働いた事は無かったそうです。 働いていたレストランでも可愛がられ、そこのオーナーの影響で、日本に帰国後はまたニューヨークに行ったという話を聞きました。
沢山の若い人たちのお世話をした頃の事をいまだに良く思い出します。
今となっては懐かしい思い出ですが、今回もこんな事を考えながら一人ニヤニヤしていました。
「もし小野君がこのイースター罰則点倍増週間に上の違反をやっていたら」
「死刑!!!」だったかもと。
2001年4月12日
先日交差点の赤信号で停車していると、いきなり汚いオニーチャンに窓を拭かれました。
最近はめっきりこれが減っていたので、すっかり油断していました。
日本でこういう嫌がられるサービスあるのか知りませんが、多分これはアメリカからでも流行ってきたのでしょう。
知らない人のためにちょっと書きますと、信号で停車している車の窓ガラスを拭いて小銭を稼ぐのです。 はっきり言ってこれは車には良くありません。 信号で停まっていると中には自分の方から頼んでいる人もいますが、普通は頼まれてもいないのに勝手に、皿洗い用の洗剤がジャブジャブ入ったバケツの水を、何度も使ってやるのですから、フロントウインドウをとめている回りのゴム類はたまったものではありません。
一時はその「窓拭き人」がいる信号が街中いたるところにあって、断るのに苦労したものです。 何しろ「止めロー」って怒鳴っていても、無視して始めてしまうのがいます。 窓から首を出して、何度喧嘩した事か。 こんな人相の悪い僕が怒鳴っているのでもやってしまうのですから、だいたい全然見ていません。
一度洗ったばかりの、ピカピカの車でやられた時はさすがに頭に来てとっちめました。
「頼んでもいないのに何でやってるんだ!」答えは「タダでいいよ」です。 つまり金を払いたくないから怒っているのだろうから、タダで良いよっていう、完全に判ってないのです。 今洗ったばかりで、ワックスもかけたというのに。
さてこの窓拭きでもう一つ忘れられない事があります。 僕が住んでいる近くにダブルベイ(DOUBLE BAY)というところがあります。 金持ち相手のスノッブな店が多く、オーストラリア人にはダブルペイ(DOUBLE PAY)つまり他と比べて2倍払うと呼ばれています。
ある時そのダブルベイの交差点に若いとても魅力的な女性二人の窓拭きが出現したのです。 それもホットパンツにヘソ出しルックです。
だいたいこの手の窓拭き人というのは若い汚い坊やか、オニーチャン、たまにアル中やヤク中っていう感じのオジサンだったりなのに、顔もプロポーションもかなり魅力的な若い女性の二人がやっているのですから、ものすごく目立ちます。 さすが断る人も少なく、お金持ち風のおじさんなんてピッカピカのベンツやBMWで、ニヤつきながら拭いてもらっています。
僕はこれを見た時にとっさに隠しカメラを探しました。 これは絶対にどこかのテレビ局の番組のためにやっているって。 ヤニ下がりながら拭いてもらってたりしたら、すっかりテレビに出てしまうのではないかと思ったのです。
ところが数日後に通りかかったらまたいます。 「う〜ん?」僕はわからなくなりました。 あのくらい若く魅力的な女性なら、いくらでも他に仕事あるのではないか、何で大して金にもならない事をやっているのだろう。
誰にも使われずにお金を稼ぐというのに魅力を感じているのかもしれませんが、それにしてもあの目立つ(わざとらしいピチピチのホットパンツを穿いて)格好でやっているのには絶対に裏があるのではないかと、疑い深い僕は考えていたものです。 しかしそれもたった2ヶ月くらいでいなくなってしまいました。 この界隈の金持ちオヤジ相手にたっぷり稼げたでしょうか。
そうそうもう一つ金持ちオヤジで思い出しました。
ある日散歩に出かけると、うちの近所から公園まで電信柱にいくつか大きく目立つ「犬捜し」の看板が出ていました。 そのカンバンには行方不明になった、何の変哲も無い白い犬の写真が出ています。 すごく金のかかった目立つカラー写真入りのカンバンを見ていた僕は、見つけた方への謝礼金額を見て、「!!!!????」もうビックリです。
なんとそこに出ている額は「10,000ドル」当時はまだ1ドル100円くらいでしたから何と100万円なのです。
家に帰って冗談に女房に言いました。 すぐペットショップに行って白い犬買って来よう! これに答えて女房は、「いやうちのハナちゃんは格好も大きさも似ているから、ハナちゃんを白く染めて、名前をコスモ(いなくなった犬の名前)って新たにおぼえてもらって、1万ドルもらったら、逃げて帰ってくるように仕込む。 うちのハナちゃんはとっても頭がいいから、そのくらいの演技はできる」とかもう支離滅裂です。
僕はこれもひょっとしたらテレビの隠しカメラが置いてあるのではないかと思ったものです。 さすがにこれは近所でも評判になりました。 連絡先の電話番号は出ていましたが、捜している人の名前は出ていませんでした。
しかしすぐに誰かがわかりました。 名前はRENE RIVKIN これを聞いて全員がすぐに納得してしまいました。 彼は株屋なのですが、自分の築いた富を顕示することを金儲けの手段にしているので有名な人です。
金の鎖や指輪ギラギラに、トレードマークの大きな葉巻を吸いながらの自分の写真を使った、彼の会社の広告はオーストラリアでは有名です。
「お金儲けたい?」それなら僕のところに来なさいって感じです。
ちなみに彼は日本国総領事館官邸の隣に住んでいます。
彼が本当に犬を愛していて、たとえそれが100万円だろうが見つかればかまわないからカンバンを出したのだろうと、僕は考えたいのですがね。
2001年4月13日
今日はイースターの金曜日。 (偶然にも13日の金曜日ですな)
日本ではイースターというのはピンとこない人も多いと思いますが、クリスマスと同じくらい大事な物のようで、会社も銀行も、普段めったに休まないスーパーさえも閉まっています。
女房に言わせるとクリスマスと同程度とか。 ちなみに今日のイースター金曜日は、クリスマスイヴといったところか。
イースターといえばイースターエッグとホットクロスバンですな。
イースターエッグはわりと知られていますが、ホットクロスバンはこちらに住んでいないとなかなかお目にかかれないかもしれません。 この時季どこのパン屋さんでもこれを売っています。
女房も当然のように昨日買ったのを朝食に用意してます。 下の写真を見てもらえば判りますが、このパン上の十字が無ければただのブドウパン(シナモンやALL SPICE がったぷり入った)なんですが、いつからイースターに欠かせない物になったのやら。
これを詳しくご存知の方は教えてください。 雑学大得意の女房もあまりよく判っていないようです。 判っていないが、とりあえず毎年欠かさず食べてます。
女房が子供の頃このパンを食べながら歌ったそうです。
Hot Cross Bun
Hot Cross Bun
One A Penny
Two A Penny
Hot Cross Bun
If You Have No Daughters
Give Them To Your Sons
One A Penny
Two A Penny
Hot Cross Bun
なんかよく判らない詩なんです。(何の意味も無いような)
これを食べながら、「今年ももうイースターなんだな」って感じるんでしょう。
で、クリスマスのようにどこもお休みに入りますから昨日はどこの店も大混雑。 我が家のように無宗教なところは週末のための買出しとはほとんど無縁。 中華街へ行けばなんだってあります。
マルチカルチャーの街シドニーはその点便利、イースターだろうが新年、クリスマスだろうが中国系の人たちのおかげで全く不自由はありません。

イースターバニーとイースターエッグ。それにホットクロスバン
2001年4月14日
ネットサーフィンをしていながら、日本のHPいろいろ見ていて思うんですけど、良く「SORRY NO ENGLISH」 って出ていますよね。
日本語だけのサイトで、「SORRY」って謝ってしまっているの、不思議だと思うんですけど。
べつに、日本語だけだって充分だと思うのです。 日本人はこの「SORRY」って言葉使いすぎます。
これも昔オーストラリアにワーホリで来ていた「カバサワ」君のお話です。彼はとてもおとなしいタイプで、来たばかりだし、英語はほとんど喋れませんでした。 どうしてもキングスクロスという繁華街に住みたいというので、そこにワンルームのアパートを見つけ、住み始めてすぐの頃です。
このキングスクロスというところ、東京で言うと新宿みたいなところでしょうか、最近少しは治安が良くなってきていると思いますが、当時は昼間でもヒッタクリや喧嘩などがありました。 特に噴水の周辺は真昼間で人通りがあるのに、ヒッタクリがあったりで要注意でした。
ある朝このカバサワ君がアパートから出てきたところ、後ろから来た若い男にショルダーバッグをひったくられそうになったのです。 とっさに彼はそのバッグを握り締め、取られまいと抵抗します。 相手も必死で取って逃げようと、もみあいになりました。 彼はその時にとっさに何か言いたかったのですが英語が出てきません。
こういう場合は英語でなくても、日本語で大声を出せばいいのです。
「馬鹿やろー、やめろー!ぶっ飛ばすぞー!!」何でもいいんです。
その上そばの通行人に「ヘルプ」とか怒鳴れば、たいていは犯人もすぐに止めるのですが、カバサワ君もあせっていたのでしょう、なんと出た言葉が「ソーリーッ!!ソーリー!!」。
これじゃ、悪いことしてたのはカバサワ君みたいで、通行人も助けてくれません。 ただ知り合い同士で喧嘩してるだけというか。
「SORRY!SORRY!」って、いくら怒鳴ってもらちがあきませんわな。
それを聞いて僕は笑いが止まらなくなってしまいました。 それ以来彼のニックネームは「ソーリーカバサワ」になりました。
しかし考えてみると本当に日本人は「SORRY」をよく使います。
何かやってもらって「あっ、どうもどうも」なんて言う時にまで「Sorry]使ってしまってます。
必要以上に「SORRY」を使うと、誤解が生じたりする時さえあります。
タイヤのブリジストンのアメリカ支社長が公聴会でいきなり「Sorry]で失敗してます。 同じ公聴会に出たフォードの社長(彼はオーストラリア出身です)は、全く逆な態度をとりましたから、とっても対照的でした。
「Sorry」といえば日本語で「ご愁傷様です」なんて時に「I AM VERY SORRY TO HEAR ...」と使うと、とっても感じ出ると思います。(ただし相手に向かって喋っている場合ですけど)