2003年5月後半の日記

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2003年5月16日

昨年の終わりから今年にかけて続いた干ばつ時に大きな被害をもたらした山火事。
女房の古い友人の一人、画家のジェフ(Jeff Doring )も総てを失ってしまいました。
山火事というのは風向きによって津波のように押し寄せてくるもので、彼はたった一枚の画を持って逃げ出すのが精一杯だったとか。

考えてみると、このような状況の時にもし僕がたった一つのアイテムしか持って逃げられないとしたら、何を選ぶのだろうと。
家族やペットは勿論最優先ですが、物として考える場合には何を選ぶだろう。
お金では買えない貴重な物は何だろうと、彼が画を一枚だけ持って逃げたという話を聞いてしばし考えました。
皆さんは何がありますか。

さて、
家が全焼してしまったので、画家である彼自身が所蔵する作品も総て消失してしまい、その上火災保険にも入っていなかったのです。
そこで先日彼の友人達が集まって彼を援助するためのオークションが開かれました。
彼と交友関係にある画家達がそれぞれ自分の作品を寄付した画をオークションで売って、彼の再建資金に当てようという事です。

オーストラリアではこのような自然災害に対しては多くの人がボランティアで消火活動に参加したり(何千キロも離れた他の州からも来る)、募金に協力したり、被災者には仲間同士で助け合うというのは多いようです。

下にあるのが女房がそのオークションで落札してきた画です。
ご存知の方も多いと思いますが、これはオーストラリア原住民(アボリジニー)の独特な画です。
僕はアボリジニーの絵についてウンチクをかたむけるほど詳しくないので説明は致しませんが、もし興味のある方はウエッブ検索で調べるといろいろ出てくると思います。

作者には Charlie Egarlie ( Papunya ) で、1993年の作品とあります。

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画といえば女房は先週から突然画の教室に通い始めました。
僕も一緒に行こうと誘われたのですが、今回は辞退。
毎週月曜の夜7時半からのこのクラス、大いにエンジョウイしているようです。


2003年5月17日

本日土曜日と明日日曜日の日記はお休みいたします。
皆様良い週末をお過ごし下さい。


2003年5月19日

久し振りにシドニーは快晴。
長く続いた干ばつに頭を痛めていた僕には、雨が降ると嬉しく感じるほどでしたが、さすがにこのところの長雨で、少々ヘキヘキしておりました。
やっぱり青空は良いです。
暖かさも戻って来て、晩秋とは思えないほど暖かく、テレビの中継でやっているテニスのハンブルグ選手権を見ていたら、北半球なのにシドニーよりうんと寒いようで、晴れているのに観客はオーバーを着て縮こまっています。
(北半球で)6月近くなのに寒そうなのを見て、ロンドン時代を思い出しておりました。 (やっぱりシドニーは良いです)

さて
我が家から比較的近くにある肉屋の経営者が新しくなったと女房が言っていたので、そこを通る時に注意して見たら肉を飾っているショーウインドウに大きな字で「WAGYU BEEF AVAILABLE」とありました。

最初それが「和牛」という意味だとは気が付かなかったのです。
というのもオーストラリアでは日本のような牛肉を「KOBE BEEF」と呼ぶと思っていたからです。

実はクイーンズランドに住む友人が先日シドニーに遊びに来た時に、その和牛の話が出ました。
なんでも非常に質の良く軟らかいオーストラリア産の牛肉がサーファーズパラダイスでは手に入るとの事。
特に最近牛肉を食べる機会が少なくなっています。
これはオーストラリアの牛肉が硬いという理由だけでなく、気に入っている料理の変化等で、牛肉を使う機会が減っているからです。

これは僕だけに限った事ではなく、オーストラリア人の消費量も年々減っているとの事。
「RED MEAT」と呼ばれる牛肉類よりも、鶏や魚等の白身の方がコレステロールも少なくヘルシーだという風潮に押されて、牛の消費量が減り、そのぶん魚の値段が高くなる傾向にあります。
また英国人の友人が先日シドニーに来た時に、やはりほとんど牛肉を食べる機会が減っていると。
勿論英国の場合狂牛病の影響が強いのでしょうが、オーストラリアと違って肉の値段が非常に高いのも関係しているのでしょう。

普段ステーキを食べない僕ですが、日本で手に入るような肉がその肉屋で売っているのならと早速その店に行ってみました。
しかしショーウインドウには大きく書いてあるのに、中に入って並んでいる肉を見てもそれらしき肉はありません。
店のオヤジに「WAGYU BEEF」は有るのと聞いたら、最初「ハァ?」なんて言われてしまいました。

自分で書いといて僕の「WAGYU」の発音が悪いのか。
で、そのサインを指差しながら「和牛」と繰り返したら判ったのですが、奥にしまってあるというのです。
で、「見せてもらえる」と言ったら奥から大きな塊を出してきました。
なんかサーロインステーキを作る前の塊なのですが、切り口を見ても全く霜降りになっていないんですよね。

友人の話では、サーファーズで手に入る和牛はクイーンズランド州にある牧場で飼育していて、主に日本に輸出されているらしいとの事。
日本のあるスーパーがその肉を国産和牛と偽って売っていたが、ほとんど違いが無いのですぐバレなかったほどと言う。

じつは数年前にシドニーのスーパーで「KOBE BEEF」と言ってオーストラリアでは初めて見るような霜降り(英語ではマーブルと言う)の肉を売り出して、値段もかなりなものだったのですが、大いに期待して購入したのですが、全く日本の肉とは程遠いもので大いにガッカリしたものです。
その友人も「見かけだけの霜降り和牛」のことはおぼえていて、しかし今のは見かけだけでなく、比較にならないほど良いと言う。

で、その新しく開店した肉屋のオヤジに、霜降りになっていないがこれは何処(州)で生産されたものかと聞いたら、ニューサウスウエールズ州だと言う。
やっぱりクイーンズランドのとは違うようなので購入しなかったのですが、そのオヤジ曰く、マーブル(霜降り)の肉も手に入るが店が卸でオーダーする場合ミニマム300キロなので、とてもそんなに捌けないから仕入れないと言っておりました。

ましてやコレステロール等の問題で脂の少ないのを選ぼうとするオーストラリア人にはあの霜降りは見ただけで手を出さないのではないかと。
つまり日本人的な量を食べればよいのですが、オーストラリアのステーキは馬鹿でかく、その上毎日のように食べてる人もいるくらいですから、確かに霜降りの和牛を取りすぎたら心臓に悪そうでは有ります。

僕の行くPC屋のジョン(香港出身)はとにかく和牛が大好物で、彼はシドニーからわざわざメルボルンまで日本から輸入された和牛のステーキを食べに行っていたほど。
目の玉が飛び出るほど高い料金らしいが、非常に気に入っているとの事。
しかし、日本で狂牛病が見つかってからオーストラリア政府が日本からの輸入を止めてしまったためにもう食えないと嘆いていました。

僕はオーストラリアの肉が日本に輸出というのは判るが、あれ程高価格な日本の肉をワザワザ空輸でオーストラリアまで入れているというのにも驚かされました。
何とかシドニーでもそのクイーンズランド産の「WAGYU」を手に入れたいものです。

何しろオーストラリアというのは国土が馬鹿でかいためと、流通機構が
駄目なので、せっかく隣の州で美味い物が有っても、手に入らない事がしばしばです。
食い物に無頓着な英国系の子孫が流通機構などを牛耳っているからではないかと疑ってしまうほど。
僕の大好きなリンゴで「グラニ−・スミス」というのが有るのですが、タスマニア産のは最高で、いつもメルボルンに行った時に大いにエンジョウイするのですが、シドニーでは手に入らないなんて、まことに不思議な国ではあります。

果物はともかくこの「WAGYU」については、どこかの肉屋とタイアップして自分でクイーンズランドから入れようかななんて考え始めています。



2003年5月20日

シドニーにある歓楽街キングスクロスからシティーの下を通ってダーリングハーバーに抜けるトンネル工事が始まり、ただでさえ混雑が酷くなっているのに、昨日はその工事中に誤って大きな電力ケーブルを切断してしまったらしく、オフィス街のかなりの部分で停電してしまったとの事。
今やほとんどのビジネスがコンピューターで動いているので、このようなミスは経済に打撃を与えかねません。

先日の日記にも書いたように将来のテロは海外からハッキングして国の電力を止めてしまうという可能性が有るくらいですから。

さて、海外に長く住む僕のような者にとっては、日本国発行のパスポートは非常に大切な物。
日本国籍を捨てていない僕は定期的にオーストラリアの居住許可を取る必要があります。
居住許可の期間は本人のパスポートの有効期限と関係しますから、海外に住んでいてパスポートがいつのまにか切れてしまったという事は、その国の居住許可も切れてしまったということ。

1974年に日本を出た僕はその前に海外旅行のために取得していた日本国パスポートから数え始めて、一体何冊のパスポートを海外で更新したのかすぐに思い出せないほど。
しかし数年前に日本国の数次パスポートが10年になったのですが、便利になって良かったと思っていたらこれが寸でのところで「落とし穴」になるところでした。

じつはどこの国も数次パスポートは5年という時代が長かったためか、僕のようなオーストラリア永住許可を取得している者の場合、一回に発行してくれる許可証の最長は5年なのです。
1998年に僕は初めて10年のパスポートをシドニーにある日本国領事館で発行してもらい、次の更新は2008年ということになので(当分先だと)安心していたのです。
ところが10年のパスポートになってもオーストラリア政府が発行する居住許可証は昔からの5年だったのですな。

偶然昨晩の夢にパスポートの事が出てきて、寝起きでボケていたのでパスポートが切れてしまったのではと思い慌てて見てみたら2008年までとあり、そうだ10年だったと安心したのですが、オーストラリアの居住許可がもう切れる寸前だったのです。
いや〜危なかったです。
日本人が母国に住んでいる場合はたとえ所持しているパスポートが知らないうちに切れてしまっても、今度海外旅行に行く時にまた取得すれば良いくらいで済みますが、僕のような立場の人間はそうはいきません。

さて、引っ張り出したパスポート(昔のも)を見ていたら貼ってある自分の写真が5年ごとに老けていく、これはある意味素晴らしいアルバムみたいだなと。
つまりきっちり5年ごとに撮影した自分が写っているから、記録アルバムなんですよね。
それを見ながら色々感慨に浸っていたり。

で、その昔の自分の写真を見ながら今とは(ヘアースタイル等で)全然違うのを考えていたら、ふと昔の事件を思い出してしまいました。

僕が昔ワーキング日ホリデーの若い人のお世話をしていたのは何度も書いていますが、その当時日本から来た「A君」の起こした事件です。
このことを書き出したら長くなりそうなので、途中で明日の日記に続きを書く事になるかもしれません。

A君がワーキングホリデーヴィザでオーストラリアに来たのはもう10年も前の事です。
その時は他にも何人かのワーキングホリデーメーカーと一緒に到着し、キングスクロスにあったホテルに最初の1週間は宿泊しました。

その一週間の間にオーストラリアでの住む場所(アパートを借りる。 ホームステ−をする。 シェア−メートとして募集のあるところに入る等など)を決めるのですが、彼の場合は一緒に到着した男性と二人でアパートを借りるという事になりました。
着いてまだホテル住まいの時から異常なまでに行動が「派手」だったのを良くおぼえています。
何しろ一緒にオーストラリアに到着した何人もを引き連れて、キングスクロスにあるカラオケバーに行き毎晩のように豪遊し、総て支払いは彼がしていました。
しかし使用しているクレジットカードがなぜか他人名義というので「おごって」もらっていた子達からも不安がられていました。

さて、済むところが決まったので今度は仕事を見つけたいというので、特技はと聞くと「寿司が握れる」と言うのです。
当時オーストラリアでも寿司が少しずつ人気が出始めていたので、日本で寿司を握っていた経験が有る場合にはすぐに仕事が見つかったものです。
住むところも決まり、仕事も決まってとりあえず僕もほっとしていました。

しかし時より彼の噂は他のワーキングホリデーの子から入ってきたのですが、やはりなにか「危なさ」が有りました。
寿司職人として皿洗いよりはましな給料はもらっていましたが、しかしパーマネントヴィザで働きに来た本格的な寿司職人と違い所詮アルバイトですから彼のもらう給料の額も高が知れています。
ところが相変わらず飲み歩いて豪遊したり、レンタカーを借りても「BMW」だったりと、見ている僕らがはらはらしていたものです。

オーストラリア到着して3ヶ月もしないうちにその事件は起きたのです。
A君と一緒にアパートを借りたS君が困った顔で僕の事務所に相談に来ました。
「今日銀行でお金を引き出したら、あるはずの残高がもうほとんど残っていないので驚いて、よく調べたら先週ほとんど引き落とされてしまっている。 全く自分は何が何だかわからない」と言うのです。

銀行のカードが入った財布を落とし一緒に暗証番号も書いて有ったりというトラブルがその前の年に有ったのですぐにカードは紛失してないのと聞くと、ちゃんと有るというのです。
で、暗証番号も誰にも言っていないというのです。

すぐに僕はS君を連れて銀行に行き、調査を開始しました。
そこで判った事はその前の週にダブルベイにある支店で引き落とされている事が判りました。
で、日本人の男がパスポートと銀行カードを持って来て「暗証番号を忘れてしまった」と自分が本人であるとパスポートを提示し、引き落とし申請書(Withdrawal Slip)にサインをしたので、支払ったというのです。

という事は彼の部屋からパスポートやカードを盗み、引き落とした後にまたこっそり元に戻した人間がいるはずです。
そう、当然このA君が一番最初に疑われました。
勿論若い人たちの借りているアパートですから友人達がいつもごろごろしているので、A君しか考えられないという訳ではありません。
ところがその日アパートに戻ったS君がA君に金が無くなった事を話、パスポートなどの件で「君は知らない?」と言った途端に彼は烈火のごとく怒り、いきなりカバンから刺身包丁を取り出し「玉取ったる」というヤクザ言葉で彼に襲い掛かったのです。

しかし傍に数名の友人達がいたので必死に抑え、怪我をさせるまでには至らなかったのですが、すぐに僕の自宅に緊急の電話が入りました。
僕が駆けつけると部屋には数名の彼らの友人達がいました。

真っ先に僕のところに来たのはそのA君で、「田邉さん!こいつらが僕を疑ちゃってて、本当に困っちゃってるんですよ〜」まるで借りてきた猫のような感じで僕に訴えたのです。
そこで僕は別々に話を聞くように、金が盗まれたS君ろ廊下に出て事情を聞くと、
「田邉さん、Aのやつ本性あらわしたんですよ。 じつは彼日本でヤクザの組員やってたらしいですよ。 さっき暴れた時にもそれらしい事を口走ってやばいですよ。 その上彼には背中にトラの彫り物は入っているし、指も短いんですよ。」と言うのです。
指の短いのは小指ではないので(薬指)何かの事故かと僕は思っていたのですが。

僕はすぐにウエイブリ−にあるポリスステーションに友人の刑事を訪ねました。
実はこのような事件の場合オーストラリアの警察は原則的にまず動いてはくれません。
家に空き巣が入ったと警察に電話しても駆けつけてくれない場合があるほどですから。
同じ日本人(外国人)同士の金に関するゴタゴタで自分達で解決しろみたいな対応をされてしまう可能性は十分有るのです。

僕の場合運良く何人かの懇意な刑事がいたので事情を話し、動いてくれるように依頼しました。
その日はもう遅かったので翌朝僕がそのAを警察署に連れて行くことにしました。
さて翌日の朝「君も疑われて心外だろうから、S君たちと一緒に警察に行って君の無実を証明しよう」と話、Aを連れて行きました。
じつは当日その刑事は僕がAを連れて行く前に一通りの捜査は終えてくれていました。

警察署には僕らが着いた時にはすでに金が引き落とされた銀行のダブルベイ支店のその時窓口に座っていた銀行員も来ていました。
その銀行員はその時書き込まれた引き落とし申請書も持参していました。 またその日にさかのぼって支店内を映し出したヴィデオもありました。
引き落とし申請書からはAの指紋が検出され間違いなくAの犯行と分かったのですが、より確実にするために日本では行われませんが俗に言う「ラインアップ」もしました。

皆さんは外国映画で見たことが有ると思うのですが、容疑者を年恰好の似た人間5〜6名と一緒に横一列に並ばせるやつです。
その刑事はこりゃ〜やっぱり年恰好の似た東洋人の男を5〜6名集めるには君に頼まなきゃというので即座に他のワーキングホリデーの子達に連絡を取って警察署に集まってもらいました。
で、その銀行員がミラーガラスから見て、間違いなくAであると証言したのです。

すぐに逮捕され指紋や顔写真などを撮影されましたが、犯罪内容がただの窃盗なので彼のパスポートを取り上げる事で、裁判が始まるまで仮釈放になりました。
仮釈放の場合は最寄の警察署に一日おきだったかに一度顔を出さなければなりません。(逃げないように監視するためです)

その日から当然Aはそのアパートに帰れる訳も無く、しかしAは盗んだ金もほとんど使ってしまっていたので僕が少々金を貸し、ボンダイビーチの近くの安ホテルを取ってやりました。
裁判が始まるのは一週間以上も先で、金に困ってしまうのは明らかでどうしたものかと思ったので、日本側に相談し彼の日本の保証人(母親になっていた)に事情を話し裁判までの生活費を送ってくれるように頼んだのです。

ところが母親はとっくに彼のことは見捨てていて、金に困ろうがオーストラリアで刑務所に入ろうが勝手にしてくれとの返事でした。
同時に僕はあるルートを通じて日本での彼の前科を調査しました。
すると何と前科が三つも合ったのです。
傷害、覚せい剤、殺人未遂の三つです。

それにしてもここが外国なのかそれとも僕と相性が悪いのか、僕の前では本当に借りてきた猫みたいにおとなしいのです。
一緒に警察署に行こうと言った時にも抵抗しなかったし。

さて一週間も先の裁判では一応オーストラリアでは弁護士をつけないと裁判が始まらないので、金の無い彼のために僕は法定弁護人との話し合いに入っていました。
ところがそれから一週間もしないうちに彼は忽然と姿を消したのです。
(ボンダイビーチの警察から顔を見せに来なくなったという連絡が入ったのです)

やはり続きは明日にずれ込みます。



2003年5月21日

さて、昨日の日記の続きです。

姿を消してしまったA君、パスポートは警察が取り上げてしまっているから国外に出る事は出来ないにしても、他の州に逃げられたらちょっと厄介かなとも思いました。
アメリカほど各州ごとの法律があるわけでは有りませんが。

そしてもう一つ大事な事を思い出しました。
それはA君がパスポートを紛失したと領事館に行き、再発行を受けて日本に逃げるという可能性です。
ボンダイビーチの警察から顔を見せに来なくなった(観察中)と聞いてすぐ僕は日本領事館に連絡をし、Aという名前の者が再発行申請に来た場合は保留するように事情を説明しました。

それから数日後のことです。
僕の事務所にワーキングホリデーの男の子が訪ねて来ました。
彼は僕の事務所の会員ではなく初めて会ったのですが、来るなりこの事務所に来れば何とかなると聞いて来たと言うのです。
彼の話はこうです。

ボンダイビーチで日光浴をしていた彼(以下K君)は、日本人の男に話し掛けられます。
その男は短期オーストラリアにビジネスで来ていると言ったそうです。
ビジネスとはオーストラリアに中古の外車を購入し日本に送ると話したそうです。
男は名前をBと名乗り、短期滞在なのでホテルに住んでいるが、もし良かったら部屋を一緒に借りたら広い部屋がもらえるし、料金も安いので助かるがと持ちかけたそうです。

オーストラリアに着いたばかりのK君はその男の話に乗せられて一緒に
ボンダイのホテルに移ったのです。
ところが移ってすぐの翌朝外出しようとしたら、財布、パスポート等貴重品総てが無くなっていたので慌てて警察に行ったのですが、彼の英語ではなかなか通じず、僕の事務所の電話番号をもらったのだそうです。
寝ている間に盗まれたのです。
(あの当時はボンダイビーチの警察でも、ウエイブリ−地区の警察でも、英語の出来ない日本人で困ったのが来ると、僕の電話番号を教える事があったのです。)

話を聞いて盗んだ男が名前はBと名乗っていても、すぐにAの仕業だと思い、その男の容姿を聞くとまさにぴったり。
すぐに担当の刑事に連絡をしたのですが、その刑事曰く「それならもう国外に出てしまっているな」との事でした。
つまり日本に逃げ帰ってしまっているだろうという事です。

確かに最初にAが銀行から金を引き出した時にも他人のパスポートを使ったのですが、オーストラリア人から見ると東洋人は似て見えるのか、簡単に出来てしまったわけです。
ですから、オーストラリア空港の出国手続きでも、オーストラリア人のイミグレーションの係官は見破ることは出来ないだろうとは予測できました。

しかし、日本に到着した時に同じ日本人の入国係官は不信感を抱くはずだと思ったのです。
と言うのもそのK君の容姿とAの容姿はまるで違うんです。
どう見てもまるで似ていない、そのパスポートにK君がどう写っているか知りませんが、実際にK君を目の前に見ながら話していて、彼のパスポートでは使えないのではと思ったのです。

ところがそれから少しして僕の日本の事務所から電話がありました。
そちらで事件を起こしたAから東京事務所に「国際電話」がかかり、金を払って会員になってオーストラリアに行ったのに、シドニー事務所の田邉に大変な目に遭わされて非常に迷惑している、濡れ衣だから事件から手を引けと言う脅しでした。
盗人猛々しいとはこの事で、自分で犯罪を起こした上に英語が出来ないから警察の取り調べから裁判の準備、またホテル滞在費まで僕の世話になりながら、脅迫してくるのですから。

この話を聞いて僕はてっきりAはまだオーストラリアにいると思ったのです。
ところが東京事務所に何度も脅しの電話が入り、長電話になることや音質からとても海外からかけて来ているようには思えないと言うのです。
そして何度かかけて来る時にはかなり正気ではない状態の場合もあったと言うのです。
どうやらAは覚せい剤をやりながら電話をかけてくるときも有ったようです。

そこで領事館に相談に行きK君のパスポートで日本に帰国した者がいないか調査を依頼したところやはりAは日本に帰国していたのです。
しかしこの犯罪はオーストラリアで起きた事なので、日本の警察も動けないのです。
しかしあまりにも脅迫の電話が五月蝿いので、オーストラリアの領事館経由で警視庁に連絡をし、他人のパスポートで日本に帰国した出入国管理法違反で逮捕してもらい、その後実刑判決(彼の場合前科が多いので)を受けたようで、電話はかかってこなくなったのです。

このような事件は本当に珍しく、僕の経験の中でもまれなのですが、考えてみるとオーストラリアのワーキングホリデーヴィザを申請した時点で犯罪歴があるかと言うようなチェック項目があったはずで、この男のような場合勿論平気で犯罪歴無しと書き込んでいるのでしょうが、ヴィザ申請を受けたオーストラリアもまず調べないんでしょうな。
人数が多すぎて。

そうそう、最初に被害にあったS君、銀行から引き出された金額はかなり大きかったのですが、銀行が弁償してくれました。
つまり他人のパスポートを使っているのに見破れなかったのは銀行側の落ち度だったという事にしてくれたのです。

ここまで書いてもう一つの盗難事件を思い出しました。
こんな事を書くとしょっちゅう事件が起きていたのではと思われてしまうかもしれませんが、何千人もお世話をしていればどうしても中には変わった人も入ってしまうものです。

それは女性のワーキングホリデーメーカーが起こした事件です。
Aの場合は犯行を始めるまで3ヶ月近く有ったのですが、その女性の場合到着したその週からすでに盗み始めていました。
まさかそんな事が起きるとは考られなかった僕は、最初のホテル住まいの時に彼女の同室者から金と服が無くなっていると報告を受けた時に、すぐにホテルに連絡をし、ホテルの従業員を疑ったものです。

ところが彼女の場合は完全に病気だったのです。 つまり人のものを盗むというのが快感なのか悪いと判っていても自分で自分を止められない病気だったのです。
シドニーでは一緒に到着したほかのワーキングホリデーメーカーの女の子3人でアパートに住み始めたのですが、その子達の服が次から次へとなくなっていきます。 

おかしいと感じた同室者達は彼女が外出している時に彼女の持ち物を調べてみると、無くなった物がすべて出てきたのです。 
すぐに彼女達は僕のところに相談に来ました。 
僕もその時にホテルでの事故も彼女がやったのだと気が付いたのです。まさかそんな事は無いと思っていた僕は使用するホテルを変えようかとさえ思っていたほどなので大いにしらけました。 

すぐに彼女を呼んで事情を聞くと全く隠そうともせず泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰り返すばかり。 
生理の前後だったかに特にこのような行為に走ってしまうと言う事も言っていました。

無くなった金も弁償し、服も総て出てきたので警察には報告しなかったのです。 
しかし彼女は同室者達とそのまま同じアパートに住む訳に行かないで、出て行ってもらいました。

彼女は英語学校に通っている時に知り合った日本人の友人の所に転がり込んだのです。 
ある時その友人(僕は知らない子だった)と話す機会が有ったので、もし何かトラブルがあったらすぐに連絡をくれるように言いました。 
ところがその友人は僕が彼女をいじめていると勘違いし、会員としてオーストラリアに来たのに僕がちゃんと面倒を見ていないような文句を言われたものです。

しかしやっぱり!。 彼女は「病気」なんですな、その友人の物に再び手を出し始めたのです。
僕の警告が本当だと判ったその友人は僕のところに飛んで来ました。 警察に訴えると言うので僕は彼女を連れてキングスクロスにある警察署に行きました。 
「前にも充分警告したのにまた盗んでしまった。 今度はあなたの友人が警察に訴えると言っているので、僕の力ではもう抑えられない」と言いました。

最悪でしょ。 彼女はその友人が僕から盗難の事で注意を受けているのを知っていながら、やはり手を出してしまったのですから。

ところが警察ではか細い東洋人の女の子が来るなり泣き崩れるので、「大丈夫、大丈夫、そんなに心配しないで」と言うばかりで、ちっともお咎め無しなんですな。
まあ友人の服を盗んだ、しかしそれを売り払ったりでなくただ隠し持っていたくらいではオーストラリアでは犯罪として取り扱わないのです。 
厳重注意くらいです。 

で、僕は即刻日本に帰って治療を受けるように言いました。 
「病気」というのは可哀想でも有りました。 
普段仕事している時等結構ちゃんとやる子だったし、おとなしい子でしたが。
今ごろ彼女はどうしているんでしょうね。


2003年5月22日

今朝の新聞には昨日有罪判決が決まった「キャサリーン・フォルビッグス」の特大の記事が。
僕はこの件については全く知識が無かったのですが、昨夜のテレビニュースで知ってビックリしてしました。 

彼女は生まれたばかりの自分の子供を次から次へ殺していたのです。
日本ならワイドショーが飛びつきたくなるような事件ですが、陪審員制度のあるオーストラリアでは起訴されてからは一切報道されないので、自分で調べない限りわかりません。
また調べてもかなり制限があります。

朝刊を読むと、この母親が1989年に生まれたばかりの(たった19日後に)最初の子供を殺したのが始まりです。
次の子供は1991年に生まれたのですが、8ヶ月後に殺してしまいます。
1993年に生まれた3番目の子供は11ヶ月で、そして4番目は19ヶ月で殺してしまったのです。

生まれてきた子供を次々と(4人全員)殺していったわけで、異常な犯罪です。
この母親は裁判で最初は無実を主張していたようですが、昨日の判決で有罪が決まり報道制限も一斉に解除となったので、特大の見出しで報道が始まりました。

理由は育児ノイローゼもあるのですが、特異なのは「自分はやはり殺人者の娘だから」というものです。
実は彼女の父も妻(彼女にとって母親)を殺した過去があったのです。

それにしても裁判の判決が出た後で亭主が泣きながらインタビューに答えていましたが、一緒に住んでいる亭主が本当に今までおかしいと思っていなかったのだろうかと、不思議な気がします。
また検死官や医者、警察などが4人目が殺されるまで何の疑いも持たなかったのでしょうか。
普通なら考えられないような異常な犯行がかえって疑心を抱かせなかったのでしょうか。
昨日テレビニュースに映し出された彼女を見ると(人間全く見かけでは判断すべきでないが)確かに異常な犯行を起こしそうには見えません。

さて日本でも陪審員制度の導入が検討されているようですが、このような事件の場合日本では果たして裁判の公正が保たれるのだろうかと考えてしまいます。
つまり陪審員制度というのは裁判の公正さを規するために報道規制が行われます。
その裁判に選ばれた陪審員がワイドショーを見たり、女性週刊誌などに出ているその裁判の記事を読んで影響を受けたり、また裁判中に内容を家族や友人などに話して他人の意見を耳にする事でも、裁判の公平さが損なわれるものなのです。
陪審員は秘密厳守の原則。

今の「白装束の団体」(何なんでしょうかこの人達。 最初インターネットでの報道を見た時に名前から松下電器の子会社か何かかと思った)の報道にしても、彼らを取材する報道陣の方が白装束軍団よりも多く押しかけて地元に迷惑かけてるなんてさすが日本。
また
昔の「三浦事件」の時などの日本での騒ぎ方を見ていると、(彼が無実だったとは思いたくないが)陪審員制度でなくとも、全く公平な裁判は不可能ではなかと。

逆に弁護側が「裁判進行中に公平さが欠けている」という証明をした場合、間違いなく有罪であるような場合でも無罪を勝ち取ってしまう場合も起こるのですから。
良い例が「オー・ジェィ・シンプソン」も裁判です。
彼が女房を殺したのは間違いないのですが、警察が用意した証拠品の中に公正さを欠くような嘘の証拠品が(他人の手袋だったか)含まれていたために、結局彼は無罪になってしまったのですから。

日本が陪審員制度を導入する理由を知りたいものです。

さてもうひとつ今朝の新聞から。
シドニーのあるニューサウスウエールズ州でも、いよいよマリファナが解禁に向けて動き出したようです。

最初は治療用ということで限定的に使用が認められるということになるようですが、僕自身はこれはかなり「こじつけの」理由にしか思えません。
どうなることやら。 
せいぜい、マリファナを買う金ほしさの犯罪が減る効果はあるかもしれませんが。



2003年5月23日

まずはモータースポーツのお話から。

僕の日記やモータースポーツのページに度々登場する、若きオーストラリア人ドライバー「James Courtney (ジェイムス・コートニー)と、Ryan Broscoe(ライアン・ブリスコー)」。
この二人は今年、場所は違えど同じカテゴリーで戦っています。
ジェイムスは日本のF−3、そしてライアンはユーロシリーズF−3というカテゴリーです。

この二人がシリーズ開始早々から大活躍をしているのが僕は嬉しくてしょうがない。
まずジェイムスは現在まで6戦戦って優勝5回。 ほとんどのレースでポールトゥウイン。 
またライアンも現在まで4戦終了で3回の優勝、二人ともチャンピオンシップ争いの首位を独走しております。

この二人は同年代で同じカートのクラブ出身で、僕も同じクラブだったので彼らが子供の時から親しくしています。
今年は是非二人にそれぞれチャンピオンになってもらわなければと、大いに期待しております。

さて話は変わって、天気が良くなったので久し振りに自転車に乗ってボンダイジャンクションのいつものPC屋へ。
店でジョンと話していたら、PCショップにはまず入ってこない我が母(80歳)よりも高齢に見える老婆が入ってきました。
頭の方も怪しくなるような年齢に見えるので、僕は一瞬隣のカフェーと間違えて入ってきちゃったと思ったのです。

で、ジョンが「May I help you 」と声をかけたら、そのばあさん手に持った買い物袋の中から「見たことも無いような古〜いマウス」を取り出して、「どうも調子がおかしいから、これと同じのちょうだい」って言うのです。
見るとなんと、そのマウスはUSB接続どころかPS/2でもない、昔のRS232接続(シリアル)のマウスなのです。

親切なジョンはこのタイプは在庫が無いし、注文してもすぐに手に入るか判らないからと言って店の奥をごそごそ探してやはり中古のマウスを引っ張り出してきました。
「注文するが入荷するまで大分かかるからから、それまでこれを使っておいて」と彼女にあげちゃったんですな。
ばあさんとても喜んで帰って行ったのですが、僕はビックリと言うかなんかすごく嬉しくなってしまいました。

何しろ日本でそのくらい高齢の人でコンピューターやっているなんて皆無ではないにしても凄く珍しいはずで、それをジョンに言うとさも当たり前のごとく「別に珍しくないよ」何て言うのです。

彼曰く、ヨーロピアンはタイプを子供の時から使い慣れている。
つまり機械式のタイプライターはその老婆の生まれる前から有ったくらい歴史がある。
だから、PCのキーボードにも全く違和感無く使えてしまうアドバンテージが有るのです。
ですからこのばあさんのような年齢の人達にとっては手紙を書く時にタイプを使うように、コンピューターで電子メールも全く躊躇することなく書けてしまい、その上ワザワザ郵便ポストに出しに行く必要もないし、切手を貼る必要も無いので安上がりだし、大いに重宝しているはずだと言うのです。

そして、高齢になると車の運転もおぼつかなくなり、今までは友人達と集まってカードゲーム(トランプ)をしていたのが、出掛けられなくなってもインターネットを使って友人同士でカードゲームを楽しんでいる老人達もいるとの事。

これらの事を考えるとIT化の時代に日本人(特に歳を取れば取るほど)は、この「タイプ」というハンディを背負っているのを実感します。
インターネットには興味はあるがキーボードを見ただけでやる気をなくしてしまうなんてオジサン、オバサンは結構いるはずですから。

最近の日本の小学校の教育内容は知りませんが、これからの時代は低学年から「タイプ」を教えるのは非常に大事だと思います。
(もうすでにタイプの授業はあるかもしれません)

海外に住む僕のような人間にはインターネットが出来るコンピューターは魔法の箱なのですが、体が不自由になった高齢者にとってもオンラインバンキングなど等とても便利なもののはず。

マウスを買いに来たばあさんを見ながら、色々考えてしまいました。


2003年5月24日

本日土曜日と日曜日の日記はお休みいたします。
皆さん良い週末を。



2003年5月26日

PC屋に遊びに行った時に、よぼよぼのバアサンが古いマウスを買いに来た話を書きましたが、その日にジョン(PC屋の)と話していたら、「あ、違法駐車取締官(Traffic Warden )、Tomの車大丈夫?」と。
見ると店の前の通りに取締官が二人違法駐車の車に切符を切っております。

前にも書いたようにシドニーでは駐車違反の取り締まりはその地区の区役所の管轄になったので、罰金収入の増大を目指し、どこの区役所も取締官の数を増やしバンバン片っ端から切符を切るようになっています。
取締官のユニフォームも地区毎に違うので非常に見分けにくく、ちょっとでも油断するとすぐ切符を切られてしまうありさま。

ジョンの店にしても前の通りが総てメーター制になり、コインを入れてもすぐに切れてしまうので、罰金を払う羽目になる客が絶えず、彼は店で客と対応していても常に通りを注意しているわけです。
その日僕は自転車だったので、全く気にする必要が無かったのですが、その取締官を見ていたら、一台だけメーターが切れているのに切符を切られなかった車がありました。

あれっと思って見ていると、取締官が行ってしまったのを見届けるように、若い東洋人系カップルが出てきてその車に乗り込み発車して行きました。
PC屋のジョンは香港出身の中国人なのですが、その車に乗り込んで行ったカップルを見ながら、吐き捨てるように「あいつら、チャイニーズだと思うが、ズルイ奴等だ」と言うのです。

「えっどうして?」と僕が聞くと、「あいつらは車のダッシュボードに身体障害者の証明書を置いているのさ」と言うのです。
「えっ? だってさっき二人は颯爽とアパートから早足で出てきたじゃない」と僕。
そうなんです、彼らは「どこからか手に入れてきた「身体障害者証明書」をいつもダッシュボードに置いておくのだそうです。
だから彼らの車はメーターが切れていても切符切られないんですな。
ジョン曰く身体障害者の証明書がある場合1時間しか駐車出来ない所でも、約倍くらいの長さ(メーターが切れていても)を認められているのではないかと。

で、ジョン曰く「チャイニーズはああだから嫌になっちゃう」なんて自分も同じチャイニーズなのに。
彼はまた「中国人の客はうちにPCを買いに来ても、凄いディスカウントを要求するだけでなく、ウインドウズ等のソフトウエァーには金払いたくないから、コピーを作ってインストールしろと要求してきて、本当に困っちゃう」と言うのです。

まあ最近はXPになり承認が必要になったのでコピーが出来なくなったためにそういう図々しい要求は簡単に断る事が出来るようになったがとの事。

僕は中国人がどうのこうのと言う気は全く無いが、確かに中華街に行くと何でも有りという気もします。
上記の「身障者証明書」が何処で手に入るかは知りませんが、複製の音楽CD、DVD映画、変造テレカ、など等定番から始まって、例えばケーブルテレビのカード(デコード)等150ドルほど出すと、クラック物が手に入るとか。
この場合ケーブルテレビでもサテライトディッシュで受信している場合に限られるのでしょうが、チューナーを持っていればその変造カードで総てのチャンネルが見えてしまうようです。

日本ではこの手の危ない商品はヤクザ系が製造し、売買はイラン人や中国人などの違法滞在者が活躍しているとこちらの新聞にも出ていました。(特に覚せい剤等の麻薬系)

最近オーストラリアではインターネットのファイルシェアリングを使った音楽や映画の違法コピーの被害が拡大しているらしく、先日とうとう警察が取り締まりに乗り出したのですが、最初に逮捕されたのは中国人とベトナム系中国人の若者達でした。

中華街で売っている違法コピー品の多さから言っても、確かにコピーライトやロイヤリティーの意識が低いのかもしれません。
オーストラリア当局の取り締まりも結構いい加減ですし。

 


2003年5月27日

御近所にあるアボカドの木の事は2003年1月27日の日記に書きました。
散歩の途中で女房と一ついただいてしまおうかと、その実を指差して話していたら、突然後ろからオバサンに「沢山実っているからどうぞ好きなだけ持って行って下さい」と言われビックリ。

木に実っているアボカドを直接「もいで」食べた事が無くどんな味がするのか、リンゴのようにやはり「もぎたて」は美味いのではないかと話していたのです。
しかし失敬するところを見つかったりしたら御近所(どんな人が住んでいるか全く知らない)だしかっこ悪いと思っていたところへ、突然後ろから犬を連れて散歩をしている女性が声をかけてきたので、最初は「ドキッと」してしまいました、歳に似合わず。
まるで子供の頃に近所の柿を盗んだ時みたいに。

偶然その家の持ち主が犬の散歩から帰ってきたところだったのですが、彼女は我々がすぐ近所に住んでいるのを知っているようで、すごくフレンドリーで、どうぞ好きなだけ持って行って下さいと。

で、2個ほどいただいて帰ってきたのですが、どうもまだ硬い。
アボカドと言うのは硬い時は似ても焼いても食えない物なので、少し待つ事にしました。
ところがいくら待ってもちっとも軟らかくならないんですよね。
八百屋で買ってきたアボカドが硬すぎる時は数日待てばちょうど良い軟らかさになるのに。

リンゴ等とは全く違って「もぎたて」は駄目なんですな。
むしろ木に実っていたのを「もいだ」から、余計軟らかくなるまで時間がかかるのかもしれない。
で、何週間か待っているうちにグリーンだった実が少し紫色が混じり始め軟らかくなってきたのです。
やっと食べることが出来ると大いに期待して食べたら、確かにアボカドなのですが、ちっとも美味しくないのです。
何か凄く味が無いと言うか、風味やコクが無いと言うか。

なぜ美味しくないのだろう、きっと農園が作るような種類と違うのだろうかまたは肥料等が足りないのだろうかと話していたのです。
で、先日テレビを見ていたらアボカドについてとても面白い話をしていました。
それは美味しい実をつけるアボカドの木を育てるには、何と!「雄の木と雌の木があって、それぞれ(雄雌の木)が近くに無いと実が美味しくならない」というものです。
最初は冗談で言っているのかと思った。

確かにご近所のその木はたった一つでその周りにはアボカドの木はありません。
だいたいその木が雄だか雌だかも分からない。
雌には実がついて、雄の木にはつかないのだろうか?

近くに異性がいないと美味くならないなんて、まるで人間みたいですな。
近くに美女がいたら男は、、、。(いや女性の場合も同じでしょうが)
ホモのアボカドの木もあるのだろうか?(いやこれは冗談)

そのテレビでの話では農園ではワザワザ雄雌ペアーでアボカドの木を植えなくとも、必ず近所にもアボカドの木があるから美味しい実をつける木になるとか。
我が家にも一本植えてご近所とペアーにさせれば、お互いに美味しいアボカドを提供してくれるようになるのだろうかと、大いに興味が湧いてきました。


2003年5月28日

本日はオヤジが逝ってしまってからちょうど一年になります。

最近歳とともに時間の過ぎ去るスピードがどんどん加速されているように感じるのですが、しかし「この一年」だけは別でした。
本当に色々な事が有って、近年には珍しく長い一年だったと感じています。
葬式の後すぐに愛犬も逝ってしまい、またオーストラリアだけでなく日本でもオヤジのために「偲ぶ会」をやったり、慣れない事ばかりだったのでストレスも感じました。
やはりストレス無く生活すると月日の経つのが速いんでしょう。

昨夜からちょっと調子が悪く早めに寝たが、朝起きたら少々「メニエル」っぽいメマイが続いています。
で、横になっていたらオヤジの死んだ日の事を色々思い出してしまいました。

日本では法事(一周忌)というのをやるのでしょうが、僕はあまり大げさにしたくないので、シドニー在住の(同じ宗派)のお坊さんに来てもらってお経を上げてもらうことに。
母はしっかり日本のしきたりを守ろうというのか、「お坊さんの後は何処で会食を」なんて言う。
どうやら母はオヤジが最後に行ったレストランに行きたいようで、この気持ちはわからないでもない。

オヤジの日本の友人が昨年の1月にシドニーに遊びに来て、偶然僕と女房はメルボルンへテニスの全豪に出掛けている時でした。
いつもなら日本から来た客は、僕が運転手としてボンダイビーチやブルーマウンテン等シドニー観光地の定番へお連れするのだが、メルボルンに行ってしまうので出来ない。
仕方が無いので日本人のハイヤーをチャーターして僕がスケジュールを組んだのです。

そして夕食は我が両親とその友人夫妻4人でワトソンズベイにあるビーチフロントのシーフードレストラン、ドイルズに予約を入れたのです。
このレストラン、それほど味が素晴らしいわけではないが初めてシドニーを訪れる日本人観光客には、まさに画に描いたような「シドニー」の中で食事が出来るのです。
特に「真夏の1月」でしたから夕食時もまだ明るく、心地良い海からの風を受けながら目の前に広がる砂浜の前で魚介類をいただくのは、味がそれ程でなくとも「良い記念」になるのです。

オヤジは自分の体が癌に蝕まれているのは承知でしたが、久し振りに日本から訪ねてきてくれた友人との再会に大いに機嫌を良くし、胃癌なのにビックリするほど食欲も有ったそうです。
大いにエンジョウイしたその晩がいわば外で食事をした「最後の晩餐」のようなもので、母もその日の事を思い出すようです。

もうシドニーは秋も深まり、父が友人をもてなした時季よりも寒くなって、ビーチフロントのレストランも有り難味は無いのですが、本日はせいぜい親父を偲んでこようと思っています。


2003年5月29日

昨日の日記に書いたようにオヤジの一周忌はワトソンズ・ベイにあるビーチフロントのシーフードレストラン、「ドイルズ」へ。
母の思い出の中にある、最後に父と来たレストランは、やはり季節が違うため火の消えたような寂しさ。
やはり夏の夕暮れの景色を見ながらとは雰囲気も違うので、母は少々ガッカリしておりました。

しかし料理の方は僕が想像していたほど味が悪くなかったので、まあまあ満足したのですが、、、、。

じつは昨夜寝てから女房が何度もトイレに立つ音で目がさめて、時計を見たら夜中の3時半。
あれ、どうしたと聞いたら「思いっきり腹が下っていて、もう今夜これで3度目」なんて言う始末。
完全に食中りなのですが、考えてみると女房と僕は同じ物を食べているはず。
一番先に考えたのはやはり牡蠣。 
僕も思いっきり食べたのですが、全く問題ない。 女房は調子に乗ってただ食い過ぎただけなのではとも思ったのですが、どうも食い過ぎの症状ではない。

で、朝になって娘から電話があり、なんと娘も昨晩は何度もトイレに行く
羽目に。
よく考えてみると二皿取った牡蠣を一皿は女房と娘がシェアーをし、もう一つは僕は母とシェアーをした。 
で、母も僕も全く何も無いところを見ると、やはり女房たちが食べた皿の方に悪いのが混じっていたのか。

もっとも牡蠣に本格的に「あたった」場合は、腹が下るだけでは済みませんから、割と軽い食中りかもしれない。

で、昼前に働きに来たファティマに昨晩は一周忌でシーフードレストランに行った事を話したら、いきなり「何食べました?今シドニーの牡蠣は危ないですよ! 実は亭主が友人に注意されて、牡蠣買いに行くのを止めている」なんて言うではないですか!!!。
「昨晩女房がトイレに何度も」なんて話す前に!!!。

いや〜全く知りませんでした。 
考えてみるとシーフードプラッターという大きな(二人用)皿に海の幸満載のメニューを注文したら、なぜか牡蠣だけは入っていないと言われたのを思い出しました。

実はそういう理由で入れてなかったんだろうか。 全くそんな事知らない
僕らは「牡蠣入ってないの?、じゃあ別に牡蠣の皿を注文すればいいや」なんて言って、4人でオントレとして3ダースも注文してバリバリ食べてしまったのです。

まあ、今回の食中りはそれほど大したことなく、本日一日食事を控えた
女房は、下るのも止まったようです。
牡蠣にあたるというのは古いからよりも、取れたての新鮮なのでも、たまたま養殖場に汚染された水が流れ込んだりしたら、目も当てられないほどひどい中毒を起こすんですよね。
数年前にシドニーの養殖で有名なところで、川の上流からたまたま処理していない汚水が流れ出し、多くの中毒者を出したことがあります。
入院する羽目になった人も多く、全く別の産地の牡蠣まで売れなくなった
ものです。

そう言えば随分昔に女房と二人で母の里、山口県を訪ねた時(真冬だった)に、初めて山口県に来た女房をもてなしたいと叔父たちは、「食べたい物があったら言え」というので、ちょうどハンティングシーズだったのでイノシシの鍋と、地元で獲れる新鮮な牡蠣を酢牡蛎で食べたいとお願いしたのです。

女房はイノシシの肉など食べたことが無く、記念に一度食べてみたいと。また僕は生牡蠣はどうも食指が動かないほうなのですが、地元で今日漁師が採って来た新鮮な物というので、食べたのです。
ほんと新鮮で素晴らしく美味しかったのですが、これが「あたっちゃった」んですな。

それも丸一日全く何事も無く2日目に東京に戻ってからいきなり女房が
もどし始めたのです。
全くそれまで腹が痛いとかムカムカ気分が悪いでもなく、いきなり来たのでびっくり、我が母は「リーさんこれはオメデタよ!」なんてニコニコしているのです。

で、ロンドンから日本に一時帰国している時だったのですが産婦人科
に行くことにして予約を取った。
で、相変わらず女房は吐くので、僕もついて行こうと仕度をし、いざ出かけようかという段になって、今度は僕がゲロゲロ始まっちゃたんですな。

一瞬女房がツワリだと亭主までもどしたりするのか、なんて訳判んない事まで考えてしまったのですが、僕の症状が出るのが遅(鈍い)かったわけで見事に大当たりでした。
二人で二日ほど寝込んでました。 かなりきつかったです。

その時は目の前の海で今採ってきたというような牡蠣であたるなんて全く信じられなかったものです。
潮の流れか何かで偶然有毒なバクテリアが大量に混ざった海水が流れ込んだのでしょうが、牡蠣にあたるというのは古いからだけではないと思い知らされました。

結局予約を入れた産婦人科には「実は牡蠣にあたったようで」というなんとも間抜けな断りの電話を入れたのです。


2003年5月30日

今週の月曜日からテニスのフレンチオープン(全仏)が始まりました。
ケーブルテレビのスポーツチャンネルの一つ(Ch12)では24時間テニスやってます。(夜中は放送できなかった分を録画で)
テニスフリークの僕ですがさすがに最近は気になる試合だけ見る程度。

オーストラリアの世界ナンバーワン「レイトン・ヒューイット」はシードナンバーワン選手で出場していますが、僕の予想では多分優勝は無理でしょう。 第一回戦からあれ程苦労していたら決勝まで持ったとしても、体力残っていないのではないかと。
彼のテニスのスタイルは我慢のテニスで、相手がミスをしてくれるまで長いラリーの連続。

特に全仏はコートがクレイでボールのスピードが上がりませんから、長い打ち合いは毎度の事なのですが。
特に近年は南アメリカの選手達(ブラジル、アルゼンチン、チリなどなど)がこのクレイコートに力を発揮、よっぽどテニス好きでなければ聞いたことの無いような名前の選手がATPツアーで優勝したりしております。
これらのクレイ・スペシャリストは全仏では大活躍しても、全仏の次のグランドスラムである「ウインブルドン大会」にはエントリーさえしてこないほど。

クレイと芝のサーフェイスの違いはあまりにも大きいので、他の大会(USオープンや全豪のハードコート)も含み総てを制するのは至難の業になってきつつあります。
そういう意味でも「オンドレ・アガシ」が近年に4大大会総てを制したのは非常に尊敬に値します。
そのアガシ、奥さんの元チャンプ「スティフィー・グラフ」と全仏でミックスダブルスを組む約束をしていたので僕は大いに楽しみにしていたのに、直前になってキャンセルになってしまいました。

理由は何とグラフが妊娠をした(二人目)為なのですが、いや〜見たかったのに。
アガシが今年の全豪が始まる前に、コーチと約束をしたのです。
もし優勝できたらコーチになんかお礼がしたいと言ったら、「それなら是非全仏に奥さんとペアーで出てくれ」という話になったのです。
全豪での表彰式でその事が明らかになった時に、全仏の楽しみが増えたと期待していたのです。

まあ「おめでた」ですから、文句は言えませんがそれならもう一つの僕の希望、マルティナ・ナブラチローワとマルティナ・ヒンギスの「ダブル・マルティナの女子ダブルスティーム」なんとか実現して欲しいです。

さてもう一つテニスの話題。
本日の新聞にテニス選手のセクシー度順位(英国発)と言うのが出ていました。
で、1位を見たら何とオーストラリアの「マーク・フィリプーシス」なのでビックリ。
まあ確かにあまりテニスを見ない人達、特にオーストラリア人から見たら外国人の英国での評価ですから判らないでもないが、彼をジュニアの頃から見ている僕らにとっては実感沸きません。

確かに彼は背も高いしハンサム系なのでしょうが、セクシー度と言われると考え込んでしまいます。 これは同性の僕だけでなく、我が女房も同じ意見。 この選手、あまりにも私生活での行動が頼りないと言うか、もう20歳もとっくに過ぎているのに、相変わらず父親べったりで非常に幼い。
もう少し厳しく表現すると、頭が空っぽなんですな。
テニスの選手としてはまあまあ成功はしていますが、あのピート・サンプラスやジョンマッケンロー達をして、次のチャンピオンは「マーク・フィリプーシス」だと言っている時期があった。
しかしもう少し彼がクレバーな選手だったら、確かに今頃はグランドスラムの一つや二つはとっくに手にしているはずなのです。

そしてもう一つの問題が、父親離れが出来ない。
あそこまでの選手にしたのは確かに彼の父の功績だが、テニスのプロでない父親が教えられるのは限界があるというのの良い見本のようなものです。 

そうそう女子の選手のセクシー度トップテン、ナンバーワンは相変わらずアナ・クルニコーワってのもいい加減にしてもらいたいが、エレーナ・ドキックがトップ10に入っているのにも驚きです。
彼女は子供の時にオーストラリアに移民で来て、オーストラリアのスポーツ育英資金をたっぷりもらって世界ランキングトップ10くらいまで上がったのですが、彼女もまた父親とオーストラリアテニス界との問題で、とうとうオーストラリアを出て出身国のユーゴスラビアに帰ってしまったのです。
オーストラリアに育ててもらったのにオーストラリアの悪口を言い過ぎる。

そんなわけで彼女はオーストラリアで思いっきり嫌われていて、とうとう今年の全豪には出場をしなかったほど。
出ていたら観客席から強烈なブーイングが巻き起こっていた事でしょう。



2003年5月31日

本日土曜日と明日の日記はお休みいたします。

皆様良い週末をお過ごしください。

 


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