政治の世界ではリベラルと保守の間を時計の振り子のように左へ右へと振れて、イランやベネズェラのように大きな動きが起きている。
僕がロンドンを出てオーストラリアに移ることを決めた理由の一つが政治的な不安だった。
ロンドンに住み始めてから英国とアイルランド独立運動により北アイルランドのIRAが爆破テロをロンドン市内で頻繁に繰り広げていて、僕の住んでいたノッティングヒル周辺でも爆破事件は何度か経験した。
ノッティングヒルのほぼ駅前にあったテスコというスーパーの入り口に置かれた爆弾が破裂したり、僕の住んでいHillsleigh Rd の隣の通り(僕の住んでいた家の庭の向こうの家で庭同士が隔てている)にあった高明な政治家の車に仕掛けれらた爆弾でその政治家は亡くなったり。
↓は当時の新聞に載った事件現場の写真で車は木っ端微塵で原型をとどめていないです。

いつ爆弾に巻き込まれるかという状況だけでなく、イランで革命が起きロンドンにあったイラン大使館をテログループが乗っ取ったり(それを排除するために英国の特殊部隊が攻撃をして大きな破裂音が我が家まで聞こえたり、)そういう状況の中寒い暗いクリスマスシーズンに訪れたシドニーで真夏の燦々と輝く青空のもとで迎えるクリスマス正月に一発で移住を決意したというのは今までも何回かこの日記で書いた。
ちなみにその時の革命でパーレビ国王を追い出しパリから戻ったアヤトラ・ホメニ(今のハメニでは無く当時の宗教リーダー)が今日まで続くガチガチの宗教国家を作った。
それに対して今イランではそんな国家に不満を持つ人が大きなデモを引き起こしている。
話を元に戻すと、当時の英国は労働党の天下で今の日本のように長い経済的な問題で黄昏の英国と言われていた。
自動車産業も(ブリティッシュレイランドなど主要英国自動車メーカーも瀕死状態で)結局消滅し、けっきょくかなりタカ派で有名なマーガレットサッチャーが首相になり非常にドラスティックな手法で経済的な復興を始めた。
それまでの英国は労組の力が強過ぎて企業経営がニッチもサッチも行かない状態だったのをサッチャーは強権的に弾圧した。
さてその頃のイランは長年続いたパーレビという国王がアメリカ資本と組んで私服を肥やし続けていた。
世界有数の産油国なのにほとんどの富を国王とその周辺が吸い上げるという図式にアヤトラホメイニ(当時パーレビの弾圧からフランスに逃げていた)を中心に国王政府に反感を抱いた国民が革命を起こした。
けっきょくパーレビはアメリカへ逃げ、ガチガチの宗教国家が出来上がった。
以来宗教を中心の政治体制は続いていたが、アメリカとは常に敵対関係で経済的な弾圧を受け続けていた。
革命後50年も経過すると、上で書いたように時計の振り子が振れるように、宗教的規律が強く経済的にもアメリカの弾圧で諸外国に比べて成長しない自国に嫌気がさした国民が多数になり今回のように大がかりなデモが起きている。
まるでアメリカと手を組んでいたパーレビを人民が追い出したように。
ベネズェラでもその図式はほぼ同じでアメリカのメジャー石油会社に富を搾取されるのに対してチャベスという大統領が誕生したのだが、その後継者マドゥーロの時代になって国民の不満が溜まっていた。
今回は人民が革命を起こす前にトランプがマドゥーロを拘束してしまった訳だが、このように年月の経過で右から左、左から右へ国民の感情は振れる。
日本でも長年の日教組とリベラル派主導の日本人の戦後教育において歪みが起き、世界で最も競争力の無い国民(というランキングで現在日本は世界35位か37位)という地位に成り下がってしまった。
別にそんな「競争力」なんて大事では無いという人も多いと思う。
つまりリベラル的な戦後教育で育った(運動会でも順位をつけるのはイカンと徒競走で皆で手を繋いでゴールするとか!)人にはピンと来ないのかも知れない。
僕が最も日本人に欠けているのは独創性だと思っている。
つまり「皆で手を繋いでゴール」するという考え方自体が「独創性を育てる」から全くかけ離れた考え方だから。
個々の考え方を尊重するのも独創性を育てるし、他人がどう見ているかなどを必要以上に気にする国民からは独創性は生まれない。
同時に海外からは「日本という国はある意味が危険」と見られている理由はいったん流れが変わるとまるで羊の群れのように一方方向へ国民の大多数が流れていってしまう怖さ。
日本にいる日本人は意識として「日本は危険な国」なんて大変な誤解だと考えてしまうと思うが、同じ日本人の僕だが海外から見ると、やはりこの日本人の一方へ大多数が流れやすいというのは確かだと。
高市首相の支持率がとても高いというニュースを見るたびに、その辺の危機感を覚える。
ちなみに僕の住むオーストラリアではまあ見事に選挙の度に右と左が入れ替わっていますが、しかし国民の考え方はあまり変わらない(日本のように国民の大多数が一方方向へ流れるような)ですね。
まあこれはオーストラリアは移民が多く考え方やバックグラウンドが多種多様だというのが効いているのかも。