今回の旅の途中で面白い経験をしました。
フランスからイタリアへ入り、フィレンツェで3泊の後に次の宿泊地ペルージャへ。
朝8時半に出発、最初のストップオーバーはトスカーナ地方San Gimignanoの「TENUTA TORCIANO」ワイナリーでワインの試飲会。


昼前からワインが次々と出てきてワイフはすぐに酔いが回ってしまっている状態。

ワインの試飲が終わりバスで30分ほどのSienaという街で昼食及び現地ガイドによる市内観光。
ここは街の中心にある広場での競馬で有名らしい。
シエナの街でその広場に面したNannini というレストランがツアー会社が用意した昼食場所だった。


↑が広場で↓はそこに面したレストラン

その日は急速に気温が上がり現地ツアーガイドに連れられて市内観光でだいぶ歩いた後だったのでワイフと僕はそのレストランに残ってジェラートアイスを食べながらゆっくりしていた。
で、ふとこの店の名前に聞き覚えがあると考えていて店の入り口にある名前を見ていて↓

アレ?なんだか聞き覚えのある名前だなと思った。
そうだ昔F1のドライバーでアレサンドロ・ナンニーニの名前を思い出した。
ナンニーニってイタリアではありふれた名前なのかもしれないしまたひょっとしたらこの地方に多い名前なのかなとか考えていて、通りかかった店のウエイターさんにアレサンドロ.ナンニーニの名前を出した。
すると!!!!なんとも偶然!!!その店が彼の祖父が経営していた店だと言うではないですか。
Fー1ファンでも若い方はアレサンドロ・ナンニーニって名前はご存知ない方が多いだろうが伝説のレース1989年のFー1日本グランプリ、この大会を制したドライバーがその年の年間チャンピオンになるという戦いでアイルトン・セナとアラン・プロストが激しくバトルを展開、最終シケインで両車が接触スピンしてしまうっという事態に。
アラン・プロストはそのまま両者リタイヤでその年のチャンピオン獲得ってことで車から降りたがセナはマーシャルに押してもらいレースに復帰そこから脅威の追い上げで何と優勝をしてしまった。
しかし(時のFISA会長だったバレストールが同じフランス人のプロストに勝たせたいと)セナがシケインを横切ってコースに復帰したと失格にしてしまった。
(ちなみに今のFー1ルールではスピンしてコースを横切ってレースに復帰しても失格にはならない。 そもそもバレストールとセナはモナコでセナが優勝しそうな場面で一位を走っていたプロストに勝たせるためにバレストールはFISA会長の権限で雨を理由にレースを途中で止めてしまったという因縁があるあと一周でセナがプロストを追い抜くという場面だった。 あまりにもミエミエの行動に批判が出た)
その結果、その時に2位を走っていたアレサンドロ・ナンニーニがタナボタで優勝トロフィーを得た。
まだほぼ新人だったアレサンドロが当時無敵なドライバーとチーム相手に3位(プロスト、セナに次ぐ)を走っていたというだけでもいかに才能があったか分かるというものです。
その後ナンニーニは強力なチームに移る機会もあったが何と翌年の1990年に自家用ヘリコプターの事故で右腕(肘と手首の間)切断の重傷を負ってしまいFー1から去った。
ちなみに腕は事故当時の近くにいた家族の判断ですぐに氷に漬けられ本人と一緒に病院で運ばれ長時間に及ぶ大手術の後に奇跡的に接続されたとのこと。
で、そのレストランの話に戻るともともと彼の祖父の代から菓子作りで名を成した家族で今も数店舗のカフェやレストラン菓子店を経営しているとのこと。
それよりもそのウエイターが彼のお姉さんを知っているかと僕に聞く。
何でもイタリアでは彼よりも有名な歌手なのだそうです。
僕もそのウエイター(チーフウエイターらしく若い人では無くナンニーニ家の歴史にも詳しく)も観光客のジジイの日本人がアレサンドロの名前を知っているのに驚き、その上僕はツアー会社が偶然指定したレストラン(広場に面してあるレストランは何十軒とたくさんある中の一つ)がナンニーニのゆかりのレストランで(正確には今はその僕がいたレストランは手放していて、同じシエナ内に数軒ナンニーニが経営する店が存在するらしい)偶然ですね〜とお互い驚いた。
同行のツアー客が自由行動から戻ってくるまで僕はそこでウエイターと色々話していて、すでにアレサンドロは実務は行なっていないほぼ半隠居状態でロイヤリティーで生活しているがちょっと酒で体を壊しているとかでした。
もし興味ある肩がいたらググってみてください。
偶然彼のことを書いているシエナ在住の日本人の方が書いた記事も見つけた。