片腕

昨日は午前中にワイフを病院から引き取ってきたのですが、どうも手術中に受けた麻酔薬と、その後の鎮痛剤の強い効き目でけっこう頭がボケていて、退院前に今後のリハビリなどの説明を受けたのだがほとんど覚えておらず、朝迎えに行った時に「ご主人も一緒に説明しますので」と言われた。

手術自体は大したものではなかったのだが、肩から伸びている筋がかなり痛んでいたみたいで、完治するのに8週間と診断書に書いてあった。
8週間ってことは約2ヶ月、そんなに長く掛かったら5月中旬から予定しているヨーロッパ行きが危ういのではと言ったら、4週間ほどで腕は使えるようになるので、5月中旬なら大丈夫でしょうとの事。
何分、歳とともに回復に時間が掛かるようになっているので心配ではあります。
だいたいなぜ手術をしなければならない状態になったのかさえ原因が判らない。
転んだとか、きついスポーツの途中で捻ったとかの理由が全く無くて、ある日突然痛みが始まったのです。

病院が用意した「腕を吊る」ベルト、昔で言うと「三角巾」のようなのを着けているので、少なくともこれから約一月は炊事、洗濯、や当然車の運転も出来ないので、色々大変です。

じつは今年84歳になる僕の叔父(母の弟)は中学生の時に通学途中の列車で連結器のところから落ちて、肩の付け根のところから、右腕を失った。
電車がホームから動き始めてすぐに、友達とふざけていて、押された時に運悪く線路に落ちてしまった。

終戦直後のそれも片田舎の事で、医療も薬品も整っていない状態で助からないと言われたが、運良く近くに駐屯していたアメリカ進駐軍が持っていた大量の血液製剤等のお陰で、命拾いをした。

その時20歳直前の我が母は、病院にかかりきりの両親の代わりに、妹と二人でその腕を引き取りに行って墓に埋葬するために持って帰って来たのだが、人間の腕一本の重さがこれほどあるとはと、いまだ忘れられないと言っていたものです。

事故後、腕を失った叔父は精神的にも大きなショックを受けたようだが、右利きの人間がある日突然に全て左手一本で生活をしなければならない状況になったわけで、かなりの不自由を味わった。

僕が生まれた時には叔父はすでに片腕だったので、見慣れてしまい叔父が片腕だという意識はほとんどしないのだが、例えば叔父がワイシャツのカフのボタンをはめる時とかに、口(歯かな)を使って器用にはめるのを見たりすると、ああ叔父は身障者なのだと改めて認識させられる。

片腕が無い上にカフのボタンだから左手の指も使えない、いくら口を使うと言っても唾でシャツを濡らさないようにしながら、あの小さなボタンホールに通すのは、大変な事なのですよね。
永年の間に片手だけで靴ヒモを結んだり、挙げて言ったら数え切れないほどの不自由さが有るはずですが、長年叔父は全てをこなせるようになり、車の運転も免許証を持ち60年間以上に渡って無事故です。 片田舎なので毎日車は使用している環境でです。

ワイフは「にわか」片腕ですが、すでに三角巾の長さの調整でも手こずって、一人では出来ずフラストレーションで「キーキー」言っております。
考えてみると叔父が自分では出来ないので、奥さんに頼んでやってもらう事って無いかもしれませんね。
叔父も今年84歳、あまり片腕の事は話したことが無いけど、今度機会が有ったら何が一番難しかったか聞いてみようかな。

そうそう今から20年ほど前、叔父がオーストラリアに遊びに来て、ショッピングセンターのベンチでカメラ(当時はデジカメではなかったので)のフィルムが終わってしまったので、新しく入れ換えようとしていたら、すぐに近くにいたオーストラリア人がやりましょうかと声をかけてくれたらしい。
叔父の住む田舎では、他人が叔父を何かで助けようとするような経験は皆無だったので、叔父は凄く驚いていたのを思い出しますね。

admin について

海外生活51年の「浦島太郎」状態のおじさん(いやもうジジイですね)がやっています。 1974年に東京からロンドンへ。 現在はシドニー在住です。 2017年から年に半分はバルセロナに住み始めオーストラリアとスペインの間で渡り鳥人生。 海外に住んでみたい、老後は海外でリタイヤと考えている方にお役に立てれば 幸いです。(フロントページにある景色は我が家から見えるシドニーハーバーです。 シドニーの中心街や右手にハーバーブリッジやオペラハウスが小さく見えますでしょうか) 私に連絡を取りたい方は上のプロフィール内にあるようにFBのメッセンジャーをお使いください。
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