先日の日記に、義姉夫婦が隠居先としてポート・マコーリーを候補地としていたので、僕らも4泊5日で小旅行に出かけたと書きました。
僕の“大ポカ”でiPadから始まって僕の携帯用のチャージャーなどなどを車に積み込むのを忘れて、ネット依存症の僕はすっかり「コールドターキー(禁断症状)」状態になっていた。

↑今回初めて利用したテスラ・スーパーチャージャー。 ポート・マコーリーの約50km手前Tuggerah という町のショッピング・センターの駐車場にあります。
白内障の手術を受けた眼には良い休養になったのかも知れないが、その週にはこのブログの更新は出来なかった。
ということで、ポート・マコーリーの思い出しながら、僕のような年齢のリタイヤ生活について書いてみたいと思います。
義姉夫婦がメルボルンという都会のほぼ中心地に近い場所に住んでいながら、なぜリタイヤ生活を他の場所にと考えるようになったのか。
彼らが言うには、年々人口増加などに伴い交通渋滞が酷くなっている。
メルボルンは冬がけっこう寒くまた夏もかなり厳しい暑さがあるので、温暖な場所で海に近い風光明媚な場所で住みたい。
都会の喧騒とした場所にはもう魅力を感じない年齢になった。
不動産価格が高騰している今良い値で売って、比較的安い場所に引っ越せばその差額が老後の蓄えになる。
ポート・マコーリーに限って言うと、仲の良い同年代の友人が2カップルもメルボルンから隠居先として住み始めた。
けっきょく今回の不動産探しでまあまあ気に入った物件が見つかり価格交渉もまとまって、いよいよ具体的に移る準備に入った。
彼らのこの行動(新しいプロジェクト)を見ていて、そして僕らも現地に車で出向いて5日間行動をした後に感じたのは、「僕らには向いていない」と、「実際に移ってから彼ら義姉夫婦は後悔はしないだろうか」ということ。
ポート・マコーリーはニューキャッスルという、オーストラリア国内便が飛ぶ飛行場もあるわりと大きな街に隣接しているので、大型病院もあり高齢者には必要なものは揃っている。
ただしさすがにオーストラリアの田舎なので、どこへ行くにもマイカーが無ければ非常に不便。
これは日本の田舎でも同様な現象ではあるが、オーストラリアは国土が大きいだけにとにかく距離が長い。
スーパーに週に一度程度の買い出しでも歩いて行けるような距離には無い。(義姉夫婦やその友人達の住む場所では)。
まあいつまで運転出来るかにもよるが、義姉夫婦は年齢が79歳と77歳ですぐに80歳の大台に乗る。
すでに運転はかなり怪しくなってきているが、田舎だったら交通量も少ないのでまだとうぶん運転出来ると考えているのかもしれないが。
今回の旅でつくづく感じたのは、隠居生活ほど都会の中心地がベターなのではないかと。
特に僕らはバルセロナの中心地にアパートを購入して毎年長期滞在するようになってから、そう感じる事が多くなった。
今住んでいるシドニーの家でも歩いて行ける距離に必要なものは揃っているが、しかしそれほどチョイスが多いわけではない。
やはりボンダイジャンクションあたりまで出かけないと足りない部分は有るが、もし車の運転が出来なくなったら近くからバスが出ているのでなんとかなる。
コロナ禍で人々の生活に変化が起き、リモートワークが普及して都会から距離のある不動産に人気が出ているらしいが、それは必要なら車の運転が苦にならない若い人には可能性は有るだろうが、高齢者には養護老人ホームに入るのならともかく、自立した生活をする人には都会の方が向いているのではないかと痛感した今回の旅だった。
そうそう、ポート・マコーリー滞在中に我がワイフの父の生まれ故郷「Cessnock 」という街に出かけた。
昔から義父の出身地として名前は聞いていたが、僕にとっては初めての訪問。
全く何の魅力も無い田舎町。


ついでに
義姉夫婦がメルボルンに帰る途中我が家に3泊した時に久しぶりにマンリー・フェリーに乗って湾内遊覧。


