イタリア冬季五輪の日本の報道記事の中に、日本人には珍しい「ビデ」についての記事を目にした。
その記事は、ホテルの部屋に便器と並んで横に似たような形のものが設置してあり、初めて外国を訪れる日本人は???状態になることがあると。
今や日本から世界に広まりつつある「ウォッシュレット」だが、このビデはスペインやイタリアのホテルやアパートでは当たり前の光景で(最近ちょっと減っているかもだが)昔のヨーロッパでは安い宿でも部屋にトイレは無くともビデはあるというのが珍しくなかった。
僕が初めてヨーロッパに出かけたのは確か1972年の寒い時期で、若かった僕は最も安く日本からヨーロッパに行く方法を探すと、確か新潟あたりから船でナホトカ(ソ連)に渡りそこから鉄道でヨーロッパまでか、アエロフロートというソ連の格安航空会社だけが選択肢だった。
で、当時(成田空港が建設されるかなり前のことなので)は羽田からアエロフロートでモスクワ経由でロンドンやパリに行っていた。
このアエロフロート便には何度もお世話になった。
さすがソ連邦の航空会社でサービスはゼロ、機内食など食べられたシロモノでは無かったが、しかし今考えるとビックリするが貧相な食事なのに「キャビア」の小さな缶が入っていた。(もちろんエコノミーシートしか無いのだがキャビアが)
それを不味い硬いパンと一緒に食べた記憶が残っている。
キャビアはソ連の特産で、しかし金持ちが高い金額を払ってシャンパンと一緒という今のキャビアのイメージとは大違い、途中モスクワ空港での休憩時間に空港内の売店で安くキャビアが販売されていたが、それほど貴重なものというイメージは無く、せいぜい1缶くらいを日本への帰り便で購入したが今考えると金のなかった僕のような人間が買えたのですから高額ではなかったんでしょうね。
話はそれてしまいました。
その初めてのヨーロッパ行きのフライトはパリ行きの便だったが、パリ空港の管制官のストライキで(そう当時からパリの空港がストライキで閉鎖とか珍しくなかった。 考えてみるといまだにヨーロッパでダイヤが乱れるのはフランスでの空港ストがほとんどですね。)急きょベルギーの空港に着陸した。
全くサービスゼロのアエロフロートなので、そろそろパリ到着かなという頃になってロシア語とたぶん英語の機内アナウンスで短く「パリはストで着陸出来ないので代わりにベルギーのブラッセル空港に着陸する」というが機内に流れた「らしい」。
当時の僕の英語力では全く何の機内アナウンスか分からず。
で、入国後に外に出てまずはフランスフランをいくらか替えておこうと空港内の両替所に行って日本円を出した。
受け取った通貨がベルギーのフラン札なんて全く分からず(フランスもフランだったので)、さてこれからパリの宿泊先までタクシーをという状況になって、一緒の機内にいた日本人達が騒ぎ出した。
ここはパリの空港ではなくベルギーのブラッセルの空港だという。
ストライキなのでブラッセルから陸路航空会社が用意したバスでパリまで行かなければならないらしいという。
一緒の便の他の日本人乗客のほとんどが初めてのヨーロッパで英語を喋れる人もいない。
けっきょく僕が(すでに僕は今のオーストラリア人のワイフと住んでいたので)少しは英語が喋れるということで、どのバスがアエロフロートの乗客のために用意されたバスなのか、そのバスに乗るにはどの出発ターミナルからなどというのを、僕が皆を代表して空港内の案内状に聞きに行き、けっきょくまるでツアーコンダクターのように路頭に迷った日本人を全員バスに案内し陸路パリに向かった。
何時間もバスに揺られてうとうとしていたらやっとパリ市内に入り、眠い目をこすりながら車窓外を見ると目に飛び込んできたのは夜明け前のコンコルド広場で、雄大な広場が目の前に広がり映画などで見たまさに「パリの光景」だった。
バスから降りて予約したホテルなどストのおかげで(安宿だったからだと思うが)とっくに閉まっているだろうしノーショーでキャンセル扱いになっているはず。
朝5時前のその時間に運良く(たぶんストで迷惑を被っている乗客のため)エアーフランスの事務所には灯りがついていて、そこに行って今から宿泊出来るホテルを紹介してくれと交渉した。
彼らは親切にも(自国のストで混乱が生じているのを承知しているので)その場から電話を数カ所のホテル(僕らの予算に合う安宿でそんな時間でもチェックイン出来る宿)に問い合わせ、見つけてくれた。
僕の後ろにゾロゾロと金魚の糞のように付いてきた他の日本人(すでにその時点でだいぶ減って12人ほどだったか)の人達のホテルもとってくれた。
で、ホテル名や住所もらい、タクシー何台かに分散してホテルに向かった。
全員タクシーに乗せて、運転手に行き先を告げるのまで僕がやった。
なので同じ便に乗っていた僕と同年代の男性(ヒッピーっぽい風体で割と僕に雰囲気が似ていたのもあって)はずっと僕に頼り切りだったので、僕の連れ添いのように同じ宿の部屋をシェアすることになった。
彼は日本でフォークシンガーをやっていると言った。
僕は当時日本の歌謡曲はもとより日本のロック(グループサウンド)とかブームになっていたフォークソングなどを全く聴かなかった(全て外国のコピーだと)ので彼の名前「遠藤賢司」と聞いても全く知らなかった。
まあ彼はそれほどメジャーでも無かった(?)からか僕が全く知らなかったのは当然かも。
しかし当時日本のフォークファンの間では有る程度知られた存在だったらしい。
話はだいぶ遠回りしてしまいました。
その彼「遠藤君」とやっと宿に入り部屋に入ってくつろいでいたら、何と彼は(僕にとっても)見たことない形に便器があるのでそこで「大、つまり💩」をしてしまった。
彼はいざ流す段になってそれが便器では無いことに気がついた。
ドアを開けて出てきた彼は僕に「たなべ君! 変な形のトイレでウンコをしたが流れない!便器だと思って出したが違うかも知れない」と半べその顔で言う。
僕が怪訝な顔で覗いたら大盛りのウンコがビデの上に積もっている。
けっきょくどうしようも出来ず、そのまま寝て翌朝ホテルの外の店のパン屋だったかに入って紙のショッピングバッグをもらいそれを遠藤君は入れて外に捨てに行った。
部屋は一晩中臭い匂いが漂っていました。
しかし考えてみると部屋に便器が無いのにビデはあるって、どう考えても不思議ですよね。
用を足すなら部屋から出て廊下の突き当たりにある共同便所で、しかしビデは夜の営み(セックス後の洗浄?)に欠かせないものだから?トイレの便器よりもビデを優先するって考え方だったんだろうか?
ひょっとしたらそのホテルは観光客向けでは無く「連れ込みホテル」が本業だったのかも。
だからそんな時間でもエアーフランスの事務所から連絡が取れて我々がチェックイン出来たのかも知れませんね。
ただしフランスでは法律で宿泊施設ではビデは部屋に設置が義務付けられていたからだと想像しますが。
その後遠藤君とはパリ数泊の後、一緒にフェリーでドーバーを渡りロンドンも一緒の部屋で旅を続けました。
彼は僕と同い年で、日本に帰国後も付き合いが続きました。
しかし残念ながら彼は癌で数年前に逝ってしまいました。
僕がオーストラリアに住み始めてからはほとんど会う機会が無く、一時はメールのやり取りで僕が日本に行った時には是非会おうという約束をしていたのですが。
今彼の名前「遠藤賢司」でググったら亡くなったのは2017年と出ている。
もう亡くなってから9年も前だったんですね。
ググって出て来る彼の写真は当時に面影はほとんど残っていない。
彼は当時は割とポッチャリしていたので。
すごくおっとりした本当に良い人でした。